パイルが呟く「フル・・メタル・・ジャケット」に、キューブリックは「この作品の全体像はあるか?」とフレデリック・ラファエルに問いかけている。
原題の『ザ・ショート・タイマーズ』を採用せず、「響きが美しく象徴的だから」と『フルメタル・ジャケット』というタイトルを採用したキューブリック。「響きが美しい」は原題『短期除隊兵(ショート・タイマーズ)』と比較すればすぐ理解できますが(キューブリック曰く「まるで半日しか働かない人みたいじゃないか!」)、「象徴的」とは何を象徴していると考えてのコメントだったのでしょうか?
【フルメタルジャケット弾(full metal jacket / 被覆鋼弾、完全被甲弾)】
貫通性が高い通常の弾丸。弾芯が金属(メタル)の覆い(ジャケット)で覆われているメタルジャケット弾の一つ。ボール(Ball)とも呼ばれる。ほとんどのフルメタルジャケット弾は、弾芯である鉛をギルディング・メタル(真鍮の一種。混合率は銅95%、亜鉛5%)で覆っている。軍用ライフルでは、目標衝突時の弾頭変形を防ぎ貫通力を高めるため、このフルメタルジャケット弾が使われる。メタルジャケット弾にはフルメタルジャケット弾(弾頭をギルディング・メタルで完全に覆った弾)の他にパーシャルジャケット弾(弾頭の先端部分以外をギルディング・メタルで覆った弾)があり、パーシャルジャケット弾は、目標に衝突した際に露出している弾頭先端が変形し破壊力を増す構造で、主に大型動物のハンティング用に用いられる。ハーグ陸戦条約第23条の「不必要な苦痛を与える兵器、投射物、その他の物質を使用すること」への抵触を避けるなどの人道上の理由から、軍用弾にはフルメタルジャケット弾が用いられる。(引用元:Wikipedia/弾丸)
この解説を読む限り、フルメタルジャケットとは戦場で使用されている通常の銃弾そのもののようです。では、改めてその「銃弾」が象徴するものとは何でしょう?
映画では冒頭の散髪のシークエンスから、ラストの炎をバックにして行軍するシークエンスまで、徹頭徹尾人間を物としか扱っていないかのような空々しさが漂います。戦場では思想も、哲学も、理想も、絶望も、夢も、未来も、感情も、自由も、真実も、虚構も、そんな人間性を伴うもの全てがまるで悪い冗談にように虚しく通り過ぎてゆくだけ。唯一の現実はただひたすら銃弾によって殺し合うこと。銃弾は一度放たれたら最後、嘘や冗談も言わずただ粛々と命を奪ってゆく。すなわち戦場では「銃弾=真理」なのです。冗談を言わない銃弾。冗談を言う人間(ジョーカー)に真理はない。だから戦場で真理となるには銃弾になる必要があるのです。
ですが残念ながら、物語中唯一銃弾にならなかった(なれなかった)人間がいます。そう、レナード(パイル)です。実はレナードこそ人間なのです。人としての感情に富み、正直さ、弱さ、優しさに溢れています。劇中唯一本名を与えられていた事からもわかるように、レナードこそ人間の良心、人間性そのものと言って良いでしょう。だから狂った。人間だから、良心があるから狂った。でもそれは戦場では何の役にも立たない不良品。良心を持った銃弾など戦場では使えない。それは当然のように排除の対象となります。キューブリックは劇中唯一このシークエンスだけにタイトルをセリフに載せています。「フル・・メタル・・ジャケット」と呪いのように呟き、自ら銃口を口に銜えるその姿は、人間のままでいたいともがくレナードの最後の抵抗なのです。そして銃弾が脳天にめり込んだ瞬間、レナードは銃弾になることなく人間のまま死んだのです。
それ以降、人間は誰一人として登場しません。登場するのは人間の形をした銃弾です。あの可哀想に見えるベトコン少女でさえもそれは例外ではありません。少女は知っていました。銃弾になってしまった自分を救えるのは銃弾でしかないことを。ジョーカーも気づいていました。銃弾である自分が、少女が銃弾であり続けることを終わらせられる唯一の存在であることを。それが「血みどろの親密さの共有」。少女は撃ち殺して欲しいと望みました。そして銃弾が体内にめり込んだ瞬間、少女は銃弾から人間へ還り、レナードと同じように死んだのです。
「兵士=銃弾=消耗品」。キューブリックは『フルメタル・ジャケット』の前半で銃弾の製造工程を、後半でその浪費っぷりを淡々と描き、そこに「下手な思想性」を付け加えることを慎重に回避しています。加えてキューブリックはその意図を明確にするために、キービジュアルのイラストのヘルメットに7個の「フルメタル・ジャケット」を差し込みました。その数は、本編で死ぬ海兵隊員と同じ「7」であることに、もっと多くの人が気づくべきでしょう。
結論:「フルメタル・ジャケット」とは、かつて人間だった単なる銃弾であり、そして単なる消耗品を指す言葉。その言葉をキューブリックが選んだのは、これこそ「戦争の真理(本質)」と考えたため。
戦争の是非(反戦・好戦)ではなく、戦争の本当の姿「真理」を象徴するものとして、『フルメタル・ジャケット』というタイトルを選んだキューブリック。それを「戦争・軍隊悪玉論」「ベトナム反戦映画」としてしか語れないのであれば、それはあまりにも視野狭窄的と言わざるを得ないのではないでしょうか。
初出:2013年03月03日
追記:2019年7月14日
加筆修正:2020年8月8日
原題の『ザ・ショート・タイマーズ』を採用せず、「響きが美しく象徴的だから」と『フルメタル・ジャケット』というタイトルを採用したキューブリック。「響きが美しい」は原題『短期除隊兵(ショート・タイマーズ)』と比較すればすぐ理解できますが(キューブリック曰く「まるで半日しか働かない人みたいじゃないか!」)、「象徴的」とは何を象徴していると考えてのコメントだったのでしょうか?
【フルメタルジャケット弾(full metal jacket / 被覆鋼弾、完全被甲弾)】
貫通性が高い通常の弾丸。弾芯が金属(メタル)の覆い(ジャケット)で覆われているメタルジャケット弾の一つ。ボール(Ball)とも呼ばれる。ほとんどのフルメタルジャケット弾は、弾芯である鉛をギルディング・メタル(真鍮の一種。混合率は銅95%、亜鉛5%)で覆っている。軍用ライフルでは、目標衝突時の弾頭変形を防ぎ貫通力を高めるため、このフルメタルジャケット弾が使われる。メタルジャケット弾にはフルメタルジャケット弾(弾頭をギルディング・メタルで完全に覆った弾)の他にパーシャルジャケット弾(弾頭の先端部分以外をギルディング・メタルで覆った弾)があり、パーシャルジャケット弾は、目標に衝突した際に露出している弾頭先端が変形し破壊力を増す構造で、主に大型動物のハンティング用に用いられる。ハーグ陸戦条約第23条の「不必要な苦痛を与える兵器、投射物、その他の物質を使用すること」への抵触を避けるなどの人道上の理由から、軍用弾にはフルメタルジャケット弾が用いられる。(引用元:Wikipedia/弾丸)
この解説を読む限り、フルメタルジャケットとは戦場で使用されている通常の銃弾そのもののようです。では、改めてその「銃弾」が象徴するものとは何でしょう?
映画では冒頭の散髪のシークエンスから、ラストの炎をバックにして行軍するシークエンスまで、徹頭徹尾人間を物としか扱っていないかのような空々しさが漂います。戦場では思想も、哲学も、理想も、絶望も、夢も、未来も、感情も、自由も、真実も、虚構も、そんな人間性を伴うもの全てがまるで悪い冗談にように虚しく通り過ぎてゆくだけ。唯一の現実はただひたすら銃弾によって殺し合うこと。銃弾は一度放たれたら最後、嘘や冗談も言わずただ粛々と命を奪ってゆく。すなわち戦場では「銃弾=真理」なのです。冗談を言わない銃弾。冗談を言う人間(ジョーカー)に真理はない。だから戦場で真理となるには銃弾になる必要があるのです。
ですが残念ながら、物語中唯一銃弾にならなかった(なれなかった)人間がいます。そう、レナード(パイル)です。実はレナードこそ人間なのです。人としての感情に富み、正直さ、弱さ、優しさに溢れています。劇中唯一本名を与えられていた事からもわかるように、レナードこそ人間の良心、人間性そのものと言って良いでしょう。だから狂った。人間だから、良心があるから狂った。でもそれは戦場では何の役にも立たない不良品。良心を持った銃弾など戦場では使えない。それは当然のように排除の対象となります。キューブリックは劇中唯一このシークエンスだけにタイトルをセリフに載せています。「フル・・メタル・・ジャケット」と呪いのように呟き、自ら銃口を口に銜えるその姿は、人間のままでいたいともがくレナードの最後の抵抗なのです。そして銃弾が脳天にめり込んだ瞬間、レナードは銃弾になることなく人間のまま死んだのです。
それ以降、人間は誰一人として登場しません。登場するのは人間の形をした銃弾です。あの可哀想に見えるベトコン少女でさえもそれは例外ではありません。少女は知っていました。銃弾になってしまった自分を救えるのは銃弾でしかないことを。ジョーカーも気づいていました。銃弾である自分が、少女が銃弾であり続けることを終わらせられる唯一の存在であることを。それが「血みどろの親密さの共有」。少女は撃ち殺して欲しいと望みました。そして銃弾が体内にめり込んだ瞬間、少女は銃弾から人間へ還り、レナードと同じように死んだのです。
「兵士=銃弾=消耗品」。キューブリックは『フルメタル・ジャケット』の前半で銃弾の製造工程を、後半でその浪費っぷりを淡々と描き、そこに「下手な思想性」を付け加えることを慎重に回避しています。加えてキューブリックはその意図を明確にするために、キービジュアルのイラストのヘルメットに7個の「フルメタル・ジャケット」を差し込みました。その数は、本編で死ぬ海兵隊員と同じ「7」であることに、もっと多くの人が気づくべきでしょう。
結論:「フルメタル・ジャケット」とは、かつて人間だった単なる銃弾であり、そして単なる消耗品を指す言葉。その言葉をキューブリックが選んだのは、これこそ「戦争の真理(本質)」と考えたため。
戦争の是非(反戦・好戦)ではなく、戦争の本当の姿「真理」を象徴するものとして、『フルメタル・ジャケット』というタイトルを選んだキューブリック。それを「戦争・軍隊悪玉論」「ベトナム反戦映画」としてしか語れないのであれば、それはあまりにも視野狭窄的と言わざるを得ないのではないでしょうか。
初出:2013年03月03日
追記:2019年7月14日
加筆修正:2020年8月8日