キューブリック関連動画

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 スタンリー・キューブリック公式が制作した『シャイニング』のドキュメンタリー『Shine On - The Forgotten Shining Location』が、キューブリックの誕生日7月26日に公開されました。内容はエルスツリー・スタジオに現存するセットの痕跡を辿る内容で、登場人物はキューブリックの長女カタリーナ、義弟でプロデューサーのヤン・ハーラン、美術監督のレスリー・トムキンスです。

 あれから40年以上の月日が流れた現在、広大だったエルスツリー・スタジオも敷地を切り売りしなければならないほど経営が思わしくないらしく、『シャイニング』のセットとして使った部屋はたまたま残っていただけに過ぎないようです。しかもキッチン、食糧倉庫、ボイラー室のみという寂しいもの。すぐそばにあった『2001年宇宙の旅』を制作したボアハムウッドMGMスタジオも今は跡形もなく、時代の趨勢を感じずにはいられません。

 ちなみにジャック・ニコルソンがタイプラターを打っていたテーブルはキューブリック邸に、237号室のバスルームのバスタブはヤン・ハーラン家にあるそうです。映像にはありませんが、ほかにもカーペットや衣装の一部はアシスタント兼運転手だったエミリオ・ダレッサンドロが貰い受けていたり、タイプライターはキューブリックの三女ヴィヴィアンが使っていたりと、『シャイニング』のために購入されたプロップは当時のスタッフが分けあって持って帰っちゃったみたいですね。

 それもこれもキューブリックは手に入るプロップは全て当時購入できた既製品を使うよう指示したからなのですが、それがオーバールック・ホテルが「本物」に見えた要因(セットを知って驚いたものです)でもあるし、キューブリックらしいこだわりのなせる技だな、とつくずく思います。そのキューブリック曰く「欲しいものは金を払っても手に入るかどうかわからないが、金を払わないと絶対に手に入らない」・・・ごもっとも。
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He wanted to take us places we could never have imagined, and so he imagined them for us.He is Stanley Kubrick.

He died before he could witness the century he had already made famous with 2001: A Space Odyssey.Stanley wanted us to see his movies absolutely as he envisioned them. He never gave an inch on that.He dared us to have the courage of his convictions, and when we take that dare we’re transported directly to his world and we’re inside his vision.

And, in the whole history of movies there’s been nothing like that vision… ever. It was a vision of hope and wonder, of grace and of mystery.It was a gift to us, and now it’s a legacy.

We will be challenged and nourished by that as long as we keep the courage to take his dare, and I hope that will be long after we’ve said our thanks and our goodbyes.

 彼は想像もできなかった場所に私たちを連れて行きたかったので、私たちのためにそれらを創り上げました。彼の名はスタンリー・キューブリックです。

 彼は『2001年宇宙の旅』ですでに有名になった世紀を目撃する前に亡くなりました。スタンリーは私たちに自身の映画を自分が思い描いたとおりに観てもらいたいと考えていました。彼はそれについては一歩も譲りませんでした。彼は私たちに自分の信念を貫く勇気を与えてくれました。私たちがその勇気を持てば、私たちは直接彼の世界に連れて行かれ、彼のビジョンの中に入り込むことができるのです。

 そして、映画の歴史を通じ、かつてそのようなビジョンはありませんでした。それは希望と驚異、優美で神秘のビジョンでした。それは私たちへの贈り物であり、今では遺産となっています。

 私たちが彼の勇気を受け入れ続ける限り、私たちはそれによって挑戦し続け、育まれるでしょう。それが私たちが感謝と別れを告げた後もずっと続くことを願っています。

スティーブン・スピルバーグ




 1999年3月7日にキューブリックが逝去し、その2週間後の3月21日に開催された71回アカデミー賞のオープニングで、スピルバーグがスピーチしたキューブリックへの賛辞の全文です。この時からすでに25年の月日が流れていますが、映画界においてキューブリックの存在感(と喪失感)はますますその大きさを増しているような気がします。アカデミーもそろそろキューブリックに何かの賞を贈るべきだと思うのですが、いかがでしょうか?『2001年宇宙の旅』の視覚効果賞だけなんて、その功績に比してあまりにも塩対応すぎると思うんですけどね(キューブリック作品をアカデミー映画博物館の広報に使うなら尚更)。

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Nicholson's co-star in The Shining, Shelley Duvall, was actually discovered by Robert Altman, who cast her in pictures like Nashville and 3 Women. Since she finished The Shining, she's play Olive Oyl in Altman's Film of Popeye and made a guest appearance in London in The Time Bandits, directed by Terry Jones of Monty Python team. Well I talked to her while she was in this country, and I asked her about a rumour, then strongly going the rounds that the meticulous Stanley Kubrick had made her do 127 takes of one of her scenes.

Oop! (Laughs)
I don't know, I think I'm supposed to say 18. but, I don't know, I'll leave that to your imagination.

Well, let us assume that 18 is a slight underestimate and 127 is possibly closer to the truth. What is it like doing a take that many times? I mean, is it possible ti just to keep going and produce a kind of freshness at the end?

Yes, it is. It's funny, it's something that I discovered during the making of The Shining was that I had never done more than, say, 15 takes before in my life. So it was a great change for me to do so many. But then after you do a certain number, it sort of goes dead and then five more takes or so, and it revives itself and by then, you know the scene like the back of your hand, and you can make no mistakes with it and you forget all reality other than what you're doing. And it's, it's like a miracle. It comes out better than it did before and it's fresh too.

What was the most difficult piece of acting you had to do in The Shining?

Oh, I think it was just stamina. My stamina has increased so much since The Shining. I mean, you really have to be strong for an entire day because the role required me to cry all day long, every day. And it was so difficult being hysterical for that length of time.

So how do you look back on that film? I mean, are you pleased to have done it?

I'm very pleased to have done it because I've learnt more on that picture and strengthened myself and broadened the scale that my emotions can reach, I think, more than any other picture I've ever done. And Stanley took the time to teach me.

—『シャイニング』でニコルソンと共演したシェリー・デュヴァルはロバート・アルトマンによって見出され、『ナッシュビル』や『3人の女』などに出演しました。彼女は『シャイニング』を終えて以降、アルトマン監督の『ポパイ』でオリーブ役を演じ、ロンドンではモンティ・パイソン・チームのテリー・ジョーンズ監督(注:テリー・ギリアム監督の間違い)『バンデッドQ』にゲスト出演しています。さて、彼女がこの国にいる間、私は彼女と話をし、神経質なスタンリー・キューブリック監督が彼女のシーンの1つを127テイクも撮らせたという当時強く流布していた噂について尋ねてみました。

おっと! (笑)分かりませんが、18回と言うべきだと思います。でも、わかりません、それはご想像にお任せします。

—さて、18はわずかに過小評価されており、127がおそらく真実に近いと仮定しましょう。テイクを何回もやるのはどんな感じですか?つまり、このまま続けて、最後にある種の新鮮さを生み出すことは可能でしょうか?

はい、可能です。面白いことに『シャイニング』の制作中に私が発見したのは、これまでの人生で、たとえば 15 テイク以上をやったことがなかったということです。だから、たくさんのことをすることができたのは私にとって大きな変化でした。でも、ある程度の回数をこなすと、それはちょっと消えて、さらに5テイクくらいすると自然に復活して、その頃にはもう手のひらを返すようにシーンがわかっていて、そこでミスをすることはなくなるし、自分がやっていること以外の現実をすべて忘れてしまいます。そしてそれは、まるで奇跡のようです。以前よりも良く出きていて、新鮮でもあります。

—『シャイニング』で演じる上で最も難しかったことは何ですか?

えっと、ただの体力だったと思います。『シャイニング』以来、私のスタミナは非常に増加しました。つまり、この役で私は毎日一日中泣く必要があったので、本当に一日中強くなければなりませんでした。そして、その期間にわたってヒステリックになるのはとても困難でした。

—それで、あの映画をどう振り返っていますか?つまり、やってよかったと思いますか?

この映画を撮ることができてとてもうれしく思っています。なぜなら、この映画からもっと多くのことを学び、自分自身を強化し、自分の感情が届く範囲を広げられたからです。私がこれまでに参加したどの映画よりも、自分の感情が届く範囲が広がったと思います。そしてスタンリーは時間を割いて私にそれを教えてくれました。

[BBC Oneで1980年9月29日に放送されたFilm 80から抜粋]

(詳細はリンク先へ:1980: SHELLEY DUVALL on working with KUBRICK and ALTMAN | Film 80 | BBC Archive/2024年5月24日




 時期的には『シャイニング』公開後、4ヶ月ほど経ってからのインタビューになります。日本での『シャイニング』の公開は1980年12月でした。

 さて、世の中には「○○警察」と言って頼まれもしてなければ、そんな権限もないのに身勝手な正義を振りかざし、他人を糾弾しないと気が済まない人たちが一定数存在します。まあ、そういう人たちは如何に自分が単に不満をため込んだだけのフトレスフルな惨めな存在であるかを、自分からわざわざアピールしてくれているわけですが、そんなことさえ気づかない哀れな人種はスルーするに限ります。SNSを見ると、それは日本人に限ったことではなく、外国人でもよく見かけます。そしてその俎上に上がりやすいのが「キューブリックが『シャイニング』においてシェリー・デュバルを苛め抜き、精神疾患へと追い込んだ」というものです。

 シェリーは『シャイニング』での経験を前向きに話すことはあっても(「女優として成長できたけど一度でたくさんだわ」と皮肉ったことはある)、それが現在の精神疾患の原因であるとか、キューブリックからパワハラを受けたとか、それについて訴訟を起こすとか一言も言ったことがありません。なのに世界中の「パワハラ警察」が誰も何も頼みもしないのに自主的に活動を開始、自身のストレスを身勝手な正義へと変換して日頃のウサを晴らす、という滑稽な状況が未だに続いています。

 このインタビューにある通り、シェリーにとって『シャイニング』での体験は大変なものではあったけれども、決して否定的に語るようなものではなかったというのが真実です。それはシェリーが求められている役柄にコミットするのに苦労したからであり(シェリーは幽霊など全く怖がらない、陽気で明るい性格だった)、それを演じさせようとするキューブリックにしても、ある程度シェリーに対して高圧的な態度にならざるを得なかった、という事情によるものです。『シャイニング』を注意深く観ていればわかりますが、シェリーが本気で怖がっているように見えないシーンがいくつかあります(キューブリックはそれを何度も指摘している)。個人的には「あのキューブリックがこの演技でよくOKを出したな」と思うほどなのですが、キューブリックは多少演技が演技臭くても、シェリーの持つ神経質そうでひ弱な(キューブリック曰く「苛められやすそうな人」)見た目の印象を重視したのでしょう。それは『シャイニング』の怖さのある一定部分が「苛められているシェリーの表情や悲鳴」であることを考えれば、成功したと言えるでしょう。

 さて、気になるシェリーの精神疾患の原因ですが、彼女は最近のインタビューでも多くは語っていません。上記のインタビュー後、ロンドンからハリウッドに戻ってからも順調にキャリアを積み重ねていたにもかかわらず、2002年以降ピタッと表舞台から姿を消してしまいました。その時期に何があったのかを知る術はありませんが、「身近な人に裏切られた」旨の発言もあります。とにかくはっきりしていることは、現在のシェリーの精神疾患と、『シャイニング』におけるキューブリックの態度(指導)を関連づける証拠は何もないという事実です。これは何度でも強調させていただきたいと思います。
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aco
画像引用:IMDb - A Clockwork Orange

 アンソニー・バージェスのSF小説「時計じかけのオレンジ」は、仲間と共に暴力犯罪を繰り返して刑務所に入った15歳の少年アレックスが、ルドヴィコ療法という人格矯正治療を受ける話です。映画監督のスタンリー・キューブリックが同名の映画を制作したことで世界的に有名な文学作品になりましたが、原作者のバージェスは後に執筆を後悔していたとのことで、その経緯についてスペインの大手新聞であるエル・パイスがまとめています。

 映画「時計じかけのオレンジ」では、クラシック音楽をバックに陰惨な暴力描写が繰り広げられ、世界中の観客に大きな衝撃を与えました。また、ルドヴィコ療法を受けて一時は暴力や性行為を想像すると生理的嫌悪感を覚えるようになったアレックスが、最終的には元の残虐な心を取り戻すという展開も、自由と管理社会の衝突に対する風刺的な側面が強いものでした。「時計じかけのオレンジ」というタイトルは、アレックスがルドヴィコ療法で強制的に道徳的人間に変えられたように、果汁や甘味がある生物に機械的な道徳を適用する行為を暗示しているとのこと。

 キューブリックの映画が世界中で話題となった後、新聞には「『時計じかけのオレンジ』強姦魔の一味を警察が追う」「『時計じかけのオレンジ』戦争で子どもが死ぬ」など、若者による苛烈な暴力や性犯罪を「時計じかけのオレンジ」と結びつける言説が増加したそうです。

 原作者のバージェスは、イギリスの小説家であるD・H・ローレンスの伝記「Flame into Being(存在の炎)」の中で、「(『時計じかけのオレンジ』の)誤解は死ぬまで私を追いかけます。誤読される危険性があったので、この本を書くべきではありませんでした」と、ローレンスの問題作「チャタレイ夫人の恋人」になぞらえて書いています。バージェスは、「バチカンで修道女がレイプされたら、新聞社から私に電話がかかってきます」と述べ、「時計じかけのオレンジ」のせいで自分が暴力の専門家扱いされてしまったと愚痴をこぼしています。しかし、バージェス氏は問題の根本は小説ではなく、キューブリックの映画の方にあると主張していました。

 1986年にアメリカで「時計じかけのオレンジ」が再刊された時の序文では、「私が初めて『時計じかけのオレンジ』という小説を発表したのは1962年で、世界の文学的な記憶から抹消されるには十分な過去であるはずです」と述べ、作品が大衆の注目を喚起し続けたのはキューブリックの映画の影響だと指摘。また、「私自身はさまざまな理由から、この作品と縁が切れたらうれしいと思っています」「不幸なことに、私の風刺的な本は原罪の毒気をまとった悪い卵のように臭かったため、多くの人にとって魅力的に映ったのです」と述べ、小説自体に芸術的価値はないと否定的な見解を示しています。

 映画の「時計じかけのオレンジ」が話題になる中で、バージェスは自然と映画の広報担当者的な役割も果たすようになり、いくつかの式典にも出席したとのこと。しかし、こうした活動はバージェスを疲弊させ、映画の主演を務めたマルコム・マクダウェルと2人でメディアの前に出て映画に関する論争について話させられた出来事もきっかけとなり、バージェスとキューブリックの関係は悪化したそうです。

 また、「時計じかけのオレンジ」はバージェスの原作小説もキューブリックの映画も大筋は同じですが、原作小説にある「第21章」ではアレックスが改心するパートとなっているのに対し、映画版にはそれがない点が大きな違いです。同じ小説版でも、アメリカで刊行されたバージョンには第21章が含まれていません。この理由についてエル・パイスは、「最後の部分がないのはアメリカ人編集者が介入した結果であり、その前のページで示された結果の方が示唆に富んでいると考えてその章を削除しました。キューブリックも同じように考えていたのです」と説明しています。

〈以下略〉

(全文はリンク先へ:Gigazine/2024年2月6日




 『時計』を批判されてからのバージェスの言い分はいつも同じで、曰く「あの本はクズ」「最終章を映像化しなかったキューブリックが悪い」です。実は批判が始まる前は「叔父を殺した人がいたとしても、それをハムレット劇のせいにすることはできない」と映画を擁護していましたが、突如として立場を180度変えてしまいました。このバージェス変節(同時期にマルコム・マクダウェルも変節)の原因はやはり「脅迫」以外に考えようがありません。三者に浴びせられた凄まじい批判と脅迫。それに屈したバージェスとマクダウェルは映画を批判することで矛先をキューブリックに向け、キューブリックは映画を英国国内で上映禁止にし、封印してしまいました。

 最終章については「主人公を好ましい人物にするように出版社の編集者に言われ、しぶしぶ付け加えた」が紛れもない真実です。バージェスは批判が始まるとこの一件を一切語りませんでしたが、そのことがバージェスの「批判の矛先逸らし」の心理を明確に裏付けていると考えます。キューブリックはこの事実を知っていたので、「何をいまさらイヤイヤ付け加えた最終章を持ち出して【これが真意】などど言い張るんだ?」とバージェスの裏切りに激怒しただろうし、生涯没交渉を貫いた事もこれで納得ができます。

 キューブリックはこのような経緯や事実を発表し、反論することもできはずですが、黙って映画を取り下げ、その後もこの件については黙して語りませんでした。おそらく無益な口論で時間を浪費するより、早く次作を作りたかったんだと思います。バージェスに依頼していた、ナポレオンの人生を交響曲に翻案した小説『ナポレオン交響曲』は受け取らず(バージェスは後にこれを出版している)、『バリー・リンドン』の製作に邁進するのはよく知られている通りです。
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 VOGUE JAPAN公式から『ニコール・キッドマンに73の質問 ─ 家族で暮らすオーストラリアの自宅/農場から」というインタビュー動画がありましたのでご紹介。

 キューブリックに関する質問は1つだけで、「キューブリックとの仕事は?」の問いに「最高の教授がいる大学のようなものだったわ」と応えています。キッドマンはキューブリックとの仕事に関しては非常に前向きな発言ばかりで、それは数々のインタビューからも伺えます。以下のリンクを参照してください。それにしても相変わらずお美しいですね。

【考察・検証】『アイズ ワイド シャット』のニコール・キッドマンのインタビューから、キューブリックの映画製作への取り組み方を考察する

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