キューブリックブログ記事

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Eddie O’Dea
『ハードコア』※米タイトル『フィオナ』(1977)に出演したエディー・オディア(左)と『シャイニング』の「ロジャー・ザ・ベアマン」(右)。

 キューブリック版『シャイニング』で「一番不可解で異様で恐ろしいシーン」として、たびたび語られる「元支配人ダーウェントと、クマの着ぐるみを着たロジャーとのホモシーン」ですが(詳細はこちら)、このシーンは原作にはありません。実はこのシーンは原作小説の2つのシーンを組み合わせたものだからです。そのシーンを原作小説を比較的忠実に映像化したTVドラマ版『シャイニング』から引用してみます。なお、原作小説では「犬男」、キューブリックの映画版では「熊男」、スティーブン・キングが制作したTVドラマ版では「狼男」であることを、まずご承知おきください。

(1)ホテルの元支配人であり、バイセクシャルのダーウェントが、ロジャーを犬扱いしてからかうシーン

 ロジャーはダーウェントに取り入ろうとしていた「腰巾着」でした。ですのでダーウェントはロジャーを犬扱いし、犬の着ぐるみを着せ「犬男」としてからかうのです。

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(2)ロジャーが廊下に出現し、ダニーを父親の許に行かせないように脅かすシーン

 ダニーは父親を助けようと部屋を出たのですが、ロジャーに廊下で通せんぼされてしまいました。ダニーは恐怖のあまり、先へ進むことができませんでした。

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小説では腰巾着(すなわち「犬」)という意味のあった「犬男」であっても、映像化するとちょっと可愛らしく間抜けに見えてしまう可能性があります。ですので、スティーブン・キングのTVドラマ版では「狼男」に変更したと思われるのですが、そうなると(1)の「ダーウェントがロジャーを犬扱いしてからかう」というシーンの意味がなくなってしまいます。もし「狼も同じイヌ科だし、そんな細かい点は気にしなくていい」とキングが判断したのなら、やはり詰めの甘さを感じずにはいられません。それはTVドラマ版『シャイニング』全般に漂う「詰めの甘さ」でもあります。

 一方のキューブリックは(1)のシーンは映像化しなかったので、(2)のシーンにダーウェントを登場させ、場所も客室に、目撃者もダニーからウェンディに変更しました。そこまで原作の意図から離れてしまうのであれば、犬にこだわる必然性はありませんので、熊男への変更も容易だったと思います。では、なぜ「熊」なのでしょうか?

 ここからは想像になりますが、キューブリックが「犬のようにコロコロしていて、エロティックなシーンに慣れている俳優」を探していたとします。エディー・オディアは1977年に公開された『ハードコア(フィオナ)』という、実質ポルノであるコメディ映画に出演し、「女性に胸をはだけさせ、胸囲を測ってから胸をもむ男」というなんとも奇妙なキャラクターを演じています。その容姿と共にキューブリックのニーズにぴったりの俳優ですが、いざ現場でエディ−に犬の着ぐるみを着させたところ、そのふくよかな体型から「犬」というより「熊」に見えてしまったんだと思います。であればいっそのこと「熊」ということにしてしまったのではないでしょうか。上記の画像を見れば、熊の顔はなんとなく犬っぽさが残っているし、それとなくエディーに似せて作られているのもわかります。まあ、奇異な雰囲気が伝われば、犬でも熊でもどちらでも良いかとは思いますが、熊だったとの証言がある以上(詳細はこちら)、今後当ブログではこのシーンに登場する着ぐるみの男は「熊男」、もしくは「クマ男」(こちらの表記の方が良いですね)で統一したいと思います。

 ところでエディーが出演した『ハードコア(フィオナ)』(『Hardcore(Fiona)』)は、ググれば(怪しいサイトで)視聴することができます。上記の男性がエディー・オディアであるという確たる情報は実はないのですが、『Hardcore』のIMDbのキャスト欄は出演順に記載されており、体型も似ていることから上記の男性が役名「バディ(Buddy)」であり、それを演じたエディー・オディアであると判断した、という経緯です。つまり状況証拠しかありませんので、間違いである可能性があることを何卒ご了承ください。
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『2001年宇宙の旅』で使用されたMGMの簡略化版ロゴ。

Amazon.com、映画会社MGMを85億ドルで買収 プライムビデオ強化へ

 米Amazon.comは5月26日(現地時間)、「007」シリーズなどで知られる米映画制作会社MGMを買収することで合意したと発表した。買収総額は84億5000万ドル(約9200億円)。米Netflixや米Disneyなどと競合するストリーミング市場での競争力を維持する狙い。

〈以下略〉

(全文はリンク先へ:ITmedia NEWS/2021年5月27日




 『2001年宇宙の旅』でファンにはおなじみのMGM(メトロ・ゴールドウィン・メイヤー)は、1924年に3社の映画スタジオが合併して設立された映画会社で、社名の由来は「メトロ・ピクチャーズ・コーポレーション」、サミュエル・ゴールドウィンの「ゴールドウィン・ピクチャーズ」 、ルイス・B・メイヤーの「ルイス・B・メイヤー・ピクチャーズ」3社の頭文字を取ったもの。戦前から戦後にかけて全盛期を迎えましたが、1950年代に入ると大作主義の弊害やテレビの台頭などで、その勢いを次第に失っていきました。

 『2001年宇宙の旅』の制作が開始された1960年代中頃はすでに末期で、1970年に『2001年…』が撮影されたMGM英国スタジオが閉鎖、1973年に配給部門がユナイテッド・アーティスツ(UA)に買収された時点で、いったんMGMの歴史は終わったと言っていいと思います。この混乱で『2001年』のプロップの大部分は破棄されてしまったのですが、流出したいくつかは現存するのはこちらで記事にした通りです。その後UAはマイケル・チミノ監督の『天国の門』の大失敗で経営破綻、1981年にMGMが逆にUAを吸収して「MGM/UA」となったのですが、当時「あのMGMが復活した!」とちょっとしたニュースになりました。そのMGM/UAも1986年に「ターナー・ブロードキャスティング・システム」に買収され、1996年にターナーはワーナーの傘下に入りました。その結果、『2001年…』はワーナーが配給権を有することになったのです。

 その後のMGMはソニーなどの支援を受けつつ『007』シリーズなどを制作していましたが(『007』はもともとUAで製作・配給されていた)、2021年5月26日、アマゾンがMGMを84億5000万ドル(日本円で約9200億円)で買収すると発表しました。MGM(とUA)が保有する4000本以上の映画と1万7000時間以上のテレビ番組を、Amazonの定額制動画配信サービス「Amazonプライムビデオ」で全世界に提供する予定だそうです。

 これも時代の趨勢と言えばそうかもしれませんが、アマゾンにしてみれば、自社コンテンツが一気に増えるのでメリットは大きいでしょう。アマゾンプライムはネット配信のサブスクリプションではなく、EC(ネット通販)のサブスクなので、動画配信単体で利益を上げなければならない他社に比べて有利です。つまり加入者にはサブスクを継続さえしてくれればいいのです。とは言え、NetFlixなど他社との競争は激しさを増すばかり。アマゾンプライムビデオ(アマプラ)は、日本では動画配信サービスの半数以上のシェアを獲得しているそうですが、海外ではNetFlixなどの後塵を拝しています。

 現在、キューブリック作品でMGMが権利を有しているのは、元UAで配給された『非情の罠』『現金に体を張れ』『突撃』ですが、この3作品も(何か別の事情がなければ)アマゾンプライムで提供されるでしょう。現在、アマゾンプライム会員は追加料金なしで『アイズ ワイド シャット』『フルメタル・ジャケット』『シャイニング』『時計じかけのオレンジ』の4作品が視聴できます(詳細はこちら)。追加料金が必要なのは『バリー・リンドン』『2001年宇宙の旅』『ロリータ 』(以上がワーナー)、『博士の異常な愛情』(ソニー)、『スパルタカス』(ユニバーサル)です。元UAの3作品が追加料金なしの扱いになるかはまだわかりません。ですが、キューブリック作品は人気ですし、期待はできると思いますね。

▼この記事の執筆に当たり、以下の記事を参考にいたしました。
wikipedia/メトロ・ゴールドウィン・メイヤー
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●宇宙ステーションVのロビーのイメージボードと撮影されたシーン

 イメージボードでは到着カウンターやバーが見えます。また、大きく開けられた窓からは月が見えます。セットではそれはヒルトンホテルのフロントに代わり、バーは自動販売機へと変更になりました。ずいぶんとシンプルで人の少ないデザインになりましたが、宇宙ステーションという限られた狭い空間に、厨房設備や大きな窓は現実的でないと判断されたのかもしれません。


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●クラビウス基地内の公園のイメージボードと撮影されたシーン(カットシーン)

 キューブリックが公開直前にカットしたことで有名なシーンです。比較すると天井一面の照明や壁のブルー、青々とした芝生(人工芝?)などが共通していますが、映画館やカフェ、学校などは省略され、通路の表示だけがあるがらんとした空間になってしまいました。本来はイメージボードにあるような、樹木も配置する予定だったのでしょうか。であれば、天井の照明はその名残でしょう。樹木を維持するには相当量の光源が必要になるはずです。このシーンにはキューブリックの長女と次女が出演していることでも知られていますが、一番左の少女が長女のカタリーナ、その隣が次女のアンヤではないかと予想しています。


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●クラビウス基地内の会議室のイメージボードと撮影されたシーン

 イメージボードでは球形の機器が見えますが、これはプロジェクターだと思います。だとすると、四方の壁はスクリーンですね。セットでは照明の役目しか果たしていませんでしたが、フロイド博士の挨拶の後、背後のスクリーンには会議の内容の情報が表示される設定だったのかもしれません。セットをよく見るとスクリーン上部に穴が見えます。もしこれがプロジェクターの映像投影口(2つあるのは立体映像的なものを想定していた?)という設定なら、キューブリック(か誰かが)「プロジェクターが部屋の真ん中にあったら邪魔では?」という指摘で壁に埋め込んだ(設定)だと考えられます。細かいことまでこだわるキューブリックなら、そんなことを言い出してもおかしくないですね。

 3点とも凝ったデザインからシンプルなものに変更になっています。これにはいくつか理由が考えられますが、一番大きな理由は予算の問題ではないかと想像します。キューブリックのこだわりのせいでスケジュールは遅れ、予算はどんどん膨らんでいたので、シーンは必要最低限に削られ、セットもシンプルなものに変化していったのだと思います。色については、トニー・マスターズによると「元々いろいろな色をつけたのだが、スタンリーがどんな色も受け入れなかったので、無色(白)にすれば失敗しようがない」とキューブリックに提案したそうです。

 モノリスの形状や色の決定、特撮シーンの撮影アイデア(特に遠心機のシリンダーを通って降りるシーンのアイデアは秀逸)など、『2001年…』におけるトニー・マスターズの貢献は、ファンの想像をはるかに超えるものだったことは『2001:キューブリック クラーク』を読めばよく理解できます。もちろんキューブリックがこだわりにこだわって、安易なレベルで妥協しなかったのも大きな要因ですが、そもそも仕事を依頼したスタッフに、それに応えるだけの優れた才能がなければ成立しません。キューブリックの厳しすぎるとも思える高レベルの要求は、それを見越してのことだったのです。キューブリックの厳しい態度の表面だけを単純に批判し、スタッフや俳優を過剰に擁護や同情(いじめだとか、かわいそうだとか、こんな上司は嫌だとか)する前に、その事実を見逃すべきではないと私は考えます。

 余談ですが、この美術監督にキューブリックは手塚治虫も候補者としてリストアップし、実際にオファーの手紙まで出しています。キューブリックが『鉄腕アトム』を観て、手塚治虫のどこに才を見出したのかは不明ですが、この方面の高い要求を手塚治虫が満たせたとはとても思えません(個人的には手塚治虫の最も偉大な才能はストーリーメイクだと思っています)。手塚自身も「やらないほうがよかった」と語っていることですし、『2001年…』における手塚治虫の存在を「過大に」語るのは控えるべきだと(誤解の元になる)思います。

出典:The official Facebook page of Stanley Kubrick/2021年5月25日
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「ビルとニックが座るテーブルの奥にキューブリック夫妻がカメオ出演している」とファンの間で長く定説になっていましたが、それは間違いだそうです。

 ファンの間ではすでに定説とされていた、キューブリックが『アイズ ワイド シャット』のソナタカフェのシーンで夫婦で客として出演しているという話ですが、これはデマだとキューブリックの長女、カタリーナが明確に否定しました。イギリスのSun誌のWeb版に採り上げられるほど有名なトリビアで、いまさら否定されてもそれを周知するのは大変なのですが、なるべく多くのファンの方にこの事実を知っていただきたくて記事にしました。

 以下はそのカタリーナのTwitterの投稿です。

 コメントを少し見てみました。まだスタンリー・キューブリックがヒッチコックのような、カメオ出演をしたと思っている人がいるようです。彼はそうではありませんでした。

 彼は自分の姿をスクリーンに映し出すことはしませんでした。『フルメタル・ジャケット』では、マーフィーの声(トランシーバー)を担当していました。

(引用元:Katharina Kubrick @KCKubrick/2021年5月18日


 私も過去に、この『アイズ…』でのキューブリックのカメオ出演を記事にしていましたので、ここで訂正したいと思います。キューブリックの自作での出演は以下の通りです。どれも偶発的か、映画の制作上自分が演じても問題ない部分のみです。

『拳闘試合の日』における、試合シーンの映り込み

『非情の罠』の警察無線の声

『ロリータ』のオープニングシーンのディゾルブ部分の映り込み

・『2001年宇宙の旅』の月面シーンでのヘルメットバイザーへの映り込み(確定情報ではない)

『2001年宇宙の旅』の呼吸音

『フルタメル・ジャケット』で援護を依頼される無線手、マーフィーの声

 ところで、キューブリック作品には娘たちも出演しているのは、よく知られた話なのですが(詳細はこちら)、以前カタリーナさんに「アンヤは『バリー・リンドン』に出演していないのでしょうか?」と訊いたことがあります。なぜなら、撮影現場を写した写真にアンヤが写っていたからです。

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キューブリックの左側にアンヤ、後ろにヴィヴィアン。『パリー・リンドン』の撮影時。

 ですが、カタリーナの返事は「ない」とのことでした。どうやら彼女は、自分自身の姿が映像に残るのがあまり好きではなかったみたいですね(子供の頃は除く)。『バリー…』撮影時、アンヤは10代の多感な頃だったので、余計にそうだったのでしょう。長女は父親に似ると言いますが、アンヤはキューブリックにとって長女(カタリーナはクリスティアーヌの連れ子)ですので、キューブリックも同じように自分の姿を映像に残したくなかったのかもしれません。それに現在の容姿がバレるとプライバシーが脅かされる懸念もありますしね(キューブリックは自分の素顔があまり知られていないのをいいことに、プライベートを楽しんでいた)。
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「狂気」と「純愛」。同じ「男女」でもこれだけ違う『恐怖と欲望』(1953)と『非情の罠』(1955)。

 キューブリックの劇映画デビュー作『恐怖と欲望』は1953年3月30日にニューヨークのギルド劇場で公開され、やがて全米で公開されました。それは興行主のジョゼフ・バースティンが資金を回収しようと目論んだからに他なりませんが、その公開は「一番館で華々しくロードショー公開」などと言えるものではなく、二番館やアート系(ポルノ劇場系も含む)、果てはドライブインシアターまで、要するに当時の若者のデート用映画(映画よりも暗闇を求める)のひとつでしかなかったのです。自分で資金を集め、ロサンゼルスへロケをし、監督から撮影、雑用までなんでもこなして本作を作り上げたキューブリックにとって、その状況は屈辱的であったであろうことは容易に想像できます。『恐怖と欲望』には、キューブリックが志した「映像と編集で語る」というシーンが頻出(キューブリックの無声映画好きがよくわかる)し、未熟で、青臭くて、低予算による映像の貧弱さはあるものの、「俺はこういう映画が撮りたいんだ!」という気概に満ちた良作として、現在もその価値を失ってはいません。

 キューブリックはこの頃、どうにかしてハリウッドに潜り込もうと無我夢中でした。そのオファーのきっかけとしてこの『恐怖と欲望』が、見る目のあるハリウッド関係者の関心を引くことを期待していたのです。しかし、結果は興行的に失敗したばかりか、ハリウッドから映画監督デビューの話が舞い込むことなど夢また夢の状況でした。当時20代半ばのキューブリックはおそらくこの時点で、「世間の冷たい現実」を身を以て知ったのでしょう。いくらルック社で「若き天才カメラマン」としてチヤホヤされたところで、ハリウッドという札束が舞い踊る世界から見れば、カネを生み出さない自分なんて芥子粒以下のゴミの価値さえない・・・キューブリックはそう判断したのだと思います。次作では「いかにもハリウッドが好みそうな、大衆受けする映画」を作ろうと決めました。そうです、それが『非情の罠』なのです。

 この『非情の罠』はおおよそキューブリックらしからぬ作品です。惹かれ合う男女の薄幸な生い立ち、そこから逃れるために夢を追い求める二人、汗臭いバトルシーン、銃と暴力、性と欲と犯罪が渦巻くニューヨークという舞台、そして安直なハッピーエンド。キューブリックは「これでもか」というばかりにハリウッド受けする要素を詰め込みました。しかし、この作品も興行的はおろか、評価も芳しいものではありませんでした。ですが、この作品をきっかけにある男と知り合うことになります。そう、ジェームズ・B・ハリスです。ハリウッドとのコネを持っていたハリスは、有能な映画監督と組んでハリウッドで一旗上げることを目論んでいました。そのハリスが認めたのがキューブリックだったのです。ハリスのおかげで、ハリウッドとのコネを得たキューブリックはロサンゼルスへ飛び、ハリウッドデビュー作『現金に体を張れ』を制作することになりました。キューブリックはその後も時折「らしさ」は見せつつも、ハリウッドや大衆に迎合した作品を作り続けました(『突撃』でのハッピーエンド改変未遂はその代表例)。キューブリックが本当にやりたいことをやり始めたのはカーク・ダグラスと袂を分かった後、『ロリータ』『博士の異常な愛情』の頃からです。そして満を持して発表した『2001年宇宙の旅』で、その才能をフルに花開かせたのです。

 劇映画処女作『恐怖と欲望』は、映画監督としての「キューブリックの初期衝動」が詰まった作品です(個人的にはビートルズのハンブルグ時代の荒々しさを想像させます)。それからすぐに大衆向けの『非情の罠』に取り掛かったのは、まずは、興行価値のある映画を作る監督であることをハリウッドに知らしめるという、冷静な現実的判断があったのだと思います(まるでブライアン・エプスタインに言われて革ジャンを捨て、スーツを着たみたいに)。だから時間を惜しみ、遠回りをせず、たった2年のブランクで『非情の罠』を公開したのでしょう。その結果、この2作は見事なコントラストを描き出すことになりました。それは、キューブリックの「本心」と「計算」です。キューブリックは生涯、「自分の作りたい映画を作り続けるためには興行成績が重要だ」というバランス感覚を失うことはありませんでした(失いかけたことはありました。『バリー・リンドン』で。笑)。多くの映画監督がたった一度の成功に浮かれ、このバランス感覚を忘れてしまい、自分が撮りたい作品を撮りたいように撮ったばっかりに興行的に惨敗、ハリウッドから姿を消してしまうという事例がいくつも存在していました。キューブリックはそれを避けることができた珍しい例です。そしてそれを高い次元で、しかも一生涯維持し続けた非常に稀有な例でもあります。

 長女のカタリーナによるとキューブリックはその立場を当然視することはなく、「私は運が良かった」と常々語っていたそうです。私個人は「運が良かった」とはまったく思いません。キューブリックには自己表現と興行成績を高い次元で両立させる才能があり、その努力も惜しまなかっと思っています。キューブリックは自我を押し通すか、大衆に合わせるかの「判断力」に長けていたのです。その事実を示す端的な例として、この「『恐怖と欲望』から『非情の罠』への変わり身の早さ」があるのだと、私には思えてなりません。
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