キューブリックブログ記事

    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
51IzJfIiT2L._AC_
映画評論家ポーリン・ケイルと『2001年宇宙の旅』。

 映画の芸術性が叫ばれているが、私たちが楽しんでいる映画のほとんどは芸術作品ではないということを忘れているかもしれない。

ポーリン・ケイル著

〈中略〉

VIII

 『2001年宇宙の旅』は『欲望』の主人公が作ったかもしれない映画だ。巨大なSFセットや装置を作って、それをどう使うかを考えようともしないキューブリックが、本当にやりたい放題やっていると考えると楽しい。フェリーニもまた、「組み立ておもちゃ」を使った映画作りに夢中になっていたが、『8 1/2』のラストで公開された彼の大きな宇宙船のセットは解体されてしまった。キューブリックも本当に作りたい自分の映画を作ることはできなかったが、彼はそれに気づいていないようだ。「アメリカン・インターナショナル・ピクチャーズ」(※B級映画制作会社)の作品をとてもバカげているから好きだという人もいる。キューブリックがそういうバカバカしいことをやって、超SFバカのファンタジーのようなものをやって見せたんだと、『2001年…』を好きになる人もいるかもしれない。ある意味では、この作品は最大のアマチュア映画であり、アマチュア映画のお約束である、監督の小さな(巻き毛の)娘がパパにどんなプレゼントが欲しいかをねだるシーンまで登場している。

 『007は二度死ぬ』のタイトル前のシークエンスで、宇宙にいる宇宙飛行士が出てくるが、これは『2001年…』よりもゆるくて自由なスタイルで、ちょっとした大胆さがあり、『2001年』よりも面白かったと思う。それは叙情的な宇宙での死を見つけた時のショックという予想外の要素があった。キューブリックはこのアイデアに夢中になっている。『博士の異常な愛情』の副題『私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』は、風刺的なものだと思っていたが、キューブリックにとっては完全な風刺ではなかったようだ。『2001年…』は、人間以外の生命の高次化に向けた進化の道として、死の道具の発明を祝福している。キューブリックは文字通り、心配するのをやめて爆弾を愛することを学んだ。彼は地球外生命体ゲーム理論のハーマン・カーン博士のように、自分自身の尻に敷かれるようになったのだ。漠然としたこの映画の魅力は、ラリった観客をこの世から連れ出し、優れた神のような心に支配された、優美な宇宙の慰めのビジョンの世界へ連れて行き、そこで主人公が天使のような赤ん坊に生まれ変わるところにあるのかもしれない。それは夢のような、『虹の彼方に』の新しい天国のビジョンような魅力がある。『2001年…』は現実逃避の祭典だ。人間は楽園への階段の上ではちっぽけな無に過ぎず、もっと素晴らしいものがやってくる、そしてそれはあなたの手には負えない、と言っている。宇宙には知性があって、猿から天使になるまでの運命をコントロールしているのだから、モノリスに従えばいいのだ。ドロップアップ(※当時の流行語「Turn on, tune in, drop out」を揶揄している?)。

 映画監督が自分を神話の作り手だと考えだすのは悪い兆候だ。虐殺を正当化し、復活で終わる壮大なプランのちぐはぐな神話は以前にも存在した。地球外知的生命体によって人類の進化を説明するというキューブリックのストーリーラインは、おそらく史上最も華麗で冗長なプロットだ。『博士の異常な愛情』のラストの美しいキノコ雲は偶然ではない。『2001年宇宙の旅』では、生と死は同一である。映画の中でゲイリー・ロックウッドの死に意味はなく、その瞬間も定義されていない。主人公は冬眠していた科学者が死体になっていたことを発見することもない。復活の美しさを描いた映画では、そんなことはどうでもいいことなのだ。宇宙の知性に参加するために旅に出て、より良い心を持って戻ってくる。映画の中での旅は、いつものサイケデリックな光のショーなので、観客は木星に行くことを気にする必要はない。シネラマで天国に行くことができるのだ。

 登場人物の生死が気にならないのは偶然ではない。キューブリックが人間に対してこれほどまでに無関心になったのは、ある種の大物映画監督にとって、登場人物や個々の運命が重要ではないためだ。大物映画監督は芸術分野の指揮官となり、その重要性に見合った新たな題材を求める。キューブリックは次の作品をナポレオンにすると発表したが、映画監督にとってナポレオンは、女優にとってのジャンヌ・ダルクに相当するものだ。豊かさと倦怠感についてのレスターの「野蛮な」コメントや、機械によって人間は神のようになるというキューブリックの感動的で陳腐な言葉は、ショービジネス界のお偉いさんの根深い考えである。これはショービジネス界の新しい現象ではなく、演劇の特徴ある伝統に属するものだ。大企業家、プロデューサー、大規模なスペクタクルショーを演出する監督、さらには大掛かりなセットのデザイナーでさえ、伝統的に先見の明がある人や思想家、答えを持つ人物の役割を果たし始めている。彼らは芸術のためには大きくなりすぎたのだ。疑似科学や映画製作の技術が「芸術家」にとって人間よりも重要になった場合、芸術作品は可能なのだろうか?これが『2001年…』の失敗の核心だ。この映画は、記念碑的に想像力のない映画だ。キューブリックは、75万ドルの遠心機を作り、巨大なハードウェアやコントロールパネルを愛してやまないSF界のベラスコである。この映画には、キューブリックがシリアスに考えていない部分には、少し良いところがある。例えば、滑空する宇宙船がヨハン・シュトラウスのワルツを始めるときのコミカルな瞬間などだ。監督が自分のやっていることにちょっとした分別を持っていて、映画が馬鹿みたいに厳粛でないときは、一瞬コミカルに見えることがあるのだ。ライトショーの旅は、ジョーダン・ベルソンのような実験的なフィルムメーカーの作品に比べれば、大したことはない。もし大物映画監督が、他の人が何年もお金を得られずにしてきた素晴らしい成果を、大きなスクリーンに映し出しただけで評価されるのであれば、ビジネスマンは詩人よりも偉大であり、窃盗が芸術になってしまう。

〈以下略〉

(引用元:ポーリン・ケイル著/エッセイ『ゴミ、芸術、そして映画(Trash, Art, and the Movies)』




 評論家というのは「評論」が仕事ではなくて「評論を売る」のが仕事なわけですが、その「自分自身を売らんがために恣意的に書かれた評論」が的外れであることは古今東西よくある話です。その商品の良し悪しの判断はその筋の専門家であり、情報を独占的できた「評論家」の言説に頼りきっていた時代は過去に確かに存在しました。ですが、ネット社会、特にSNSが発達した現在では、そういった利害のない同じ立ち位置のユーザー(消費者)目線で評する素人評論家、すなわち「口コミ」が大きな影響力を獲得しました。つまり「評論家」は「過去の遺物」と化してしまったのです(素人がおいそれと参入できない、専門性が高いジャンルはまだその影響力を残していますが)。それに対してエッセイはその筆者の魅力、筆力がものをいう世界です。そしてたとえそれを評論家が書いたとしても、それは「評論」というより「その筆者の個性・感性」と判断されます。つまり「何をどう語るかはその人の勝手」ということです。

 このポーリン・ケイルが活躍した時代というのは(映画)評論家が一番輝いていた時代と言えるかもしれません。「1968年から1991年まで執筆したザ・ニューヨーカー誌の映画評で有名であり、アメリカでも最も影響力のある評論家として知られていた」とwikiには記述があります。まさしく映画評論の全盛期です。ですが、『ハーパーズ』誌1969年2月号に掲載された『ゴミ、芸術、そして映画』は「評論」ではなく「エッセイ」として書かれたものです。原文はかなり長文で、『2001年…』に触れた部分はあまり多くありません(他の映画作品も数多く登場している)。この文章を評する時、この事実を見逃すと大きな間違いをおかしてしまいます。

 この『ゴミ、芸術、そして映画』の趣旨を大雑把に言えば、「映画」を「芸術」と呼ぶ風潮に疑問を投げかけたものなのですが、これは当時盛んに言われていた、いわゆる「アメリカン・ニューシネマ」が「芸術(Art)」だと言われることに対しての、ケイルの辛辣な批判を述べたものです。これによると、ケイルは当時の「芸術映画」の代表格『2001年宇宙の旅』が、いかにも芸術映画のように振舞っているのがお気に召さなかったばかりか、まずSF映画そのものに対しての嫌悪感(そして無理解)があり、人物描写の軽視、(スターゲート)映像の盗用、莫大な資金を投じて視覚的スペクタルにこだわる姿勢まで含めて「ゴミ」と断じています。また、そんな低俗なジャンルである「SF」で、キューブリックが「神のごとく君臨し、人類の行く末を決める物語」を「暴力を肯定し、マチズモ的な視点から他人(人類)の運命を弄ぶさまを描いた」作品を作ったのが許せなかったのでしょう。『2001年…』だけでなく『博士』も批判の俎上に載せている点でもそれは伺えますし、逆に『007は二度死ぬ』を「ゆるい物語で楽しかった」と持ち上げているのも、その延長線上にある(SFとはこんなバカバカしいものでいい)と感じます。また、当時のサイケデリック・ムーブメント(クスリでラリれば皆ハッピー!)に対しても苦々しい気持ちを抱いてたことも覗かせています。

 1969年と言えばクラークの小説版はすでに発刊されているので、ケイルは『2001年…』のストーリーとコンセプトを正しく理解した上でこのエッセイを書いていると思われます。もちろんキューブリックは『2001年…』を「芸術映画風情を気取る」とか「大金を使って大衆にスペクタクルを見せつける」とか、そういったつもりはなく(いや、まったくのゼロではありませんが・・・)、「SF映画の新しい領域を拡張する(可能性を広げる)」という野心を持って制作したのですが、『2001年…』の持つ「芸術映画的雰囲気」や「大金をかけた大作主義」が鼻についたのか、この嫌悪感満載の意見表明は、当時のSFというジャンルの社会的地位の低さや、ウーマンリブやサイケデリック・カルチャー、カウンター・カルチャー華やかしきこの時代を象徴していると言えるでしょう。

 当時、『2001年』でこういった趣旨の批判は珍しくなかったようですが、現在でも「芸術映画的雰囲気」を批判する風潮は少なからずあります(大抵の場合は「大層なだけで中身のない雰囲気映画」という批判)。ケイルの場合はその「中身」まで理解した上でそれを批判しているのですから、その嫌悪感、憎悪たるや反論の余地も見出せないほどの「凄み」があります。いや、「悪意の凄み」というべきかもしれません。ここでのケイルの批判は批判を通り越して「悪意」の域に達しています。差別的で高圧的で偏見に満ち、独善で傲慢・・・キューブリックはこれを読んで激怒したそうですが、それはそこが透けて見えたからのことだったのでしょう。

 まあ、エッセイであるのであれば「自身の考えや好悪を露骨に表現」しても構わないと思うので、ケイルの読者(ファン)にとってこのエッセイは、溜飲の下がる、とても楽しく読める「読み物」であったのだとは思います(訳出したのはほんの一部で、全文はとても長くて読みきれませんでした。興味のある方はこちらをどうぞ)。一方、評論となれば話は別です。評論とは客観的、中立的な立ち位置で書かれていなければならないし、少なくともそう心がけて書かれたものであるべきです。ファンの間では一般的に「ポーリン・ケイルによる『2001年宇宙の旅』の酷評」と知られているこの文章ですが、個人的には「評論ではなくエッセイ(の一部)であるのなら、これはこれで全然構わない」と感じました。『2001年…』の評価が定まった現在から見れば、これも「当時の空気感を肌で感じられる《良い資料》」だと私は思います(もちろん精一杯の皮肉を込めて)。
【ご注意】当ブログの記事は報告不要でご自由にご活用頂けますが、引用元の明記、もしくは該当記事へのリンク(URL表記でも可)を貼ることを条件にさせていただいております。それが不可の場合はメールや掲示板にてご一報ください。なお、デマサイトやデマ動画チャンネルの制作者、アクセス稼ぎだけが目的のキュレーションサイトのライター様などは当ブログの閲覧、ならびに利用は禁止させていただきます。※当ブログはネタバレありです。


KUBRICK.Blog.jp おすすめ記事





    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
6direc

 アルフレッド・ヒッチコックから黒澤 明まで、オスカーはこれまでにいくつもの過ちを犯してきました

 「アカデミー賞受賞」というキーワードは、実に偉大なパワーを持っています。これを受賞することは、まさしく偉業…大きな業績となります。俳優や監督にとってはギャランティが大幅に増えることを意味し(ハル・ベリーの『キャットウーマン』の出演料が1400万ドルだったことがその証拠です)、受賞した映画はチケットやレンタルによる売り上げが大幅にアップするのですから。

 ですが、このように金銭的なメリットやその場で得られる賞賛は得られるものの、この受賞はクリエイターたちにとって肥やしとなる、本当に役立つものなのでしょうか? そして「その栄光は本物なのか?」「忖度が優先されていないか?」とも考えてしまいます。

〈中略〉

 キューブリック監督はこれまで、作品賞に3回ノミネートされましたが、一度も受賞はしていません。さらに、おそらく他のどの作品よりも作品賞を受賞するはずだった『2001年宇宙の旅』は、1969年の第41回アカデミー賞でノミネートすらされていなかったのです。

 この年、キューブリック監督は監督賞にノミネートされましたが、サー・キャロル・リード監督の『オリバー!』(同年の作品賞も受賞しています)に敗れ、『2001年宇宙の旅』は特殊効果賞の受賞にとどまりました。

 『2001年宇宙の旅』は確かに、アカデミー賞にアピールするにはあまりにも実験的で突飛な作品であり、キューブリックの映画は一般的で古き良き時代の映画に反するものだったというわけです。

 『時計じかけのオレンジ』は『フレンチ・コネクション』に敗れ、『カッコーの巣の上で』は『バリー・リンドン』(※正しくは『バリー・リンドン』は『カッコーの巣の上で』)に敗れています。他にも1965年には、『博士の異常な愛情』がジャック・ワーナー監督の『マイ・フェア・レディ』に敗れ、1988年には『フルメタル・ジャケット』が落選するなど、ついに正義の審判は下されませんでした。

〈以下略〉

(全文はリンク先へ:Esquire/2021年4月28日




 オスカーシーズンには必ずと言っていいほど話題になる「オスカーを手にしていない偉大な監督」という話題ですが、この記事ではキューブリックの他にはオーソン・ウェルズ、黒澤明、スパイク・リー、クエンティン・タランティーノ、アルフレッド・ヒッチコックの名前が挙がっています。

 キューブリックはオスカーを手にしたがっていましたが、それは興行にも良い影響があると考えていたからです。もちろん名誉欲も全くなかったわけではないでしょう。ですが、「ハリウッドの異端」としてその名を轟かせながらもイギリスに住み続け、『2001年…』がノミネートされた1969年の第41回アカデミー賞の会場に姿を見せなかった(代わりにクラークが出席した)キューブリックに、アカデミー会員が良い印象を持っていたとはとても思えません。

 映画産業というのは巨大な利権で、ハリウッドはそれで動いている世界でもあります。キューブリックほどの影響力がある監督がハリウッドで映画を作れば、潤う映画関係者というのは非常に多いのではないかと想像します。ですがキューブリックはそうしませんでした。そういった「ハリウッドのしがらみ」に生涯背を向け続けたのです。そんなキューブリックに対してアカデミー会員が「仕事をよこさない奴にこっちが賞を与える義務などない」と考えるのは至極当然と言えるでしょう。「賞」というものに夢をみてはいけません(マスコミは夢しか語りませんが)。何事にも「利権」「利害」というものは見え隠れするものです。多くの映画ファンがアカデミー賞を「茶番」と断ずるのはそれが主な理由ですが(最近は人種問題やジェンダーに振り回され、さらにその「茶番」が加速している)、正統な映画評論家が姿を消し、映画「コメンテーター」が幅を利かせている現在の映画マスコミもすっかりその利権構造に取り込まれ、その「茶番」の片棒を担いでいる姿は正視に耐えません。ですが、それが最近ネット配信に押されつつある映画産業を支えているというのも、紛れも無い事実なのです。

 そういう現実を理解した上でも、アカデミーに対してはやはり苦言を言わざるを得ません。つまり、今秋開館予定の『アカデミー博物館』におけるキューブリックの厚遇ぶりについてです。オスカーではキューブリックを冷遇しつつ、そのネームバリューと影響力が金を生むと知るや、ちゃっかりそれを利用する・・・。まさしく「巨大な利権構造」そのものの思考ですが、それならそれでもういい加減、公式の場でキューブリック個人に対して何らかの賞を贈るべきです。せめて妻のクリスティアーヌが存命のうちに(クリスティアーヌはハリウッドの華やかな世界に憧れがあったそうだ)。そうでないと、あまりにもキューブリックやその関係者(特にキューブリックに心身ともに尽くしたレオン・ヴィタリ)が可哀想だと、私は思います。

2021年4月30日追記:誤解があるといけませんので、私個人のアカデミー賞に関する意見の経緯をご説明いたします。まず、2013年のこの記事「お願いだから「アカデミー特別賞」なんて中途半端な代物を贈る事なく、死して後も尚「ハリウッドに背を向け続けた映画界最大の巨匠」であり続けて欲しいものです」と書いた通り、私はこの頃までは「キューブリックに(いまさら特別賞的な)アカデミー賞は不必要」という立場でした。しかし、2015年になってアカデミーが『2001年宇宙の旅』のアリエス1B宇宙船の撮影モデルを4000万円で落札したり、アカデミー博物館の公式サイトのトップページに『シャイニング』を登場させたり(ちなみに『シャイニング』はアカデミー賞に全く絡んでいません。ラジー賞には絡みましたが。笑)、博物館のTVCMを『シャイニング』のパロディにしたりと、大々的にキューブリック作品をフューチャーしていることを知ります。加えて博物館はアリエス1Bだけでなく、私が知る限り『シャイニング』でジャック・ニコルソンが着用した赤いジャケット、使用された斧、『2001年…』の月面用宇宙服とヘルメットも収蔵しています。ここまで露骨にキューブリックに「すり寄って」こられると、さすがにいちファンとして釈然としないものを感じずにはいられません。上記の「せめて・・・公式の場でキューブリック個人に対して何らかの賞を贈るべき」とは、そういう経緯があってのことだと、ここでお知らせしておきたいと思います。
【ご注意】当ブログの記事は報告不要でご自由にご活用頂けますが、引用元の明記、もしくは該当記事へのリンク(URL表記でも可)を貼ることを条件にさせていただいております。それが不可の場合はメールや掲示板にてご一報ください。なお、デマサイトやデマ動画チャンネルの制作者、アクセス稼ぎだけが目的のキュレーションサイトのライター様などは当ブログの閲覧、ならびに利用は禁止させていただきます。※当ブログはネタバレありです。

    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
John-LennonPlastic-Ono-Band
あまりにも有名な『ジョンの魂』のジャケット写真と、インナースリーブにクレジットされた「COVER PHOTOGRAPH : DAN RICHTER」

 『2001年宇宙の旅』で猿人「月を見るもの」を演じたダン・リクターは、キューブリックが最後までこだわった(が、結局ボツになった)宇宙人(異星人)「ポルカ・ドットマン」を演じた後(詳細はこちら)、ジョンとヨーコが当時住んでいたティトゥンハースト・パークの邸宅にカメラマン兼居候として、一緒に邸宅に住みながら夫妻のプライベートを撮影するなどをしていました。その撮影技術を磨いたのが、『2001年宇宙の旅』でキューブリックがリクターに、「月を見るもの」を演じるにあたって参考になりそうなものを「好きなだけ調査をおこないたまえ」と、ムービーカメラと無尽蔵のフィルムを使わさせたことがきっかけになったのは想像に難くありません。リクターはそのカメラを持ってロンドン動物園にあしげく通ってゴリラの「ガイ」を撮影し、それがあの演技へと繋がったのです。

 そのリクターはジョンとヨーコの邸宅で、ムービーカメラやスチールカメラを使って撮影係(記録係)をしていたのですが、その映像の一部は『イマジン』のPVの一部(おそらく霧の中、二人が玄関まで歩くシーン)に使用されたり、1972年のドキュメンタリーフィルム『イマジン』にも使用されました(詳細はこちら)。ですが、そのリクターの写真が、まさか『ジョンの魂』のジャケット写真に使われていたとは思いもしませんでした。

 英語版wikiにもその記述があり、リクターはこの写真をインスタントカメラで撮影したそうです。まるで印象派の絵画のような淡い色彩はその効果だったんですね。管理人はもちろん『ジョンの魂』のCDを所有していましたが、再発CDだったし、そんなクレジットがあったことに全く気づいていませんでした。CDはよくクレジット関係を省略することがあるので、所有していた盤は省略されたものだったのかもしれません。

 奇しくも名盤『ジョンの魂』は2021年4月23日に、オリジナル盤発売50周年を記念して8枚組の「スーパー・デラックス・ボックスセット」としてリリースされました。先日の「【関連記事】ジム・モリソンとドアーズがシネラマドームで『2001年宇宙の旅』を観た夜」の記事もそうですが、「キューブリックの作品とその生涯」という縦糸も重要ではありますが、やはりこういった「同時代を生きたアーティストとの横糸」も、その時代の「空気感」を理解する上で非常に重要だと思っています。当ブログでは「キューブリックが生きた時代」を俯瞰的に把握するために、以後もこういった関連情報も積極的に報じて(たまに脱線気味に)いきたいと思っていますので、映画以外のジャンルに特に興味がない方も、何卒おつきあいしていただければと思っています。
【ご注意】当ブログの記事は報告不要でご自由にご活用頂けますが、引用元の明記、もしくは該当記事へのリンク(URL表記でも可)を貼ることを条件にさせていただいております。それが不可の場合はメールや掲示板にてご一報ください。なお、デマサイトやデマ動画チャンネルの制作者、アクセス稼ぎだけが目的のキュレーションサイトのライター様などは当ブログの閲覧、ならびに利用は禁止させていただきます。※当ブログはネタバレありです。

    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
f29264da
IndieWire誌がピックアップした「キューブリック本」。なんと全て未邦訳。

41c-MABfSYL
『Stanley Kubrick and Me: Thirty Years at His Side』
by Emilio D’Alessandro


 ドキュメンタリー『キューブリックに愛された男』の種本で、映画制作前に出版された。キューブリックの専属運転手兼アシスタントだったイタリア人、エミリオ・ダレッサンドロの回顧録。


51wMddX7gJL._SX322_BO1,204,203,200_
『Stanley Kubrick: A Biography』
by John Baxter


 ジョン・バクスター著の「もう一つの」キューブリックの評伝。邦訳されているのはヴィンセント・ロブロット著のもの。


41XfOQQyzlL
『Kubrick』
by Michael Herr


 『フルメタル・ジャケット』を共同で脚本を担当した、マイケル・ハーのキューブリックとの回顧録。『シャイニング』の共同脚本担当で小説家のダイアン・ジョンソンによると、キューブリックの実像は「マイケルの書いた通り」だそうです。


71CNE0u2b8L
『The Stanley Kubrick Archives』


 イギリスのロンドン芸術大学にある「スタンリー・キューブリック・アーカイブ」に収蔵されている資料をまとめた資料集。いくつか判型の違いが存在するので注意。


363541880
『Stanley Kubrick Produces』
by James Fenwick


 キューブリックの未製作作品を含めた映画製作実績をまとめた本。


81oEc2BFt2L
『Stanley Kubrick’s Napoleon』


 キューブリックが、未完の大作『ナポレオン』製作のために集めた資料をまとめた豪華資料集。


515u07M2OFL
『Stanley Kubrick: New York Jewish Intellectual
by Nathan Abrams


 キューブリックのユダヤ人としての側面にスポットを当てた評伝。



 以上ですが、IndieWire誌がこの7冊を「魅力的」とした理由は定かではありませんが、どちらにしても日本では「全て未邦訳」という悲しさ。これをご覧になった出版関係者の方はぜひ邦訳をご検討ください。なお、各書籍の解説は管理人が記したもので、引用記事の和訳ではありませんので何卒ご了承ください。

(引用元:IndieWire『Stanley Kubrick: 7 Fascinating Books on the Legendary Director』/2021年4月19日
【ご注意】当ブログの記事は報告不要でご自由にご活用頂けますが、引用元の明記、もしくは該当記事へのリンク(URL表記でも可)を貼ることを条件にさせていただいております。それが不可の場合はメールや掲示板にてご一報ください。なお、デマサイトやデマ動画チャンネルの制作者、アクセス稼ぎだけが目的のキュレーションサイトのライター様などは当ブログの閲覧、ならびに利用は禁止させていただきます。※当ブログはネタバレありです。

    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
a9c8ab0f
エド・ビショップが演じた『2001年宇宙の旅』のアリエス1B宇宙船船長(左)と『謎の円盤UFO』のストレイカー長官(右)。

 『2001年宇宙の旅』と『謎の円盤UFO』は制作時期が近く、同じボアハムウッドにあったMGMスタジオを使って制作(17話以降はパインウッドスタジオに移転)されたこともあって、共通点がいくつかあります。まず出演俳優ですが、有名なところで、『2001年宇宙の旅』でアリエス1B宇宙船船長を演じたエド・ビショップは、『謎の円盤UFO』ではストレイカー長官役で出演しています。

 また、そのアリエス1B宇宙船でフロイド博士に機内食を運んでいたスチュワーデスを演じていたエドウィナ・キャロルは、『謎の円盤UFO』第一話『宇宙人捕虜第1号』で宇宙人に襲われ行方不明になった黄色のワンピースの女性、レイラ・カーリンを演じています。

レイラ・カーリンエドウィナ・キャロルが演じたアリエス1B宇宙船のスチュワーデス(左)と行方不明になったレイラ・カーリン(右)。

 これはIMDbに記載がないので確定情報とは言えないのですが、ディスカバリー号で眠ったままHALに殺されたハンター博士は、スカイダイバーのエンジニア、ジョン・マスターズ中尉を演じたジョン・ケリーではないか?という情報もあるそうです。

ハンター『2001年…』のハンター(左)と『UFO』のジョン・マスターズ中尉(右)。

12189617
冷凍睡眠装置から出てくる俳優。確かにケリーに似ています。

 そのスカイダイバーの船内で使用されているイスが、ムーンバスの操縦席のイスの流用であるとの情報も。比較すると肘掛はありませんが確かに似てますね。

イス
ムーンバスのイス(左)とスカイダイバーのイス(右)。

 第13話『UFO月面破壊作戦』(イギリスでは第15話『Flight Path』)に、『2001年宇宙の旅』の「ハムハムハム・・・」で有名なサンドイッチをいれていたケースが登場しています。ただ、入っていたのはサンドイッチではなくバズーカ砲の砲弾です。このサンドイッチケース、イタリアのGIO STYLE社製の「Frigo Portatile」というクーラボックスで既製品だそうです。既製品なので『謎の円盤UFO』では別にそれを使った可能性がありますが、同じスタジオで制作されていたという事実がある限り、情報提供してくださった元・空想科学少年さんがおっしゃる通り「スタッフが倉庫かどこかから引っ張り出してきたのでしょう」という意見に賛成です。

ケース
『2001年…』のサンドイッチケース(左)と『UFO』の砲弾ケース(右)。情報提供:元・空想科学少年さま

 『謎の円盤UFO』(原題『UFO』)は1970年9月16日〜1973年3月15日までイギリスで放送されていた全26話のSFテレビシリーズです。日本では1970年10月3日から1971年3月27日まで日本テレビ系列局で放送されました。本作の撮影は1969年4月に開始され、『2001年…』が撮影されたボアハムウッドのMGM英国スタジオを拠点に制作されました。1969年の終わりにスタジオが閉鎖される前にこれらのスタジオで17話までが撮影され、1970年6月にはパインウッドスタジオで制作が再開、残りの9話が撮影されたそうです。『2001年…』の撮影終了は1968年3月頃とされていますので、ちょうどその一年後に撮影が開始されたことになります。この頃にはまだMGMの倉庫にたっぷりと『2001年…』のプロップが残されていたはずだし、両作に共通して働いていたスタッフや俳優も多くMGMにいたはず。ですので、こういったことが起こるのだと思います。

 ところで全くの余談ですが、よく言われる『新世紀エヴァンゲリオン』のオープニング『時計じかけのオレンジ』の予告編の影響ではないか?という話ですが、庵野監督はこのインタビューでキューブリックよりも『謎の円盤UFO』の影響の大きさを語っています。それは以下のオープニングを見ても一目瞭然だと私は思います。



▼この記事の執筆に当たり、以下の記事を参考にいたしました。
2001italia.it/A full cast list for '2001', Part 4 - The Discovery Crew
【ご注意】当ブログの記事は報告不要でご自由にご活用頂けますが、引用元の明記、もしくは該当記事へのリンク(URL表記でも可)を貼ることを条件にさせていただいております。それが不可の場合はメールや掲示板にてご一報ください。なお、デマサイトやデマ動画チャンネルの制作者、アクセス稼ぎだけが目的のキュレーションサイトのライター様などは当ブログの閲覧、ならびに利用は禁止させていただきます。※当ブログはネタバレありです。

このページのトップヘ