Faer_Killers
「狂気」と「純愛」。同じ「男女」でもこれだけ違う『恐怖と欲望』(1953)と『非情の罠』(1955)。

 キューブリックの劇映画デビュー作『恐怖と欲望』は1953年3月30日にニューヨークのギルド劇場で公開され、やがて全米で公開されました。それは興行主のジョゼフ・バースティンが資金を回収しようと目論んだからに他なりませんが、その公開は「一番館で華々しくロードショー公開」などと言えるものではなく、二番館やアート系(ポルノ劇場系も含む)、果てはドライブインシアターまで、要するに当時の若者のデート用映画(映画よりも暗闇を求める)のひとつでしかなかったのです。自分で資金を集め、ロサンゼルスへロケをし、監督から撮影、雑用までなんでもこなして本作を作り上げたキューブリックにとって、その状況は屈辱的であったであろうことは容易に想像できます。『恐怖と欲望』には、キューブリックが志した「映像と編集で語る」というシーンが頻出(キューブリックの無声映画好きがよくわかる)し、未熟で、青臭くて、低予算による映像の貧弱さはあるものの、「俺はこういう映画が撮りたいんだ!」という気概に満ちた良作として、現在もその価値を失ってはいません。

 キューブリックはこの頃、どうにかしてハリウッドに潜り込もうと無我夢中でした。そのオファーのきっかけとしてこの『恐怖と欲望』が、見る目のあるハリウッド関係者の関心を引くことを期待していたのです。しかし、結果は興行的に失敗したばかりか、ハリウッドから映画監督デビューの話が舞い込むことなど夢また夢の状況でした。当時20代半ばのキューブリックはおそらくこの時点で、「世間の冷たい現実」を身を以て知ったのでしょう。いくらルック社で「若き天才カメラマン」としてチヤホヤされたところで、ハリウッドという札束が舞い踊る世界から見れば、カネを生み出さない自分なんて芥子粒以下のゴミの価値さえない・・・キューブリックはそう判断したのだと思います。次作では「いかにもハリウッドが好みそうな、大衆受けする映画」を作ろうと決めました。そうです、それが『非情の罠』なのです。

 この『非情の罠』はおおよそキューブリックらしからぬ作品です。惹かれ合う男女の薄幸な生い立ち、そこから逃れるために夢を追い求める二人、汗臭いバトルシーン、銃と暴力、性と欲と犯罪が渦巻くニューヨークという舞台、そして安直なハッピーエンド。キューブリックは「これでもか」というばかりにハリウッド受けする要素を詰め込みました。しかし、この作品も興行的はおろか、評価も芳しいものではありませんでした。ですが、この作品をきっかけにある男と知り合うことになります。そう、ジェームズ・B・ハリスです。ハリウッドとのコネを持っていたハリスは、有能な映画監督と組んでハリウッドで一旗上げることを目論んでいました。そのハリスが認めたのがキューブリックだったのです。ハリスのおかげで、ハリウッドとのコネを得たキューブリックはロサンゼルスへ飛び、ハリウッドデビュー作『現金に体を張れ』を制作することになりました。キューブリックはその後も時折「らしさ」は見せつつも、ハリウッドや大衆に迎合した作品を作り続けました(『突撃』でのハッピーエンド改変未遂はその代表例)。キューブリックが本当にやりたいことをやり始めたのはカーク・ダグラスと袂を分かった後、『ロリータ』『博士の異常な愛情』の頃からです。そして満を持して発表した『2001年宇宙の旅』で、その才能をフルに花開かせたのです。

 劇映画処女作『恐怖と欲望』は、映画監督としての「キューブリックの初期衝動」が詰まった作品です(個人的にはビートルズのハンブルグ時代の荒々しさを想像させます)。それからすぐに大衆向けの『非情の罠』に取り掛かったのは、まずは、興行価値のある映画を作る監督であることをハリウッドに知らしめるという、冷静な現実的判断があったのだと思います(まるでブライアン・エプスタインに言われて革ジャンを捨て、スーツを着たみたいに)。だから時間を惜しみ、遠回りをせず、たった2年のブランクで『非情の罠』を公開したのでしょう。その結果、この2作は見事なコントラストを描き出すことになりました。それは、キューブリックの「本心」と「計算」です。キューブリックは生涯、「自分の作りたい映画を作り続けるためには興行成績が重要だ」というバランス感覚を失うことはありませんでした(失いかけたことはありました。『バリー・リンドン』で。笑)。多くの映画監督がたった一度の成功に浮かれ、このバランス感覚を忘れてしまい、自分が撮りたい作品を撮りたいように撮ったばっかりに興行的に惨敗、ハリウッドから姿を消してしまうという事例がいくつも存在していました。キューブリックはそれを避けることができた珍しい例です。そしてそれを高い次元で、しかも一生涯維持し続けた非常に稀有な例でもあります。

 長女のカタリーナによるとキューブリックはその立場を当然視することはなく、「私は運が良かった」と常々語っていたそうです。私個人は「運が良かった」とはまったく思いません。キューブリックには自己表現と興行成績を高い次元で両立させる才能があり、その努力も惜しまなかっと思っています。キューブリックは自我を押し通すか、大衆に合わせるかの「判断力」に長けていたのです。その事実を示す端的な例として、この「『恐怖と欲望』から『非情の罠』への変わり身の早さ」があるのだと、私には思えてなりません。