キューブリックブログ記事

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『シャイニング』の左のシーンでは背景にある椅子が右のシーンにはない。キューブリック作品にはこのような編集上のミスがいくつもある。

 「スタンリー・キューブリックは完全主義者である」というのは、すでに世間一般に広く流布され、多くの関係者もそう証言するのは事実です。ですが、この「完全主義者」という言葉の意味について、「完全に誤解されている」と言わざるを得ません。以下はwikipediaの引用です。

完璧主義(かんぺきしゅぎ、英: Perfectionism)とは心理学においては、万全を期すために努力し、過度に高い目標基準を設定し、自分に厳しい自己評価を課し、他人からの評価を気にする性格を特徴とする人のこと。定められた時間、限られた時間の内にて完璧な状態を目指す考え方や、精神状態のことである。このような思想を持ったものや、そのような心理状態の者を完全主義者、もしくは完璧主義者(英: perfectionist)と呼ぶ。

(引用:wikipedia/完璧主義


 この説明にある通り、「万全を期すために努力し、過度に高い目標基準を設定し、自分に厳しい自己評価を課し、他人からの評価を気にする性格を特徴とする人のこと」であって、「些細なミスをも許さず、常に完璧であろうとすること」ではないのです。ですが、多くの人がこの「完全主義者」の意味を「些細なミスをも許さない人」と誤解してしまっているのは由々しき事態です。というのも「ミスを許さない」と「完璧な状態を目指す」はイコールではないからです。

 キューブリックにとって「完璧な状態を目指す」とは、「自身にとって完璧に納得がいく作品を世に送り出したい」という欲求に他なりません。これについて本人は「その映画に欠点が生じたとしても、その映画はその後君の生きている限りずっと君とともにある君の作品なのだ」と語っています。つまり、後になって「ああすればよかった、こうすればもっと良くなったかも」という後悔をしたくないのです。すなわちキューブリックの目指す「完璧(完全)」とは、「自身にとって完璧に納得がいく、ベストだと思える作品を目指して細部まで徹底的にこだわる」という姿勢です。だからこそどの作品にも全良投球で臨んだのです(残念ながらそれは自身の命を削る行為であったことは間違いありません)。それほどまでに追い求めた「徹底的にこだわった」ゆえの満足感や「やりきった」という充足感・・・。それさえあれば、「些細なミスは許容する」のがキューブリックなのです。

 その証拠として、ミスをなくすことを優先するのであれば、俗にいう「一発OK」であればいいのです。そうすれば上記のような編集上のミスを避けられます。ですがキューブリックは、そのシーンの最上のものを求めてテイクを時には100回以上繰り返しました。本人自身も何が最上かはわからないままに、俳優やスタッフのアイデアを借りてまでして、「そのシーンの最上のテイク」を追求するためにトライ&エラーを繰り返し続けたのです。もちろん記録をとったりポラでセットの状態を撮影したり、ミスをしないようには心がけました。ですが、そのシーンの撮影が1週間やそれ以上に及び、テイクも100回を超えてしまうのなら、こういった編集上のミスは避けられません。もちろんキューブリックはそれは承知の上だったと思います。編集時もそれは同じで、ミスの有り無しよりもテイクの良し悪しを優先しました。だからキューブリック作品にはミスがあるのです。ですので「(ミスを許さない)完全主義者なのにミスがある」という批判は完全に的外れだと言えるでしょう。

 もし、この記事を読むまで「完全主義者」の意味を誤解していたのだとしたら、すぐさまその誤解を解くことをお願いいたします(このブログを始めてからずーっと言い続けていることなので)。なお、当ブログでは「完全主義者」という言葉は誤解を招きやすとして「こだわり」という言葉を使用するようにしています。ただ、この言葉が適しているとは思っていません。他に適した言葉がないからそうしているだけです。キューブリックは「些細なミスをも許さない完全主義者」ではなく、「納得できる作品になるよう徹底的にこだわる完全主義者」という理解が定着すれば、こんな苦労をしなくて済むのですが、「完全主義者」の言葉の響きから「ミスを許さない」と感じ取れてしまうのは事実なので、やはりこれからも「こだわり」という言葉を使わざるを得ないなと、半ば諦めつつそう思っています。
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数枚の紙をまとめただけの台本を手にしたジューン・ランドールと台詞の練習をするジャック・ニコルソン。(『メイキング・ザ・シャイニング』より)

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撮影の現場で「アイデアを出して」とジューン・ランドールに指示されるジャック・ニコルソン(『メイキング・ザ・シャイニング』より)

 キューブリックは「脚本、撮影、編集は映画監督がしなければならないこと」と語り、映画制作におけるこの3点の重要性を語っています。キューブリック全作品13作とドキュメンタリー3本の内、キューブリックが撮影だけを担当したドキュメンタリー『海の旅人たち』以外の全作品で「脚本、撮影、編集」を担当しています(ノークレジットでも参加している)。その3つの中で今回は「脚本」について記事にしたいと思います。

 キューブリックはイメージフォーラム1988年6月号に掲載されたロングインタビューで、明確にこう応えています。

(脚本は)リハーサルでも状況に応じて変える。撮影現場で重点の置き方が変わることもあるから、シナリオ(脚本)の最終決定稿が完成するのは、撮影現場で最後のショットが終わった時だ。

つまり、脚本として冊子(本)になったものは叩き台でしかなく、撮影時も脚本は変化し、発展する。すなわち撮影とは脚本を映像化する作業ではなく、脚本を発展させつつ同時に撮影もするということ。だからリハーサルも重要になってくる、という趣旨です。

 このことは一般的な映画制作の手順とは大きく異なります。おそらくキューブリック独自の制作方法と言っていいと思います。なぜなら、この方法を実現するためには、資金提供を受けた映画会社から制作期間と資金面で大幅な自由を確保しておかなければならないからです。それを可能にした監督は数少なく、生涯にわたってそれを確保し続けたキューブリックは稀有な存在だと言えると思います。

 もちろんそれはキューブリックが苦労に苦労を重ねて手に入れた「特権」だったわけですが、これを「特権」と言ってしまうことに映画業界のいびつさがあると考えています。他の分野のアーティスト、例えば小説や絵画、音楽や写真などであれば「これだ!と思えるアイデアに行き当たるまでトライ&エラーを繰り返す」というのは「当たり前のこと」です。しかし映画制作でそれが許されるのは脚本や絵コンテ、ストーリーボードの段階までで、撮影に入ると「いかに効率よく脚本を映像化するか」が求められます(もちろんそうしなければならない現実的な事情は理解しています)。キューブリックは撮影の段階でも「これだ!と思えるアイデアに行き当たるまでトライ&エラーを繰り返し」ました。ですがそれを映画界では「特権」と言われてしまうのです。キューブリックが他の映画関係者から「アーティスト(芸術家)」と呼ばれるのは、他の分野のアーティストが当たり前のようにしていることを、映画の世界で実現させていたからだと思います。

 このように映画界の常識とは異なるキューブリック「特権」的な(もちろん特権ではなく当たり前であるべきことですが)映画制作環境を知らずに、他の映画監督と同じだと考えてキューブリックを評したり、批判したりするのは完全に間違いです。『スパルタカス』で脚本のクレジットについて、当時赤狩りでハリウッドから(表向き)追放されていたダルトン・トランボの名前を出すか否か揉めた時、キューブリックは「自分の名前を出せばいい」と言ったのも、「私は撮影時にも脚本を発展させているのだから、クレジットされるに値する」と考えていたからだと思います。ですが、その意図をカークは理解せず「脚本を一行も書いていないのになんて傲慢な奴」と呆れ、批判しました。もちろんキューブリックは自身の名前を売りたいという欲求があった(当時キューブリックは一般的な知名度はなかった)ことは否めないかも知れません。しかし個人的にはそこにキューブリックの確固たる信念を感じます。つまり「脚本、撮影、編集は映画監督がしなければならないこと」という信念です。

 キューブリックの(撮影前に一応完成していた)脚本にとらわれない姿勢は、撮影現場に原作小説を持ち込んでそれを台本がわりにしたり、台本係に日々変わるセリフを記録させ、それを翌日の台本(と言っても数枚の紙)にしたり(『メイキング・ザ・シャイニング』に数枚の紙でしかない台本が映っている)、俳優のアドリブやスタッフの思いつきのアイデアを試したり(『2001:キューブリック、クラーク』でもその舞台裏の記述がある)と、非常に柔軟で自由自在でした。その事実があるからこそ「脚本が完成するのは、撮影現場で最後のショットが終わった時」とインタビューで応えているのです。

 さて、アマチュアかプロであるかに関わらず、小説でも絵でも音楽でも写真でも創作活動をされている方なら、この「これだ!と思えるアイデアに行き当たるまでトライ&エラーを繰り返す」ということは当たり前だと感じているでしょうし、たとえ創作活動をされていない方でも、それを感覚として理解されている方はいらっしゃると思います。私は個人的な印象として、そういった「創作心(そうさくごころ※私の造語です)がある人」にはキューブリック作品は理解され、共感されやすいのではないかと思っています。キューブリックのファンにアーティストやクリエイターが多いという事実もそれを裏付けているでしょう(全てが全てそうだと断定しているわけではありません)。

 であれば、キューブリックの「これだ!と思えるアイデアに行き当たるまでトライ&エラーを繰り返す」という創作者としての「当然のこだわり」を、同じ創作者なら理解すべきだと私は思います。その理解があれば、面白おかしく「些細なミスも許さない偏執的完全主義者キューブリックの鬼リテイク」などと事実誤認も甚だしい揶揄などできないはずです。映画作品において監督の名前はその作品の作者として永遠について回るのです(死後においても)。だからこそキューブリックはとことんこだわって映画作りを行ったのです。その心理も創作者なら、創作心をお持ちの方なら共感できるでしょう。
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 まず、残念ながら管理人は世代的にこの『スタートレック』は外れてしまっているので、全く詳しくない(大まかな設定と登場人物、数エピソードと最初の映画版のみ視聴)のを前提でお願いいたします。

 『スタートレック』第1シーズン・第13話『殺人鬼コドス』(オリジナルは『The Conscience of the King』)に『2001年宇宙の旅』のHAL9000と同様、音声でやりとりするコンピュータ(A.I.)が登場しているのでご紹介します。ただし、このA.I.は「ライブラリーコンピュータ」という名称で、音声入力によってデータベースの検索と分析をするA.I.として登場しています。このエピソードのオンエアはアメリカで1966年12月8日(『スタートレック』は1966年9月8日スタート)。この頃キューブリックはすでに一連のHALに関するシークエンスの撮影は終えていました。つまりこの両者の人工知能・AIに関するアイデアは「偶然の一致」ということになります。

 『2001年宇宙の旅』における未来予測の正確性はよく話題にのぼりますが、なんでもかんでも、全部が全部キューブリックが作り出したものではありません。キューブリックは『2001年…』を製作するにあたって膨大なリサーチを敢行し、それを元に宇宙船や未来ガジェットその他のデザインをさせました。ですので、そのリサーチ元が同じなら、当然そのアイデアも似通ったものになります。つまり、1960年代半ばのこの時点でも、現在あるテクノロジーのある程度正確な未来予測が可能な分野は多かった、ということです。

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「スタイラスペンとタブレット端末」というより「電子カルテ」としての登場。

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生命維持装置のディスプレイ。当時すでに心電図モニタは存在していたので、その発展系?

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声紋照合を紙にプリントアウトして目視でやるのはご愛嬌。『2001年…』でも紙を使用しているシーンはありました。

 ところでこのエピソード、タブレット端末、生命維持装置のディスプレイ、声紋照合やなども登場します。同様の機器は全て『2001年…』にも登場していますが、見ての通り「アイデア」は同じでも「ビジュアル的な完成度」はかなり違います。「TVドラマと映画じゃ予算のかけ方が違うだろ」というのは正しい指摘ですが、やはりキューブリックの徹底的な「こだわり」がこの完成度を生んでいるのは厳然たる事実です。キューブリックが『2001年…』で果たした最大で最重要の役割はこの「完成度を上げるための徹底的なこだわり(採用の可否の厳しい判断基準)」であって「正確な未来予測ではない」(これは協力した各企業、各専門家の功績)ということは、事実として理解しておかなければならないことです。なぜならそれは「勘違い過大評価」や「とんちんかんで的外れな批判」を誘発するからです。ですが、残念ながらそれは一般人のみならず、映画評論家や解説者、知名度のある有名人・著名人にまで及んでいます。「聞きかじった知識で大上段に語りたがる人の論は疑ってかかる」という心構えは、この情報過多のネット時代の中で正確な判断をするための必須のスキルだと私は思います(『2001:キューブリック クラーク』を読めば全部書いてあるんですけど、読まずに語る人、多いんでしょうね)。
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 世界を巡回中の『スタンリー・キューブリック展』ですが、現在は休止となっております。そんな中、2016〜17年にメキシコシティで開催された展覧会が、Matterportで3Dモデル化されていましたのでご紹介。こちらからご覧になれます。

 『スタンリー・キューブリック展』は開催国でそれぞれ工夫を凝らした展示がされていますが、このメキシコでの展示はシンプルながらよくまとめられており、わかりやすいですね。まあでもしょせんはバーチャルです。雰囲気を楽しむならまだしも、やはり実物を見てみないことには残念ながら実感は湧きません。1日でも早い日本での開催を、関係各位には何卒よろしくお願いいたします。

 なお、過去の開催地はこちらを参照してください。
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クリスマスを祝うキューブリック夫妻。キューブリックはユダヤ教の一切の宗教的行事には関心がなかった。妻のクリスティアーヌはナチスに近い家系のドイツ人なので、普通にキリスト教徒だったと思われる。

●宗教観について

 キューブリックはユダヤ人でありながら、宗教には関心がなかったことが知られていて、「たまたま両親がユダヤ人だっただけ」と語っていたという話さえあります。上記のクリスマスを祝うキューブリック夫妻の写真は1980年代に撮られたもので、長女カタリーナが公開したものです。ただ、クリスマスを祝っているからといって、キューブリックがキリスト教に改宗したわけではないと思います。フレデリック・ラファエル著『アイズ・ワイド・オープン』によると、キューブリックは「キリスト教徒たちがどう感じるかなんて、私たち(ユダヤ人)に何がわかる?」というキューブリックの発言の記述があります。また有名な話として『シャイニング』の原作者、スティーブン・キングとの電話での会話で「地獄を信じない」「死後の世界があるなんて楽天的な考え方」」と発言したそうです。端的に言えば「一切の宗教を信じないリアリスト」と言えるでしょう。とはいえ、クリスマスプレゼントの風習を非常に楽しんでいたそうなので、クリスマスを「単なる季節行事」として捉えていたのだと思います。

●ユダヤ人差別について

 宗教としてのユダヤ教には無頓着でも、人種としてのユダヤ人差別には敏感に反応していたようです。前述の『…オープン』にも反ユダヤ主義に関する記事に憤る姿の記述があったり、ハリウッド時代には「ユダヤ野郎」などの蔑視の言葉を投げかけられることもあったようです。また、妻のクリスティアーヌによると「彼はタフだった。ニューヨーク時代のひどい仕打ち(人種差別のこと)に慣れていたのかも」と発言しています。この件についてはナチスによるユダヤ人迫害を扱った『アーリアン・ペーパーズ』の企画が実現していれば知ることができたのですが、残念ながら中止になってしまいました。最近になって「ユダヤ人としてのキューブリックとその作品」というアプローチがなされるようになり、2016年にサンフランシスコで開催された『スタンリー・キューブリック展』は現代ユダヤ博物館で開催されました。また『Stanley Kubrick: New York Jewish Intellectual』(amazon)という考察本も上梓されていますが、レビューを読む限りでは本書は矛盾に満ちた分析で、あまり説得力はないようです。

●家族について

 キューブリックは一家の家長として過干渉にふるまうこともありましたが、それは家族を愛するが上(ユダヤ人らしい「家族第一主義」と言えるかも知れない)だということは、家族もよく理解していたそうです。長女のカタリーナはボーイフレンドをキューブリックに紹介したときのことについて「冗談だろ!あんなやつ!」と憤慨したと語っていましたが、それは彼氏がハンサムだったことを心配したのではないか、とのこと。また愛妻家としても有名で、義弟でプロデューサーのヤン・ハーランによると、キューブリックからの電話の半分は「クリスティアーヌは今どこにいる?」という問い合わせの電話だったそうです。

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1990年代半ば頃のキューブリック一家。

●動物好きについて

 キューブリックの動物好きはよく知られていて、広大な邸内で犬や猫をはじめとして鳥や家畜などさまざまな動物を飼い、ゴールデンレトリーバーと戯れる写真が残っていたりしていますが、特に猫が好きだったようです。長女のカタリーナによると、言われていた18匹ではなく実際は6匹くらいで、去勢手術を嫌ったキューブリックの指示で、猫が交尾しないようにお互いを離しておかなければならず、それは難しいことだったと証言しています。

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二匹のゴールデンレトリーバーと戯れるキューブリック。

●スポーツ好きについて

 キューブリックが卓球をしている写真が残っていますが、運動不足解消のためか自宅でもゲームをしていたそうです。『時計じかけのオレンジ』のマルコム・マクダウェルも相手をしたことがあるそうですが、マルコムは「いつも自分が勝った」と発言しています。また、スポーツ鑑賞では特にアメリカン・フットボール好きで、オンエアのないイギリスに住んでいたキューブリックは、当時フロリダに住んでいた妹のバーバラに試合のビデオを送ってもらっていたそうです。カタリーナによると、そのほかにサッカーやテニス、ボクシング、カムダンシング(社交ダンス)を好んで観ていたとのこと。ラファエルの『…オープン』によるとアンドレ・アガシのファンであることをうかがわせる発言の記述もあります。

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卓球をするキューブリック。おそらく『バリー・リンドン』の頃ではないかと思われる。相手はヤン・ハーラン?

●音楽好きについて

 キューブリックは高校時代、ジャズドラマーだったのは有名な話で、『スタンリー・キューブリック展』には、キューブリック所有のスネアドラムとスティックが展示されています。若い頃の一時期は本気でプロを目指そうとしたらしいですが、ミュージシャンのハードなツアー生活を知るに至り、「目指さなくてよかった」と発言しています。キューブリックの撮影時のアドリブ好きや、編集のリズム感はジャズ(インプロビゼーション)好きが影響しているのでは?という分析もあります。一方音楽鑑賞ではジャズはもちろん、特にクラシックを好みました。これについてカタリーナは「彼は驚くほどカトリック的な音楽趣味を持っていた」と証言しています。

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1950年、ルックの取材で訪れたニューオリンズでジョージ・ルイス・ラグタイム・ジャズバンドとセッションをするキューブリック。ただしポーズをとっただけの可能性も。

●チェスについて

 父親から手ほどきを受けたチェスの腕前はかなりのもので、全財産を映画制作につぎ込んでいたニューヨーク時代は、ワシントン・スクエアの賭けチェスで日銭を稼いていたのはもはや伝説です。なにかと時間を持て余す撮影現場では、俳優を相手によくチェスをしていたようですが、それも『シャイニング』の頃までで、ラファエルの『…オープン』によると「最近はパソコンを相手にやっている」とのこと。チェスをする上での思考はキューブリックの映画制作のプロセスに影響を与えていて、「全ての選択肢を提示してから判断する」「一見よく見える選択肢にすぐさま飛びつかない」はチェスの影響と言えるでしょう。キューブリックはギャンブル好きはチェスにとどまらず、『スパルタカス』のヒットで経済的に潤う以前のハリウッドでの不遇時代は賭けポーカーで生活費を捻出したり、株投資も盛んに行っていたそうです。

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『博士の異常な愛情』のセットでジョージ・C・スコットとチェスをするキューブリック。

●カメラについて

 カメラを持つ写真が数多く残されていることでわかる通り、キューブリックは大のカメラ好きでした。少年時代、父親からスピードグラフィックスを譲り受けて以来、ローライフレックスなど数々のカメラを使ってきましたが、映画監督になってからはポラロイドのパスファインダーを撮影時の照明の確認や画像メモに使い始め(現在のデジカメやスマホカメラに近い使い方)、そのポラロイド写真が大量に現存しているそうです。ムービーカメラではアリフレックスがお気に入りで、レンズもいわゆる「レンズ沼」と言えるほど大量に所有していました。これらは『スタンリー・キューブリック展』の展示物として現在世界を巡回中です。

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アリフレックスを使って『時計じかけのオレンジ』を撮影中のキューブリック。レンズは広角でも歪みが少ないテゲア。

●読書について

 キューブリックは元々本好きではあったようですが、読書は次回作の原作を探す目的もありました。また職業脚本家を好まず、ストーリーメーカーとしての小説家を高く評価していた関係から、自作の脚本(翻案)は小説家に依頼するのが常でした。キューブリックは自身をストーリーテラー(語り部)として捉えており、ストーリーメーカーとしては「そんな才能はない」「自分でストーリーを考えると客観的な善し悪しの判断ができなくなる」と考えていたようです。

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ハートフォードシャーの自宅庭で読書をするキューブリック。

●パソコンについて

 キューブリックの新しもの好き、機械好きは広く知られていて、何か目新しい機械を現場に持ち込みと夢中になって撮影が中断するほど。パソコンもWindows以前のDOS時代にはすでに自宅で仕事に利用していました(詳細はこちら)。『フルメタル…』公開の頃には東芝のラップトップPCを所有していたそうです(詳細はこちら)。妻のクリスティアーヌによると、キューブリックにとってPCとは「彼が生まれてこのかたずうっと登場を待ち望んでいたものが実現したようなもの」だそうです。

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IBM XTを導入してご満悦のキューブリック。

●仕事について

 キューブリックは自宅にオフィスを構えていたので、プリプロダクションやポストプロダクションなどの作業も自宅で行なっていました。そのため外出することは稀で、撮影時にロケ先や撮影スタジオに出向く程度だったそうです。俳優や脚本家、関係者も自宅に呼びたがり、トム・クルーズとニコール・キッドマンはへリコプターで自宅を訪問しました。映画もよく観ていた(リサーチ目的も兼ねて)そうですが、自宅に上映設備が整っていたので、映画館に足を運ばなくても取り寄せたフィルムを自宅で上映、鑑賞していました。晩年の頃はビデオが普及していたので、もっぱらビデオ鑑賞で済ませることが多かったそう。

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『バリー・リンドン』を編集中のキューブリック。場所は事務所にしてしまったアボッツミードの自宅ガレージ。

●旅行について

 アメリカ在住時代は飛行機で飛び回っていたキューブリックですが、イギリス移住後は極端な飛行機嫌い(「飛行機がどんな原理で飛んでいるか知っているだけに怖い」とのこと)になり、くわえて「自宅大好き!」なキューブリックにとって、旅行は苦痛以外の何物でもなかったようです。それでも『バリー・リンドン』のアイルランドロケ(家族を引き連れた家族旅行でもあったようだ)や東ヨーロッパへの旅行、1990年代にはフランスの別荘に旅行に出かけています(おそらく家族の強い要望に屈したものだと思われます。詳細はこちら)。ですので「キューブリックはイギリス移住後一歩もイギリスを出ていない」という情報は間違いです。

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フランスのドンム村にあった別荘で休暇を楽しむキューブリック一家。

●服装について

 とっても「無頓着」だったことが知られています。服装には機能性を重視したそうで、ポケットがたくさんあるアーミージャケットのような服装の写真ばかり残っています。カメラ好きやメモ魔だったキューブリックの立場で考えると、メモやペン、カメラのフィルムやフィルムケース、レンズキャップやその他もろもろの小物を収納するのに、ポケットの多いアーミージャケットは確かに有用です。加えて「締め付けられるのが嫌だった」そうで、ゆるゆるの動きやすい服ばかり好んで着ていましたが、残された写真もそんな服装ばかりで写っています。クリスティアーヌはそんなキューブリックの服装を、「風船売りのおじさん」と呼んでいたそうです(キューブリックのファッションを検証した記事はこちら)。

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キューブリックといえばアーミージャケット。よっぽど気に入ったのか、晩年までこのファッションで通した。

 以上のように、キューブリックのプライベートは、仕事場が自宅だったこともあり、非常に穏やかで充実したものだったことがわかります(『時計じかけのオレンジ』での脅迫騒ぎを除く)。その一方で撮影現場での厳しい態度が一人歩きし、プライベートでも「気難しくて近寄りがたい狂気と孤高の芸術家」として報じられていた時期もありました。それに対しキューブリックは何も反論しなかったので、それがあたかも事実のように捉えられていましたが、死後は家族を始め近しい関係者から実像が語られはじめ、それは現在は払拭されつつあります(過去の情報から全くアップグレードしていない、一部の映画評論家や解説者の事実誤認は除く)。そもそも「その人の作品=その人の人格」であるはずがありません。確かにキューブリックはシニカルで皮肉屋ではありましたが、情に厚く、面倒見が良く、穏やかで人や動物に優しい面も持ち合わせていました。

 キューブリックはその生涯を映画制作に捧げましたが、プライベートや趣味の時間も映画制作に何らかの関係や影響があるものばかりでした。存命時、新作発表のスパンが長すぎてファンをやきもきさせたものですが、その間も映画制作を休むことなく続けていたことを逝去後に知り、大変驚いたものです。キューブリックにとって「人生=映画(A Life in Pictures)」だったのです。キューブリックは骨の髄まで「映画大好き人間」でした(自身曰く「映画製作を休めと言われるのは、子どもに遊ばずに休めと言うようなものだ」)。そんなキューブリックの実像の一端を、この記事でご理解いただければ幸いです。

▼この記事の執筆に当たり、以下の記事を参考にいたしました。
Reddit.com:Really love this one of my P&M . Taken one Christmas
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