ロリータ

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ジェームズ・メイソンとヘイリー・ミルズ。『ロリータ』がこのツーショットだったとすると果たして公開できたかどうか・・・。

〈前略〉

 契約期間中、ミルズはシャーリー・マクレーンとオードリー・ヘップバーンが共演した『噂の二人』『ドクター・ドリトル』、スタンリー・キューブリック監督の『ロリータ』などの作品に出演のオファーを受けていましたが、後者は「ディズニーのイメージを損なう」という理由で辞退し、逃した役だと考えています。

 「ぜひ演じてみたかったわ。とても魅力的な作品です。それに、(スタンリー・)キューブリック、ジェームズ・メイソン、シェリー・ウィンタースと一緒に仕事ができるなんて、すごいことですよね」と、『ロリータ』について本誌に語っています。ミルズは回顧録の中で、スー・リオンがロリータを演じた少女というレッテルを永遠に貼られてしまうのに対し、私はポリアンナであるので、おそらくもっと簡単に受け入れることができるだろうと皮肉っぽく書いています。

 この2人はまったくの 「チョークとチーズ (見た目は似ているが中身はまるで違う)」ですよね。みんな彼女に実際に会ったときでさえ、彼女がニンフェット(妖精・聖少女)であることを期待してしまいます。私もポリアンナのような存在を期待されていたと思います」と彼女は言います。「私たちは自分が演じる役によってレッテルを貼られ、それに対処しなければなりません。それは、私たちのビジネスで起こることのひとつです」

 候補となった役についてミルズは、「どれも本当に面白かったでしょうが、それが私のキャリアにどんな影響を与えたかはわかりません。私たちにはわからないのです」

〈以下略〉

(全文はリンク先へ:Hollywood Reporter/2021年9月7日




 以前この記事でご紹介した通り、ヘイリー・ミルズはロリータ役には乗り気だったようです。というか、上記記事からは「私の方がもっと上手く演じられたはず」というプライドさえ感じます。ですが、現実問題として健全を旨とするディズニーの看板子役だったミルズが、ロリータを演じる可能性はほぼなかったでしょう。実際にロリータを演じたのは新人女優のスー・リオンですが、女優とはいえ数回の端役の経験しかありませんでした。そんな彼女が突然スターになったのですから、その環境の激変に上手く対応できなかったであろうことは容易に想像できます。一方のミルズはその時点でスター子役ですので、ある程度ハリウッドに揉まれ、慣れていたていたと考える方が自然です。また、ミルズ自身がポリアンナのような「良い子」のイメージを払拭したいと考えていたなら、このロリータ役に乗り気だったのもうなずけます。

 この二人は同い年(スー・リオンの方が3ヶ月ほど年下)ですが、以上のように状況はかなり異なります。また、醸し出す雰囲気も異なります。いわゆる「ロリータ」(蠱惑的な幼い少女)として考えるならミルズの方が適役に見えますが、ジェームズ・メイソンとミルズのツーショットは、上映禁止もありうるほど危険な香りが漂ってきます。もしキューブリックがそのことを計算に入れ、少し大人びたスーをキャスティングしたのなら、その判断は正しかったと思います。そうでなくても『ロリータ』上映には、あちこちの団体から批判や圧力にさらされたのですから。
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ツインテのナスターシャ・キンスキー。本編シーンか宣材写真なのかは不明。萌える人は萌えるか…も?

〈前略〉

 『ロリータ』の製作が終了して間もなく、キューブリックとハリスは、全寮制女子校の中にある売春宿を描いたロザリンド・アースキンのコミカルな小説『パッション・フラワー・ホテル』の映画化を企画した。この小説は、後にジョン・バリーの音楽で舞台ミュージカルになり、さらに後にナスターシャ・キンスキー主演で映画化された。

「当時、映画を公開するために必要なプロダクション・コードに縛られていたので、性的表現のある映画を撮ろうと真剣に話し合ったんです」とジェームズ・B・ハリスは振り返る。「念のために言っておきますが、すべては仮定の域を出ませんでした。スタンリーの考えは、才能のある俳優を使って、正直で自由なものを撮れば、美しく、真実味があり、さらにはストーリーを語ることができるというものでした」

〈中略〉

「スタンリーが考えていたのはポルノではなく、検閲を超えた何かだった。1950年代半ばの問題はそうだった。そんな映画をどこで見せられるのか。検閲を通らなければ、新聞に広告を出すこともできないし、映画館で合法的に上映することもできない」

〈以下略〉

(全文はリンク先へ:FADE IN/2012年12月26日




 この小説『パッション・フラワー・ホテル』は1978年に『レッスンC』(原題『Passion Flower Hotel』)として映画化されました。主演はナスターシャ・キンスキーです。1974年に官能映画『エマニエル夫人』が世界的に大ヒットして以降、ソフトポルノ映画が制作されるようになり、1970年代後半から1980年代前半にかけて十代の若者の性を描くいわゆる「青春エロ映画」「性のめざめ映画」(『青い珊瑚礁』『初体験/リッジモント・ハイ』『グローイング・アップ』『ポーキーズ』『超能力学園Z』などなど)とうジャンルが大流行しましたので、その流れでこの小説も映画化されたのだと思います。1978年というのはソフトポルノから青春エロ映画への転換点くらいの時期になるでしょう。

 キューブリックがこの小説の映画化を検討していたのは1962年ごろだと思いますので、それよりもずいぶんと早い時期です。「性の解放」といわれる時代は1970年代に入ってからですので、約10年以上は早いですね。『ロリータ』はまだまだ保守的な価値観が支配していた時代に制作されましたので、かなり厳しい制約がありました。キューブリックも「こんなに制限が厳しいとは思わなかった。知っていたら映画化しなかった」という趣旨の発言をしています。ハリスも上記記事で「検閲を超えた何か」と発言しています。このことからもキューブリックにとってポルノとは「どこまで何を見せられるか」への挑戦だったことが伺えます。

 キューブリックは自主制作だった『恐怖と欲望』『非情の罠』、思い通りにコントロールできなかった『スパルタカス』についてはかなり辛辣に批判していますが、それ以外の作品については概ね満足している旨の発言ばかりです。しかし『ロリータ』については「当時の様々な圧力団体の干渉を受け、ハンバートとロリータのエロティックな関係を充分脚色できなかった」「もし映画を撮り直すことができたら、私はナボコフと同じウェイトをかけて、エロティックな要素を強調するだろう」と語り、かなり悔しい思いが残ったようで、それはこの『パッション・フラワー・ホテル』を『ロリータ』に続けて映画化しようとしたことからも伺えます。キューブリックにとってこの『パッション…』とは、『ロリータ』でやり残したことへの再挑戦、リベンジの意図があったのではないでしょうか。

 結局この企画は実現しませんでしたが、キューブリックは1970年代始めには官能小説『ブルー・ムービー』や『夢小説』の映画化を企画、後者は1999年に『アイズ ワイド シャット』として実現しました。その執念たるやなかなかすごいものがありますが、「エロおやじキューブリック」「エロ大好きキューブリック」とファンに言われるほどキューブリック作品にエロ要素が多い理由は、ひょっとしたら『ロリータ』における「不完全燃焼感」にあるのかも知れません。

 ところで「性のめざめ映画」といえば以前、「【考察・検証】『シャイニング』北米版で、ダニーがTVで映画『思い出の夏(Summer of '42)』を観ているシーンの意味を考察する」という記事を書いたのですが、この『思い出の夏』(1971年公開)も同ジャンルの映画です。このことからもキューブリックはポルノ映画挑戦への関心が高かったことが伺えますし、そのリベンジのチャンスを執念深く、虎視眈々と狙っていたんでしょうね。『アイズ…』で当時14歳(ちなみに『ロリータ』のスー・リオンも撮影時14歳)のリーリー・ソビエスキーを下着姿にさせるくらいには(笑。(注:ロリコンって意味ではないので念のため)
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1960年代後半、恋人同士だった頃のドノヴァンとスー・リオン。

 スー・リオンがドノヴァンの人生に登場したのは1965年末のことだ。のちにリリースする曲『ジェニファー・ジュニパー』のモデルになったジェニー・ボイド(ジョージ・ハリスンとエリック・クラプトンの妻、パティ・ボイドの妹)と出会う2、3年前だった。スーはドノヴァンと出会う前に『ロリータ』や『イグアナの夜』に出演していた。2人は1967年まで付き合っていたが、スーが突然関係を終わらせてしまった。ドノヴァンはパーティーで、スーとその友人の飲みかけのコップにLSDを入れたことをバラした。スーはこの時のトリップを「怖くて不安だった」「自分の自制心が崩壊していくのを感じた」と語っている。この事件の後、スーは1975年まで二度とドノヴァンと口をきかなかった。現在、2人は良い友人であり、スーはアイオン・スカイ(ドノヴァンの娘)と、キング・アドロック(ビースティ・ボーイズ)との結婚式にも出席した。

 ジェニー・ボイド、リンダ・ローレンス、イーニッド(名字は忘れた)、そしてスー・リオン・・・ドノヴァンの交際相手を考えると、ドノヴァンは魅力的な人物だった。

(引用元:YouTube:Sunshine Superman- Donovan/2007年6月20日




 以前こちらで『ロリータ』のプロデューサーであり、キューブリックの当時のビジネスパートナーだったジェームズ・B・ハリスとスー・リオンが、恋人関係であったことを記事にしましたが、その後の1963年12月から1年間、スーはハンプトン・ファンチャー(当時俳優、その後『ブレードランナー』の脚本家として活躍)と結婚していました。つまり、ドノヴァンと恋人関係にあったのはファンチャーと離婚してからということになります。結婚と離婚を5回も繰り返した「恋多き女」、スー・リオンを地でいくエピソードですが、上記の文章の正確なソースは見つけられませんでした。ネットに上がっていないどこかのインタビュー記事がソースなのかもしれません。

 さて、当時スーの恋人だったドノヴァンですが、現在の日本でこのアーティストの名前を挙げる人は一体何人いるでしょうか?ロックの歴史に詳しい方なら、もちろん名前と代表曲くらいはご存知でしょうが、同時期に活躍したアメリカの雄、ボブ・ディランに比べてその扱いはかなり小さいのではないかと思います。ドノヴァンはいわゆるフォークロック(ロックスタイルでフォークを演奏する音楽ジャンル)のアーティストとして知られていました。有名どころで言えばエレキ転向以降のボブ・ディランやバーズ、名曲『サウンド・オブ・サイレンス』を「勝手に」フォークロックにされてしまったサイモン&ガーファンクル、イギリスでは初期のデイヴィッド・ボウイなんかがそうです(ボウイは登場時、「ドノヴァンの二番煎じ」などと言われていた)。もちろんこの時代のことですからサイケデリック、いわゆるドラッグカルチャーと無縁でいられるはずもなく、上記のスーのドラッグ体験も当時としては珍しくない、アーティーストが集まるパーティーでのひとコマだと言えるでしょう。

 スー・リオンと恋人関係にあった時期のドノヴァンの代表曲の一つである『サンシャイン・スーパーマン』の動画(下記)には、スー・リオンの画像が使われています。動画の概要欄は上記の文章の引用元です。この曲はブルース・フレーバーが強いですが、フォーク・ロックというのはだいたいこんな感じのサウンドだと思っていただければ良いかと思います。興味のある方はボブ・ディランのロック転向後の代表曲『ライク・ア・ローリング・ストーン』、バーズの『ミスター・タンブリンマン』、初期ジェファーソン・エアプレインの『ホワイト・ラビット』(映画『プラトーン』で使用された)、スー・リオンの友人ママ・キャス(ドノヴァンとの出会いに関係しているかも)がメンバーのママス&パパスの『夢のカリフォルニア』、そしてフォークロックの名曲、デヴィッド・ボウイの『スペース・オディティ』などを、ぜひ聴いてみてください。

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ドキュメンタリー『バート・スターン オリジナル・マッドマン』のPV

伝説のミュージシャンたちが魅せる奇跡の音楽ドキュメンタリー『真夏の夜のジャズ』4K修復版 Blu-rayが2021年8月4日(水)発売

〈前略〉

◆監督のバート・スターンは、スタンリー・キューブリック監督の映画『ロリータ』(62)や、マリリン・モンローの死去6週間前の姿を撮った著名な写真家!本作の監督バート・スターンは、撮影時弱冠28歳で当時ニューヨークで最も人気のある写真家のひとりだった。スタンリー・キューブリック監督の映画『ロリータ』(62)のポスターやオードリー・ヘプバーン、ブリジット・バルドー、マドンナのほか、死去6週間前のマリリン・モンローを撮影した写真集で大きな話題を呼び、大御所写真家として多くの作品を残した。撮影当時の、新進気鋭の写真家らしい、どこを切り取っても美しい写真のような場面が大きな見どころのひとつ。

〈中略〉

◆映像特典として、バート・スターン監督夫人のシャナ・スターンが監督したドキュメンタリー映画『バート・スターン Original Madman』や、監督の秘蔵インタビュー、ルイ・アームストロングほかミュージシャンのフォトギャラリー、日本版予告編を収録!日本版オリジナルの特製ブックレットも封入!

〈以下略〉

(全文はリンク先へ:TOWER RECORDS ONLINE/2021年5月21日




 昨年独立系映画館で上映された『真夏の夜のジャズ』が早くもBDになるそうです。この映画の監督であるバート・スターンは、キューブリックのルック社時代の同僚で友人であることは、以前このインタビュー記事でご紹介済みです。スターンは『ロリータ』のポスターなどで使用した、宣材用写真を撮影しただけでなく、『非情の罠』のヒロイン、アイリーン・ケーンをキューブリックに紹介したそうです。

 ジャズは全くの門外漢ですので何も語れませんが、特典のドキュメンタリー『バート・スターン Original Madman』は非常に気になっています。その内になんとか入手して、視聴したいと思っています。


【Amazon.co.jp限定】真夏の夜のジャズ 4K修復版 Blu-ray(B2ポスター付 )

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 『ロリータ』のスー・リオンが主演した、日本未公開のメキシコ産西部劇『Four Rode Out』(1970)の全編がYouTubeにアップロードされていたのでご紹介。

 スーは『ロリータ』撮影時は14歳でしたので、この『Four Rode Out 』公開時の1970年は23〜24歳くらいですね。すっかり大人の女性でお色気ムンムン(死語)ですが、それもそのはずこの時点でバツイチです。この後黒人のフットボール選手と再婚してスペインへ移住、一児をもうけますがほどなく離婚。トラブルメーカーの烙印を押されて目立った作品には起用されず、不遇の時代を迎えます。それから数度の結婚と離婚を繰り返し、2019年12月26日にロサンゼルスでひっそりとその生涯を閉じました(詳細はこちら)。

 この『Four Rode Out 』ではヒロイン役ですからまだ主役や準主役を張れた頃。古い映画で誰も権利者が名乗り出なかった場合はパブリック・ドメイン扱いになるそうですが、この作品がそれに該当するかどうかはわかりません。おそらく日本でDVD化やネット配信などされる可能性はないでしょうから、無料で見られるうちにスーの演技をお楽しみください。
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