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※キューブリックがナポレオン役に希望したデヴィッド・ヘミングス。確かにナポレオンに雰囲気は似ている。

 キューブリックの幻の作品の中で最大かつ最も有名な未完プロジェクト。

 『2001年…』の成功の後の1969年、キューブリックはナポレオン・ボナパルトに関する大規模な伝記映画を計画、研究の為に500冊もの書物を読みあさるなど入念なリサーチを元に自身で脚本を執筆、衣装の製作、ロケ地の選定などプリプロダクションを進めていた。キューブリックはイギリスのスタジオを使用しつつもフランスで大規模なロケを計画し、さらにルーマニアで戦闘シーンを撮影するため、4万人の歩兵や1万騎の騎兵をルーマニア軍に演じて欲しいと要望した。ヤン・ハーランによると、計画は製作段階に入る準備ができており、キューブリックはアントニオーニの『欲望』でブレイクしたデヴィッド・ヘミイングスがナポレオンを、オードリー・ヘプバーンがジョゼフィーヌを演じる事を希望していた。(ナポレオン役はその他にもジャック・ニコルソンやアル・パチーノイアン・ホルムマーロン・ブランドなどの名前が挙がっていた)

 「かつて作られた中で最高のナポレオン映画」を目指し、キューブリックは着々と準備を進めていたが、セルゲーイ・ボンダルチュークが監督したナポレオンをテーマにした映画『ワーテルロー』(1970)の興行的大失敗により出資者が尻込みし計画は一旦棚上げ、その代わりにアンソニー・バージェスの『時計じかけのオレンジ』を映画化する事になった。

 その後キューブリックは1972年になっても『ナポレオン』を諦めきれずバージェスに脚本を依頼、ナポレオンの生涯をベートーベンの交響曲風にアレンジするというアイデアで脚本化したが、結局映画化は断念された。バージェスはこの脚本を1974年に『ナポレオン交響曲:四つの楽章による小説』として出版した。

 キューブリックはこの『ナポレオン』への準備期間を有効活用すべく、同じく18世紀の物語『バリー・リンドン』を映画化する事にする。またキューブリックにとって『バリー…』は『ナポレオン』を映画化する際の良い経験になるし、『バリー…』がヒットすればよりお金がかかる『ナポレオン』への資金調達がしやすくなると考えたのかも知れない。しかし『バリー…』の興行成績は散々で、まずキューブリックは出資者の信頼を取り戻すためによりヒットしやすい題材(『シャイニング』の映画化)を選ばなくてはならなくなってしまった。

 キューブリックの逝去後、2000年代に入ると『グラディエーター』の成功によりちょっとした歴史史劇ブームが起こる。キューブリックが存命ならこの機会を捉え、『ナポレオン』の企画を再度(再々度)動かしたかもしれない。また急速に発達したCG技術も映画に貢献したはずだ。そう考えればキューブリックの早すぎる死は返す返すも残念でならない。