スペシャルレポート

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『時計じかけのオレンジ』『キューブリック作品』『フルメタル・ジャケット』『ロリータ』・・・

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『博士の異常な愛情』『2001年宇宙の旅』『シャイニング』・・・

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『バリー・リンドン』『アイズ ワイド シャット』『突撃』まで、それぞれの作家さんの個性あふれる作品が楽しめます。

スタンリー・キューブリック監督
映画特集イラストレーション展
イラストレーショングループ展


◼️日時
2020年09月08日(火)〜 2020年09月13日(日)
12:00〜19:00 (最終日17:00まで)

◼️出展者
青山功/青山タルト/井上亜矢子/KAKUTO/すがゆり/鈴木千晶/タムラフキコ/ 野口あきら/ヤギエツコ/リーカオ/若山りえこ

◼️概要
2020年没後21年となった鬼才キューブリック監督作品を特集したイラストレーション展。

◼️アクセス

◼️公式サイト




 Twitterで見かけて興味がありましたので訪問してみました。アポなし訪問だったのですが、ご厚意で掲載許可をいただきましたので展示の様子を掲載させていただきます。それぞれの作家さんのタッチのイラストを楽しませていただきました。主に俳優や映画のワンシーンが多かったですが、中には独自解釈で個性的なものもあり、とても興味深かったです。

 開催期間は2020年9月13日(日)まで。開催時間は12〜19時ですが、最終日のみ17時です。場所は東京メトロ銀座線「外苑前」駅3番出口を上がったところにあるBMW販売店の裏側になります。入場料は無料。こじんまりとしたスペースですが、興味のある方は気軽に訪問してみてはいかがでしょうか。

DSC00319「ギャラリーDAZZLE」外観


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左からダグラス・トランブル、ピアーズ・ビゾニーの両氏。

『エンビジョニング2001』ダグラス・トランブル講演会に関するレポート
by カウボーイ

 現在、ニューヨークの映像博物館、『ミュージアム・オブ・ムービング・イメージ』で開催されている『2001年宇宙の旅』の展示会、『エンビジョニング2001』の一環として、同作品の主要特撮スタッフであるダグラス・トランブルによる講演会が、2020年2月16日に行われました。

 講演前に展示会を、講演の後には『2001年…』の70mmバージョンを観ることができました。1月17日に行われた『エンビジョニング2001』の前夜祭同様に今回の講演もほぼ満員でしたが、人種のるつぼニューヨークであるにもかかわらず、今回は90%が白人。そして、その3分の2が男性でした。

 『未来映画術:2001年宇宙の旅』や『The Making of Stanley Kubrick's 2001』などの書籍を執筆した、宇宙歴史家で作家のピアーズ・ビゾニー氏もトランブル氏と一緒に登壇しましたが、ビゾニー氏は聞き手に回り、トランブル氏がメインで喋りました。技術的な内容はほとんどなく、また『2001年』の製作のみならず色々な話題へと話は及びました。トランブル氏は滑舌が良く早いスピードで喋り、年齢の割にお若いなあという印象を私は受けました。

 『2001年…』のプロジェクトが開始された時、そのニュースを知ったトランブル氏は、キューブリックのことは『突撃』の監督というレベルでの認識だったたそうで、『博士の異常な愛情』にはぶっとばされましたね、と淡々と語っていました。氏は特別にキューブリックを追っかけていたわけではなかったそうです。しかし若きトランブル氏は『2001年…』の企画に惹かれて懸命に自分を売り込み、その後2年半に渡ってキューブリックのそばで仕事をしたことは、自分のキャリアを予期せずして全く違うレベルへ運んで行ってくれたとおっしゃっていました。氏にとってキューブリックとは『グル(導師、教祖、教師)』だそうです。

「もうひと頑張りしろ。そして、これまで誰も行かなかった所まで行け。そうすれば、作品は他のどれにも似ていない唯一のものになる」

その教えをグルから与えられたそうです。

 初めて会った時のキューブリックの第一印象は『マッドな天才』。それはもちろんポジティブな意味においてであり、彼はものすごい速さで喋り、物事を先へ先へと考え、知識の量は底なし。キューブリックは既成の方法をなぞることには嫌悪感さえ抱いており、「もう既にそういう方法があるのなら、俺は逆の方法でやる」と、真っ向から既存のものに逆らうというやり方を徹底していたそうです。

 他のクルーが生命維持装置に閉じ込められたまま、ボーマン一人がスターゲートに入るというプロットに関して、20代前半の若き無名アーチストであるダグラス・トランブルが、大胆にも上司であるキューブリックに「残りのクルーも退場させるべき」と抗議したというエピソードがあります。その際にキューブリックが放った言葉は、書籍『2001:キューブリック、クラーク』でも紹介されていますが、本を読む限り、私はキューブリックがFワードを交えながら、例の渋いトーンの声で、クールにしてぞっとするような厳しい口調で喋ったのだと勝手に想像していました。

 ところが、それを言われた当人のトランブル氏が、当時のキューブリックの口調を再現しながら語ったのを聞いた時、私は「ああ、やはりキューブリックは下町のサウスブロンクス出身だったのだなあ」と感慨深く思いました。一語一句が正確な翻訳ではありませんが、以下のような感じです。これぞ講演会でしか知ることができない生々しい世界です。

「うるせえよ! お前は自分の仕事だけしてろ。俺の仕事に口出しすんな。とっとと俺の部屋から出てけ!」(『2001:キューブリック、クラーク』206ページ参照)

 まだ血気盛んな30代後半のキューブリックが若僧トランブルに神経を逆なでされ、かんしゃくを起こしたような雰囲気だったようです。本のインタビューで語っていたことを、今回の講演でもキューブリックの口真似を交えて語ったということは、50年以上が過ぎた現在でもトランブル氏にとってその時の体験は、よほどのトラウマになっているのでしょうか? 皮肉なことに、その出来事があった翌日のトランブルの仕事は、3人の宇宙飛行士が殺害されるシーンで使用されるモニター映像のアニメーションを製作することだったそうです。

 ヒトザルと人間を導いた地球外知性体を映画でどう描くかと皆で色々と議論し合い、ダン・リクターがそれを演じることになりましたが、最終的には地球外知性体を出さない方が説得力があるという結論に落ち着きました。トランブル氏によると、その地球外知性体はほぼ完成しており、もう少しのところだったそうですが、単純に時間切れのために採用されなかったそうです。完成が間に合っていれば『2001年…』は全く違った印象の映画になっていたかもしれません。

 『2001年…』は我々の想像、理解、知識を越えたことに対して感覚的に思いをめぐらせる映画なので、決して「スターチャイルドはイエス・キリストの蘇りだ」というような安易な文学的解釈は避けた方がよいともトランブル氏はおっしゃっていました。公開当時に『プレイボーイ』誌のインタビューでキューブリックが語った内容が、『2001年…』に関する最も充実した彼自身による解説だそうです。

 トランブル氏が携わった『ブレードランナー』は『2001年…』とコインの表裏一体のようなポジションにありますが、我々の将来はどちらになると思いますかという質問がビゾニー氏から出されました。するとトランブル氏は一瞬考えたのち、「その質問は、トランプを排除した後に改めてしてくれ」と言い場内には笑いと拍手が起こりました。

 そして、講演の最後に独自の宇宙観について質問されたトランブル氏は、少し極端な考えなんだけど、と断った後に次のような持論を語りました。

宇宙の80%ほどは我々よりも高い知性に占められている。そして、それらの知性は我々を待っている。

場内は静かに唸りました。さすが『2001年宇宙の旅』『未知との遭遇』『ブレードランナー』『ツリー・オブ・ライフ』に命を吹き込んだアーチストの一人です。今の自分がいるのは、エンジニアの父とアーチストの母がいたからだという氏のコメントにも、私には納得がいきました。


    
 「これまで誰も行かなかった所まで行け」のエピソードが出た時、私はキューブリックの運転手であったエミリオ・ダレッサンドロが語り下ろした本、『Stanley Kubrick and Me』におけるダレッサンドロとキューブリックのある会話を思い出しました。

 キューブリックは2年間、休みなしで『アイズ…』の製作に打ち込み、ダレッサンドロによれば、仕上げ段階では睡眠時間を削りつつ限界まで自分自身を追い込み、ようやくほぼ完成した作品のプリントをニューヨークへ送り、そこでワーナーの幹部2人とクルーズ、そしてキッドマンだけに披露しました。

 その週の金曜日の夜、書斎のデスクに座ったキューブリックが頭を垂れたまま、椅子の上で体を前後左右にぐらぐらと揺らせていました。手は椅子の肘掛けをつかんでいました。その場に来たダレッサンドロがどうしたのかと心配してキューブリックに尋ねたところ、「だめだ、できない、エミリオ。立ち上がることができない」と言ったのです。そして日曜日の朝にベッドで亡くなっているところを発見されました。享年70才。死因は重度の心臓発作。ドキュメンタリー映画『キューブリックに魅せられた男』によると、キューブリックはベッドの脇に置かれた酸素ボンベに手を伸ばした体勢で亡くなっていたそうです。

 孫を含む家族がいるにもかかわらず、自分の作品のためには命を削ってでも行くところまで行くキューブリックは、現代において稀有な芸術家であったのだと、トランブル氏の今夜の語りを聞き改めて実感しました。講演会の後の『2001年宇宙の旅』の心への沁み方は、やはり深かったです。

レポート・写真撮影:カウボーイさま




 現在ニューヨークの映像博物館で開催中の『エンビジョニング2001』で、2020年2月16日にダグラス・トランブル氏の特別公演があり、そのレポートが届きましたの皆様にご紹介します。

 司会進行役のピアーズ・ビゾニー氏は『未来映画術:2001年宇宙の旅』や『The Making of Stanley Kubrick's 2001』でファンにもおなじみの人物ですね。レポート中にある『プレイボーイ』誌のインタビューは書籍『メイキング・オブ・2001年宇宙の旅』に掲載されています。完成していたという地球外知的生命体は「ポルカ・ドットマン」のことで、これを演じていたのは猿人を演じたダン・リクターです。キューブリックがインタビューで語っていた「最後になって見込みのあるものが出てきた」とは、やはりポルカ・ドットマンのことだったようです。

 あとは管理人が付け加えることはないでしょう。トランブルでしか知り得ない生々しい証言の数々、トランプに関するジョーク、キューブリックの(東京で言えばべらんめぇ調の)逆ギレ(笑。参加したものしか楽しめない、興味深いエピソードが満載でとても羨ましい限りです。

 カウボーイさまがおっしゃる通り、キューブリックはまさしく文字通りに「命を削って」私たちに作品を届けてくれました。それはキューブリック本人は元より、トランブルをはじめとする優秀なスタッフや俳優たちにも多大な重圧と試練を与えるものでした。しかし、それに打ち勝ったからこそ『2001年…』は現在の姿でここに在るのです。

「もうひと頑張りしろ。そして、これまで誰も行かなかった所まで行け。そうすれば、作品は他のどれにも似ていない唯一のものになる」

 キューブリックのこの強固な意志とそれを実現した実行力、そしてそれを支えた俳優・スタッフたちの献身的な努力には敬服するしかありませんが、それを「ブラック(な現場)」としか言えない人に、キューブリック作品を語る資格があるのか? その答えは読者の皆様がよくご存知のはずだと思います。

 なお、レポートにありますキューブリックのパーソナルアシスタント兼運転手、エミリオ・ダレッサンドロの回顧録『Stanley Kubrick and Me(スタンリーと私)』は、現在地方で上映中の『キューブリックに愛された男』の底本に当たるのですが未邦訳です。日本の出版社さまにはぜひ邦訳をお願いしたいですね。

 そして前回同様今回も、レポートを送ってくださいましたカウボーイさまのご好意により、この『エンビジョニング2001』の展示物の画像をご提供いただきましたので、読者の皆様にシェアしたいと思います。ネタバレ回避のため圧縮ファイル(zip)をダウンロードする形とさせていただきますのも前回と同じです。画像の取り扱いは個人利用の範囲内(自分用の資料など)とし、くれぐれもネットに再アップするなどの行為はご遠慮いただきますよう、宜しくお願いいたします。

 ダウンロードはこちらからになります。

 それでは改めまして、この素晴らしいレポートと写真を届けてくださいましたカウボーイさまには最大級の感謝を!

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キューブリックが使用したビューファインダーとカチンコ。日付は1968年3月6日。公開は同年の4月なのでギリギリまで撮影していたことがわかる。

『2001エンビジョニング』レポート[その2]
by カウボーイ

 展示の様子は私があれこれ言うよりも、画像を見ていただくのが良いかと思います。

 『エンビジョニング』と言うくらいで、「いかにしてキューブリックとアーサー ・C・ クラークのアイデアが創造され、視覚化されていったか」が、展示会のテーマであったと思います。脚本、演出、編集には簡単に触れながら、美術、衣装、特殊効果、そして、宇宙船をはじめとするモデルがメインで取り上げられておりました。演技、撮影、音響、音楽には特に触れていません。今回の展示会はフランクフルトで行われた展示会を、そのまま持って来たということです。

 当初、キューブリック直筆のメモやノートを見ることができるかもしれないと期待したのですが、タイプされた文章に、彼がペンで訂正を少しだけ加えている手紙1枚のみが直筆の品でした。

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1965年7月29日、制作補佐のロジャー・カラスに宛てたIBMに関する手紙。

 一方で、美術や技術スタッフによる直筆のメモや手紙は多数ありました。そこには彼らの仕事内容が手にとるように分かる文章が緻密に書かれています。あくまでも『2001年』の視覚化が、展示会のテーマなのでしょう。

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スタッフのメモ。内容はキューブリックからの問い合わせに対する回答。

 キューブリックの個人的な品はありました。数は少なかったですが、そこに我々が感じるものや、考えることは数多いと思います。

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キューブリックが生涯で獲得した唯一のオスカー、『2001年宇宙の旅』特殊視覚効果賞。

 今回の展示会はさらっと一通り見れば15分で終わりますが(「これだけなの?」と発言していた客もいました)、しかし、掲示された説明の文章は詳細であり、ドキュメンタリーやクリップをヘッドホーンを使って鑑賞もでき、アートワークや設計図も奧が深いので、展示物を一通り観た後、ディテールを数時間でも堪能できる内容になっていると思います。今年の7月まで開催されていますので、私は再び訪問し、よりじっくりと鑑賞するつもりです。



 続いて70mm版『2001年宇宙の旅』の上映ですが、展示会とディスカッションの直後に改めて作品を観ると、やはり心に迫って来るものが違いました。製作の裏側を垣間見たので、各ショットの裏にあるアーチストと職人たちのアイデアや工夫を、よりリアルに感じることができたのです。例えばスターゲートのコンセプト・アートには、最終的には使われていないものの中でも、そのまま使えそうな素晴らしい作品がいくつもありました。その中から厳選されたアイデアが最終的に映画に組み込まれたのだと思うと、そこにたどり着くまでのプロセスも自分なりに想像しながら理解できることができました。キューブリックは「Feel」、「Feeling」という言葉をよく使いましたが、今回のイベントに参加して、私は『2001年…』について考えただけではなく「感じる」ことができました。理屈ではなく、1本の映画とその製作を実感できました。

 最後に、極めて個人的なお話でこの[その2]のレポートを終わらせていただきたいと思います。

 私が『2001年…』を最初に観たのは、当時中学生であった1981年の『日曜洋画劇場』での放送でした。月へ行くあたりで眠りに落ちてしまい、気がつけばスターゲート。突然、窓のない美しいホテルの一室に宇宙飛行士がおり、そして、映画は赤ちゃんの宇宙人の誕生と共に完結。当然、エンディングの意味は分かりませんでしたが、様々な不思議なイメージを次々に畳み込まれてきても、何ら違和感は抱きませんでした。大学生の時に劇場で初めて通して観て、「難解」「退屈」などのネガティブな意見は知っていましたが、基本的なストーリー・ラインは理解できましたし、映画を観たという充実感もありました。

 その後、VHSから4K ULTRA HDまで何度も繰り返し鑑賞、2018年の70mm上映では3回鑑賞しました。なぜ、この作品は繰り返し観てしまうのでしょう? それはこの映画が私の『センス・オブ・ワンダー(不思議さに驚嘆する感性)』に訴えかけてくるからではないか、感性で受け取る行為には中毒性もあるからではないか、と思うのです。大学生の時の鑑賞で、月面でモノリスを見下ろすフロイド博士たちを背後から捉える引きのショットが出て来た時、私は7、8才の時に雑誌で見た、ある小さな白黒写真を思い出しました。その写真とはこれです。

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 私の眼は粒子の荒いこの写真に釘付けになり5分間ほど眺め続けていました。その時私が心に抱いたのは、正にセンス・オブ・ワンダーだったのです。そして今回そのワンダーの裏側を、約40年目にしてこの『2001エンビジョニング』で見ることができたことは非常に感慨深かったです。まるでひとつの輪が閉じたかのようでした。

 今後も私は、この映画を観続けることになるでしょう。

レポート・写真撮影:カウボーイさま




 前記事「『エンビジョニング2001』(Envisioning 2001: Stanley Kubrick's Space Odyssey)特別イベントのレポート[その1]」の続きで、今回は展覧会と70mm版『2001年宇宙の旅』についてのレポートです。

 展示物の数はあまり多くないようですが、これはMGMの倉庫に保管していたプロップや撮影モデルなどを、MGMの倒産時にキューブリックが他者に真似されるのを恐れて廃棄してしまったからです。ですので、この展覧会に展示してある宇宙船のモデルは全てレプリカになります。唯一現存しているアリエス1B宇宙船のモデルは、ロサンゼルスに開館予定の「アカデミー博物館」に展示されることになっています。また、宇宙ステーションに置かれていた赤(正しくはマゼンタ)の椅子「ジンチェア」もレプリカです。

 このように、ついつい目が行きがちな大型の展示物は残念ながら当時のものではありませんが、それでも宇宙服やヘルメット,猿人の着ぐるみ、HAL、スターチャイルドは現存する貴重な当時のプロップですし、なによりも紙資料は制作の裏側が垣間見える貴重なものなので、じっくりと鑑賞すべきでしょう。『2001年…』に限らず、こういった展示物は「背景情報を知っているか否か」で鑑賞の充実度は全く変わって来ます。歴史マニアが古戦場で目を輝かせるのと同じです。興味のない方にとって古戦場は単なる「田舎の風景」ですからね。

 レポートには「直筆の資料が少ない」とありますが、キューブリックは悪筆だったのを気にしてか、この頃からタイプライターを頻繁に使うようになったので、直筆の資料はそもそもあまり多く残っていません。キューブリックの場合、原作小説とか台本に殴り書きのような書き込みがよく見られますが、当時のリアルなキューブリックの心境が垣間見えるようで、興味深いですね。

 今回のこのレポートを送ってくださいましたカウボーイさまのご好意により、この『エンビジョニング2001』の展示物の画像をご提供いただきましたので、読者の皆様にシェアしたいと思います。ただ、現在開催中の展覧会ですし、ネタバレされるのを嫌がる方もいらっしゃるかも知れませんので、シェアは圧縮ファイル(zip)をダウンロードする形とさせて頂きます。また、そのような事情なので、画像の取り扱いは個人利用の範囲内(自分用の資料など)とし、ネットに再アップするなどの行為はご遠慮いただきますよう、宜しくお願いいたします。

 ダウンロードはこちらからになります。

 それでは改めてカウボーイさま、素晴らしいレポートと写真、ありがとうございました!

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IMG_5671『エンビジョニング2001』のエントランス。

『2001エンビジョニング』レポート[その1]
by カウボーイ

 さる2020年1月17日、ニューヨークにある『映像博物館』(Museum of the Moving Image)で行われた『エンビジョニング2001』(Envisioning 2001: Stanley Kubrick's Space Odyssey)の特別イベントに行ってきました。

 『エンビジョニング2001』は、1月18日から7月19日まで開催される、『2001年宇宙の旅』に関連した資料の展覧会であり、その開催にさきがけた1月17日にその特別イベントは行われました。博物館があるのはニューヨーク市クィーンズ区のアストリアという地域で、東京で言うならば吉祥寺、下北沢あたりでしょうか。そこは表通りに各種の店が並ぶ住宅地であり、マンハッタンへのアクセスが良いので、クィーンズ区では20代、30代の若者に人気のある地域です(ちなみに私は、そこから地下鉄で3駅のウッドサイドという地域に住んでいます)。

IMG_5518クィーンズ区アストリアにはスタインウェイ・ピアノの工場があり、クリストファー・ウォーケン、シンディ・ローパーの出身地。

 同博物館の隣には、1920年代から運営されている東海岸最大規模の映画撮影所、『コーフマン・アストリア・スタジオ』があり、アストリアのその特定の区域は「映画の街」と言えるのではないかと思います。映像博物館では、映画ファンや映画を学術として研究する人々が満足いくような、今回のような画期的な企画を定期的に行っています。

 さて午後5時に博物館に到着。今回のイベントでは翌日の正式オープン前の展示場に入ることができ、『2001年…』の関係者による30分のディスカッションへの参加、その後70mmプリントによる特別上映の『2001年宇宙の旅』を鑑賞することができました。イベントの入場料は50ドル(約5千円)。キューブリックと『2001年』のファンである私にとっては、非常にリーズナブルな料金でした。実は午後5時から30分間に渡って、「月を見るもの」を演じたダン・リクターがギャラリー・トークを行ったのですが、私が今回のイベントのチケットを購入した時には、その独立したトークショーのコーナーは既に売り切れでした。

IMG_5520会場の『映像博物館』エントランス。

 入場時に受付で、キア・デュリアとダン・リクターのサイン会が行われていると教えてもらい、その部屋に行くと、リクターはギャラリー・トークに出ているため、デュリアさんだけがいらっしゃいました。彼が座るテーブルには映画からのスチール写真が十数種類が並べられており、どれでも好きなものを選び、それにサインをしていただけるということでした。

 私がその部屋に入った時、そこにいた客は男性1人だけであり、デュリアさんがその人とやりとりをしていました。デュリアさんはかくしゃくとした紳士で、年齢の割にお若く見えます。引退した、どこか厳しそうな大学教授という雰囲気で、声がとても良い方です。デュリアさんがその客の男性に、「いいかい、こうゆう風になっているんだ。サインが30ドル、記念写真が20ドル、そして、その両方の場合は──」

 私は、「ボーマン船長が自分のサインを売っている・・・料金システムを説明している・・・」と思いながら衝撃を受けました。私はデュリアさんの映画は『2001年』しか知らず、インタビューもほとんど見たことがなく、ボーマン役のイメージが強いため、目の前の現実世界で繰り広げられているその光景が、非常にシュールに見えたのです。

デュリアさんとお客さんの会話は続きます。

「君、どうする?」
「はい、ではサインでお願いします」
「現金かい? クレジットカードかい?」
「カードで」
「カードだね。グレート」

 デュリアさんのすぐ脇には、箱に入った全長40センチほどの宇宙服を着たボーマンのフィギュアもあり、それを見て、より一層混乱した私は思わず、「僕、そのフィギュア、買います! 箱にサ、サインして下さい! カードです!」と叫びました──というのは嘘ですが、頭の中のイメージと現実のギャップにうろたえたことと、デュリアさんの圧倒的な存在感に尻込みしてしまい、私はサインはいただかず、そのままその場を去りました。支払い方法の説明などはスタッフにまかせればよいものを、ご自身でファンに丁寧に説明しているデュリアさんのことを今思い出すと、とても真面目な方なのだなと改めて思いました。

 展示会場が5時30分にオープン(管理人注:展示の紹介は後日別記事[その2]でいたします)。続いて7時から、同博物館内の劇場でのディスカッションです。

IMG_5691左からキューブリックの長女カタリーナ、ボーマン船長役のキア・デュリア、月を見るもの役のダン・リクター。

 350席ほどある劇場は、ほぼ満席。20代から下の世代の観客は皆無でした。両親に連れられて来た小学生が2、3人ほどいました。アジア人は全体の10%くらいで、その中で日本人を私は探してみましたが、見つけることはできませんでした。カタリーナ・キューブリックさんは、お母様のクリスティアーヌさんと同じように明るく、ほがらかな方で、はきはきとお話になられます。司会者である同博物館の学芸員に紹介されてステージに現れる時、先頭で出て来たカタリーナさんは、客席を見た瞬間、思わず舞台裏に引っ込みました。数秒後、デュリアさんにエスコートされながら、ステージ中央の椅子に座りつつ、改めて客席を見て、「ワオ!」と言ったカタリーナさんは、とても若々しかったです。

 リクターさんに対して私は、60年代のヒッピー上がりのやや斜に構えた、癖のある人というイメージを勝手に持っていたのですが、実際に拝見すると親しみやすそうなでありながら、ボヘミアンの香りが残っている気のいいアメリカ人のおじさんという感じでした。ディスカッションでは、『2001年…』ファンにはおなじみのエピソードが次々と飛び出しましたが、興味深いことに既に知っているエピソードであっても、関係者の口から直接聞くと平面的であったエピソードに立体感を感じ、よりリアルに理解できたことです。

 例えばモノリスを手で触ってしまえば、それをホコリや砂で汚してしまうので、リクターさんが触ることに躊躇したというエピソードがあります。「それで僕は汚したくないから、触るのをひかえたんだよね。するとスタンリーが言うんだ。『触って。触って』って。で、僕が『でもスタンリー、汚れちゃうよ』。『いいからいいから、触って触って、さあ』」と、当時のキューブリックの口調を自然に真似ながら語るのです。その会話を再現するリクターさんの説明を聴いていると、ニューヨークの下町のサウス・ブロンクス出身である当時30代後半のキューブリックが、ロンドンのスタジオで演出する姿がどのような感じであったのかを、ありありと実感することができて嬉しかったです。

 そして意外に思ったのが、リクターさんとデュリアさんがキューブリックとの仕事を振り返り、彼が現場では決して声を荒げず、リラックスした雰囲気を作ることを心がけていたこと。相手の地位に関係なく、現場にいる誰の提案にも耳を傾けることに驚いたことに触れ、そして二人同時に「スタンリーは、本当に仕事のしやすい人だったよねぇ」とつくづく語ったことでした。私がこれまで観て、読んで、聴いた関係者のエピソードから、監督としてのキューブリックは、役者、スタッフに対してサディステイックと言えるほど厳しかったという印象があったのですが、リクターさんとデュリアさんが、リップサービスのような感じではなく、「あんなにも楽な監督はいない」と自然に異口同音で発言した時、私は知らなかったキューブリックの一面を知ったような気になりました。でも考えてみれば、『2001年…』のドキュメンタリー・フィルムや写真には、キューブリックが笑っていたり、さわやかに微笑んでいる瞬間は結構ありますね。

 キューブリックのリテイク伝説についてカタリーナさんが、「彼は俳優が優れた演技を提供してくれれば、それは受け入れた上で、『じゃあ、今度は違ったようにやってみようか』という感じでリテイクを行なっていただけなのです」とさらりと言われた時、私はそのエピソードを知ってはいましたが、家族の口から聞くと説得力が違って感じました。キューブリックの方法論を理屈ではなく、心情的に理解できたのです。「まあ、色々、探ってみよう。時間のために製作費はあるんだから」と俳優に言い、結果よりもプロセスを徹底的に追求した先に作品を生み出すというのが、キューブリックの方法論だったのではないかと思います。

 『アイズ ワイド シャット』でホテルのフロント係を演じたアラン・カミングが講演会で語っていましたが、キューブリックに「Good. Perfect. One more time」と言われ、「パーフェクト? もう1回? 次はもっとパーフェクトにすればいいの?」と戸惑ったそうですが、キューブリックは結果ではなく、『木星と無限のかなた』のごとく可能性の追求にとり憑かれていたのでしょうか。

 ディスカッションは続きます。デュリアさんは、管制センターからHALが故障予測を誤った可能性がある旨を伝えられるシーンを撮影している時、管制官の長セリフを知らぬ間に暗記してしまったそうです。センテンスの切れ目がほとんどない長セリフの上に、外国語を思わせるようなSFの造語が織り込まれており(残念ながら日本語字幕では、このあたりの面白さは伝わりづらいですね)、気がつけばその奇妙なセリフが頭の中に焼きついてしまい、「50年以上がたった今でも、忘れたくても忘れられない」と嘆きつつ、デュリアさんはその長セリフを立て板に水のごとく、一挙に言いました。当然のことながら我々観客は歓声を上げ、拍手を送りました。

 そして7時30分から、70mm版『2001年宇宙の旅』の上映です(管理人注:70mm版上映の感想は後日別記事[その2]でいたします)。

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各界著名人による『2001年…』へのコメントが掲載された壁。これはダン・リクターと親交のあったジョン・レノンの「2001年、毎週観てるよ」のコメント。

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その壁の前のデスクにはノートとペンが置かれ、自由にコメントを書き込むことが可能。その中の優れたコメントはフレームに入れられ、壁に飾られている。

 さて、ここでカタリーナさんによるコメントのひとつをご紹介しながら、このレポートを終了したいと思います。ディスカッションが始まった時、カタリーナさんは「本題に入る前にこのことを喋らせてください」と言い、スマホを取り出して語り始めました。

「公開当時、私の父は次のようにコメントしました。(スマホの文章を読み上げる)『「2001年…」が、あなたの感情を刺激し、潜在意識に訴えかけ、神話的なものへの興味をかき立てたのなら、この映画は成功したと言える』・・・」

彼女はこのキューブリックのコメントに続けてファンレターを読み上げ、そして、それについての話をした時、劇場内には大きな拍手が起こったのです。

「・・・昨日、私はこの会場で、あるファンレターを見つけました。『親愛なるスタンリー、あなたはこの映画において、私たちにどのように感じ、どのように考えればよいのかということについての説明をしませんでした。あなたは責任を持ってこの映画の製作を担当しました。私の担当は、責任を持ってこの映画の意味を解釈することです』──これは正に、50年以上の時を越えた今でも生まれる、フィルムメーカーと観客の完璧な組み合わせ以外の何物でもない、そう思います」

レポート・写真撮影:カウボーイさま




 ニューヨーク在住のカウボーイさまより、映像博物館で開催された『エンビジョニング2001』特別イベントのレポートが届きしたのでご紹介いたします。ボーマン船長や月を見るものが間近で見られるなんて羨ましい以外の何物でもありませんが、こうしてレポートしていただけるのはファンとしても感謝の極みです。当事者の口から語られるエピソードは興味深いものばかりですね。特にデュリア氏による「管制官の長セリフ」は、ぜひ聞いてみたかったです。また、繰り返し語られている「現場にいる誰の提案にも耳を傾ける」「じゃあ今度は違ったようにやってみようか、という感じでリテイクを行なっていた」は、キューブリックの映画制作に対するスタンスを理解する上で、欠かせないポイントです。

 サインや写真撮影が有料なのは転売対策だと思います。ご本人としても不本意かもしれませんが、時代が時代だけに仕方ないでしょう。あとは管理人が特に付け加えることはありません。読者のみなさまにも、会場の雰囲気を存分に感じ取って頂けましたら幸いです。また、展示会と70mm版上映のレポートも届いておりますので、そちらは後日別記事[その2]でアップいたします。

 カウボーイさま、素晴らしいレポートありがとうございました!

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会場のエジプシアン・シアター。赤いマントを着た人も。

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登壇したレオン・ヴィタリ。手にしているのは映写技師への指示書。

 私の後ろの席は全て埋まっていたので300人以上入っていたと思います。会場にはマスクとマントを着たファンが数人いました(笑。さらに劇場の係員もマスクをつけていて面白かったです。まず最初にレオン氏が登壇。約15分ほど『アイズ…』について話されました。写真で彼が持っている紙はA4ほどのサイズで、ページ全体に映写技師への彼の指示が書かれているとのことです。以下はレオンの発言で興味深かったところを抜粋したものです。

「ハーヴェイ・カイテルは最初の3シーンを撮影していたが、契約があったため、帰らないといけなくなった。それでシドニーを起用した。それが功を奏した。なぜなら、ハーヴェイはインチキ臭く、怪しい奴であるという雰囲気があるが、シドニーにはそれがない。どこにでもいそうな男だが、全てはバックグラウンドで起こっているから」

「私たちはこの撮影を〈ミッション・インポッシブル〉と呼んでいた(笑」

「シドニーがキューブリックの死後「あの撮影では学生映画の撮影ほどのクルーしかいなかったことは驚きに値する」と言っていた」

「私は赤マントの男だけでなく、豪邸にいるあらゆる人物を演じた。500人のマスクの人たちの中の一人、玄関でビルを迎える男、バルコニーにいる男、階上でおっぱい丸出しの女性と一緒にいる男。奇妙なことだった(笑。キューブリックに言われるがままだった。「レオン、マントをつけろ」と(笑」

「キューブリックはクリスマス映画は好きではなかった」

「(最後に)ところで、この映画は異端審問やどのカルト宗教とも関係がありません。本当に」

 最初の数分はかなりフィルムが傷ついていて、汚れて見えましたが、途中からそれもなくなりザラザラした質感とクリアな映像に圧倒されました。やはり大画面で見る35mmフィルムの映画は違いました。特に赤マントの男の儀式のシーンの迫力は凄かったです。大音量で響き渡る不気味な音楽と男の持つ杖が床を打つ音。それに合わせて男たちの元へと向かう女性たち。まるで異次元、ファンタジーの世界にいるような気分にさせてくれました。最近はPCの小さな画面で映画を見ることが多かったのですが、これには圧倒されました。やはりキューブリックはすごい。映画の力はすごい。そう思いました。

 もちろん儀式のシーンや乱交のシーンだけでなく、あらゆるシーンが息を飲む瞬間の連続でした。例えばジーグラーが「私もそこにいた」と衝撃の告白をするシーンは劇場中がハッと静まり返りました。ファンと一緒に見る『アイズ…』は楽しかったです。アメリカ人は反応が大きくて面白いです(うるさい時もありますが)。貸衣装店の男のシーンなどはみんな笑っていました。キューブリックの映画はどれも何回見ても面白いし、新しい発見があります。全てのキャラに裏があるんですね。大画面のおかげで海兵が妻と情事をする場面を想像するシーンでは、トムと共に自分までニコール・キッドマン演じる妻を寝取られた気分になり、苦悩しました(笑。豪邸に赴き手紙を受け取るシーンも最高です。ニック・ネイチンゲールは果たして妻子の元へ帰れたのか。それとも殺されたのか。とても心配になりました。トムを尾行する男も大画面で見ると怖かったです。映画の最後、エンドクレジットにレオン氏の名前が出たところで、私も含めてみんなが拍手喝采するという微笑ましい場面がありました。結論、やはりキューブリックは偉大です。キューブリック万歳。





 2019年12月21日(土)の午後7時30分から、ハリウッドのエジプシアン・シアターで開催された『アイズ ワイド シャット』公開20周年記念35mm上映イベントの素晴らしいレポートが、ロサンゼルス在住のShinさまより届きました。当日は特別ゲストとしてレオン・ヴィタリが登壇し、その様子もレポしていただきました。

 日本でフィルム上映できる施設はもうほとんど残っていないでしょうし、こういったイベントができるアメリカはやはり映画が生活に根ざしているんだな、と痛感させられます。レポートにはありませんが、今回の上映は乱交シーンを修正したバージョン(日本ではオリジナルバージョンが上映された)だったそうです。

 キューブリックが少数精鋭で映画制作をしていたことはよく知られていますが、逆に言えば細かく分業制が確立しているハリウッドが人が多すぎるのだと思います。レオンのような「何でも屋」なんてハリウッドでは考えられないでしょう。それはキューブリックの信任がいかに厚かったのかの証左でもあると思います。それに全身全霊で応えたレオンの姿はドキュメンタリー映画『キューブリックに魅せられた男』で描かれていた通りです。

 キューブリックはクリスマス映画は好きではなかったというのは、なんとなくわかるような気がします。常に普遍的なテーマを追求していたキューブリックがシーズンイベントを狙った映画なんて作ろうとは思わないでしょう。ですが『アイズ…』ではクリスマスシーズンが舞台に選ばれました。その理由は、夜のシーンが多くなるので自然光照明の光源としてクリスマスイルミネーションを使いたかった、クリスマスの妖しい雰囲気が作品の雰囲気とマッチしていた、パーティーが自然に行われている時期としてクリスマスシーズンが最適だった、などの理由があったと考えています。

 この作品をリアルタイムでご覧になった方はご存知だと思いますが、例のイルミナティやらフリーメイソンなどの「陰謀論」は上映時には全く話題になっていなかったのはご記憶だと思います。これらが話題になり始めたのは、2003年にフランスのTV局が制作したジョーク番組『オペレーション・ルーン』が話題になってからで、それに目をつけたプロデューサーが「これは金になる」と『Room 273』(これは『シャイニング』をダシに陰謀論で遊ぶホームページが元になっている。当時はDVDのリリース前だったので、『シャイニング』のビデオを逆再生すると謎のメッセージが聞こえてきた!などとやっていた)を制作、これも話題になり「次のドジョウはいないか?」と目をつけられたのが『アイズ…』という時系列です。レオンもいいかげん辟易としているんでしょう、毎回のようにこの「陰謀論の否定」をせざるを得ない状況のようです。

 まあそんな雑音はともかく、日本でもぜひこの35mmフィルムを輸入して上映イベントを開催してほしいものです。可能性としては国立映画アーカイブさんが一番高いですが・・・この企画、いかがでしょうか?

 最後になりましたが、Shinさん、素敵なレポートをありがとうございました!

写真提供・レポート:LA在住 Shin様

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