※1950年3月、ルック誌の取材時に黒人ミュージシャンとセッションをするキューブリック。(クリックで拡大)
キューブリックはハイスクール時代、ドラマーとして数々のオーケストラやダンスパーティーなどで演奏していたそうだ。その腕前はというと当時のクラスメートによると、
「彼は、熱心に練習に来て演奏していた。スウィングやジャズ、流行の曲などを演奏している時が、一番練習に集中していた。驚くのは、練習に彼がカメラを持ってこなかったことだ。バンドに全力投球ていた。ドラムが上手だった彼はリズムをとるだけではなく、ソロもこなした」
(『映画監督 スタンリー・キューブリック』より)
と証言している。キューブリックは一時期はかなり真剣にジャズ・ドラマーになる事を考えたという。しかし後にツアーばかりのミュージシャンの生活を知るに及び、こんなに大変で体力的に厳しいならならなくてよかった、という旨の発言をしている。
キューブリックのこのドラマーとしての資質は映画製作にも活かされ、撮影時のアドリブを好み、まるで俳優とジャムセッションをするかようにアイデアの応酬を繰り広げていたようだ。その後の編集作業でもサウンドトラックと合わせたリズミカルな編集などにその影響が見て取れる。