キューブリック関連記事

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モデルグラフィックス 2024年10月号(amazon)


 モデルグラフィックス誌2024年10月号『2001年宇宙の旅:模型で巡るオデッセイ』で巻頭記事を書かせていただきましたので、ご紹介いたします。

 モデルグラフィックスはガンプラ(ガンダムのプラモデル・・・って言うまでもないか。汗)を中心にしたプラモデル雑誌です。その巻頭特集に昨今メビウス社によるプラモデル化で盛り上がっている『2001年宇宙の旅』を採り上げたい、つきましては原稿をお願いしたいとのご依頼でした。記事内容は基本おまかせだったのですが、『2001年』の名前は知ってはいるけど観たことはない、だけどプロップや特撮には興味があるモデラー向きにして欲しいとのことでした。文字数は約3400字でしたので、当初は「そんなに書けるかな」と不安だったのですが、いざ書き始めてみると「あれも書きたい、これも書きたい」となってしまい、後で大幅に削ることになってしまいました。

 本記事を執筆するに当たり、以下の点に留意しました。

・制作経緯を時系列でまとめる
・コンセプトやテーマは軽く触れる程度(字数制限のため)
手塚治虫の一件に触れる
・プロップ制作や特撮裏話をできる限り載せる
・加わったスタッフもできる限り紹介する
・『2001年』の特撮=ダグラス・トランブルという誤解を解く

 最後は特にこだわった点で、本誌掲載記事にある通りキューブリックは4人のメインスタッフの貢献度をわざわざ表明しています。これはトランブルがあまりにも突出しすぎていると考えたためで、それがトラブルになっていたからです。有名なのはオスカーの視覚効果賞をキューブリックが独占したことに対するトランブルの批判です。ですが、キューブリックの立場からするとトランブルは優秀なスタッフの「一員」だったのは確かではあるが、それと同等やそれ以上に貢献したスタッフはいるし、彼らはそれを声高に主張していない(控えめな性格だった)ことに対する配慮もあったかと思います。とにかくトランブルは「声が大きすぎる」んですよね。現在でも『2001年』の特撮=ダグラス・トランブルという誤解は世間一般に流布したままだし、『2001年』初心者も読むモデル雑誌でそれは良くないと思い、微力ながら私がそれを矯正(方向性の修正)をできればと思って書かせていただきました。

 キューブリックは自作の商品化に否定的で、存命中は頑なにそれを拒否していました。逝去後しばらくは宙ぶらりんな状態が続きましたが、現在は財団も設立され版権管理の問題もクリアになりつつあります(商品化できるのはワーナーが権利を持つ『2001年宇宙の旅』『時計じかけのオレンジ』『シャイニング』『フルメタル・ジャケット』の4作品)。特に『2001年』に登場する宇宙船のキット化は多くのファンが待ち望んでいたもので、発表のたびにSNS上では盛り上がりを見せていました。今回の特集はそれを踏まえての企画ですが、今後も多くの媒体でキューブリック作品が採り上げられる事を、いちファンとして期待しております。
【ご注意】当ブログの記事は報告不要でご自由にご活用頂けますが、引用元の明記、もしくは該当記事へのリンク(URL表記でも可)を貼ることを条件にさせていただいております。それが不可の場合はメールや掲示板にてご一報ください。なお、アクセス稼ぎだけが目的のキュレーションサイトやまとめサイトの作成、デマや陰謀論をSNSで拡散する等を意図する方の当ブログの閲覧、ならびに利用は禁止させていただきます。※当ブログはネタバレありです。





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画像引用:IMDb - Dr Strangelove

爆弾話はでっち上げ?

 1994年後半、映画『博士の異常な愛情』が 30周年を記念して再公開されたとき、メディアは監督のスタンリー キューブリック(元ルック誌のカメラマン)がニコンのカメラを使用して、白黒フィルムをフレームごとに個人的に修復したと伝えました。

 ニューヨーク・タイムズ紙と他の2つのニューヨークの日刊紙は、ニコンのこの修復物語を疑問視することなく報道しました。ただ 1 つ問題があります。90分の映画をスチルカメラで新品同様の状態に修復することは理論的には可能ですが、大量のフィルムとさらに多くの時間が必要になります。映画の10秒をコピーするだけで 250枚の写真撮影が必要になります。134,000フレームには536回の大量取り込みが必要です。

 しかし、それは本当でしょうか。『博士の異常な愛情』の物語はニコンにとって未知の情報であり、同社には相談されていませんでした。

 また、修復された『博士の異常な愛情』をリリースしたコロンビア・ピクチャー・レパートリーは、修復についての詳細を明かしませんでした。修復プロジェクトに近い、イギリスのハートフォードシャー州セント・オールバンズ(キューブリックの拠点)の情報筋によると、ニコンの話は完全に作り話だというのです。

 「マーティン・スコセッシがニコンの話の拡散に何らかの関与があったのではないかと考えています。ある時点で、私たちは『博士の異常な愛情』の修復にスチールカメラを使うことを考えましたが、どの程度真剣に検討したかはわかりません」と匿名を条件に情報筋は語った。「スコセッシはこのことを聞いて、インタビューで言及したのだと思います」

 オリジナルの『博士の異常な愛情』のネガは火事で失われてしまいました。しかし状態の良いインターポジは見つかりました。標準的な映画用複製機材を使用して再撮影され、新しいネガが作られ、そこから新しい劇場公開用プリントが作られました。

 キューブリックは確かにじっくりと細心の注意を要する修復プロジェクトに個人的に関わっていましたが、「長編映画をスチルカメラで修復するのは悪夢です」と情報筋は語っています。

ーエリック・ルドルフ




 『博士の異常な愛情』のオリジナルネガが紛失(焼失)したために、状態の良いプリントをカメラで一コマづつ撮影しネガを撮影。それが現在もネガとして4K化などあらゆる映像のソースになっていると信じていたのですが、どうやらそれは間違いであるようです。

 私もこの話を疑っていなかったのですが、フィルムの複製にスチルカメラが用いられる話は聞いたことがあったし、あのキューブリックだったら膨大な作業量も品質保持のためなら厭わないだろうと思っていました。ところが実際は状態の良いインターポジ(オリジナルネガから直接プリントしたポジフィルム)が見つかり、それを元にネガが作られたとのことです。

 可能性として考えられるのは、状態の悪いフィルムしか残っていないと知ったキューブリックがスチルカメラでの修復を決意し、その準備していたがインターポジが見つかったのでその作業はしなくて済んだ。だが最初の決定の話だけが一人歩きしてしまった、というものです。これは現実にもよくある話ですし、もし記事の内容が事実ならこの可能性が一番高いのではないでしょうか。

 ちなみに記事中に登場する「セント・オールバンズの情報筋」とは、キューブリックのアシスタントだったアンソニー・フリューインだと思います。彼がそう言うならそうなんだろうな、としか言えませんが、やたらと伝説化しやすいキューブリックのエピソードをこのように「現実化」してくれる彼の存在は大きいですね。

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Xで流れてきた記事の画像。出どころは不明ですが、内容から確度は高いのでは?という気がします。
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キューブリックのドキュメンタリー『ライフ・イン・ピクチャーズ』(2001年)で元気にインタビューに応えるシェリー・デュバル。

『シャイニング』や『ナッシュビル』など時代を象徴する映画での役柄で知られる女優が、20年を経て女優業に復帰した。しかし、彼女に何が起こったのだろうか?

〈中略〉

 20年以上もの間、デュバルさんのキャリアは停滞していた。 2002年の『マンナ・フロム・ヘヴン』が 最後の 映画出演で、その後、女優としてもプロデューサーとしても多彩で、大方の見方では成功したキャリアだったが、その理由は謎のまま引退した。最近彼女の名前を検索すると、最もよく出てくる質問は、「 シェリー・デュバルに何が起こったのか?」と「シェリー・デュバルはなぜ姿を消したのか?」だ。

 この根強い好奇心は 驚くようなものではない。自発的であろうと強制的であろうと、人目につかなくなるという行為そのものが、「ハリウッドの隠遁者」という比喩の核心であり、『サンセット大通り』や『何がジェーンに起こったか』などの古典映画で悲劇的な効果を出すために使われ、興味をそそり続けるからだ。

シェリー・デュヴァルも興味をそそられている。

「私はスターで、主役もやっていました」と彼女は厳粛に首を振りながら言った。 彼女は町の広場に車を停めて、チキンサラダ、キッシュ、甘いアイスコーヒーのランチをテイクアウトし、最後にパーラメントを一口吸った。彼女は声をひそめた。「みんなはただの老化だと思っているけれど、そうじゃない。これは暴力なの」

「暴力」について説明するよう促されると、デュバル氏は質問で答えた。

「本当に親切な人たちが、突然、」彼女は指を鳴らしながら言った。「あなたに背を向けたら、どう感じるでしょう? 自分に起こらない限り、あなたはそんなことは信じないでしょう。それが本当だと信じられないから、あなたは傷つくのです。」

「みんな、いつも没落の話に興味があるんだ」と、デュバルさんの30年以上のパートナーで、車の乗り降りを手伝ったり、時には家に戻ってくるよう懇願したりしているギルロイさん(76歳)は言う。デュバルさんを取り巻く憶測や噂、そして彼女の精神状態だけでなく体型についても語る彼の声には、疲れた調子がにじみ出ていた。

「インターネットでは『今の彼女を見て』『今の彼女の姿は信じられないよ』という声があふれています。有名人はみんなそういう扱いを受けます。」

 もちろん、彼が疲れを感じるのには理由がある。2016年、デュバルさんは昼間のトーク番組「ドクター・フィル」にゲスト出演したが、この珍しいテレビ出演は個人的に悲惨な結果となった。8年経った今でも物議を醸しているこのエピソードは、ギルロイ氏に知らせずに地元のベスト・ウェスタンで撮影されたもので、「数日後に町の人からそれが起こったことを知った」とギルロイ氏は語った。そのエピソードでは、デュバルさんが苦悩している様子が映し出されていた。

「私はとても具合が悪いんです。助けが必要です」と、ある動画の中でデュバルさんはフィル博士に話した 。フィル博士は「まあ、だからここにいるんです」と答えた。

 このエピソードのタイトルは「ハリウッドスターの精神病への転落:『シャイニング』のシェリー・デュバルを救う」だった。 デュバルさんは目を見開いて、2年前に亡くなった「変身する」ロビン・ウィリアムズからメッセージを受け取ったと主張したり、彼女に危害を加えようとする悪意のある力について話したりするなど、一連の奇妙な発言を続けた。この番組が公にされた目的は、精神病の人々をエンパワーし、偏見をなくすことだったが、スタンリー・キューブリックの娘ヴィヴィアンを含む多くの人が、この番組は搾取的で扇情的であると公に批判した。

 このエピソードは最後まで放送されなかったが、被害はあった。彼女の精神状態に関する疑問が浮上し、彼女はさらに内向的になった。

「彼女にとっては何の影響もなかった」とギルロイ氏は番組について語った。「ただ、彼女は変人として有名になっただけだ」

〈中略〉

 彼女の失踪は、噂されていたように、何年も前に『シャイニング』の撮影現場で受けた扱いが原因で長引いた精神崩壊が原因ではなかった。実際、彼女はロンドンでの1年間に及ぶ緊張した撮影やキューブリック氏への尊敬について、今でも良いことしか語らない。むしろ、彼女の失踪は、2つの出来事の感情的な影響によるものだと、より正確には言えるかもしれない。1つは、ロサンゼルスの自宅が被害を受けた1994年のノースリッジ地震、もう1つは、30年前に故郷のテキサスに戻るきっかけとなった、兄弟の1人が病気になったことによるストレスだ。

 これは名声の呪いによるものとも言えるだろう。有名になるだけでは十分ではなく、絶えず火を燃やし続けなければなりません。あまり長く放置すると、特に業界で女性として「年齢制限」に達し始めた場合、キャリアは衰退する。

 1982年、『シャイニング』で有名になってから2年後、 デュバルさんは自身の制作会社プラティパス(後にシンク・エンターテインメントという別の会社も設立)を設立し、子供向けテレビ番組、特に『フェアリー・テイル・シアター』を制作しました。各エピソードには、ロビン・ウィリアムズ、クリストファー・リーブ、キャロル・ケイン、バド・コート、バーナデット・ピーターズ、ミック・ジャガーなど、豪華キャストが出演しました。全体的な印象はバロック調の楽しさで、タイム誌 が「古典物語におしゃれでウィットに富んだひねりを加えた」と評した通りでした。

 「それは船長のようなものです。正しい方向に舵を取らなければなりません」と彼女はプロデュースについて語った。その豊かな創造の時間や、各プロジェクトのために行った綿密なリサーチについて語るとき、彼女の目は輝いていた。

 「素晴らしい人たちと一緒に仕事をしました。もちろん、ロバート・アルトマンにエピソードを監督してもらいました」と彼女は言う。「彼はいつも私のためにいてくれました」

〈中略〉

 しかし、『シャイニング』は、このジャンルで最も象徴的な作品の一つとなった。キューブリック氏は、アルトマン氏の『三人の女』で彼女を見て、彼女を自分の映画に起用することを思いついた。

「彼はこう言ったんです。『君の泣き方が好きだよ』」

 撮影は過酷なものだったが(キューブリック氏は俳優たちに各シーンで何百回もテイクをこなすことを要求したことで知られている)、彼女はその経験を懐かしく思い出している。 キューブリック氏とデュバルさんは休憩時間にチェスをし、撮影クルーはタバコを吸いながらビッグマックを食べながら座っていた。

 彼女は最終版を見たときにどれほどショックを受けたかを思い出した。「撮影を見ていなかったシーンもありました。廊下の端に二人の女の子がいて、二人が離れていくシーンを覚えていますか? 二人の後ろに何がいるかわかりますか? あれは怖かった、とても怖かった」

 当時の批評家たちは彼女の演技を酷評し、彼女は最低女優賞のラジー賞にノミネートされた。しかし、彼女の反応の真実味、彼女のこの世のものとは思えない雰囲気が観客の共感を呼んだ。

〈中略〉

 この弱さとオープンさ、そしておそらく純真さが、彼女に不当な扱いを受けやすくした。80年代に入るとデュバルさんの役柄は変化していった。もはや若くてほっそりとした純真な女性ではなく、より成熟した役柄に配役された。ある意味で、彼女はテレビ番組をプロデュースし、その中に演技の機会を組み込むことで、前進したのだ。

 彼女はショー『フェアリーテイル・シアター』と『シェリー・デュヴァルのベッドタイム・ストーリー』の成功に続き、1990年にディズニーのテレビミュージカル『マザーグース・ロックンライム』をプロデュースしました。そこで彼女はミュージシャンであり、サウンドトラックの一部を作曲し演奏したグループ「ブレックファスト・クラブ」のメンバーであるギルロイ氏と出会い、恋に落ちた。

 夫婦は畑に囲まれた素朴な平屋に10年以上住んでいる。 「私たちにとっては小さなオアシスです」とギルロイさんは言う。

 確かに隔離された静かな環境だ。ギルロイ氏の制作途中の絵画がリビングルームのイーゼルに立てられ、ギルロイ氏とデュバルさんが愛情深く微笑み合う古い写真が石造りの 暖炉の上のマントルピースに飾られている。周囲にはファンからの手紙が山積みになっている。

「ロサンゼルスで過ごした数年間は本当に素晴らしかった」とギルロイ氏は言う。「地震の後、テキサスに引っ越したときは最高だった。でも、娘がいろいろなことを怖がり始め、働きたくなくなったときから状況は悪化した。原因をひとつに絞るのは本当に難しい」

 かつては想像力の豊かさを称賛されていたデュバルさんは、今やその想像力に悩まされている。「彼女は被害妄想に陥り、自分が襲われていると思い込んでいました」とギルロイ氏は言う。「彼女はFBIに電話をかけようとしたり、隣人に私たちを守るよう頼んだりしていました」

「突然、いつもの調子から、このように悪化したのは、ただショックでした」と彼は付け加えた。

〈中略〉

 彼女はキャリアのハイライトについて語るのを喜んでいるが、過去のより困難な側面について話すように促されると、詳しくは語らない。

「すごいわね、見て」と彼女はベビーカーに乗せられて歩道を歩いている小さな犬を指差しながら言った。「笑っててよかったわね。私がロサンゼルスから連れてきた9匹の犬が、あそこの通りで全部死んだって知ってる?」

 ペットはデュバルさんの生活の中で常に大きな部分を占めており、現在はオウム3羽、猫数匹、そしてパピーという名の老犬を飼っている。帰宅途中に痩せたロバの群れのいる畑を通りかかると、デュバルさんはよく立ち止まって金網越しにサンドイッチ用のパンを数切れロバに与える。デュバルさんの自然界との生来のつながりが、不思議さを感じさせてくれる。

 デュバルさんは車で家に帰る途中、 時折、くすぶっているタバコを握った手を窓から出して、ロードキルに向かって身振りをしたり、くちばしのように滑稽にパチパチと鳴らしたりしていた。

時々彼女は完全に視界から消えてしまうこともあった。

(全文は引用元で:The New York Times/Shelley Duvall Vanished From Hollywood. She’s Been Here the Whole Time.




 「シェリー・デュバルに何が起こったか?」答えはこの記事にある通りです。

 記事にあるフィル博士のTVショーがネットで話題になった時、私は直感的に「これはキューブリックのせいにされるな」と思い、実際その通りになりました。『シャイニング』の公開は1980年、シェリーの精神疾患の発病は2000年代に入ってから。その間の約20年間、シェリーは女優やプロデューサーとして活躍し、2001年にはキューブリックのドキュメンタリー『ライフ・イン・ピクチャーズ』に出演して元気な姿を見せていたのはファンならよく知るところです。そんな経緯を知りもしなければ、知ろうとも(調べようともしない)しないTwitter(現X)で流れてくる情報がこの世の全てだと考える幼稚で哀れな大衆が、小学生並みの安直な思考力で「キューブリックが悪い!」「キューブリックのせいだ!」と騒ぎ散らかし、現在もなおその程度の知能を披露して恥をかき続けているのに全く気づいていないという状況が続いています。中には「時間が経過してから発症する場合もあるのでは?」などと専門家顔負けの知識をご丁寧に披露していただいた方もいるのですが、「それはどういう症例ですが?」と尋ねれば「そんなの知りません!」と逆ギレするでしょう。まあその程度、なのです。

 それに加えキューブリックを話題に出し、その内容がより刺激的であればあるほどアクセス(インプレッション)が稼げる可能性が高いというのもあり、知っていながらわざとデマを撒き散らすゾンビ達も暗躍し、いったん流布された「それっぽい嘘」は訂正するのにかなりの時間と労力を必要としてしまいます(「それっぽい嘘」の有用性に気づいたのがチョビ髭政権ですね)。ですので、こういった根も葉もない嘘(噂話ですらない)で被害者が出てしまう前に、やはり打つべき手は打っておかなければなりません。もちろん被害者とはシェリーであり、キューブリック(の名誉)です。

 繰り返しますが、記事にある通りキューブリックによるシェリーの態度は決して友好的ばかりであったわけではありませんし、時には激しくぶつかり合ったのは事実です。でもそれは「より良い作品を作る」というクリエイティブの現場ではよくある話だし、キューブリック特有の厳しさはあるにせよ、この作品が制作されたのが「昭和」であることを考えれば、特筆すべき出来事でもなかったことはこの時代を知っている人ならすぐに理解できるでしょう。

 ですが、この記事を一読し不安に感じたのも事実です。それはシェリーの「挙動不審」。もしシェリーの身に何かが起これば・・・そうなれば「キューブリックがシェリーを●した」という言説がSNS上を覆うであろうことは日の目を見るより明らかです(ここで予言しておきます)。もちろんそれは前述したように小学生並みの安直な思考力しか持たない哀れな大衆と、それを扇動しインプを稼ごうとするゾンビ達によってもたらされます。そうなった時、この記事がソースとして有用に機能することを願ってやみません。
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現在はこの画像に差し変わっている(画像引用:IMDb - Full Metal Jacket

「BORN TO KILL」を削除することを決めたのは誰でしょうか? フィリップ・キャッスルの象徴的な芸術作品を変更しただけでなく、そこにそれが存在する意味を完全に誤解しています。ジョーカー二等兵は、「BORN TO KILL」とピースボタンが付いたヘルメットをかぶっていますが、これは「人間の二面性」についての声明です。

(引用:X@MatthewModine


これを引用し、管理人がコメント

『フルメタル・ジャケット』でジョーカーを演じたマシュー・モディーンがアマゾンプライムビデオの「BORN TO KILL」を削除したことに抗議。今のところトップ画像だけの模様。ポリコレもここまで来るともはやファシズム。

(引用:X@KubrickBlogjp

マシューの元のポストに投稿された他の方の指摘によると

(1)画像に文字が入っていると上に文字が乗った際に見辛くなるので消しただけ
(2)画像に文字を入れるのを許可すると、権利元が宣伝コピーを入れた画像を載せようとするから禁止というルールがAmazonにある。

との理由が示されていますが、このコメントはAmazonからの公式な説明ではない(関係者か事情通かも不明)ことに注意が必要です。その上で、この説明に説得力がないことを以下に示します。

(1)ならば「Born To Kill」の文字をぼかせば済む話だし、その方が手間もかからず簡単。もっと言えばシーンの画像(宣材写真)と入れ替えれば良い(現状はそうなっている)だけであって、であればなぜPhotoshopなどで文字を「消去」し、消した跡が不自然にならないようにきれいに「加工」してあるのかの説明にはなっていない。

(2)これも(1)同様に、わざわざ「Born To Kill」を手間をかけて消去した理由にはなっていない。画像差し替えで十分に対応可能。

この問題の悪質な点は、このヘルメットのキービジュアル(キューブリックがアイデアを出し、フィリップ・キャッスルがイラストを描いた)の、「Born To Kill」の文字がないバージョンを初めてみた際、それをそのまま受け入れてしまう危険性がある、という点です。それぐらい自然な形で「消されて」います。かつての北の大国で、粛清者が写った写真の該当部分を自然な形で消し去った有名な話がありますが、それに似た「恐ろしさ」を感じます。繰り返しますが、もし「指摘者」の言う通りなら「Born To Kill」部分をボカす(これも良くないが、少なくとも「見せてはいけない何かがあるな」というのは伝わる」)か、他画像に差し替えれば問題は解決です。ですがAmazonはわざわざ画像加工の手間をかけてまで作品を「改竄」したのです。これはプラットフォーマー(権力者)が、パフォーマー(表現者)の意図を捻じ曲げて、自分の思想に都合の良い情報だけを大衆に伝えようとする「作為」の可能性を疑わざるを得ません。もしそれが誤解だと言うのなら、上記の(1)(2)の説明が説得力を持っているはずです。ですが、私には全くそれは感じられませんでした。

 また、これはAmazonだけの問題ではなく、行き過ぎたプラットフォーマーの「検閲」「干渉」によってオリジナル作品が台無しにされている現状があります。ハリウッドでも度々話題になっており、日本では自殺者まで出す騒ぎになったのは記憶にも新しいところです。これが単に「読みやすさの優先や過剰な宣伝をさせないための方策」なのか、「ハリウッドに巣食うある勢力の圧力に屈した結果」なのか、私たち映画ファンは絶対に無関心であってはいけません。また、プラットフォーマー(権力者)側の言い分を鵜呑みにしてはいけません。それは映画の未来(過去や歴史も)を左右する大きな問題だからです。故に常に注視する必要があるのです。故の過激な私のコメントです。

 なお、現在該当部分は宣材写真に差し替えられています(最初からこうすべき)が、現在に至ってもAmazonはこの件に関して正式なコメントは出していません。不誠実極まりないですね。

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〈前略〉

『2001年宇宙の旅』を見て、脳天に一発食らった、痺れて立てないくらい。

 『2001年宇宙の旅』(1968年)は、SF作家になりたくてしょうがなかった頃に観た映画。SF映画を作りたいっていうんじゃなくて、「SFで一生いきたい」と思ったわけ。高校生だったからね。当時は“シネラマ”って言ってたんだよね、70ミリ映画。スクリーンが横に倍あるんですよ、異様に横長の世界。はっきり言って当時の70ミリ映画っていうのは、ドラマがどうこうじゃなくて単純に“見世物”だったんですよ、当時の認識は。

 確か東京ではテアトル東京でしか上映してなかったと思うんだけど、そこに観に行った。当時はもちろんSFの知識があったから、アーサー・C・クラークももちろん読んでた。(スタンリー・)キューブリックは知らなかった(笑)。で、封切になってすぐ行ったんですよ。映画館の前にモノリスが立ってましたからね。

 かなり前のほうの席で観たので、首がね……スクリーンが大湾曲してて。宇宙船がね、しなってるんですよ(笑)。だからまともな映画観賞っていう感じじゃないんですけど、感動したの。めちゃくちゃ感動した。脳天に一発食らったっていう、痺れて立てないくらいだった。

 いま思うと何をそんなに感動したのか良くわかんないですけど、ただ間違いないのは“音楽”にやられた。観た翌日にレコードを買いに行ったの。それははっきり覚えてる。電車に乗って、隣街かなんかだと思うんだけどレコード屋さんに行って、探して買った。で、その時に店にいたお姉さんがとっても素敵な人で、高校生だった私に懇切丁寧に応対してくれて、なおかつ「素敵なジャケットね」っていうさ。「ツァラトゥストラ聴くのね、キミ」っていう。すっかり舞い上がっちゃって、しばらく通った(笑)。

 昔はさ、レコード屋のお姉さんっていうのが一ジャンルだったんですよ。高校生だから、クラスの女の子とかじゃなくて、ちょっと年上の素敵なお姉さんに一発で痺れたんですね。しかも優しくしてもらったもんだから舞い上がって(笑)。

CGでは“空気”は映らない、模型作って撮った意味がある

 この映画の正体が分かったのは、初めて観てから30年くらい経ってから。人間の進化の歴史とかに興味を持って、自分でそういう本を書いたりして。要するに狩猟仮説ってやつだけどさ、「人間はなぜ人間になったか」っていう。そういう思想的背景っていうか、そのまんま映画にしたような、そういう映画ですよ。ストーリーがすごいとか、ドラマがすごいとか、役者さんがすごいとか、そういう映画じゃないんですよ、思想そのものっていう。それは解るまでにずいぶん時間がかかった。

 それなりに本を読んだり、勉強したりしないと、この映画のバックグラウンドって分からないですよ。単純にビジュアルがすごいっていうさ。こういう映画って、いまCGでもできないですから。でっかい模型作って撮った意味があるんです、確かに。CGでこれやったらもっとすごいものができるだろと思ったら大間違いでさ。CGって空気は映らないから。だから僕はね、これはCGがない時代にこれを作ったっていうことのすごさっていうものが、いまだにあると思う。CGっていうのはあっという間に古くなるんだけど、どんな表現でも。アニメーションと一緒で、人間の手が作ったものってね、最後まで妙な迫力があるんですよ。作画でやったアニメーションって30年経ってもね、ある種の迫力がある。説得力がある。

 だからこの映画は、僕の中のSFってものを舞台にした、いちばん多感だった時代の青春みたいな、ものすごく恥ずかしい……記録(笑)。いま観たら全然違う映画ですよ? 当時は何を観てたんだっていう。だから映画って、再会しないとダメなんですよ。何十回観たってね、それから30年経って観たらびっくりするくらい違う。本当にいい映画の場合はね。

宇宙空間を感覚的に表現した、初めての映画

 この映画を観て「良い」っていう人間の半分以上は、たぶん音楽で覚えてるんだと思う。それぐらい強烈だった。宇宙空間っていうものを表現するのにね、ツァラトゥストラ(※「ツァラトゥストラはかく語りき」)と、あとはワルツの「美しく青きドナウ」っていうさ。宇宙空間を感覚的に表現した、初めての映画ですよ。広がりとか、虚無感とか、静寂とか。

 宇宙って、いちばん表現しにくいもののひとつなんですよ。宇宙の表現って、映画が後々になればなるほど上手くなるかっていうと、そうなってない。いまだにこれを超えるような宇宙空間の迫力っていうか存在感っていうかね、そんな映画ってたぶんないと思う。

 SFでもあるんですよ、宇宙を言葉でどう表現するか? っていうさ。初めて宇宙を日本語にした、光瀬龍っていう作家が大好きなんですけど、彼の最大の功績だと言われてますよね。映画で言えば、この映画です。宇宙の存在感みたいなものをこれ以上に表現できたものは、たぶんいまだにないと思う。本当にエポックメイキングな映画っていうのは、そういうことを指すんですよね。全く違う次元の体験を作り出しているという、これはとても大事なことなので。映画の本質みたいなものだから。生涯に一本でも作れたら……大体無理なんだけど、僕は40年近く映画作っているわけだけど、そこまでは全然いってないですよね。そういうものをいつか作りたいっていう野望はあったとしても。

〈以下略〉

(全文はリンク先へ:BANGer!!!/押井守が語る映画体験「映画は一期一会じゃない、再会するもの」インタビュー/2019年2月1日




 押井守氏が『2001年宇宙の旅』に言及していたのは過去に何度か目にしていたのですが、ここまで当時の思い出と、『2001年…』に対する想いを素直に、赤裸々に語ったインタビューは初めて目にしました。また、昨今のCG中心の映画づくりに関しても非常に的確な指摘をされていて、非常に興味深かったです。

 管理人の個人的な「押井体験」は『うる星やつら』のTVシリーズですね。その後の『パトレイバー』『攻殻機動隊』はアニメに興味を失くしていた時期なのでリアルタイムでは観ていません。その頃の印象的な押井氏の発言に「ジャパニメーションって海外で本当に言われているの?誰か確かめてみたひとはいるの?」(出典不明・記憶曖昧)というものがあります。確かに当時の「ジャパニメーション」というワードは宣伝効果を狙った「一人歩き」の疑念(「全米が泣いた!」的な)がつきまとっていて、管理人も言われていたような海外のムーブメントには懐疑的でした。しかしそれも「アニメ」というよりなじみのあるワードが全世界規模で定着するに至って、杞憂に終わったようです。

 その「アニメ」を世界規模に広げた功績に押井氏の果たした役割は非常に大きいと言えます。まあ、それは門外漢の私が語ることでもないでしょう。ただ、個人的な望みとしてギャグとパロディ満載のドタバタアニメをもう一回くらいは作って欲しいな、と思っています。
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