キューブリックに協力したアーティストたち

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ドキュメンタリー『バート・スターン オリジナル・マッドマン』のPV

伝説のミュージシャンたちが魅せる奇跡の音楽ドキュメンタリー『真夏の夜のジャズ』4K修復版 Blu-rayが2021年8月4日(水)発売

〈前略〉

◆監督のバート・スターンは、スタンリー・キューブリック監督の映画『ロリータ』(62)や、マリリン・モンローの死去6週間前の姿を撮った著名な写真家!本作の監督バート・スターンは、撮影時弱冠28歳で当時ニューヨークで最も人気のある写真家のひとりだった。スタンリー・キューブリック監督の映画『ロリータ』(62)のポスターやオードリー・ヘプバーン、ブリジット・バルドー、マドンナのほか、死去6週間前のマリリン・モンローを撮影した写真集で大きな話題を呼び、大御所写真家として多くの作品を残した。撮影当時の、新進気鋭の写真家らしい、どこを切り取っても美しい写真のような場面が大きな見どころのひとつ。

〈中略〉

◆映像特典として、バート・スターン監督夫人のシャナ・スターンが監督したドキュメンタリー映画『バート・スターン Original Madman』や、監督の秘蔵インタビュー、ルイ・アームストロングほかミュージシャンのフォトギャラリー、日本版予告編を収録!日本版オリジナルの特製ブックレットも封入!

〈以下略〉

(全文はリンク先へ:TOWER RECORDS ONLINE/2021年5月21日




 昨年独立系映画館で上映された『真夏の夜のジャズ』が早くもBDになるそうです。この映画の監督であるバート・スターンは、キューブリックのルック社時代の同僚で友人であることは、以前このインタビュー記事でご紹介済みです。スターンは『ロリータ』のポスターなどで使用した、宣材用写真を撮影しただけでなく、『非情の罠』のヒロイン、アイリーン・ケーンをキューブリックに紹介したそうです。

 ジャズは全くの門外漢ですので何も語れませんが、特典のドキュメンタリー『バート・スターン Original Madman』は非常に気になっています。その内になんとか入手して、視聴したいと思っています。


【Amazon.co.jp限定】真夏の夜のジャズ 4K修復版 Blu-ray(B2ポスター付 )

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 DVDがレア・アイテム化してしまい、なかなか観ることができなくなっていたキューブリックの親友(と言っていいと思います)バート・スターン監督作品『真夏の夜のジャズ』が4Kになって現在公開中です。

 ジャズは全く詳しくないので、内容については触れることができません(ルイ・アームストロングとチャック・ベリーぐらいしかわからない)が、公式サイトにも紹介があるように、スターンは『ロリータ』の公式ポスターのビジュアル(ハートのサングラスをかけたスー・リオン)を撮影したカメラマンです。もっとも2人の親交はルック時代まで遡り、キューブリックはカメラマンとして、スターンは郵便係からアシスタントとして新人時代を共に過ごしました。スターンが「スタンリーは私の妻の全員を紹介した」と語った通りプライベートでも親しくしていて、キューブリックはスターンにこれから撮る映画の台本を送って感想を聞くなどしていたそうです。

 そのバート・スターンのインタビューはこちら。スターンはスー・リオンのこんな際どいカットまで撮っています。さすが女たらしで名を馳せただけのことはありますね。

 『真夏の夜のジャズ 4K』は今後全国に拡大上映されるそうです(上映館情報はこちら)。地方の方は少々お待ちください。それに4KならBD化もありえます。レアアイテム化していたDVDに手を出さなくて済みそうですね。

 公式サイトはこちらからどうぞ。
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キャットレディの部屋。壁にかけてある8点のアート作品は全てコルネリス・マキンク作。

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アレックスの部屋にある股を広げた女性の絵。これもコルネリス・マキンク。

 1960年代後半、コルネリス・マキンクはイギリスに居を構え、ロンドンのセント・キャサリンズ・ドックにある複合施設「S.P.A.C.E.」で、兄のハーマンとスタジオスペースとしてシェアしていました。オプアートやポップアートの作品に満ちた「S.P.A.C.E.」の空気に触発されたコルネリスの絵画を見ると、ビジュアルはソフトポルノ雑誌から直接取られているという感覚があります。そして、それはまさにコルネリスがやっていたことであり、彼はエピスコープで拡大された投影画像の上に、グロテスクな誇張の感覚を加えて描きました。

 おそらく、画家でもあるスタンリー・キューブリックの妻クリスティアーヌは、この現代美術のホットスポットを訪れ、『時計じかけのオレンジ』のセットデザインのアイデアを得るべきだと提案したのでしょう。キューブリックは映画でコルネリスの絵を9枚使用しました。

(引用元:DRENCROM.com/CORNELIS MAKKINK




 マキンクという名前でピンと来る方も多いかと思いますが、このコルネリス・マキンク(Cornelis Makkink)は同じく『時計…』に登場した「ザ・ロッキングマシーン」「クライスト・アンリミテッド」の作者、ハーマン・マキンクの弟です。1940年生まれで、1937年生まれのハーマンの3歳年下ということになります。

 キューブリックにロンドンのアートスポット「S.P.A.C.E.」を訪れるように促したのがクリスティアーヌだったのには驚きました。クリスティアーヌがキューブリック作品に絵画などを提供していたのはよく知られていますが、『2001年宇宙の旅』ではリゲティを発見したり、エイリアンを作ったり、自信喪失して発狂寸前の夫を励まし続けるなど、このマキンクの件を含めても、その「内助の功」っぷりには胸を打つものがあります。

 それにしてもアートのチョイスの基準がいちいちエロなのがキューブリックらしい。おかげでキャットレディはアレックスに「スームカ(醜い)ばばあ」と言われてしまいましたが、悪いのは演じたミリアム・カーリンではなくキューブリックですね。

 コルネリス・マキンクは1940年オランダ・アムステルダム生まれ。1993年に胃潰瘍で死去したそうです。享年53歳でした。
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『2001年宇宙の旅』で仕事をするジョイ・カフ。

〈前略〉

 MGMスタジオでの私の契約は1966年2月に始まりました。実写(俳優)撮影はシェパートン・スタジオで完成していました。『2001年宇宙の旅』は65(70)mmフィルムで撮影されていました。私が映画制作に加わったとき、モノリスを調べるために「穴」に降りる宇宙飛行士のフィルムは缶に保管されていましたが、合成されていませんでした。

 MGMでは月面の模型を「マットショット」として制作することになっていました。石膏で作られた「穴」の中央フレームには、シェパートンで撮影されたライブアクションの映像を使うことになっていました。そしてそれはカメラで撮影され、合成されました。この手法は映画制作の初期の頃には完成していましたが、複製されたフィルムの品質が向上するにつれて、静止画像に実写を挿入する方法はあまり使われなくなりました。キューブリックは細心の注意を払い、主に高品質で再生することによってこの方法を使うことにしました。カメラマンのジョン・マッキーとマット・アーティストのボブ・カフは、月面セットの制作と撮影の両方の開発に携わった重要な技術者でした。

 私はミックスメディアのアーティスト兼彫刻家として働いていた時と同じく、月の模型を制作する際に石膏を使用し、順調に作業していましたが、私は映画制作のSFX分野、特にマットショット (個々のショットを合成して1つの完全なショットを作ること)については経験がありませんでした。私はこの分野のエキスパートであるボブ・カフと一緒に仕事をし、マットアーティストの技を学びました。『2001年宇宙の旅』の最も象徴的なショットの1つを制作する一方で、私はこの芸術形式を学ぶことに恵まれたのです。

 このショットとそれに続く月面バスのフィルム上のショット、そして宇宙船の窓からの風景は、実際には3フィート×6フィートの大きさで、約25フィートのトラッキング・ショットのために、10フィート四方のエリア内で相互動作する長いセットでした。私はスタンリー・キューブリック・アーカイブにあるサムネイルのスケッチから作業しました。私が作成したのは、スタンリーが描いたいくつかの簡単な図面(表面の平野とクレーターの縁を示す単なる図)で、全てのセット上で非常に慎重に構成されていました。ボブ・カフとジョン・マッキーがアバカス社を結成し、映画制作を始めた後(私は後にボブと仕事をするために彼らに加わることになりました)、私は一人で月面模型を制作し、後の段階でモデルメーカーのロジャー・ディキンが加わりました。

〈以下略〉

(全文はリンク先へ:HISTORY PROJECT/Blogs/Anonymous's blog/The Stanley Kubrick Archives/2016年2月11日




 『2001年宇宙の旅』月面の模型を制作したジョイ・カフの書き込みがありましたのでご紹介。キューブリックが『2001年…』で行った特撮の方法は「原始的だがおそろしく手間がかかるもの」だということは知られていましたが、具体的な証言があるとイメージしやすいですね。いわゆる「マットペイント」と呼ばれる方法ですが、『2001年…』の場合、背景は絵(通常はリアルな背景絵を描く)ではなく石膏などで制作した模型を撮影し、それを背景素材として使ったようです。ムーンバス飛行中の窓の外を流れる風景は、模型をトラッキング・ショットで撮影したものが使用されたそうです。

 それにしても「人類の夜明け」の猿人たちが住む岩場だけでなく、月面のデザインまでキューブリックが指示していたとは。キューブリックが『2001年…』でアカデミー視覚効果賞を独占したことに異論を唱える向きもありますが、ここまで事細かに関わっていたとなると、それを単純に批判はできないでしょう。

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ムーンバスが月面を飛行するシーンの背景。

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モノリス発掘現場の背景と思われるが、映画とは月面の形状が違うのでボツになったか、修正を加える前のものかもしれない。

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ムーンバス着陸シークエンスのポラロイド。

 以下はIMDbのジョイ・カフのバイオグラフィ。「サンダーバード組」だったんですね。

 アートスクールを卒業した彼女の最初の仕事は、デレク・メディングスの彫刻家として『サンダーバード』(1965)に取り組んでいました。 彼女はAPフィルムの彫刻班で人形のための頭部を制作していました。 ジョイがAPフィルムに参加したときには、すでに作られていた主役ではなく、さまざまなエピソードに登場する悪役などの仕事をしました。

 1967年(1966年の間違い?)、ジョイはスタンリー・キューブリックの『2001年…』のために月の模型を作りました。 彼女はその時はまだミス・ジョイ・セドンでした。 ジョイは1964年にブライアン・ジョンソン(当時、デレク・メディングスと共に『サンダーバード』に取り組んでいたブライアン・ジョンコック)によってボブ・カフに紹介されました。ジョイは1969年にボブ・カフの息子(ポール・カフ)と結婚しました。


 こちらはジョイの最近のインタビュー動画です。

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Leonard(IMDb)
Leonard of Mayfair(wikipedia)

Remembering Leonard of Mayfair, Stylist for Stanley Kubrick and The Beatles

(全文はリンク先へ:Forward/2016年12月2日




 『2001年宇宙の旅』や『時計…』などのスタッフに名を連ねるこのレナード(オブ・メイファー)については長い間よくわかっていませんでしたが、顧客にビートルズやミック・ジャガー、オードリー・ヘップバーン、そしてかのツィッギーのベリーショートのヘアスタイルを考案するなど、どうやら有名なヘア・スタイリストだったようです。

 本名はレナード・ルイスと言い、映画でのキャリアはハマー・フィルム・プロダクションの一員として始まりました。最初に担当した映画は『2001年…』でしたが、次作の『時計…』では、キューブリックがかつらではなく実際のヘアカットを希望したため、頭の側面が剃られ、中央の部分が盛り上がって派手に色付けされたパンク・モヒカンの先駆的なヘアデザインを考案しました。『バリー…』ではライアン・オニールとマリサ・ベレンソンのかつらを制作、『シャイニング』『フルメタル…』もヘア・スタイリストを担当したそうです。

 1938年6月15日イギリス・ロンドン生まれ、1988年に脳腫瘍を発症し引退、2016年11月30日死去。享年78歳。
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