キューブリック作品論

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 公開当時の批評によると「退屈だ」、「人間描写に乏しい」など評判が悪く、そのせいか興業成績もよくなかった作品だが、今日見返してみると、キューブリック作品の中では格段に見やすく、ドラマティックで重厚なストーリーになっている。長編の小説をまとめたため、全体にかけ足でエピソードをたどっているのが変えって心地よいテンポを産んでいて、3時間の長さを全く感じさせない。内容も決して難解ではなく、キューブリックもアメリカから渡ってきてた際に直面しただろう、イギリスの階級社会に対する皮肉もかなりあからさまだ。

 キューブリックは本作の前にナポレオンの生涯を映画化しようとしたが、様々な事情により中止に追い込まれている。『ナポレオン』で目指した「絵画のように振り付けられた戦争」や「18世紀の人々の日常を切り取る」という目的は、スケールダウンしながらも、ある程度本作品で達成されたように思う。だが、それだけでなく、美しい衣装や調度品に囲まれながら暮らす醜悪な人間達の物語は、充分キューブリック的で、決して「スモールサイズ・ナポレオン」ではない。同じ歴史大作物として、『スパルタカス』と比較してみると面白いかも知れない。いかに『スパルタカス』が、キューブリックの意に沿わないものであったかが、良く分かる気がするからだ。

 キューブリックは映像に自然な美しさを得るため、NASAが人工衛星用に開発したF値0.7というレンズをミッチェル・カメラにくっつけて、蝋燭の光だけで室内を撮影したのを始め、一切の人工光を排除している(18世紀に人工光は存在しない)。庭園のシーンや池遊びのシーンなどは、まるで絵画を見ているかのような錯覚に陥るほど、緻密に計算され、洗練された映像に圧倒される。現在のDVDと大画面TVの時代はこの作品には追い風となった。是非この圧倒的な映像美を思う存分堪能して頂きたい。

 決闘によって幕を開け、決闘によって幕を閉じるバリーの物語は、結局400ギニーの年金と引き換えに片足を失っただけの、とても空虚なものだった…。キューブリックはこの物語を、所謂「悪党冒険譚」としてバリーを一元的な悪党に描くことはしないで、「身分や階級を問わず、全ての人間は適当に善人で、適当に悪人である」という醒めた視点で、淡々と物語を綴っていくという方法を採用した。それが劇的な興奮をを求める評論家や観客達を失望させる結果となったが、そのアプローチは決して間違っていない思う。時代は違えど、人間のやる事に過去も現在もさしたる違いありはしないのだ。 

 武士の日常を淡々と描写する映画を構想していた黒澤明は、本作品を観て絶賛の手紙をキューブリックに送ったという。刺激的な演出やご都合主義なストーリーを優先するあまり、時代考証をおざなりにする時代劇ばかりまかり通る映画界において、本作は静かに孤高の輝きを放ち続けている。
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博士の異常な愛情(1枚組) [DVD](amazon)


 笑いの感覚というものは、時代とともに刻々と変化するものだ。昔笑えたギャグに今は全く笑えない、なんてことは日常的に実感する。だが、批判精神に溢れ、鋭く真実を付く「ブラックユーモア」はいくら月日が流れようとも普遍性がある。いつの時代でもどの場所でも受け入れられるものなのだ。

 本作品には「ブラックユーモア」な部分と「コメディ」な部分とが共存している。そして残念ながら「コメディ」の部分は今観るとかなり辛い。マフリー大統領とソ連書記長のホットラインでの会話や、コング少佐が機内で飛ばすジョーク、電話をかける小銭がないと焦るマンドレイク大佐や、撃ち抜かれ、コーラを吹き出す自動販売機などは正直全く笑えない。

 だが、タカ派丸出しのタージトソン将軍や、共産主義者の陰謀を真顔で語るリッパー将軍、ナチの亡霊のようなストレンジラブ博士などは、ニヤッと笑った後に背筋が寒くなる。特に全世界が滅亡しようかという事態にまで至っても尚、自国の優位性を説くソ連大使には空恐ろしさを感じずにはいられない。

 こういった、ブラックユーモアのセンスは傑出しているのだが、よほど現場のノリがよかったのか、全体的に悪ノリしすぎてしまっている感は否めない。当のキューブリックも暴走気味で、ラストシーンは「滅びた惑星地球から発見されたドキュメンタリー・フィルムを、宇宙人が発見し上映した」というオチにしようと考えていたらしい。そして、そのラストシーン直前に繰り広げられるはずだった最高作戦室でのパイ投げシーンは、撮影まで行われた。だが、さすがにやりすぎだと思ったのか、最終的にはまるまるカットしている。こういったものまで良しとするセンスが現場に満ちていたのだろう。やはり「ブラックユーモア」と「コメディ」の明解な線引きと、それがこの作品の将来をどう左右するかまでは、検討されていなかったのではないかと思う。

 また、キャスティングの功罪もあったのかも知れない。特に三役(当初の予定ではコング少佐も含めて四役)で出演したピーター・セラーズは「ブラックユーモア」、「コメディ」両方のセンスを持っていて、その両方に影響力を及ぼしている。ブラックな部分はさすがイギリス人らしく鋭いものがあるが、当時彼は優れたコメディアンでもあったため、そちらのセンスは時の流れに勝てなかったようだ。

 ブラックユーモアの傑作として名高い本作だが、初公開から40年もの月日が流れ、残念ながら時の流れに押し流された部分が見られるようになったきた。東西冷戦、キューバ危機など、当時の社会情勢を踏まえて考えても、この「傑作」という評価を、もう一度精査してみる時期に来ているのではないだろうか。
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stanley-kubrick

 20世紀を代表する映画監督の一人であり「巨匠」と呼ぶにふさわしい偉大な映像作家。徹底的に細部までこだわる完全主義者と呼ばれ、脚本や演出はもちろん、音楽、美術セット、編集、広告、字幕スーパーに至るまで、映画制作に関わる全ての事柄に権限を持つ、現在の分業化が進んだ映画界に於いて、非常に希有な存在であり続けた。

 また、キューブリックは自分が追い求める映像がいかに困難な作業や膨大な予算を伴ったとしても、そのためのテクノロジーを自分で考案し、立ち向かい、克服してしまう。その貪欲で飽くなき向上心で、フロント・プロジェクション、スリット・スキャン、高感度レンズの採用、スティディカムの使用など映画界に多大な影響と足跡を残している。

 過剰な演出をせず、自然な照明を好み、無駄を排した台詞や映像で語られるキューブリックの作品は、現在の「ジェットコースター・ムービー」を見慣れた眼には退屈に映るかも知れない。しかし、現実主義者でもあるキューブリックはその姿勢を決して崩そうとはしない。そこには、「映像が語りかけてくる映画を創る」という、キューブリックの「映像作家」としてのプライドと本能が感じられる。

 寡作な作家であったキューブリックは、決して多くの作品を残してはいない。だが、数は少なくても、どの作品も永遠に輝きをを失うことはないだろう。それはどの作品でも、常に「人間の本質とは何か?」という普遍的なテーマを追及し続けていたからに他ならない。

 『スタンリー・キューブリック』。この偉大にして孤高を誇る映画監督、映像作家は映画という芸術の究極の探究者として、永遠に語り継がれるに違いない。
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 この作品に、通常の血なまぐさいスプラッター・ムービーや、こけ脅しのホラーを期待してみると、完全に肩透かしを食らってしまう。そういう解釈ではまったく怖くない作品だ。結局人も一人しか殺されない。だが、キューブリックがそんな見え透いた方法で観客を恐怖に陥れようとしていないのは、注意深く観ていればすぐに分かるはず。とにかくこの映画は異常に「寒い」のだ。観る者の毛細血管まで凍らせてしまうかのような「寒さ」と、のしかかる「閉塞感」が全編を通して貫かれている。

 キューブリックは、一般的なホラー映画が、観客を怖がらせる方法論(ゾンビメイクの幽霊、誰もいないのに動く家具等)を極力避け、ホテルそのものに「霊気」を感じさせるように、セットの大きさや配置・色、アングルやライティング、シンメトリーな構成など、照明や撮影方法に細心の注意を払っている。特に印象的に使用されているのはステディカム(手ぶれがなく手持ち撮影できる装置。廊下や迷路のシーンなどで使用)で、霊魂が音もなく浮遊するような感覚の映像は、見事しかいいようがない。また、双子の少女、バーテンダーのロイド、前管理人のグレディの抑制された演技と強烈な存在感は、一般的な恐怖映画と一線を画している部分だ。これほとまで恐ろしく、強烈な印象を残す幽霊の描写を他に知らない。

 そしてなによりも、ジャック・ニコルスンが徐々に狂気に駆られてしまう様は圧巻だ。一部で言われているように、確かにオーバー・アクト気味かもしれないが、あのキレ方はやはり迫力がある。閉塞感溢れるセット、明るい照明、ぶれないカメラ、抑制された演技など「静」の要素と、ニコルソン激しい演技による「動」の要素の対比によってより一層狂気が強調されおり、物語全般を覆う「精神的な恐怖」を十二分に体験すできるよう緻密に計算されいる。

 ただ、少し陳腐なシーンもちらほら。237号室の腐乱死体や、宴会場でのガイコツのパーティー、居室で行為に及ぶ着ぐるみとホモなど、否定していた筈のお化け屋敷的な演出で、恐怖感を煽る方法論も採用されている。興行的に絶対失敗できなかったキューブリックの迷いがそうさせたのだろう、後になって不要と判断し、全米での初公開以降、上映中にもかかわらずこれらのいくつかのシーンをカットしている。(※【全米版】【コンチネンタル版】の違いはこちらを参照)

 ホラーファン、キングファンの間でも賛否が別れるこの作品、「キューブリック映像の何たるか」を観るには、絶好のマテリアルであることは間違いないだろう。
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 「キューブリックは人間ドラマを描けない」とは、よく目にする批評だが、それは彼の初期作品を観ればすぐに間違いだと気づくだろう。『突撃』では戦争の矛盾と軍隊の腐敗を、重厚な演技と圧倒的な演出力で見事に描ききっている。だが本作では、前半の訓練所のパートから、後半の戦場のパートまで、登場人物の誰一人として感情移入することなく、淡々、粛々と物語は進行してゆく。それはまるで、戦場ドキュメンタリーを観ているかのようだ。

 だが本作は「戦場ドキュメンタリー」ではない。あえて言うなら、「戦場ドキュメンタリーように演出された戦争映画を批判した映画」なのだ。物語の途中、TVのクルーが兵士達をあくまで「戦場演出の一部」として扱ったり、そのどこかしらベトナムらしくないベトナムの風景(単にキューブリックのロケ嫌いによるものだが)や、ジョーカーの墓を前に父親がジョーカーの日記を読み上げる、といった情緒的なエンディングの排除など、徹頭徹尾、空々しさが全編を覆っている。それは「想像していた通りの戦争っぽい戦争」とインタビューに応えるカウボーイの台詞が象徴するように、「いくらリアルな描写でも、戦争映画なんて所詮絵空事に過ぎない」ということを実証してみせたかったのではないだろうか。また広報誌「スターズ・アンド・ストライプ」の上官は露骨に記事の改竄・捏造をジョーカーに指示する。結局我々一般大衆にとって戦争とは、紙とペンで書かれたものか、TVや映画の中にしか存在しないものなのだ、と言わんばかりだ。

 ベトナム戦争は、TV時代に行われた初めての戦争だった。そこでは、戦場のニュースフィルムが「真実」として伝えられ、それを政府はプロパガンダとして、メディアは反戦運動に利用した。ペンと紙の時代より、はるかにリアリティをもって伝えられる「戦争の真実」…。だがそんなものはどこにも存在していなかった。パイルやジョーカーやカウボーイ、そしてベトコン少女は、権力側の思惑とは関係なく、ただ戦場で浪費されていくだけの一個の銃弾でしかない。その残酷なまでに冷徹な認識だけが「戦場に存在する唯一の現実」だったのだ。

 『フルメタル・ジャケット=完全被甲弾』。敵を粉砕すべく作りだされた、単なる大量消費財。単なる大量消費財に人格や意志は存在しない。キューブリックは物語の前半で「フルメタル・ジャケット」の製造過程を、後半ではその浪費のされっぷりだけを描き、それに何がしかの意図や意義を加えるのを慎重に避けている。報道カメラマン出身という特異な経歴を持つキューブリックは、メディアの欺瞞に気付いていた。だからこそ、「演出」という力を行使し、「戦争を意味付ける」事を、この作品でき然と拒否しているのだ。

 「戦争とは銃弾で人間を肉塊に変える事。それ以外は全て欺瞞だ」。自身が一番数多く取り上げた戦争映画というジャンルの到達点として、キューブリックはシンプルに、冷徹に、力強くそう言い放っている。
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