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 アルフレッド・ヒッチコックから黒澤 明まで、オスカーはこれまでにいくつもの過ちを犯してきました

 「アカデミー賞受賞」というキーワードは、実に偉大なパワーを持っています。これを受賞することは、まさしく偉業…大きな業績となります。俳優や監督にとってはギャランティが大幅に増えることを意味し(ハル・ベリーの『キャットウーマン』の出演料が1400万ドルだったことがその証拠です)、受賞した映画はチケットやレンタルによる売り上げが大幅にアップするのですから。

 ですが、このように金銭的なメリットやその場で得られる賞賛は得られるものの、この受賞はクリエイターたちにとって肥やしとなる、本当に役立つものなのでしょうか? そして「その栄光は本物なのか?」「忖度が優先されていないか?」とも考えてしまいます。

〈中略〉

 キューブリック監督はこれまで、作品賞に3回ノミネートされましたが、一度も受賞はしていません。さらに、おそらく他のどの作品よりも作品賞を受賞するはずだった『2001年宇宙の旅』は、1969年の第41回アカデミー賞でノミネートすらされていなかったのです。

 この年、キューブリック監督は監督賞にノミネートされましたが、サー・キャロル・リード監督の『オリバー!』(同年の作品賞も受賞しています)に敗れ、『2001年宇宙の旅』は特殊効果賞の受賞にとどまりました。

 『2001年宇宙の旅』は確かに、アカデミー賞にアピールするにはあまりにも実験的で突飛な作品であり、キューブリックの映画は一般的で古き良き時代の映画に反するものだったというわけです。

 『時計じかけのオレンジ』は『フレンチ・コネクション』に敗れ、『カッコーの巣の上で』は『バリー・リンドン』(※正しくは『バリー・リンドン』は『カッコーの巣の上で』)に敗れています。他にも1965年には、『博士の異常な愛情』がジャック・ワーナー監督の『マイ・フェア・レディ』に敗れ、1988年には『フルメタル・ジャケット』が落選するなど、ついに正義の審判は下されませんでした。

〈以下略〉

(全文はリンク先へ:Esquire/2021年4月28日




 オスカーシーズンには必ずと言っていいほど話題になる「オスカーを手にしていない偉大な監督」という話題ですが、この記事ではキューブリックの他にはオーソン・ウェルズ、黒澤明、スパイク・リー、クエンティン・タランティーノ、アルフレッド・ヒッチコックの名前が挙がっています。

 キューブリックはオスカーを手にしたがっていましたが、それは興行にも良い影響があると考えていたからです。もちろん名誉欲も全くなかったわけではないでしょう。ですが、「ハリウッドの異端」としてその名を轟かせながらもイギリスに住み続け、『2001年…』がノミネートされた1969年の第41回アカデミー賞の会場に姿を見せなかった(代わりにクラークが出席した)キューブリックに、アカデミー会員が良い印象を持っていたとはとても思えません。

 映画産業というのは巨大な利権で、ハリウッドはそれで動いている世界でもあります。キューブリックほどの影響力がある監督がハリウッドで映画を作れば、潤う映画関係者というのは非常に多いのではないかと想像します。ですがキューブリックはそうしませんでした。そういった「ハリウッドのしがらみ」に生涯背を向け続けたのです。そんなキューブリックに対してアカデミー会員が「仕事をよこさない奴にこっちが賞を与える義務などない」と考えるのは至極当然と言えるでしょう。「賞」というものに夢をみてはいけません(マスコミは夢しか語りませんが)。何事にも「利権」「利害」というものは見え隠れするものです。多くの映画ファンがアカデミー賞を「茶番」と断ずるのはそれが主な理由ですが(最近は人種問題やジェンダーに振り回され、さらにその「茶番」が加速している)、正統な映画評論家が姿を消し、映画「コメンテーター」が幅を利かせている現在の映画マスコミもすっかりその利権構造に取り込まれ、その「茶番」の片棒を担いでいる姿は正視に耐えません。ですが、それが最近ネット配信に押されつつある映画産業を支えているというのも、紛れも無い事実なのです。

 そういう現実を理解した上でも、アカデミーに対してはやはり苦言を言わざるを得ません。つまり、今秋開館予定の『アカデミー博物館』におけるキューブリックの厚遇ぶりについてです。オスカーではキューブリックを冷遇しつつ、そのネームバリューと影響力が金を生むと知るや、ちゃっかりそれを利用する・・・。まさしく「巨大な利権構造」そのものの思考ですが、それならそれでもういい加減、公式の場でキューブリック個人に対して何らかの賞を贈るべきです。せめて妻のクリスティアーヌが存命のうちに(クリスティアーヌはハリウッドの華やかな世界に憧れがあったそうだ)。そうでないと、あまりにもキューブリックやその関係者(特にキューブリックに心身ともに尽くしたレオン・ヴィタリ)が可哀想だと、私は思います。

2021年4月30日追記:誤解があるといけませんので、私個人のアカデミー賞に関する意見の経緯をご説明いたします。まず、2013年のこの記事「お願いだから「アカデミー特別賞」なんて中途半端な代物を贈る事なく、死して後も尚「ハリウッドに背を向け続けた映画界最大の巨匠」であり続けて欲しいものです」と書いた通り、私はこの頃までは「キューブリックに(いまさら特別賞的な)アカデミー賞は不必要」という立場でした。しかし、2015年になってアカデミーが『2001年宇宙の旅』のアリエス1B宇宙船の撮影モデルを4000万円で落札したり、アカデミー博物館の公式サイトのトップページに『シャイニング』を登場させたり(ちなみに『シャイニング』はアカデミー賞に全く絡んでいません。ラジー賞には絡みましたが。笑)、博物館のTVCMを『シャイニング』のパロディにしたりと、大々的にキューブリック作品をフューチャーしていることを知ります。加えて博物館はアリエス1Bだけでなく、私が知る限り『シャイニング』でジャック・ニコルソンが着用した赤いジャケット、使用された斧、『2001年…』の月面用宇宙服とヘルメットも収蔵しています。ここまで露骨にキューブリックに「すり寄って」こられると、さすがにいちファンとして釈然としないものを感じずにはいられません。上記の「せめて・・・公式の場でキューブリック個人に対して何らかの賞を贈るべき」とは、そういう経緯があってのことだと、ここでお知らせしておきたいと思います。