2001年宇宙の旅

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ダグラス・トランブルとクリストファー・ノーラン。

〈前略〉

ークリストファー・ノーラン監督の『2001年…』の70mmプリントについてはどう思われますか?

 彼のカラーグレーディングには同意できない部分もありましたが、彼がやっていることは素晴らしいと思いました。しかし、ワーナー・ブラザースとは『2001年…』に関して以前から親密な関係にあり、彼らのためにそのドキュメンタリーを制作していたので、ちょっとした驚きを感じました。当時、「私はすべてのオリジナルネガがどこにあるか知っています。私はキューブリックの撮影現場で一緒に働いていた人間だから、君たちがやりたい修復にはぜひ協力したい」と言ったんです。しかし、彼らはクリストファー・ノーランに連絡し、私には連絡しませんでした。そうなんです、すべては会社のため。お金の問題です。

 映画の修復を行う場合、ジョージ・ルーカスやロバート・ワイズなど、そもそも映画を作った原理原則を持ち込むことが重要なんです。彼らは『スタートレック』より良くしてくれました。『ブレードランナー』でも、映画をより良いものにするための作業が行われ、私もそれに協力しました。というのも、私はすべての特殊効果の65mmネガを保管しており、それをスタジオに提供したからです。一般的に、このような修復は、映画を作った人たち、特に撮影監督の原則によって行われるものではありません。『ゴッドファーザー』を復元するなら、コッポラを呼びます。

ー今後の修復で考慮してもらいたいフィルムの最も重要な点は何ですか?

 『2001年…』について、映画制作の過程で重要視していたのは「星」の存在でした。フィルムの乳剤の一粒ほどの大きさしかない星が、35mmプリント用に複製したときに消えてしまわないかどうか、非常に気を使いました。そのためにいろいろなテストをして、消えないようにしました。そうしないと、背景が黒くなって星がなくなってしまい、意味をなさなくなってしまうからです。幸いなことに、ブルーレイを含めてその点はよく保存されています。「星」はちゃんとあります。

〈以下略〉

(全文はリンク先へ:IndieWire/2021年5月1日




 私は幸運にも『2001年宇宙の旅』70mmアンレストア版を観る機会に恵まれましたが(詳細はこちら)、その監修をクリストファー・ノーランに依頼した話を知って、「ダグラス・トランブルはキューブリックとクレジットの件で色々モメてたのでシコリがあるんだろうな」と勝手に想像していました。また、現在の若い世代に『2001年…』を知ってもらうためにも、ノーランのネームバリューに頼るというのもいい判断だと思っていました。ですが、実際はワーナー側がトランブルを「スルー」したようです。

 ノーランは『2001年…』に多大な影響を受け、フィルム撮影や保存にこだわりがあることが知られていたので、適任だったとは思いますが、単純に考えれば当時直接制作に携わっていたトランブルの方が適任だったのは間違いありません。ですが、この『70mmアンレストア版』がお披露目されたのは、2018年のカンヌ映画祭での特別上映でした。そんな華やかな場所での広告宣伝効果を考えれば、ノーランの方が適任だと判断されたのだと思います。

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左からキア・デュリア、カタリーナ・キューブリック、 ロン・サンダース、ヤン・ハーラン、クリストファー・ノーラン。2018年カンヌ映画祭にて。

 まあ、お二人で仲良く・・・というのが理想かもしれませんが、エゴが渦巻くショービジネスの世界では、なかなかそうはならないというのは、みなさま周知の事実ですね。
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映画評論家ポーリン・ケイルと『2001年宇宙の旅』。

 映画の芸術性が叫ばれているが、私たちが楽しんでいる映画のほとんどは芸術作品ではないということを忘れているかもしれない。

ポーリン・ケイル著

〈中略〉

VIII

 『2001年宇宙の旅』は『欲望』の主人公が作ったかもしれない映画だ。巨大なSFセットや装置を作って、それをどう使うかを考えようともしないキューブリックが、本当にやりたい放題やっていると考えると楽しい。フェリーニもまた、「組み立ておもちゃ」を使った映画作りに夢中になっていたが、『8 1/2』のラストで公開された彼の大きな宇宙船のセットは解体されてしまった。キューブリックも本当に作りたい自分の映画を作ることはできなかったが、彼はそれに気づいていないようだ。「アメリカン・インターナショナル・ピクチャーズ」(※B級映画制作会社)の作品をとてもバカげているから好きだという人もいる。キューブリックがそういうバカバカしいことをやって、超SFバカのファンタジーのようなものをやって見せたんだと、『2001年…』を好きになる人もいるかもしれない。ある意味では、この作品は最大のアマチュア映画であり、アマチュア映画のお約束である、監督の小さな(巻き毛の)娘がパパにどんなプレゼントが欲しいかをねだるシーンまで登場している。

 『007は二度死ぬ』のタイトル前のシークエンスで、宇宙にいる宇宙飛行士が出てくるが、これは『2001年…』よりもゆるくて自由なスタイルで、ちょっとした大胆さがあり、『2001年』よりも面白かったと思う。それは叙情的な宇宙での死を見つけた時のショックという予想外の要素があった。キューブリックはこのアイデアに夢中になっている。『博士の異常な愛情』の副題『私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』は、風刺的なものだと思っていたが、キューブリックにとっては完全な風刺ではなかったようだ。『2001年…』は、人間以外の生命の高次化に向けた進化の道として、死の道具の発明を祝福している。キューブリックは文字通り、心配するのをやめて爆弾を愛することを学んだ。彼は地球外生命体ゲーム理論のハーマン・カーン博士のように、自分自身の尻に敷かれるようになったのだ。漠然としたこの映画の魅力は、ラリった観客をこの世から連れ出し、優れた神のような心に支配された、優美な宇宙の慰めのビジョンの世界へ連れて行き、そこで主人公が天使のような赤ん坊に生まれ変わるところにあるのかもしれない。それは夢のような、『虹の彼方に』の新しい天国のビジョンような魅力がある。『2001年…』は現実逃避の祭典だ。人間は楽園への階段の上ではちっぽけな無に過ぎず、もっと素晴らしいものがやってくる、そしてそれはあなたの手には負えない、と言っている。宇宙には知性があって、猿から天使になるまでの運命をコントロールしているのだから、モノリスに従えばいいのだ。ドロップアップ(※当時の流行語「Turn on, tune in, drop out」を揶揄している?)。

 映画監督が自分を神話の作り手だと考えだすのは悪い兆候だ。虐殺を正当化し、復活で終わる壮大なプランのちぐはぐな神話は以前にも存在した。地球外知的生命体によって人類の進化を説明するというキューブリックのストーリーラインは、おそらく史上最も華麗で冗長なプロットだ。『博士の異常な愛情』のラストの美しいキノコ雲は偶然ではない。『2001年宇宙の旅』では、生と死は同一である。映画の中でゲイリー・ロックウッドの死に意味はなく、その瞬間も定義されていない。主人公は冬眠していた科学者が死体になっていたことを発見することもない。復活の美しさを描いた映画では、そんなことはどうでもいいことなのだ。宇宙の知性に参加するために旅に出て、より良い心を持って戻ってくる。映画の中での旅は、いつものサイケデリックな光のショーなので、観客は木星に行くことを気にする必要はない。シネラマで天国に行くことができるのだ。

 登場人物の生死が気にならないのは偶然ではない。キューブリックが人間に対してこれほどまでに無関心になったのは、ある種の大物映画監督にとって、登場人物や個々の運命が重要ではないためだ。大物映画監督は芸術分野の指揮官となり、その重要性に見合った新たな題材を求める。キューブリックは次の作品をナポレオンにすると発表したが、映画監督にとってナポレオンは、女優にとってのジャンヌ・ダルクに相当するものだ。豊かさと倦怠感についてのレスターの「野蛮な」コメントや、機械によって人間は神のようになるというキューブリックの感動的で陳腐な言葉は、ショービジネス界のお偉いさんの根深い考えである。これはショービジネス界の新しい現象ではなく、演劇の特徴ある伝統に属するものだ。大企業家、プロデューサー、大規模なスペクタクルショーを演出する監督、さらには大掛かりなセットのデザイナーでさえ、伝統的に先見の明がある人や思想家、答えを持つ人物の役割を果たし始めている。彼らは芸術のためには大きくなりすぎたのだ。疑似科学や映画製作の技術が「芸術家」にとって人間よりも重要になった場合、芸術作品は可能なのだろうか?これが『2001年…』の失敗の核心だ。この映画は、記念碑的に想像力のない映画だ。キューブリックは、75万ドルの遠心機を作り、巨大なハードウェアやコントロールパネルを愛してやまないSF界のベラスコである。この映画には、キューブリックがシリアスに考えていない部分には、少し良いところがある。例えば、滑空する宇宙船がヨハン・シュトラウスのワルツを始めるときのコミカルな瞬間などだ。監督が自分のやっていることにちょっとした分別を持っていて、映画が馬鹿みたいに厳粛でないときは、一瞬コミカルに見えることがあるのだ。ライトショーの旅は、ジョーダン・ベルソンのような実験的なフィルムメーカーの作品に比べれば、大したことはない。もし大物映画監督が、他の人が何年もお金を得られずにしてきた素晴らしい成果を、大きなスクリーンに映し出しただけで評価されるのであれば、ビジネスマンは詩人よりも偉大であり、窃盗が芸術になってしまう。

〈以下略〉

(引用元:ポーリン・ケイル著/エッセイ『ゴミ、芸術、そして映画(Trash, Art, and the Movies)』




 評論家というのは「評論」が仕事ではなくて「評論を売る」のが仕事なわけですが、その「自分自身を売らんがために恣意的に書かれた評論」が的外れであることは古今東西よくある話です。その商品の良し悪しの判断はその筋の専門家であり、情報を独占的できた「評論家」の言説に頼りきっていた時代は過去に確かに存在しました。ですが、ネット社会、特にSNSが発達した現在では、そういった利害のない同じ立ち位置のユーザー(消費者)目線で評する素人評論家、すなわち「口コミ」が大きな影響力を獲得しました。つまり「評論家」は「過去の遺物」と化してしまったのです(素人がおいそれと参入できない、専門性が高いジャンルはまだその影響力を残していますが)。それに対してエッセイはその筆者の魅力、筆力がものをいう世界です。そしてたとえそれを評論家が書いたとしても、それは「評論」というより「その筆者の個性・感性」と判断されます。つまり「何をどう語るかはその人の勝手」ということです。

 このポーリン・ケイルが活躍した時代というのは(映画)評論家が一番輝いていた時代と言えるかもしれません。「1968年から1991年まで執筆したザ・ニューヨーカー誌の映画評で有名であり、アメリカでも最も影響力のある評論家として知られていた」とwikiには記述があります。まさしく映画評論の全盛期です。ですが、『ハーパーズ』誌1969年2月号に掲載された『ゴミ、芸術、そして映画』は「評論」ではなく「エッセイ」として書かれたものです。原文はかなり長文で、『2001年…』に触れた部分はあまり多くありません(他の映画作品も数多く登場している)。この文章を評する時、この事実を見逃すと大きな間違いをおかしてしまいます。

 この『ゴミ、芸術、そして映画』の趣旨を大雑把に言えば、「映画」を「芸術」と呼ぶ風潮に疑問を投げかけたものなのですが、これは当時盛んに言われていた、いわゆる「アメリカン・ニューシネマ」が「芸術(Art)」だと言われることに対しての、ケイルの辛辣な批判を述べたものです。これによると、ケイルは当時の「芸術映画」の代表格『2001年宇宙の旅』が、いかにも芸術映画のように振舞っているのがお気に召さなかったばかりか、まずSF映画そのものに対しての嫌悪感(そして無理解)があり、人物描写の軽視、(スターゲート)映像の盗用、莫大な資金を投じて視覚的スペクタルにこだわる姿勢まで含めて「ゴミ」と断じています。また、そんな低俗なジャンルである「SF」で、キューブリックが「神のごとく君臨し、人類の行く末を決める物語」を「暴力を肯定し、マチズモ的な視点から他人(人類)の運命を弄ぶさまを描いた」作品を作ったのが許せなかったのでしょう。『2001年…』だけでなく『博士』も批判の俎上に載せている点でもそれは伺えますし、逆に『007は二度死ぬ』を「ゆるい物語で楽しかった」と持ち上げているのも、その延長線上にある(SFとはこんなバカバカしいものでいい)と感じます。また、当時のサイケデリック・ムーブメント(クスリでラリれば皆ハッピー!)に対しても苦々しい気持ちを抱いてたことも覗かせています。

 1969年と言えばクラークの小説版はすでに発刊されているので、ケイルは『2001年…』のストーリーとコンセプトを正しく理解した上でこのエッセイを書いていると思われます。もちろんキューブリックは『2001年…』を「芸術映画風情を気取る」とか「大金を使って大衆にスペクタクルを見せつける」とか、そういったつもりはなく(いや、まったくのゼロではありませんが・・・)、「SF映画の新しい領域を拡張する(可能性を広げる)」という野心を持って制作したのですが、『2001年…』の持つ「芸術映画的雰囲気」や「大金をかけた大作主義」が鼻についたのか、この嫌悪感満載の意見表明は、当時のSFというジャンルの社会的地位の低さや、ウーマンリブやサイケデリック・カルチャー、カウンター・カルチャー華やかしきこの時代を象徴していると言えるでしょう。

 当時、『2001年』でこういった趣旨の批判は珍しくなかったようですが、現在でも「芸術映画的雰囲気」を批判する風潮は少なからずあります(大抵の場合は「大層なだけで中身のない雰囲気映画」という批判)。ケイルの場合はその「中身」まで理解した上でそれを批判しているのですから、その嫌悪感、憎悪たるや反論の余地も見出せないほどの「凄み」があります。いや、「悪意の凄み」というべきかもしれません。ここでのケイルの批判は批判を通り越して「悪意」の域に達しています。差別的で高圧的で偏見に満ち、独善で傲慢・・・キューブリックはこれを読んで激怒したそうですが、それはそこが透けて見えたからのことだったのでしょう。

 まあ、エッセイであるのであれば「自身の考えや好悪を露骨に表現」しても構わないと思うので、ケイルの読者(ファン)にとってこのエッセイは、溜飲の下がる、とても楽しく読める「読み物」であったのだとは思います(訳出したのはほんの一部で、全文はとても長くて読みきれませんでした。興味のある方はこちらをどうぞ)。一方、評論となれば話は別です。評論とは客観的、中立的な立ち位置で書かれていなければならないし、少なくともそう心がけて書かれたものであるべきです。ファンの間では一般的に「ポーリン・ケイルによる『2001年宇宙の旅』の酷評」と知られているこの文章ですが、個人的には「評論ではなくエッセイ(の一部)であるのなら、これはこれで全然構わない」と感じました。『2001年…』の評価が定まった現在から見れば、これも「当時の空気感を肌で感じられる《良い資料》」だと私は思います(もちろん精一杯の皮肉を込めて)。
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この人を見よ!歴史をつくった人びと伝 4 手塚治虫(amazon)


 ある日、図書館にある検索の端末に何気なく「スタンリー・キューブリック」と入力したところ、この書籍がヒットしました。キューブリックと手塚治虫といえば例の手紙のエピソードだろうな、と思って確認のために本棚を探したのですが目的の本がみつかりません。仕方がないので係の方に案内をお願いし、案内されて驚きました。なんと「児童書」のコーナーにあったのです。手に取って読んでみると、なるほど児童書なのですが、手塚治虫の数あるエピソード(「伝説」ともいいますが。汗)の中でこれが選ばれるとは、となかなか感慨深いものがありました。

 この本を読んだお子さんがキューブリックのことを知り、やがて「映画沼」にハマっていく・・・という事例がどこまで現実味があるかは全く想像できませんが、Twitterで「お父さんの持ってたDVDで『2001年宇宙の旅』を観た」とか、「家にあった『時計じかけのオレンジ』を観ようとすると親に止められた」などといったツイートをたまに見かけることがあります。「キューブリック作品はこうして継承されていくんだなあ」と感慨にしたってよいものやら悩むのですが、そのアーティストや作品との出会いが人生のどの時期の、どういう形であっても、「出会うものには遅かれ早かれ出会ってしまうもの」だと思っています。まあ、出会ってしまったのなら仕方がありません。潔く諦めていただいて(何を?笑)、その後の人生を「正しく狂わせて」いただけたらな、と老婆心ながら思っております。
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あまりにも有名な『ジョンの魂』のジャケット写真と、インナースリーブにクレジットされた「COVER PHOTOGRAPH : DAN RICHTER」

 『2001年宇宙の旅』で猿人「月を見るもの」を演じたダン・リクターは、キューブリックが最後までこだわった(が、結局ボツになった)宇宙人(異星人)「ポルカ・ドットマン」を演じた後(詳細はこちら)、ジョンとヨーコが当時住んでいたティトゥンハースト・パークの邸宅にカメラマン兼居候として、一緒に邸宅に住みながら夫妻のプライベートを撮影するなどをしていました。その撮影技術を磨いたのが、『2001年宇宙の旅』でキューブリックがリクターに、「月を見るもの」を演じるにあたって参考になりそうなものを「好きなだけ調査をおこないたまえ」と、ムービーカメラと無尽蔵のフィルムを使わさせたことがきっかけになったのは想像に難くありません。リクターはそのカメラを持ってロンドン動物園にあしげく通ってゴリラの「ガイ」を撮影し、それがあの演技へと繋がったのです。

 そのリクターはジョンとヨーコの邸宅で、ムービーカメラやスチールカメラを使って撮影係(記録係)をしていたのですが、その映像の一部は『イマジン』のPVの一部(おそらく霧の中、二人が玄関まで歩くシーン)に使用されたり、1972年のドキュメンタリーフィルム『イマジン』にも使用されました(詳細はこちら)。ですが、そのリクターの写真が、まさか『ジョンの魂』のジャケット写真に使われていたとは思いもしませんでした。

 英語版wikiにもその記述があり、リクターはこの写真をインスタントカメラで撮影したそうです。まるで印象派の絵画のような淡い色彩はその効果だったんですね。管理人はもちろん『ジョンの魂』のCDを所有していましたが、再発CDだったし、そんなクレジットがあったことに全く気づいていませんでした。CDはよくクレジット関係を省略することがあるので、所有していた盤は省略されたものだったのかもしれません。

 奇しくも名盤『ジョンの魂』は2021年4月23日に、オリジナル盤発売50周年を記念して8枚組の「スーパー・デラックス・ボックスセット」としてリリースされました。先日の「【関連記事】ジム・モリソンとドアーズがシネラマドームで『2001年宇宙の旅』を観た夜」の記事もそうですが、「キューブリックの作品とその生涯」という縦糸も重要ではありますが、やはりこういった「同時代を生きたアーティストとの横糸」も、その時代の「空気感」を理解する上で非常に重要だと思っています。当ブログでは「キューブリックが生きた時代」を俯瞰的に把握するために、以後もこういった関連情報も積極的に報じて(たまに脱線気味に)いきたいと思っていますので、映画以外のジャンルに特に興味がない方も、何卒おつきあいしていただければと思っています。
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「君たちか?」

「ええ、ちょっとした緊急事態です。我々はプログラマーで、パラレルワールドから来たのですが、ソフトウェアを探しています」「我々の世界のインフラはいつ崩壊してもおかしくありません。しかし、この建物で35のプラットフォームを1つにする強力なプログラムを見つけました」

「聞いてください、パスなしでは誰も入れません」

「だけど我々は本当にプログラマーだから・・・」

「パスを入手してください!」




 ざっとこんな会話をしているみたいです。明らかに色が違うだけの宇宙服を着て、真っ白なIBM(ビッグ・ブルー)のビルを訪問したプログラマーを名乗る人物。IBMとしては意地でも「宇宙服を着た部外者」が「コンピューター室に入る」ことを阻止したいようです。まるでシネスコのようなワイド画面にも意味がありそうですが、何か「トラウマ」でもあるんでしょうか?(笑。

 このCMがいつ制作されたものか詳細は不明ですが、クラークは生前、公開から年月を経て、IBMが『2001年…』に協力したことを自慢しているらしいことを知り、「(噂を)否定するのを辞めた」と語っています。「HALはIBMのアルファベット一文字ずらし」という説の真偽については以前この記事で検証した通りですが、当のIBMが「トラウマ」になっているのだとしたら・・・やっぱり「本当」かもしれませんね。
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