Donovan_1969
1960年代後半、恋人同士だった頃のドノヴァンとスー・リオン。

 スー・リオンがドノヴァンの人生に登場したのは1965年末のことだ。のちにリリースする曲『ジェニファー・ジュニパー』のモデルになったジェニー・ボイド(ジョージ・ハリスンとエリック・クラプトンの妻、パティ・ボイドの妹)と出会う2、3年前だった。スーはドノヴァンと出会う前に『ロリータ』や『イグアナの夜』に出演していた。2人は1967年まで付き合っていたが、スーが突然関係を終わらせてしまった。ドノヴァンはパーティーで、スーとその友人の飲みかけのコップにLSDを入れたことをバラした。スーはこの時のトリップを「怖くて不安だった」「自分の自制心が崩壊していくのを感じた」と語っている。この事件の後、スーは1975年まで二度とドノヴァンと口をきかなかった。現在、2人は良い友人であり、スーはアイオン・スカイ(ドノヴァンの娘)と、キング・アドロック(ビースティ・ボーイズ)との結婚式にも出席した。

 ジェニー・ボイド、リンダ・ローレンス、イーニッド(名字は忘れた)、そしてスー・リオン・・・ドノヴァンの交際相手を考えると、ドノヴァンは魅力的な人物だった。

(引用元:YouTube:Sunshine Superman- Donovan/2007年6月20日




 以前こちらで『ロリータ』のプロデューサーであり、キューブリックの当時のビジネスパートナーだったジェームズ・B・ハリスとスー・リオンが、恋人関係であったことを記事にしましたが、その後の1963年12月から1年間、スーはハンプトン・ファンチャー(当時俳優、その後『ブレードランナー』の脚本家として活躍)と結婚していました。つまり、ドノヴァンと恋人関係にあったのはファンチャーと離婚してからということになります。結婚と離婚を5回も繰り返した「恋多き女」、スー・リオンを地でいくエピソードですが、上記の文章の正確なソースは見つけられませんでした。ネットに上がっていないどこかのインタビュー記事がソースなのかもしれません。

 さて、当時スーの恋人だったドノヴァンですが、現在の日本でこのアーティストの名前を挙げる人は一体何人いるでしょうか?ロックの歴史に詳しい方なら、もちろん名前と代表曲くらいはご存知でしょうが、同時期に活躍したアメリカの雄、ボブ・ディランに比べてその扱いはかなり小さいのではないかと思います。ドノヴァンはいわゆるフォークロック(ロックスタイルでフォークを演奏する音楽ジャンル)のアーティストとして知られていました。有名どころで言えばエレキ転向以降のボブ・ディランやバーズ、名曲『サウンド・オブ・サイレンス』を「勝手に」フォークロックにされてしまったサイモン&ガーファンクル、イギリスでは初期のデイヴィッド・ボウイなんかがそうです(ボウイは登場時、「ドノヴァンの二番煎じ」などと言われていた)。もちろんこの時代のことですからサイケデリック、いわゆるドラッグカルチャーと無縁でいられるはずもなく、上記のスーのドラッグ体験も当時としては珍しくない、アーティーストが集まるパーティーでのひとコマだと言えるでしょう。

 スー・リオンと恋人関係にあった時期のドノヴァンの代表曲の一つである『サンシャイン・スーパーマン』の動画(下記)には、スー・リオンの画像が使われています。動画の概要欄は上記の文章の引用元です。この曲はブルース・フレーバーが強いですが、フォーク・ロックというのはだいたいこんな感じのサウンドだと思っていただければ良いかと思います。興味のある方はボブ・ディランのロック転向後の代表曲『ライク・ア・ローリング・ストーン』、バーズの『ミスター・タンブリンマン』、初期ジェファーソン・エアプレインの『ホワイト・ラビット』(映画『プラトーン』で使用された)、スー・リオンの友人ママ・キャス(ドノヴァンとの出会いに関係しているかも)がメンバーのママス&パパスの『夢のカリフォルニア』、そしてフォークロックの名曲、デヴィッド・ボウイの『スペース・オディティ』などを、ぜひ聴いてみてください。