ルック社カメラマン時代

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 キューブリックのルック社時代の写真は全てニューヨーク市立博物館が収蔵していますが、このように世界各地で要請があれば展覧会も開催しています。上記動画にはその様子が収められていますが、やはり実物をこの目で見てみたいものです。日本でもどなたか手を挙げていただけないでしょうか?客の入りはこの私が保証します(笑。いや、でも「見たい」って方、多いと思うんですけどね。展覧会と同名の写真集が発売になっていますので(詳細はこちら)、とりあえずはそれで我慢するしかないようです。

 ところで、キューブリックの「ルック社でフォトジャーナリスト(ヤラセ込み)をしていた」という出自は、映画監督になっても同じスタンスで制作していたように思えるんですよね。

 フォトジャーナリストは

・撮影に値する出来事を狙う(起きなければヤラセ手法を使う)
・たくさんのショットを撮って、その中からベストのショットをチョイスする

というのが仕事の定石です。キューブリックがセンセーショナリズムを得意としていたウィージーのファンだったのもそうですし、『博士の異常な愛情』のピーター・セラーズの演技を高く評価していたのも「撮影に値する出来事を起こせる役者」ということだと思います。同じことはマルコム・マクダウェルやジャック・ニコルソン、リー・アーメイにも言えますね。それに(スチール)カメラマンと仕事をしたことがある方なら、採用ショットの裏には大量のボツショットが存在しているのをご存知だと思います。これらのことは、まさにキューブリックが映画撮影の現場で行なっていたことと全く同じです。

 世界中のファンの間で、こういう考察がなされているのかはわかりませんが、少なくともこの点を(はっきりと)指摘している日本語の論を私は見たことがありません。キューブリックのカメラマン時代については、主に構図の鋭さや被写体に対する視点ばかりで、こういった方法論的な話はなかったように思います。今後、この論点で記事をまとめてみたいと思っています。

 上記展覧会はポルトガルのカシュカイシュ・カルチャーセンターにて現在開催中。期間は5月22日までです。ポルトガル在住のキューブリックファンの方、いらっしゃいましたら、ぜひのご訪問を。
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ベレニス・アボット(1898-1991)
アメリカ人アーティスト

 1918年オハイオ州生まれ。当初は彫刻を学んでいたが、アメリカの前衛芸術家と交流し、1921年にはパリのスタジオでマン・レイの助手を務め写真の世界に転身した。著名な芸術家や作家を撮影した彼女のポートレートは、スタイルは違えどその独創性とインパクトは師匠のそれに匹敵するものだった。ベレニスは、歪曲や二重露光といった流行の実験的手法を拒否し、自然なポーズをとる「ストレート」な写真を選んだ。フランスの前衛写真家ウジェーヌ・アジェの作品に出会い、1927年に彼のアーカイヴを入手した。アジェの国際的な名声が確立されたのは、ベレニスの功績が大きいだろう。

 ニューヨークに戻った彼女は、ドイツ難民の写真家ロッテ・ヤコビをはじめとするアーティストたちの仲間入りをしポートレート撮影の依頼を受けるようになる。1934年から58年にかけては、ヤコビが版画を学んだニュースクール社会研究科で写真を教えたこともある。

 ニューヨークでは、ニューディール時代に変わりゆく街の姿を記録した彼女の最も有名な作品に取り組んでいく。1929年から35年にかけて大判カメラで独自に撮影し、後にWPA(全米作業進歩局)の資金援助を受けた彼女は、街の目もくらむばかりの鳥瞰図や虫眼鏡のような光景をとらえた。突き出た超高層ビル、高くそびえる駅や橋、シャープなアングル、モダニズム的な構図で新旧の対比を表現し、このダイナミックな時代を記録している。

 ニューヨーク市立博物館には、300点を超える彼女の「変わりゆくニューヨーク」の写真が収蔵されている。『Murray Hill Hotel, Spiral』(1935年)や『City Arabesque』(1936年)は、その代表的な作品だろう。

 1947年から1959年まで「ハウス・オブ・フォトグラフィー」を経営し、先駆的な「オートポール」(伸縮式照明柱)を含む写真機材の販売と発明を行った。 最後の仕事は、科学の教科書の挿絵を描くことだった。

 1935年以降、ベレニスはパートナーの美術評論家エリザベス・マコーランドとともに、グリニッジ・ヴィレッジとメイン州に住んだ。

(引用元:Hundred Heroines - Berenice Abbott




 「キューブリックのカメラの師匠はダイアン・アーバス」などというソース不明の情報がまことしやかに流布されていますが、まずソースが確実なウィージーや、そしてこのベレニス・アボットについて誰も触れない、というのはどうしたことなんでしょう?

 キューブリックがこのベレニス・アボットを高く評価していたと語ったのはほかでもないクリスティアーヌですが、なるほどそれがこの動画でよくわかります。上記の説明には「歪曲や二重露光といった流行の実験的手法を拒否」とありますが、キューブリックもそういった小手先の「まやかし写真」には興味を持っていなかったことは自身が撮影した写真を見れば一目瞭然ですし、ウィージーも「ストレート」な表現のカメラマンであったことを考えても納得できます(詳細はこちら)。

 上記にはマン・レイの名前も出てきますが、キューブリックはマン・レイが製作した『金で買える夢』にエキストラで出演しています(詳細はこちら)。ですので、当時ヴィレッジで勃興していた前衛アートシーンに首を突っ込んでいたのは確実なのですが、キューブリックはこの当時の前衛映画を「技術的に未熟」と一蹴し、ストレートな表現を好みました。それは後年映画監督になってからも同じで、視覚的に技巧に走りがちな「幽霊」や「夢」の表現も二重露光、半透明などの技巧に走らず、ストレートに映像にしています(例外はスターゲート・シークエンスくらい?)。キューブリック作品に古さを感じさせないのは、そういった「当時流行りの技巧」を取り入れなかったことも大きいと思うのですが、キューブリック自身どこまでそれを計算していたのかはわかりません。本人に言わせれば「単に技巧が嫌いで、ストレートな表現が好きだっただけだよ」と言いそうではありますが、狙ったのか結果オーライなのかはともかく、本人の志向を知るにはこういった周辺情報は重要な手がかりだと思っています。
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スタンリー・キューブリック写真展『Through a Different Lens: Stanley Kubrick Photographs』のエントランス。

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会場になったロサンゼルスの「スカーボール文化センター」

 以前この記事でお知らせしたキューブリックのルック社時代の写真展『Through a Different Lens: Stanley Kubrick Photographs』が2019年10月17日から2020年3月8日まで、ロサンゼルスのスカーボール文化センターで開催中です。そのレポートがロサンゼルス在住のShinさまより届きましたのでご紹介いたします。

 キューブリックの写真展『Through a Different Lens: Stanley Kubrick Photographs』に行って参りました。実際のキューブリックの写真の数々、ルック誌の実際の写真の掲載号を見ることができ、大感動でした。キューブリック監督の写真展といっても、白黒写真なのであまり人は来ないであろうと思っていましたが、そんなことはなく、老若男女数多くの人が来場していました。土曜日ということもあるかもしれません。規模は数年前のキューブリック展と比べると小さいですが、多くの写真と雑誌、詳細な解説が充実していて、私が今まで見たことなかった写真も多数ありました。さすがキューブリック、全ての写真が構図が完璧で、計算し尽くされ、美しかったです。

 特に感動したのは、ルックに初めて掲載されたニューススタンドでルーズベルト大統領死去の報を見る従業員の写真の、実際の雑誌掲載ページです。印象深かったのは「靴売りの少年」、「車を修理する男とその側に立つ女」などなど。また、ルック誌の巻頭ページに掲載された19才のキューブリックの天才ぶりを讃える記事は必見です。彼の才能を写真入りで褒め称え、最後に「空き時間には映画撮影の実験をし、ドキュメンタリー映画を作る日を夢見ている」と書かれています。なんという先見の明でしょうか、素晴らしいです。なんと言っても、キューブリックの写真が生で見れたこと、雑誌にちゃんと「キューブリック撮影」と写真の下にクレジットされているのを見ることができて感動しました。一時間ほどたっぷりキューブリックを堪能出来ました。ぜひこれを日本でも開催し、多くの日本人に見て頂きたいと思いました。


 以下はShinさまが撮影した写真です。キャプションは管理人が追記いたしました。

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会場の雰囲気。やはり写真は写真集ではなくプリントで観てみたいもの。

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右下に一回り大きく掲載された、キューブリック初のルック雑誌掲載作品。キューブリックはこのときまだ16歳。

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後のドキュメンタリー『拳闘試合の日』の元になったカルティエ兄弟の試合記事。

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指揮者レナード・バーンスタインの若き日の取材写真もキューブリック。

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ドアに口紅で書いた「I HATE LOVE」。これはのちの『シャイニング』の「REDRUM」?

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19歳の「ベテラン」カメラマンと紹介されている。当時キューブリックは社内で天才少年と呼ばれていた。

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「How a Monkey Looks to People・・・」ときて、

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「・・・and How People Looks to a Monkey」となる。猿に檻はなく、人間を檻に入れたキューブリックの皮肉な視点はすでに顕著だ。

 キューブリックのルック社時代の写真は、一括してニューヨーク市立博物館が収蔵しています。過去に写真展はイタリアのジェノバオーストリアのウイーンでの開催実績がありますが、昨年ニューヨークで開催された際『Through a Different Lens: Stanley Kubrick Photographs』というタイトルになり、今後はこのフォーマットで開催されるようです。またこれは写真集のタイトル(全ページを動画でご紹介しております)でもあります。展示はこの写真集に掲載された写真が中心ですが、それ以外もあるようですし、実際の掲載誌を見る機会はこの展覧会以外にありえません。

 そうなると俄然期待してしまうのは日本での開催ですが、レポートにもある様に比較的小規模の会場でも開催可能なので、関係者のみなさまには実現をぜひお願いしたいですね。

レポート・写真提供:Shinさま(Skirball Cultural Centerより掲載許可済み)
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 キューブリックのルック社時代の写真を集めた写真展『Through a Different Lens: Stanley Kubrick Photographs』が、ロサンゼルスのスカーボール文化センターで2019年10月17日〜2020年3月8日の期間で開催されるそうです。昨年ニューヨークで開催されたものと同じような展示になると思いますが、写真を収蔵するニューヨーク市立博物館は作品の貸し出しに応じている様なので、日本でもぜひ開催して欲しいですね。

 公式サイトはこちら。写真を収蔵しているニューヨーク市立博物館の公式サイトはこちら、同名の写真集を紹介した記事はこちらです。
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左側の女性が当時のキューブリックの妻、トーバ・メッツ。(引用元:ニューヨーク市立博物館『Life and Love on the New York City Subway [Woman in a subway car.]』

 キューブリックは自作品に自分の身内をよく登場させていますが、それはルック社でカメラマンとして在籍していた頃からだったようです。

 キューブリックが1946年に撮影した、ニューヨーク地下鉄での人々の様子を写した写真シリーズ、いわゆる『地下鉄シリーズ(Life and Love on the New York City Subway)』に、キューブリックの最初の妻、トーバ・メッツが写った写真がありました。おそらくキューブリックはトーバを何らかの役割(仕込み)をしてもらうために地下鉄に呼んだのだと思いますが、『地下鉄シリーズ』でトーバが写った現存する写真はこれ一枚のみのようです。

 ちなみに、トーバはキューブリック劇映画処女作『恐怖と欲望』に台本監督として参加していますが、映画にもカメオ出演しています。しかし、この後二人は離婚。キューブリックは1955年にルース・ソボトカと再婚しました。しかしこれも長続きせず、やがて別居、最終的にクリスティアーヌ・スザンヌ・ハーラン(クリスティアーヌも再婚で、子連れ再婚となった)と結婚し、生涯を共にすることになります。三回も結婚を繰り返したキューブリックの家族・親族関係はややこしいので、家系図を作っています。参考までににどうぞ。
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