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画像引用:IMDb - The Shining

 スティーブン・キング原作の映画は数多くありますが、どちらかといえばB級ホラー作品が多い。ところが監督が違うと、ここまで格調の高いホラー映画になるのかという、一番のいい例がこの『シャイニング』です。名匠・スタンリー・キューブリックの手にかかったことで、すべてがグレードアップされたという気がしますね。

 僕は、映画というのは、結局は監督のものだと思っています。もちろん、原作や脚本も重要な要素ではありますが、映画は監督によって180度違うものになる。僕の漫画も何度か映画化されていますが、その度にまったく違った作品として生まれ変わるのです。ですから、原作者が出来上がった映画を観て後から文句を言っても仕方がないと思いますね。

 僕は、自分の漫画を映画化したいと言われたら、承諾した以上はそれから先は一切口を挟みません。原作という素材をシェフである監督に渡して、「あとはどうにでも調理してください」という感じです。映画は監督のものなのですからね。

 でも、スティーブン・キングはそういうタイプではないようで、この映画の出来がまったく気に食わずに随分と文句を言った挙句、結局自分の製作総指揮・脚本によるテレビ映画を1997年に撮っています。

 キングは、キューブリックによって自分の原作が格調高い「A級ホラー」になってしまったことが気に食わなかったのだと思います。彼はきっと、ジョン・カーペンターのようなB級ホラー専門の監督に撮ってもらったほうが良かったのでしょうね。

〈以下略〉

(全文はリンク先へ:cinemaplus/2021年7月25日




 キューブリックは『2001年…』のインタビューで、「小説は映画よりもずっとはっきり説明しようとする。それは言語媒体では避けれない」「非常に散文的なことは、印刷物でなら上手くいける」と語っています。つまり、言語媒体である小説と映像媒体である映画との違いをはっきりと認識し、小説をそのまま映像化しても良い映画にはならないと考えていたのでしょう。スティーブン・キングは映像制作の経験は(『シャイニング』の時点では)ありませんので、その違いを実感としてよく理解していなかったのだと思います。

 ただ、この『シャイニング』に関してはキューブリックは根本から「作り直し」をしています。そのことがキングの逆鱗に触れたのですが、小説と映画の違いは、以前こちらの記事で詳細に書き出して考察しています。端的にいえば「キューブリックは善悪を誰にでもある曖昧なものと考え、キングは勧善懲悪を好んだ」ということなのですが、弘兼氏の言う「B級ホラー」とは、この「勧善懲悪(善と悪との戦いで善が勝つ)」の部分を含んだ「テイスト」を指しているのでしょう。

 そうなると一つの疑問が浮かび上がってきます。つまり、キューブリックが好むはずがない「勧善懲悪のお化け屋敷ホラー」である小説『シャイニング』を、なぜキューブリックは映画化したか?という疑問です(キューブリックは一応小説を「気に入った」とは語っています)。これについては様々な要因が考えられるのですが、それは今後考察記事としてまとめたいと思います。

 ちなみに弘兼氏は記事で『シャイニング』の監督にジョン・カーペンターの名前を挙げていますが、もしそうなったらあんな感じになるな、というのは想像ができますね。あとスピルバーグだったら、とか、バーホーベンだったら、とか想像してみるのも楽しい。でも、もしマイケル・ベイなら「シャイニング」能力でダニーが呼んだ米空軍が、ミサイルでホテルを吹っ飛ばしていたことでしょう(笑。