ジョーカーが撃たれた瞬間のイメージ写真(ロバート・キャパ『崩れ落ちる兵士』)
ジョーカー、8歳。プラスチックのライフルを携えて野原を走っている。
「動け、動け、動くんだ!!!」
みんながあなたに何をすべきか指示する。動け、動け、動き続けろ。動きを止めれば、ためらえば、心臓は止まる。足はおもちゃのように巻き上げる機械だ。
ジョーカー、海兵隊員。走りながらライフルを撃つ。
ジョーカー、8歳。おもちゃのライフルを撃つ。
世界中を走り回れるような気分だ。今、アスファルトはトランポリン、素早く優雅に、緑のジャングルの猫のように。
ジョーカー、海兵隊員、走る。
ジョーカー、8歳、走る。
足が瓦礫の上を上へ上へと連れて行く...上へ...上へ...あなたはそれを楽しんでいる...あなたは人間ではなく、動物であり、神のように感じている...あなたは叫ぶ「死ね!死ね!死ね、このクソ野郎ども!死ね!死ね!死ね!」
海兵隊員のジョーカーは、自動小銃の連射で撃たれる。
8歳のジョーカーは、苦痛を伴い胸を押さえ地面に倒れ始める。彼の映像はキャパの有名なスペイン内戦の写真のようなポーズで、静止したフレームが捉えるまでスローダウンする。その写真には、致命傷を負った男がカメラによって落下中に永遠にぶら下がっている。
しかし、この写真は8歳の少年のものだ。
墓地。ジョーカーの葬儀。明るい晴れた日。ジョーカーの母親と父親は青白くやつれた顔で、天蓋の下に集まり、国旗で覆われた棺と対面し、親戚や友人たちに囲まれている。ジョーカーの父親は気難しそうに話す。
「息子は…熱烈に…作家になりたいと望み…ベトナムにいる間、このノートを持っていました…遺体で発見されました。これから…そのノートから数行読みます…息子が持っていた…計り知れない…才能…を示すものです…その才能は…今では…永遠に失われてしまいました」
目に涙を浮かべながら、ジョーカーの父親は汚れて使い古されたノートの特定のページを探し回った。彼はそれを見つけると、たどたどしく声に出して読み始めた。
「私はよく…10歳の頃のことを思い出します…。私は…太陽が昇る前…そして本当に目が覚める前に…ベッドに横になって…これからの長くてエキサイティングな一日を考えるのが好きでした。 空はピンク色に染まり始め、外の静寂は木々のざわめきと鳥の鳴き声に変わりました。私は誰も起こさないように階下に降り、裏庭に出ました。空気は芳香を放ち、冷たく、私は太陽が山の後ろからゆっくりと昇るのを眺め、スズメが露に濡れた草をついばんでいるのを目にしたのです」
「私は幸せを...抑えることができませんでした」ジョーカーの父親はかろうじて話を続ける。「あの庭と町の外の世界について、私は何と知らなかったことか」
ジョーカーの父親は涙でいっぱいになる。妻が彼を抱きしめる。彼は落ち着きを取り戻し、話を続けた。
「そして今、私はA. E. ハウスマンの詩を読みたい。妻と私が彼の墓碑銘として選んだものです」
「我々がここに死んで横たわっているのは...生きることを選ばず...我々の生まれた土地に恥をかかせることを選ばなかったからだ...確かに...命は...失うが大したことではない...だが若者はそう考える...そして我々は若かった...」
涙を流しながら、父親はゆっくりとノートを閉じる。ノートの表紙にジョーカーのピースバッジがピンで留められているのが見える。
引用:Full Metal Jacket / A Screenplay by Stanley Kubrick & Michael Herr
キューブリックは『フルメタル・ジャケット』のラストシーンについて、脚本段階では上記のようにジョーカーは戦死し、故郷での葬儀のシーンで終わることにしていました。ですが脚本を撮影の叩き台と考え、撮影時にシナリオを発展させることを好むキューブリックはこの結末を決定稿とはせず、判断に迷いもあったのか、エイトボールを演じたドリアン・ヘアウッドによると出演俳優を集めて「この映画の結末はどうしたらいいと思う?」と訊いたそうです。中でも激しい議論となったのがマシュー・モディーンで、モディーンはジョーカーは生き延びるべきだと強く主張し、最終的には原作小説に近い形で(原作でもジョーカーは生き残る。ただし市街戦の後にジャングルでの戦闘に参加している)のラストシーンに落ち着きました。
上記の脚本を読んで思うのは、世の中の事象を冷徹な視点で描くキューブリックにしては珍しく「ウェット」だな、ということです。『突撃』のラストシーンもウェットでしたが、それよりもウェット感は強く、まるでスピルバーグの『プライベート・ライアン』のようで、正直言ってキューブリックらしくありません。ではどうしてこの脚本でいったんOKを出したのか?それは想像するしかありませんが、キューブリックはベトナム戦争に駆り出されていたのが10代〜20代前半の若者たちだった事実に興味を示していて(だからラストシーンで子供の歌である『ミッキーマウス・クラブ・マーチ』を歌わせた)、この脚本でも少年時代のジョーカーの姿を戦闘シーンにダブらせていることから、「ベトナム戦争=若者(子供)の戦争」というテーマがあったことは容易に想像できます。ラストに流れるストーンズの『黒くぬれ!』の採用もその発想からでしょう。
原作小説『ショート・タイマーズ』を読めば、ベトナムに派遣された兵士の一番の関心事は「戦争に勝つこと」ではなく「生き延びて祖国に帰ること」であったことがわかります。映画の撮影の順番は戦場シーン→訓練シーンだったので、ラストシーンが脚本から大幅に変更され、ジョーカーが生き残ると決まったことはその後の撮影に影響を及ぼしたであろうことは想像に難くありません。パイルの自殺とジョーカーの死をそれぞれ前半、後半のラストで描くことによって、ある種の「効果」を狙った可能性もありますが、原作小説のテーマを考えると葬儀シーンは違和感があります。やはり現状のラストは正解だったと強く思いますね。