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1963年10月28日 ミスマロヤ

親愛なるスタンリー

 あなたのことを気にしているということを伝えたくて、この手紙を書きました。あまりに長い時が経って、まるでもうお互い会わないことにしたみたい。でも言わせて。あなたは一年に一本の映画を作るのだから、ぜひぜひ次の映画に出させてください。

 今、私演技の勉強をしてるの。知っていた?どうか反対なさらないで。ハリウッドでエリック・モリスという演技指導の中でも特に有名な人の元で、とても楽しく学んでいます。私がジョン・ヒューストンと映画を作っているのはすでにご存じでしょう。もちろん『ロリータ』の時みたいな撮影とは違うけれど、みんな親切で撮影は順調です。『博士の異常な愛情』を見るのを躊躇してます。どうかあなたの住所を送ってください。私、あなたの住所知らないの。この手紙を読んだら、ぜひ送ってね。

 クリスティアーヌさんとお子さんたちの健康を祈って。アメリカに帰る予定はあるかしら?お返事お待ちしています。

愛をこめて、スー




 実に少女らしい手紙ですが、それもそのはず、この時スーは17歳でした。文章中にある「ジョン・ヒューストンの映画」とは1964年の映画『イグアナの夜』(メキシコのミスマロヤでロケが行われた)のことですが、撮影に母親とボーイフレンド(後に結婚するハンプトン・ファンチャー)と同伴していたため、手紙の内容とは裏腹に共演者とはトラブルが絶えなかったそうです。それに比べれば『ロリータ』の撮影は(彼女にとっては)順調だったのでしょう。そんな理由から「ぜひ次の映画に出させてください」などという殊勝な手紙を書いたのかも知れませんね。

 スーの詳しい経歴はこちらの記事に譲るとして、後のインタビューでスーは「私の人格崩壊はこの映画(『ロリータ』)から始まった」と語っています。しかしその後『ロリータ』のビデオ化で大金が舞い込んだのか、1994年に再び感謝の手紙をキューブリックに送っています。おそらくこの頃のラドマン氏との結婚生活が一番充実していたのではないでしょうか。ですがそれも2002年になって破局、結局独り身のまま健康悪化により2019年12月26日に死去してしまいました。

 スーの不幸な生い立ちを考えれば、彼女の「破滅型人生」は避けられなかったのかも知れません。しかもショー・ビジネスの世界がそれを更に加速させてしまった面はあるでしょう。ですが女優引退後は過去作の出演料などで悠々自適で穏やかな生活が送れたはず。しかし生まれながらの不幸体質の彼女はそれをよしとせず、伴侶もなく一人で旅立ってしまいました。彼女の死を発表した長年の友人であるフィル・シラコポロスという人物が、せめてスーと懇意であったことを願うばかりです。

翻訳協力:Shinさま