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1968年、サードアルバムのジャケット写真用フォトセッション時のドアーズ。左からジョン・デンズモア(ドラム)、レイ・マンザレク(キーボード)、ジム・モリソン(ボーカル)、ロビー・クリーガー(ギター)。

Cinerama_Dome_front
閉鎖が決定してしまった、パシフィック・シアターが運営していたロサンゼルスにあるシネラマドーム。

〈前略〉

 それは『2001年宇宙の旅』の初日(※レイの記憶が正しければ1968年4月10日か11日)で、誰かがドアーズに6枚ほどのチケットを用意してくれたんだ。午後はリハーサルがあったので、7時からの上映だった。ジョン(・デンズモア)、ロビー(・クリーガー)、ジム(・モリソン)、ドロシー(※のちにマンザレクの妻になるドロシー・フジカワ)、あと誰だったか忘れたけど、車に乗ってハリウッドのシネラマスクリーンのある劇場に行ったんだ。

 マリファナを吸って劇場に入ると、そこは満員だった。残っている席は最前列だけだ。ここは映画を見るのには一番よくない場所だ。バランスが悪い。理想的なのは真ん中に座ることだ。で、最前列に座って「ああくそ、どうしよう。ラリってるし、座って映画を見よう」と思ってたんだよ。

 結果的には最高の席になったよ。スクリーンの前に座ると、目の前には宇宙しかなく、そこに猿がいて、日の出があって、キューブリックのやり方には圧倒されたよ。私たちは口をあんぐり開けて座ってるだけだった。あのオープニングと音楽は本当に素晴らしかった。モリソンは、最初の2分間、猿が出てくる直前のシークエンスが終わって黒くなったところで立ち上がって、「今まで見た中で最高の映画だ、もう行こう」と言った。

 「座れよジム、コメディアンかよ」と言ったんだ。

(全文はリンク先へ:VARIETY/2021年4月14日




 映画館チェーンのパシフィック・シアターが廃業し、シネラマドームを閉鎖するというニュースが最近報じられ、残念に思っていましたが、なんとドアーズのキーボーディスト、レイ・マンザレクが1968年のシネラマドームでの『2001年宇宙の旅』の初日をメンバーと観たという記事がありましたのでご紹介。

 さて、1998年にパリにあるジム・モリソンの墓におもむき、2003年の伝説のサマソニで再結成ドアーズを観ている管理人が張り切ってご説明(笑)いたしますと、このドアーズというバンド、1967年にロサンゼルスでデビューしたロックバンドで、『2001年…』が公開された1968年4月は、サードアルバム『太陽を待ちながら(Waiting for the Sun)』を録音していた頃です。ですのでメンバー全員揃って、録音スタジオから今一番ホットな映画『2001年…』を観に行ったんでしょう。実はこのエピソード、ドラマーのジョン・デンズモアが著した自叙伝『ドアーズ(Riders on the Storm)』の中に、ほんの少しだけ記述があったのですが、それにはメンバー全員で行ったとは書かれていませんでした。ですので、ジムが『2001年…』を観たのかはっきりしなかったのですが、これでその事実があったことが明確になりました。

 この時メンバーが録音していたサードアルバム『太陽を待ちながら』は、実はあまり出来の良いアルバムではありません。なぜならアルバム片面を埋める大作『セレブレーション・オブ・ザ・リザード』が『大地に触れずに(Not to Touch the Earth)』のセクションを残してボツになったからです。ドアーズはそれまでファースト『ドアーズ』での『ジ・エンド』、セカンド『ストレンジ・デイズ』での『音楽が終わったら(When the Musics Over)』と、長編の曲を収録してきました。ですがそれがサードの『太陽…』では不可能になったのです。加えてジムの飲酒癖(ジムの問題はドラッグではなくアルコールだった)や創作モチベーションの低下、女性問題、正体不明の取り巻きとの乱痴気騒ぎなどもあり、その結果、中途半端なアルバムが出来上がってしまったわけです。ですがそれはまだいい方で、次の『ソフトパレード』はさらに・・・これ以上はやめておきましょう(笑。

 さて、これで当時の「ヒッピー文化」「サイケデリック・ムーブメント」に『2001年…』が受け入られていたことがより明確になったわけですが、誤解ないように申し添えますと、ドアーズはこの「ヒッピー文化」とは距離を置いていました。ドアーズは「モンタレー」にも「ウッドストック」にも呼ばれていません。メンバーもサウンド的にはどちらかというとアッパー系よりダウナー系と感じていたらしく、西海岸より東海岸の都市で人気があったそうです(ジムが初めて逮捕されたニューヘイブンも東海岸)。ですのでドアーズを「サイケ」とカテゴライズするのは間違っていると言えます。それは『2001年…』を「サイケ映画」とカテゴライズするようなものだと言えば、キューブリックファンの方にはニュアンスを理解していただけるのではないかと思います。

 キューブリックやクラークは「ヒッピー文化」「サイケデリック・ムーブメント」には与しませんでしたが、世の中全てが「狂って」いた1960年代後半の巨大な「うねり」には、いくらキューブリックといえども無関係ではいられませんでした。それは次作『時計じかけのオレンジ』でより明確になるのですが、「サイケ」を知らない世代はそれを「アート」と一括りにしてしまう傾向があります。それは正しくないし、誤解を招きやすいので、この時代を語るには避けて通れない、「サイケデリック・ムーブメント」とはいかなるものだったのかを、ぼんやりとでもいいのでイメージを持っておくと、この時代の映画や音楽を追体験する際にとても役に立つと私は思います。