キューブリックが気に入っていたグレゴリー・ナバ監督の『エル・ノルテ 約束の地』の予告編。確かに『バリー・リンドン』の影響が伺えます。

〈前略〉

−『アイズ ワイド シャット』のスペイン語字幕を作ったというのは本当ですか?

いいえ、『フルメタル・ジャケット』のスペイン語字幕を作成しました。

 クリス・ジェンキンスという素晴らしいミキサーと一緒にトッド-AO社でミキシングをしていたんです。ミックスをしている最中に、トッド-AO社の秘書が突然電話に出て「スタンリー・キューブリックからグレゴリー・ナバに電話です」と言ったんです。私は「冗談だろ?」と思いました。クリスは「冗談はやめてくれよ」と言いました。秘書は「いや、本当に彼です」と言いました。それでミックスを止めて電話に出ました。それは本当にスタンリー・キューブリックでした。彼は電話をかけるアシスタントを持たず、自分で直接電話をかけていました。

 話をしてみると、彼は、映画が完成した後、自分の映画の海外版をすべて自分で監督していたそうです。彼は自分の仕事にとてもこだわりがあり、何でもやりたがる人でした。彼は、外国版の翻訳者を使うことが好きではなく、さまざまな国の映画制作者や作家と一緒に仕事をするのが好きだと言っていました。彼は、スペインのスペイン語とラテンアメリカのスペイン語の違いを理解しており、ラテンアメリカ版『フルメタル・ジャケット』では、ラテンアメリカのスペイン語を理解している脚本家や監督と仕事をしたいと考えていました。彼は『エル・ノルテ』の大ファンでした。彼はそれを気に入っていました。

 それで『フルメタル・ジャケット』のラテン・アメリカのスペイン語に翻訳するために、一緒に働かないかと誘われて、スタンリー・キューブリックと一緒に仕事をすることになったのです。彼は、すべての単語とそのニュアンスにまで気を配るのです。そうしているうちに、メキシコのスペイン語とアルゼンチンのスペイン語には、違いがあることを知ったのです。

 彼は私に電話をかけてきて、5時間も彼と電話をしていたんですよ。彼はとても熱心でした。やがて、とてもいい友達になって、『フルメタル・ジャケット』の字幕のことだけでなく、いろいろなことを話すようになりました。面白いことに、パンデミックの最中にガレージを漁っていたら、一緒に作業した字幕が全部出てきたんです。膨大な量の仕事でした。ですが私たちは、映画製作やカメラの動き、彼の映画についてなどあらゆることについて話したのです。

 彼は『エル・ノルテ』が大好きで、私に電話をかけてきた理由の一つは、彼が映画において何かを成し遂げたということ、例えば『2001年…』で彼が行った、特殊視覚効果の飛躍的な進歩のようなものでした。彼はただ、『2001年…』に使えると思ってやったわけではありません。むしろ、他の映画制作者のために扉を開き、他のアーティストにインスピレーションを与えることを意識していました。そしてもちろん、『2001年…』はその影響を与えました。『スター・ウォーズ』をはじめ、今日に至るまでのすべての映画は、スタンリー・キューブリックが『2001年…』において大躍進を遂げたことによって生まれたものです。

 そして『バリー・リンドン』でも彼は同じことをしました。つまり、蝋燭の光だけでシーンを照らす方法を世界に向けて発信したことです。それは現実的な方法でした。しかし、それは一過性のものに終わってしまい、他の映画監督が、自然の蝋燭の光を使ったシーンを撮るきっかけにならなかったことに、彼はがっかりしていました。

 彼は『エル・ノルテ』で、もちろん私が『バリー・リンドン』の照明にとても触発されていたのを観ました。私たちは、キューブリックが『バリー・リンドン』で成し遂げたことを、超高感度レンズを使って真似しました。彼が『バリー・リンドン』で成し遂げたことを正確に模倣することができたのです。それは『エル・ノルテ』の私にとって非常に重要でした。『エル・ノルテ』の光に政治的な意図を表現したかったからです。というのも、主人公のロサとエンリケは、蝋燭と灯油の世界からやってきたからです。グアテマラの村には電灯がなく、アメリカに来て初めて電灯に出会うのです。そして私はその映像の光がそれを示唆することを望みました。

 彼は『エル・ノルテ』を見て、「やった!『バリー・リンドン』で私がやろうとしたことを理解してくれる映画監督が現れた!」と思ったそうです。私は、他の映画監督に、この自然な照明技術を使ってもらいたいと思っていました。

 私たちは、照明について、感情や心理を表現するために照明がどのように使われているかについて、よく話し合いました。また、カメラの動きについてもよく話し合いました。彼は歴史にとても興味を持っていて、それは私も同じです。ジュリアス・シーザーや、ガリア戦争のアレシアの戦いの戦略についてよく話していました。私たちはちょうど忙しかったですが、とても親しくなり、彼とは何年も友人として付き合ってきました。

 もちろん、彼は『アイズ ワイド シャット』の外国語版ができる前に亡くなっているので、彼が不在のため、あの映画の外国語版で同じような仕事をすることはありませんでした。だから、彼と一緒に仕事をしたのは『フルメタル・ジャケット』で、その結果、彼とはとてもいい友達になりました。彼には同好の士がいて、電話で何時間も話をしたけど、彼は旅行しなかったので、突然自分のために何かをさしてくれと頼まれるのです。例えば自分の映画が上映される映画館を調べてくれとか、音をチェックしてくれとかですね。

 彼が私にさせた1つの大きな仕事のがあります。ジェームズ・ハリスが『スパルタカス』の修復を行ったので、スタンリーからそれを観に行くように、そしてそれを報告するようにも頼まれました。私はそうしました。そして私はそれが上映されていた映画館へ行き、それはセンチュリー・シティでしたが、映画館は「スタンリーキューブリックの『スパルタカス』」と掲げていました。もちろん彼はその作品を愛していましたが、彼はカーク・ダグラスがこれを自分の映画だと考えて大喧嘩をしていたので、映画館の写真を撮って送ってくれと頼まれていて、その通りにしました。

 彼はいつも私に、ちょっとした用事や雑用をさせていました。実際、私たちは『スパルタカス』やその映画がどのように作られたかについてよく話しました。彼はこの映画を公式な作品の一部としては認めていませんでしたが非常に愛着を持っていて、『スパルタカス』の制作についていろいろと興味深い話をしてくれました。私の映画制作人生の中で、最も深く重要な関係のひとつがスタンリー・キューブリックとの関係で、私は彼を師匠のような存在だと思っていました。彼は私と多くの時間を過ごし、私の映画制作や、私がやろうとしていることに関心を持ってくれました。このような素晴らしい人物の頭脳を借りることができたのは素晴らしいことでした。彼の作品は、私の他の映画や『セレナ』に非常に影響を与えました。私にとって彼は、映画史における偉大な映画製作者の中のひとりです。そのような関係を築けたことはとても幸運でしたが、彼は突然、私に電話をかけてくるのです。

−おそらく、彼の作品の中で『フルメタル・ジャケット』が最もアメリカ的な言い回しを持っているのではないでしょうか。

 そうですね。数ある汚い言葉の中でも、メキシコとアルゼンチンでは「ヤリ●ン(c**t)」の言い方が違うので、何時間も悩んだことがあります。彼との経験はとても興味深いものでした。というのも、彼は本当に、本当に細かいのです。彼は映画の中のすべてのことに関わりたがりました。彼は実際に自分の映画を撮っています。彼は『バリー・リンドン』の撮影監督だったのです。他の誰かがクレジットされていても、彼がそれをやったのです。私は彼が映画史上最も偉大な撮影監督だと思います。彼の技術とアイデアは本当に素晴らしいものですが、彼は『シャイニング』では撮影しなかったと言っていました。それは年をとって目が見づらくなったからだそうです。でも『時計じかけのオレンジ』や『バリー・リンドン』では撮影しました。彼は本当に実行する映画監督でした。

(全文はリンク先へ:Roger Ebert.com/Gregory Nava on Working with Stanley Kubrick/2021年4月27日




 数ある「キューブリック伝説」の中でも有名なのが「自作の海外版の翻訳までチェックした」というものがあります。もちろんこれは事実なのですが、ちょっと誤解されている面もあります。この記事の通り、キューブリックは「職業字幕翻訳家」を信用していなくて、それぞれの国に信頼おける自作の翻訳者を決め、その多くは映画監督など「映画製作者」であった、という事実です。日本でキューブリック作品の翻訳担当者として有名なのは映画監督の原田眞人氏ですね。

 キューブリックが字幕翻訳家(日本では戸田奈津子氏)を信頼しなかった理由はわかりませんが、おそらくセリフの微妙なニュアンスは自分と同じ映画製作者ではないと理解してもらえないと考えていたのではないでしょうか。加えて戸田氏が女性だったこともキューブリックにとっては良いことではなかったと思います。「ヤリ●ン(c**t)」(「c**t」とは女性器を指す言葉)を正しく訳すのに何時間もかかったというのですから、この仕事は女性には向かないとキューブリックが判断しても不思議ではないでしょう。キューブリックは自作をとても大切にするので、たくさんの国内外の映画観ていた中で「これぞ」と思った映画製作者に依頼をしていたようです。翻訳は記事のようにキューブリックと担当者の共同作業になり、これについては原田氏も同じ経験をされています。

 ただ、原田氏によると「ある程度進んだら任せてもらった」と語っていたので、全世界の言語の翻訳の、全部が全部を細かくチェックしていたわけではないようです。当然です。そんなことをしていたら本業の監督業をすることができません。ですので、旅行したがらないキューブリックとのやりとりは電話が主で、これは原田氏も同様でした。もしクレジットするなら「翻訳担当:◎◎◎◎、翻訳監修:スタンリー・キューブリック」というのが一番実際に近かったのではないのでしょうか。もちろんそれでも大変な負担です。でも、キューブリックは字幕で自分の意図が捻じ曲げられることを危惧していました(詳細はこちら)。それだけキューブリックは「自作を愛していた」のです。

 「自作を愛していた」のは、公式には自作と認めていなかった『スパルタカス』でも同じだったようです。つまり「気に入ってもなく、評価もしていないが愛着はある」ということです。この心理は同じクリエーターの方なら共感できるのではないでしょうか。いくら「黒歴史」とわかっていても、やっぱり自作には愛着があるものです。キューブリックは劇映画処女作『恐怖と欲望』のフィルムを回収し、すべてを闇に葬ろうとしましたが、それもまた「自作を愛するがゆえ」の行為だったのかもしれません。

 「突然電話をしてきて何かを頼まれる」というのも、キューブリックの周りにいた人たちの共通する体験です。『アイズ…』の脚本担当だったフレデリック・ラファエルや、『時計…』の音響を担当したドルビー社のヨアン・アレンも、全く同様の体験をインタビューで語っています。「キューブリックから電話がかかってくる」というのは、キューブリックのその人に対しての信頼と愛情の証でした(たとえ当人が迷惑がっていたとしても。笑)。逆にその信頼を裏切った相手にはとことん辛辣で、完全没交渉を貫き通しました。それにはマルコム・マクダウェルやアンソニー・バージェスが該当します(もちろんカーク・ダグラスも)。マルコムがインタビューのごとに態度を軟化させていったのは、おそらくそれに気づいたからではないかと思っています(マルコムは「あれ(悪口)は電話してくれという意味だった」と後に語っています)。

 キューブリックはよく複雑なパーソナリティの持ち主だったように語られるのですが、実際のその言動はシンプルを旨としていたように感じます。もしかしたら複雑なのはキューブリックではなくて映画製作というプロセスの方だったのかもしれません。こうして身近な関係者が語るキューブリック像はそれを示唆していますが、それはキューブリック作品も観ても感じる「究極のシンプルさ」「ミニマムさ」にも通ずるものがあります。ですがそこに辿り付くまでには膨大な量の情報処理と、いくつもの選択肢をくぐり抜けなければならない・・・。ひょっとしたらキューブリックはそんな風に考えていたのかも知れませんね。