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『シャイニング』の左のシーンでは背景にある椅子が右のシーンにはない。キューブリック作品にはこのような編集上のミスがいくつもある。

 「スタンリー・キューブリックは完全主義者である」というのは、すでに世間一般に広く流布され、多くの関係者もそう証言するのは事実です。ですが、この「完全主義者」という言葉の意味について、「完全に誤解されている」と言わざるを得ません。以下はwikipediaの引用です。

完璧主義(かんぺきしゅぎ、英: Perfectionism)とは心理学においては、万全を期すために努力し、過度に高い目標基準を設定し、自分に厳しい自己評価を課し、他人からの評価を気にする性格を特徴とする人のこと。定められた時間、限られた時間の内にて完璧な状態を目指す考え方や、精神状態のことである。このような思想を持ったものや、そのような心理状態の者を完全主義者、もしくは完璧主義者(英: perfectionist)と呼ぶ。

(引用:wikipedia/完璧主義


 この説明にある通り、「万全を期すために努力し、過度に高い目標基準を設定し、自分に厳しい自己評価を課し、他人からの評価を気にする性格を特徴とする人のこと」であって、「些細なミスをも許さず、常に完璧であろうとすること」ではないのです。ですが、多くの人がこの「完全主義者」の意味を「些細なミスをも許さない人」と誤解してしまっているのは由々しき事態です。というのも「ミスを許さない」と「完璧な状態を目指す」はイコールではないからです。

 キューブリックにとって「完璧な状態を目指す」とは、「自身にとって完璧に納得がいく作品を世に送り出したい」という欲求に他なりません。これについて本人は「その映画に欠点が生じたとしても、その映画はその後君の生きている限りずっと君とともにある君の作品なのだ」と語っています。つまり、後になって「ああすればよかった、こうすればもっと良くなったかも」という後悔をしたくないのです。すなわちキューブリックの目指す「完璧(完全)」とは、「自身にとって完璧に納得がいく、ベストだと思える作品を目指して細部まで徹底的にこだわる」という姿勢です。だからこそどの作品にも全良投球で臨んだのです(残念ながらそれは自身の命を削る行為であったことは間違いありません)。それほどまでに追い求めた「徹底的にこだわった」ゆえの満足感や「やりきった」という充足感・・・。それさえあれば、「些細なミスは許容する」のがキューブリックなのです。

 その証拠として、ミスをなくすことを優先するのであれば、俗にいう「一発OK」であればいいのです。そうすれば上記のような編集上のミスを避けられます。ですがキューブリックは、そのシーンの最上のものを求めてテイクを時には100回以上繰り返しました。本人自身も何が最上かはわからないままに、俳優やスタッフのアイデアを借りてまでして、「そのシーンの最上のテイク」を追求するためにトライ&エラーを繰り返し続けたのです。もちろん記録をとったりポラでセットの状態を撮影したり、ミスをしないようには心がけました。ですが、そのシーンの撮影が1週間やそれ以上に及び、テイクも100回を超えてしまうのなら、こういった編集上のミスは避けられません。もちろんキューブリックはそれは承知の上だったと思います。編集時もそれは同じで、ミスの有り無しよりもテイクの良し悪しを優先しました。だからキューブリック作品にはミスがあるのです。ですので「(ミスを許さない)完全主義者なのにミスがある」という批判は完全に的外れだと言えるでしょう。

 もし、この記事を読むまで「完全主義者」の意味を誤解していたのだとしたら、すぐさまその誤解を解くことをお願いいたします(このブログを始めてからずーっと言い続けていることなので)。なお、当ブログでは「完全主義者」という言葉は誤解を招きやすとして「こだわり」という言葉を使用するようにしています。ただ、この言葉が適しているとは思っていません。他に適した言葉がないからそうしているだけです。キューブリックは「些細なミスをも許さない完全主義者」ではなく、「納得できる作品になるよう徹底的にこだわる完全主義者」という理解が定着すれば、こんな苦労をしなくて済むのですが、「完全主義者」の言葉の響きから「ミスを許さない」と感じ取れてしまうのは事実なので、やはりこれからも「こだわり」という言葉を使わざるを得ないなと、半ば諦めつつそう思っています。