"What happens at the end of the film must tap the subconscious for its power. To do this one must bypass words and move into the world of dreams and mythology. This is why the literal clarity one has become so used to is not there. But what is there has visceral clarity. It is for this reason that people are responding so emotionally. The film is getting to them in a way they are not used to. Obviously, in making the film we had to have some specifics in order to design, build and shoot. This has no value to the viewer even if he thinks otherwise."Here is what we used for planning:"In the Jupiter orbit, Keir Dullea is swept into a star- gate. Hurtled through fragmented regions of time and space, he enters into another dimension where the laws of nature as we know them no longer apply. In the unseen presence of godlike entities, beings of pure energy who have evolved beyond matter, he finds himself in what might be described as a human zoo, created from his own dreams and memories."He sees himself age in a time-mirror, much as you might see yourself in a space mirror. His entire life passes in what appears to him as a matter of moments. He dies and is reborn-transfigured; an enhanced being, a star child. The ascent from ape to angel is complete.”
「映画の最後に起こることは、潜在意識の力を利用する必要がある。そのためには、言葉をバイパスして、夢や神話の世界に入り込まなければならない。これが、これまで慣れ親しんできた文字通りの明瞭さがない理由だ。しかし、そこにあるものは、直感的な明瞭さを持っている。だからこそ、人々は感情的に反応するのだ。この映画は、彼らが慣れ親しんでいない方法で、彼らの心を掴んでいる。もちろん、この映画を作るには、デザイン、建築、撮影のために、ある程度のスペックが必要だった。木星の軌道で、キア・デュリアはスター・ゲートに押し込まれる。時間と空間の断片を通り抜け、彼はもはや我々の知る自然の法則が適用されない異次元に突入する。物質を超えて進化した純粋なエネルギーの存在である神のような存在の見えないところで、彼は自分自身の夢と記憶から作られた人間動物園とも言うべき場所にいることに気づく。彼の全人生は、彼にとっては一瞬の出来事のように見える。彼は死に、生まれ変わり、強化された存在、スターチャイルドになる。猿から天使への昇華が完了したのだ」
(引用:@BlackHoleMovies)
キューブリックは『2001年宇宙の旅』について、終始「説明はしない」という態度を示していましたが、クラークの小説版が出版されたあたりから、ネタバレとも言えるコメントやインタビューをするようになりました。1970年のジョセフ・エルミスによるインタビュー(『イメージフォーラム増刊号 キューブリック』に掲載)では、しっかりとラストシーンについてネタバレしています(詳細はこちら)。
ところが、このコメントには1968年4月とのタイムスタンプがあります。引用元によると、ニューヨークでの初公開時に配布されたものではないか、とのこと。もしこれが正しいとすると、この記事は公開直後に出されたものになります。この頃はまだまだ激しい批判の嵐に晒されていて、キューブリックが憔悴しきっていた時期になります。それもあって思わずネタバレコメントを出してしまったのかもしれません。書籍『2001:キューブリック、クラーク』にも記述がありますが、それだけその頃のキューブリックが抱えていた、作品の無理解に対する焦りと失望は、とても大きかったのだと言えるではないでしょうか。