フルメタル・ジャケット

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Matthew Modine
画像引用:IMDb - Matthew Modine

〈前略〉

—スタンリー・キューブリック監督と『フルメタル・ジャケット』を製作することは、どのようなことだったのでしょうか?

 私は彼を映画人として尊敬しています。そして、一人の男性として、父親として、夫として、彼を知ることになったのです。彼はおそらく、私がこれまで一緒に仕事をした中で最も自立した映画人だったと思います。彼は20ヵ月間働き続けても経済的に存続できる方法を考え出したのです。彼がしたことは探求し、実験することができる環境を作ることでした。彼はよく「何テイクやったのか?と聞かれるのが滑稽だ」と言っていました。彼はこう言いました。「モーツァルトに『ヴォルフガング、あなたのコンチェルトにはいくつの音があるのか?』と言われるのを想像してみてくれ。あるいはピカソに『あの絵は何画なんだ?』と。それはとても失礼なことで、誰が気にするんだ? 結果にこそ興味があるはずだろう?」

—『フルメタル・ジャケット』は、あなたが最も誇りに思っている映画ですか?

 誰も見たことのないような子供たちも、私は大好きなんだと思います。アラン・パーカー監督の『バーディ』は大好きです。あれは役者として並外れた経験でした。また、『アラバマ物語』を1962年に映画化したプロデューサー、アラン・パクラとは、アルバート・フィニー主演の『オーファンズ』という映画で一緒に仕事をしたことがあります。私は彼との仕事がとても好きで、マイク・フィギス監督の『明日にむかって…』に出演したのは、純粋に彼ともう一度仕事をしたかったからです。彼は本当に生きる喜びを持っていて、いざ仕事をしようとするととても集中し、準備をしていて、これまで一緒に仕事をしたどの俳優とも違うのです。おそらく次に比べるなら、もう一人の紳士である『運命の瞬間/そしてエイズは蔓延した』で一緒に仕事をしたイアン・マッケランでしょう。

〈以下略〉

(全文はリンク先へ:The Guardian/2022年11月13日




 マシュー・モディーンはキューブリックに対して、いつも肯定的な発言ばかりではありませんでした。ギリギリまで判断を先送りしテイクを際限なく繰り返すキューブリックのやり方、特に拘束時間の長さにはかなり苛立ちを感じていたようです。インタビューにある「一人の男性として、父親として、夫として」とは、『フルメタル・ジャケット』の撮影時モディーンは新婚で、妻は長男(ボーマンと命名)を妊娠中で撮影中に出産したことを示唆しています。にもかかわらずキューブリックは撮影を優先させたので、かなりストレスや不満を抱え込んでいたらしく、当時のインタビューではそれを感じさせる発言もいくつかしています。

 ですが、それから長い時間を経て考え方も変化したのか、最近では肯定的な発言が目立つようになりました。キューブリックは全身全霊で自作に取り組みますが(書籍『2001:キューブリック、クラーク』を読めば、その熱量の凄まじさが伺えます)、俳優やスタッフにも同レベルの熱量を求めるため、そのことが周囲との軋轢を生む場合があったのは否定できない事実です。でもそれは製作者の立場になってみないとなかなか理解できない部分です。モディーンのキューブリックに対する心境の変化は、自身の映画制作における立場の変化、つまり単なる俳優ではなくプロデュースなど映画製作にも関与し始めたことも影響しているのではないかと思います。

 キューブリックはテイクを多さを批判されるのにうんざりしていたのか、モーツアルトやピカソを引き合いに出し「それはとても失礼なことで、誰が気にするんだ? 結果にこそ興味があるはずだろう?」と言っていたそうです。これはキューブリックが映画を「個人の創作物」として捉えていた証左と言えます。ただし個人で創作する音楽や絵画とは違い、映画製作には多くの協力者の存在が不可欠です。当のキューブリックも優秀な俳優やスタッフの存在に頼っていたし、その人たちに対する評価や賛辞も惜しみませんでした。それでもキューブリックは「いち作家」であろうとし続けました。その理由は以下の言葉が示していると思います。

「ある問題に対して君が他人の感情を損なうことを恐れたり、意見の対立を避けるという過ちを犯し、その映画に欠点が生じたとしても、その映画はその後君の生きている限りずっと君とともにある君の作品なのだ」

つまり他のスタッフは去ってしまっても、映画監督だけがその作品と取り残されてしまうのです。駄作を作ってしまったら、その駄作とともに永遠に名前が残るのです。キューブリックにとってそれは絶対許されないことでした。いやどのレベルの、どんなクリエーターでも駄作とわかっていながら発表することなんて屈辱に決まっています。キューブリックにとって映画監督とは「職種」を意味するのではなく「作家」と同義でした。だからこそ、自身がハリウッドと戦って勝ち取った映画制作における絶対的自由(製作期間や予算、キャスティング権など)を最大限に発揮し、徹底的にこだわったのです。それをモディーンは「私がこれまで一緒に仕事をした中で最も自立した映画人」と評しているのです。

 ところでこのインタビューでモディーンは『ストレンジャー・シングス』のマーティン・ブレンナー博士が白髪なのは「日本のアニメで邪悪なキャラは白髪をしているから」と応えています。その日本のアニメがどのアニメを指してのことなのか、ちょっと気になりますね。
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FMJ_ketsu
これが戸田氏の訳だったらどんな「甘い」ものになっていたのやら・・・。

※P144より抜粋

Q『フルメタル・ジャケット』の字幕訳者を交代した理由は?

 たとえば、「Go to hell, you son of the bitch!」というセリフに「貴様など地獄へ堕ちろ!」という字幕をつけたとします。キューブリック監督の要求通り、その字幕を文字通り英語に直すと、「You - hell - drop」となり、英語の構文に整えるとなると「You drop down to hell !」のようなことになる。「Go to hell, you son of a bitch !」が「You drop down to hell !」になって戻ってきたら、キューブリック監督でんくても「違う!」と怒るでしょ。英語とフランス語のように語源を共有し(※注:語源が語族という意図なら英語はゲルマン語族、フランス語はラテン語族で全く異なる)、いまも血縁関係を保っている言語同士ならともかく、まったく異質の言語の間で翻訳・逆翻訳をやって、元の文章に戻ることはありません。

 「a son of the bitch !」の気持ちは「貴様」という「you」とは違う日本語の人称でじゅうぶん表現されていると思います。〈中略〉そういう言語の違いを考慮せず、逆翻訳の文字ずらだけを見るのはナンセンスです。

 「a son of the bitch !」を直訳すれば「メス犬の息子」「ふしだらな女の息子」です。でも、日本人同士でケンカしている時に、「メス犬の息子め!」と言われてもなんのこっちゃ?で、気が抜けてしまいます。〈中略〉

 映画を観ている時に、観客が感情移入してドラマに浸りたいのは当然。その時に「メス犬の息子め!」と聞きなれない表現に訳しても、観客は「??」と戸惑うばかり。「コノヤロー!」と抵抗のない表現にして、自分をケンカしている気分になってもらうのが字幕の役目だと思います。

 Q:字幕の役目とは?

 〈中略〉「字幕を読む」という行為は、映画鑑賞に割り込んでくる余分な作業。字幕はそもそも、あってはほしくない余分な存在なのです。その余分なものに、観客がその表現に一瞬でも戸惑ったり、画面が変わっても読みきれなかったりして、鑑賞を妨げられるような字幕は、良い字幕とは言えません。

 そこで『フルメタル・ジャケット』ですが、日本人には唖然とするほど、卑猥な侮蔑語やフレーズが機関銃のような早口で乱射されます。監督は、これもすべて忠実に字幕にのせろと要求して来ましたが、そんな翻訳は絶対に読み切れるものではありません。字幕を読むのに追われて、観客は映像など見ている余裕がありません。「ケツの穴でミルクを飲むまでしごき倒す!」という文章を読んで、そのイメージが瞬間に咀嚼できますか?もちろんシナリオは一言一句磨き抜かれたもので、どの言葉もなんらかの意味があって、そこにあるのですから、勝手に切り捨ててよいものではない。でも読み切れず、内容のイメージも即座に把握できない「画面の字の羅列」にどういう意味があるのでしょうか?

 字幕の担当者としては、オリジナルの台詞をあくまで尊重しつつも、「字幕を読む=余分な作業」が、観客の負担にならず、映画のすべてー映像、芝居、音楽、その他の要素ーをトータルに楽しんでもらいたい。そこにはおのずと正しいバランスがあるはずで、そのバランスを第一に考えることが、字幕を作る者の持つべき姿勢であり、責任だと思っています。

 Q:キューブリック監督に、字幕事情を説明しましたか?

 残念ながら、この問題は一方通行で進んで、結局『フルメタル・ジャケット』の字幕は、映画監督の原田正人さんが手がけることになりました。

 原田さんはキューブリック監督の要求通りに翻訳しても字幕は読めると考えていました。シナリオがすでにしっかり頭に入っていて、2度も3度も映画を見返せば、むろんそれで問題はないでしょう。でも、入場料を払って映画館に来る観客は、まったくの白紙の状態で字幕を読むのです。ややこしい文章では、理解するのに翻訳した人間の2倍、あるいは3倍はかかる。そのあとに映画そのものを楽しむ余裕はどれほど残っているのでしょうか?

 当時、ある映画評論家が「フィルム・メーカーが心血を注いだシナリオの言葉は一語たりとも切るべきではない。読み切れなければ2度でも3度でも観ればいいのだ」と言いました。そりゃあ、評論家は2度でも3度でもタダで試写を観られます。しかし2000円近い入場料を払い、2時間あまりの娯楽を求めて映画館に足を運ぶ一般の観客はどうなるの?腹を立てていた私に清水俊二先生は「映画は評論家のためにつくられているものではない」と、一刀両断。溜飲の下がるひと言でした(笑)。

Q「誤訳だ」と批判されることに対しては、どんな気持ち?

 お叱りや間違いの指摘は真摯に受け止めますが、基本的には気にしないことにしてます。ほとんどの指摘が文字数の制限とか、字幕に課せられる制約を理解していないので・・・。〈中略〉

Q:新しいスターたちが次々と誕生した90年代。来日と字幕作りで大忙し?

 年間50本近く、フル回転で字幕をつけてたでしょうか。若手のスターが続々と来日してきましたから、二枚目好きのミーハーとしては楽しかったですね(笑)。

(引用元:戸田奈津子 金子裕子『KEEP ON DRAMING』〈2014年発行〉)




 なんだ、そうだったのか!戸田先生、誤解して申し訳ありませんでした!!・・・と思った方は・・・いらしゃらないと思います。もうどこからツッコンでいいのやら(笑。

 「a son of the bitch !」を直訳すれば「メス犬の息子」

—一般的には「売女の息子」ですね。割と日本人でも知っている方は多いのではないでしょうか。

 「ケツの穴でミルクを飲むまでしごき倒す!」という文章を読んで、そのイメージが瞬間に咀嚼できますか?

—できますが何か?

 そんな翻訳は絶対に読み切れるものではありません。

—そもそも『フルメタル…』の公開当時も、映像ソフト化時も、そして現在に至るまで、観客や視聴者から「字幕が読み切れない」「字幕を追い切れない」という話を聞いたことがありません。その時点で戸田氏の言っていることに説得力はゼロです。

 そこにはおのずと正しいバランスがあるはずで、そのバランスを第一に考えることが、字幕を作る者の持つべき姿勢であり、責任だと思っています。

—バランスが正しい、正しくないと、訳のニュアンスが正しい、正しくないは別の問題です。問題をすり替えないでいただきたい。

 そりゃあ、評論家は2度でも3度でもタダで試写を観られます。しかし2000円近い入場料を払い、2時間あまりの娯楽を求めて映画館に足を運ぶ一般の観客はどうなるの?

—2014年時点でこんなこと言う人がまだいるとは。とっくに気に入った映画はDVDやBDで繰り替えし鑑賞する時代です。戸田氏の時代感覚は昭和で終わっているようです。

 お叱りや間違いの指摘は真摯に受け止めますが、基本的には気にしないことにしてます。

—いや、気にしてください!「間違い」なんですから。

 若手のスターが続々と来日してきましたから、二枚目好きのミーハーとしては楽しかったですね(笑)。

—はい、自覚はあるようですね。だったら自分の字幕翻訳家としてのスキルの低さも自覚して欲しいです。

 とまあ、みなさまの代わりにツッコンでみましたが、そもそも戸田奈津子というお方、自身のスキルの低さや誤訳を頑として認めないというプライドの高さに加え、問題を「映画字幕の技術的事情」に巧みにすり替え、さらに言えばその言い訳が世間に理解されるだろうと考えている「甘さ」「世間知らず」が見え隠れします。そしてそれが映画ファンから蛇蝎のごとく嫌われている原因なのですが、まあそれさえもご本人は理解できていないでしょう。

 ところで本書は主に映画スター交友裏話という体裁で、戸田氏のミーハーぶりがいかんなく発揮されています。それに表紙にはバッチリとご本人のご尊顔が登場していますので、書影は当ブログには載せません。Amazonへのリンクを一応貼っておきますが(こちら)、ぶっちゃけ図書館で借りて読めば十分な本ではあります(管理人はそうしました)。

 管理人は原田氏の訳を全面的に支持するわけではありませんが(意味が通らない日本語がある)、それでも『フルメタル…』のハートマン軍曹語録(詳細はこちら)がネットミームとして定着した功績を考えればそれもまた「味」と肯定的に捉えています。ですがもし戸田氏の訳がOKになっていたら・・・『ロード・オブ・ザ・リング』ファンの苦労がこちらにのしかかってきたわけですから、それが避けられただけでも御の字だと、キューブリックファンは思わなければいけないのかも知れませんね。
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FMJ_harada

翻訳家・戸田奈津子「潮時だと思って」86歳で“通訳引退”  スターたちと関係を築く“一番の秘けつ”とは

 長年、ハリウッドスターたちの通訳者として活動してきた、映画字幕翻訳家の戸田奈津子さん(86)にインタビュー。通訳者としての仕事を引退した理由や、スターたちと関係を築く秘けつを明かしてくれました。

〈以下略〉

(全文はリンク先へ:日テレNEWS/2022年7月4日




 戸田奈津子氏引退ですか。かつて『フルメタル・ジャケット』でキューブリックに「セリフに忠実でない」とボツにされ、それに対し戸田氏は「そんなことをしたら文字が多すぎて観客が読みきれなくなってしまう」「いちいち訳しても日本語が混乱するだけ」と猛反発。さんざんワーナーと揉めた挙句、ギャラを全額もらって降板した・・・という有名なエピソードがありました。怒ったのはキューブリックではなく、NGを突きつけられた戸田氏の方ですのでお間違いのなきよう。

 ソースの当時の新聞記事には戸田氏の訳が掲載されていて、「テメエなんか早く、くたばっちまえ!」は原田眞人氏の訳では「セイウチのケツに頭つっこんで、オッ死んじまえ!」になりました。もし戸田氏の訳のままだったら、『フルメタル・ジャケット』のハートマン軍曹語録(詳細はこちら)が、現在のような「伝説」になることはなかったでしょう。ここでもキューブリックは「正しい判断」をしましたね。

 戸田氏曰く「字幕スーパーは原文の半分くらいの分量になるのが普通なんです。この映画のようにセリフが早口で多いものは3分の1程度に短縮します。それを『あの言葉が抜け落ちた』と言われても・・・」だそうですが、日本語を大事にするのは結構ですが、原文を台無しにしては元も子もありません。戸田氏が映画ファンにすこぶる評判が悪いのはその点なんですが、ご本人は最後までそれを自覚していなかったか、自覚していてもプライドがそれを認めるのを許さなかったのかのどちらかでしょう。管理人は『アイズ ワイド シャット』のプレミア試写会で、トム・クルーズとニコール・キッドマンを押しのけるように中央で写真に収まろうとする戸田氏の厚顔無恥ぶりに後者だと判断していますが、プライド「だけ」は高そうなのは引用の引退記事からも伺えますね・・・とここまで書いてきて記事をよく読むと「字幕翻訳引退」ではなく「通訳引退」ですか。字幕の翻訳はまだやるつもりだということですかね? そのターミネーターなみのしつこさもプライドの高さを感じさせます。まあ続けるにしても、いいかげん原文の大切さ(「日本語を大事にする」と力説することで、スラングや専門用語の不勉強の言い訳にしてはならない)を学んで欲しいものです。
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 ・・・まるっきり『フルメタル・ジャケット』ですね。私たち門外漢には『フルメタル…』のリアル度ってなかなか理解できないのですが、元海兵隊員などによると「まるっきりそのまま」という反応をよく耳にします。このような実際の映像を目にすると、従軍経験者がそう言うのも納得できますね。
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Full-Metal-Jacket-2
画像引用:IMDb - Full Metal Jacket

フルメタル・ジャケット・ダイアリー マシュー・モディーンとのQ&A

〈前略〉

スコット・テネント:『フルメタル・ジャケット』の役をどのようにして得たのですか?

マシュー・モディーン:面白い話なんだ。サンセット大通りのソースという店でパンケーキを食べていたんだけど、デビッドの肩越しに私を疑うような目で見ている男がいたんだ。デヴィッドは「ああ、あれはヴァル・キルマーだ、彼は本当にいい奴だ」と言い、僕を紹介してくれた。ヴァルは「ああ、君のことは知っているよ。あんたにはうんざりだよ」と言った。私は『バーディ』、『ミセス・ソフェル』、『ビジョン・クエスト』と立て続けに出演していたんだ。ヴァルは「あんたはキューブリックの映画をやるんだよ」と言ったんだ。朝食を終えて、私はマネージャーに電話したけど、彼は何も知らなかった。キューブリック監督がワーナー・ブラザースで映画を撮っていることは知っていた。ハロルド・ベッカー監督に『ビジョン・クエスト』のプリントを依頼し、アラン・パーカーには『バーディー』のデイリー(粗編集)版を依頼していた(注:キューブリックはモディーンのオフショットにも注目していた)。 つまり、もしかしたらスタンリーは私のことを何も知らなかったのかもしれないし、ヴァル・キルマーは、私が『フルメタル・ジャケット』の役を得たことに何か関係しているかもしれないね。(注:ヴァルは『フルメタル…』に出演したくてオーディションのビデオをキューブリックに送っていた。詳細はこちら

ST:キューブリックとの最初の出会いはどのようなものだったのでしょうか?

MM:(妻と私がロンドンに落ち着くと)スタンリーは運転手を派遣してきて、私たちを田舎の彼の家に連れて行ってくれたんだ。私たちは素晴らしい楼門に車を走らせ、美しい古い田舎の土地に到着するまで長い私道がどこまでも続いていた。犬たちが飛び出してきて、家から出てきたのは髭を生やし、よれよれの服を着て、髪をなでつけた人なつっこい男だった。彼は想像していた通りの親切で優しい人だった。それは、私が聞かされていた彼の性格のすべてとはまったく違っていた。良き友人であり、良き父親であり、良き指導者であったというのが、私とスタンリーとの関係だ。

ST:撮影現場では、警告されていたスタンリー・キューブリックの姿にはならなかったのですか?

MM:彼はかなり非情な部分を持っていることがわかった。でも、それは根拠のない非情さではなかったと思うんだ。彼は、愚か者やバカを相手にすることができなかったんだ。それは、彼が共感的でなかったということではなく、とてつもない共感力を持っていたということだ。

ST:彼の映画は、極端な感受性を持っていると読み取れますね。

MM:まったくその通りだよ。彼はよく冷たいとか、非人間的だとか、彼の映画には硬質な面があるとか非難される。私は全くそうではないと思う。スタンリー・キューブリックが、おそらくどの映画監督よりもうまくやったことは、人間を正直に見つめるということだ。一般にハリウッド映画では人間の善良さ、つまりヒーローによって問題を解決するという理想的な姿が描かれる。しかし実際のところ、私たちがお互いを正直に見つめ、こうありたいと願う姿ではなく、私たちが何者で、何ができるのか、成功を収めるためにお互いに何をしてきたのか、そうしたことを意識しない限り、過ちを繰り返す運命にあるんだ。

ST:撮影現場でのキューブリックは、個人対個人ではなく、監督対俳優として、どのようにあなたと関わっていたのでしょうか?

MM: それは、意識的な選択やポーズから解放されるための反復のアイデアだったと思う。私たちは皆、映画を見て育ってきているので、映画で見た人物をベースにキャラクターを作ることがある。スタンリーが興味を持ったのは、私という人間だ。 私はユタ州で育ち、父はドライブインシアターの支配人だった。ブロンクスで育ったスタンリーにとって、それはまったく異質な世界だったんだ。それが彼には魅力的だった。その繰り返しで、彼はタマネギの皮をはがし、マシュー・モディーンという人間の核心に迫っていくんだ。マシュー・モディーンが想像するプライベート・ジョーカーではないし、ジョン・ウェインやジェームズ・スチュワート、ヘンリー・フォンダを再現したものでもないんだ。

ST:その時、あなたはその繰り返しにどのように対処したのですか?

MM:スタンリー・キューブリックの作品だから違和感なくできた。彼の映画の実績は十分に知っていたので、彼がもう一度と言うのなら、何か理由があるに違いないと思っていたよ。その理由を理解しようとし、どうすれば違うことができるのか、時には気が狂いそうになることもあった。でも、私にとって理解することは重要ではなかった。やってみて、うまくいくことが大事なんだ。

ST:『フルメタル・ジャケット』の撮影は2年間ロンドンに滞在していたそうですね。その間に息子さんが生まれたということですが、この映画の撮影は、あなたにとって一生の思い出になったのではないでしょうか。

MM:妻が緊急帝王切開をすることがわかったんだ。赤ちゃんが子宮の中でうまく育たなかった。7ヶ月目という非常に早い時期だった。仕事をしている場合じゃないと思った。ドリアン・ヘアウッド(エイトボール役)の撮影があった。私はそのシーンには関与していない。だから急いで出勤したんだけど、スタンリーは時間通りに来なかったんだ。7時、8時、9時。私はパニックになった。ようやく彼が出勤してきたので、事情を話した。すると彼は「どうするんだ?手術室で立っているつもりか?血だらけで気絶しちゃうよ。医者の邪魔になるだけだよ」と。

 私は「いや、行かなくちゃ」と言いました。「私は妻と一緒にいなければならないんだ」と。すると彼は、あなたがそこにいる必要がない、実に現実的な理由を語り始めたんだ。私はポケットナイフを持っていたので、それを手のひらに乗せて、「見てくれ、自分で手を切ってでも病院に行かなければならないんだ。妻の元へ行くために私を病院へ行かせてくれ」と言ったんだ。すると彼は私から離れて「わかった、でも終わったらすぐに戻ってきてくれ」と言ったんだ。

 スタンリーが怒ったのは、私が「仕事にならない」と言ったからだと思う。私はディレクションの役割も担っていたんだ。「何をするか、何が必要か、俺に教えるな」とね。そして、戻ってきて葉巻を配ったんだ(注:子供が生まれた際に行うアメリカの風習)。さらに3日間撮影しなかったよ。

 それから息子の名前のことで激しく文句を言われたよ。息子の名前はボーマンというんだ。ボーマンが『2001年…』の主人公の名前であることは思いもよらなかった。息子が生まれる5年前から、私たちは彼にボーマン・モディーンという名前をつけることに決めていたんだ。家に帰って『2001年…』を観て初めて、私が息子にキア・デュリアの名前をつけたと彼が思っていることに気づいたんだ。

ST:『フルメタル・ジャケット・ダイアリー』のアプリは、この映画の制作過程を知る上で、本当に素晴らしいものです。すべての映画で同じような日記を付けていたのですか?

MM:いや、ジャーナリストを演じていたからだ。小道具として、この小さなアジア製のメモ帳を見つけたんだ。ジャーナリストを演じているのだから、これに書くのがいいだろうと思ったんだ。二眼レフカメラで、それは本当に美しい芸術品だ。スタンリー・キューブリックが撮影現場で写真を撮ることを許可してくれるという状況に、私は身を置いたんだ。 ジャーナリストとして日記を書きながら、何の前触れもなく、突然こんな素晴らしいドキュメントを手にすることになったんだ。スタンリーは私に日記をつけることを勧め、撮影現場で時々日記を読むように言ってきたよ。これは偶然だけど、とても良いことだった。私はより観察力を高め、何が起こっているのかをきちんと記録することを余儀なくされたのだから。

 2013年の今、私がこの日記を気に入っているのは、スタンリー・キューブリックと映画を作った時のタイムカプセルでありながら、理解できない状況に置かれた若者の視点から語られている点なんだ。後知恵で書かれたものではなく、その瞬間に書かれたもので、弱さと純真さに満ちているんだ。

ST:何が理解できなかったのですか?

MM:スタンリー・キューブリックの映画への出演を依頼される。撮影を開始することになる。1ヵ月が過ぎ、2ヵ月が過ぎ、遅れが出てきた。その遅れが何なのか、あなたは知らない。そして、撮影が始まり、シーンを撮っても上手くいかない。そうすると自分のエゴで、このシーンが上手くいかないのは自分のせいだと思い始めるんだ。スタンリーが自分の映画を見つけようとしていること、自分がフィルムに収めようとしている瞬間の真実を発見しようとしていることを考慮しないんだ。ベトナムにいるはずなのに、光はまるでロンドンのようで、灰色で曇っている。セットはまだ準備できておらず、このシーンが何なのかよくわからない。彼は自分の映画を探すために、3つも4つも違う場所を奔走しているんだ。日記の中で発見するのは、「存在」という概念だ。人生における大きな葛藤、特にアーティストとしての葛藤は「存在すること」なんだ。それを早く発見する人もいれば、そうでない人もいる。私はマーロン・ブランドがそれを早く発見したと思う。ピカソもそう。モーツァルトもそうだ。彼らは誰かを喜ばせようとするのではなく、自分の天才的な才能を発見しているんだ。スタンリーは非常に早い段階で自分自身を発見した人だったよ。

 他の作品での経験から、撮影スケジュールがどのようなもので、コールシート(呼出票)を受け取り、次の日の仕事をこなすために、毎日どれだけの仕事をこなさなければならないかを知っている。しかし撮影が始まって数カ月、コールシートは何の役にも立たなかった。私たちは何も前進しておらず、私の自我は、これは私のせいだと言ってきた。私は間違いを犯している、彼に必要なものを与えていないのだ、と。私は野原に立っていたんだけど、スタンリーがジープに乗ってやってくるのが見え、また戻って私のほうに近づいてきたんだ。私は背の高い草の中に隠れようとしたんだけど、彼がやってきて、私が困惑しているのを見つけたんだ。どうしたのかと聞かれたので「この役をどう演じたらいいのかわからないんだ」と答えた。「あなたが何を望んでいるのかわからないんです 」と。

 彼はジープを止め、髭を触り、咳払いをして、「いいか、私は君に何も〈演じる〉ことを求めてはいないんだ、ただ、〈自分らしく〉して欲しいんだ」と。彼は車を走らせ、私は日記にこう書いたんだ「あの言葉の重要な部分は〈自分らしく〉であることを知った」とね。それを書いたのは若い人間だ。先ほども言ったように、「剥がす」「繰り返す」ことで、その人のDNAが見えてくるんだ。虚飾や誇示・・・それは旅であり、簡単に辿り着けるものではないんだよ。

ST:日記を共有できるものにしようと思われたのはいつ頃ですか?

MM:もともと写真が好きで、写真集を出したいと思っていたんだ。ただそれがやりたかっただけなんだ。最終的にラギッドランドという小さな出版社を見つけて、何か特別なものを作ろうと思ったんだ。スタンリーが手にして、「これはすごい」と言ってくれるようなものでなければならなかった。 だからヒンジのついた金属製の本で、2万部限定だったんだよ。出版社からは「写真だけではダメだ、ストーリーが必要だ」と言われた。日記を書き起こしてみると、これはスタンリー・キューブリックの世界に入り込む素晴らしい旅であることに気づいたんだ。そして、それは無心の視点であり、無防備な旅でもあったんだ。

〈以下略〉

(全文はリンク先へ:LACMA UN FRAMED/2013年3月4日




 テイクを繰り返すことによって、キューブリックが俳優との共同作業でシーンを作っていったという証言です。前回は『2001年…』のキア・デュリアでしたが(詳細はこちら)、今回は『フルメタル…』のマシュー・モディーンです。記事中の『フルメタル・ジャケット・ダイアリー』のアプリはこちらからダウンロードできます。有償ですが、ファンなら持っておいて損はないです。

 面白い話として、キューブリックと関わった俳優やスタッフは、誰もが同じような経験をするそうで、一部ではそれを「キューブリック神話に参加する」と言われていたそうです。すなわちキューブリック邸に食事に招かれ、身なりに構わないキューブリックに驚き、いままでの作品を褒めちぎられ、いざ制作に参加するとアイデア出しやアドリブを促され、それを提示すると答えや結論を安易に示さずダメ出しを繰り返えされ、悩むと優しく励まされるが、結局何が良いのかわからず献身的に尽くすしかない・・・といった具合です。

 キューブリックが「何が欲しいのかわからないが、何が欲しくないのかはわかる」と語り、大体の方向性だけしか示さず、細かくああしろ、こうしろと指示しなかった理由は、指示をしてしまうと俳優はその演技で満足してしまい、さらなるアイデアの追求をしなくなってしまうからということは、以前こちらで記事にしました。さらに言うと、撮影に関わるのは何も監督と俳優だけではありません。カメラマンや照明や音声など、撮影スタッフも当然関係してきます。『シャイニング』でステディカムオペレーターを担当したギャレット・ブラウンは、そのシーンの撮影の最適解を得るためにはそれなりのテイク数が必要だったと語っています。もちろんそれは新しいアイデアが浮かび、それを試すとなるとまた一からの作業になります。そうやってテイクが際限なく繰り返されれば、撮影期間も長期間に及びます。キューブリックのテイクの多さは、技術的な習熟度を上げたいからという理由もあったことを知っておかなければならないでしょう。

 マシュー・モディーンにとって、キューブリックの答えもわからずテイクを重ねるやり方は、ストレスも溜まりますし、俳優やスタッフの負担も大きいので、とても辛い体験だったのはよく理解できます。文句や愚痴の一つでも言いたくなるでしょう。でも結局時間が経てばこのように理解できるようになってくるのは、自身の成長と、単なる出演俳優から製作へと立場を移すからでしょう。キューブリックのようにスケジュールを気にせず、リハーサルに時間をかけ、テイクを何度も重ね、自由に演じながら最適解を求める撮影がいかに贅沢で、いかに特権的であったかは、製作の立場になってやっと理解できるという面もあるのではないでしょうか。

 ハリウッド・メジャーであるワーナーから製作費の全面支援と、製作の自由(作りたい作品のチョイスから製作期間、宣伝方法まで)を勝ち取ったキューブリック。それがいかに特別なことであったかは、同じ立場にいる方なら「そんなことはありえない、信じられない」と言うでしょう。もちろんそれはキューブリックにそれだけの才能、実力、実績が伴っていたからです。キューブリックは24歳の頃、劇映画処女作『恐怖と欲望』の出資者である叔父に「お前はいつかは成功するだろうから、それに一枚噛みたいんだ」と言わせるほどの才能の持ち主でした。そして自身はそれを当然視することはなく、「さらに、さらに良い作品を・・・」と常に上を目指し続けたのです。そんなキューブリックに対し、凡庸な才能さえ持ち合わせていない私たちが何を言えるのでしょう? キューブリックの遺した作品についての好悪はそれぞれあって構いませんが、スタンリー・キューブリックという映画監督・映画製作者がいかに特別な存在であったかを、もっと多くの人が知るべきだと私は思っています。
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