『アイズ…』のDVDやBDに収録されている1999年7月12日に行われたニコール・キッドマンのインタビューです。映画製作に於けるキューブリックの考え方を知る上で極めて重要なインタビューですが、結構ご存知ない方も多いようなのでテキスト起こしをし、改めてここでご紹介します。これを読めばいかにキューブリックの撮影現場が芸術性を重んじ、自由で、創造性に満ちていたか理解できるかと思います。またキューブリックを語るなら最低限押さえておいて欲しい知識でもあります。ネットや書籍上にまき散らされた数多い偏見や誤解を解く一助になる事を強く希望します。
── アイズ ワイド シャットへの出演依頼はシドニー・ポラックとトムを通じて?
直接脚本を送ってきたの。スタンリーはトムとはファックスでずっとやり取りしてたわ。私は不在で内容は知らなかったけど、1年以上はやりとりが続いていたわ。私は『ある貴婦人の肖像』の撮影でロンドンにいたの。監督のアシスタントから電話があり、脚本と手紙の送り先を聞いてきたの。私はもう驚いちゃって、自分で受け取るよう念を押され、私は大丈夫と言ったの。その時の手紙はちゃんと保管してあるわ。「アリス役にピッタリだ、ぜひ君にやってほしい。腰を落ち着かせて読んでくれ。集中して欲しい、読んだら電話してくれ。」これが依頼された時のだいたいの事情よ。
── あなたがトムより先に脚本を?
いえ、トムにも脚本が届いていたわ。私の出演作のテープを監督が取り寄せて観ていたことを、その時エージェントから聞いたの。全然知らなかったわ。エージェントは単なる照会だと思ったのね。こんなふうに始まっていったの。
── それでスタンリーに会いに行ったんですか?
ええ。
── 第一印象はどうでした?
髪の毛がボサボサで(笑)。あの時彼はジャケットを着ていたわ。人間の目としては今まで見たことがないものすごい目で、娘さんも同じなの。半ば閉じたような目なんだけど、どこかいたずらっ子のような雰囲気を持っているの。でもそれでいて、長い人生を感じさせる目なの。
── ほかの人が気づかなかった何かをあなたに見たと思う?
私はただビクビクしてて、私を一目見ただけで見込み違いだと言われるかと。そして降ろされると思ったの。彼といると緊張して最初の1ヶ月はずっとそう恐れていたわ。畏敬の念が強くて。それに私はモノローグが気になって。2度長いモノローグがあったの。それがとても難しく思えたのよ。彼が聞いたらきっと降ろすと思った。つまり自信のなさが出ちゃって。でもやがて監督ともしっくりなじんできたの。自信を持たせてくれたわ。それに俳優として大きな自由を与えてくれた。数テイク撮ると好きに演じていいと。支配的ですごく気難しいと噂されていたけど、そういう時ばかりでは決してなかったわ。特にモノローグは自由にやらせてくれて、私は役に没頭した。1年半の撮影でアリスという女性に私はなったの。
── 「彼女になった」とは?
不思議よね、私は私なんだから。バカげているでしょ?でも役作りをする上で、現実と演技の2つの線が交差することがあるの。そうなるのはそれを許す監督がいる時よ。エキサイティングだけど危険なことでもあるの。それが起こった時こそ、映画を作るという以上の体験になるんだと思うわ。
── 一生に一度の体験で、たぶんこんな環境での映画作りはないですね。
ええ。
── いろいろあって思い出すには時間がかかりそうですね。私が知りたいのは1カットに50テイク撮った話ではありません。理解できますから。
違うときもあったわ。どうなるかまったく予想できなかった。
── 教えてください。特定の演技を、通常の範囲を超えて何度も要求されることは女性、そして俳優としてあなたはどう感じました?
様々な感情が起こったわ。スタンリーは何かが起こるのをいつも待っていた。彼が興味を持ったのは自然主義的な演技よりも、彼を驚かせる何かだった。どんな理由でもいいの、あるいは彼の興味をそそる何か。それがあると彼は張り切るのよ。探求するのも好きだったわ。映画や演技を作ることに関して正しいとか違うとか関係ないの。やり方の是非を問うものではなかった。あらゆる面を探求しておけば、あとは編集で取捨選択できる。私はそう理解してた。だから俳優としてはその状況に不安を持たず、その方針に納得さえできていれば、これ以上の体験はないと思うわ。だって安心してセットから出られるもの。もう1テイクあればと悔やんだり、落ち込んだりせずに済むんだから。彼は何も見落とさないよう気を配っていた。
── 自分で自分を驚かせたような、新しい体験は?
多くのテイクを撮り、監督やトムと緊密に仕事をすることによって、いろんな発見をしたけどリラックスしてたわ。カメラをほとんど意識しなかった。スタッフとか機材など、撮影中は意識しがちなもの。まったく意識しないレベルに到達するのは、決してたやすいことではないの。すごい集中力がいるから、短期間の撮影でできないことが多いわ。意識しているからよ。それで後悔の念ばかり残ってしまう。スタンリーとなら意識しなくなるの。疲れているせいもあるけど。疲れているといい演技ができるのよ。なぜなら感情を無理に作り出したり、あれこれ考えたりしなくなるから。頭で演技しなくなるわ。うまく言えないけど、彼と仕事した人にしか理解できないこと。まるで1つのクラブみたいなの。編集者に美術に撮影監督、スタンリーと仕事して映画への彼の情熱を体験したスタッフと、俳優だけにしか理解できないわ。
── シーンのことを聞きたい。マリファナを吸ってから夫婦の仲がおかしくなる。監督の奥さんはこんな解釈をしていました。不注意な会話が夫婦の危機を招いていると。マリファナが招いた雰囲気はセクシーではなく違うものだった。
確かにあのシーンでは、ビルはセックスしようと思いやる気満々になってる。そして一言だけ口にするの。それがマズかった。妻は様々な反応を見せとてもリアル。誰にでも通じることだわ。結構生活の仲で起こることよ。ビルは動揺していく。滑稽なシーンだと思う。監督のユーモアがあのシーンにピッタリ。そしてそこから危険な領域に入っていく。長い間秘めていた様々な思いを妻はぶちまけるの。それがあの夜に起こってしまうわけ。引き込まれるけどとにかくリアル。
── すべてを脅かしているとアリスは自覚していたと思う?
違うわ。でも心のどこかで彼女は無意識に夫にもっと何かを望んでいたの。彼のことをとても愛しているし、別れたくないけど何かを求めているの。このシーンについて議論したわ。スタンリーは私が弁護士みたいだと言っていた。シーンとアリスの主張の細部まで私があら探しをしたから。私は彼女の言い分に穴を見つけるたびに、正論にしたいがために直そうと言い張ったの。監督は「彼女はラリってる。理性的な議論じゃない」と言ったの。法廷じゃないし、何もかも完璧である必要はないんだと。議論では人はバカなことも奥深いことも言う。正しい路線に乗っていることもあれば、外れてしまいバカげた議論にもなる。そんなこともあるから私は議論が大好きなの。滑稽にもなるし。それに、彼女が笑い出すところが気に入ってるわ。吹き出すのは演じていて楽しかった。あの後出てくるのが、彼女が妄想を抱く例の男性の話よ。
── 2つの演技についてお聞きしたい。眠りながら笑うのは奇妙な演技ですよね。元来の才能以外に監督から何かあの演技のために助言を受けました?眠りながらのあの笑いは、純粋な喜びの笑いに聞こえたが、妨げられると悪夢に変わりましたね。あの時何に笑っているはずだったんですか?
何と言うか・・・監督は人があれこれ話すのを嫌っていたわ。あれはつまり夢のイメージでそれに没頭していたの。笑い方にもこだわっていた。何度もテイクを撮って気に入らなければすぐにやり直したのを覚えている。理想的な笑いを求めていたの。
── 奇妙な抑制の笑いでした。
そうでしょ。全編を2度観たけど私も奇妙だと感じたわ。何かひっかかる感じで。全編がそうだから観るのはつらいわ。
── 夫がすべて話すと言ったあとで妻が何時間も泣いているシーンはどうやって?
実際に泣いたの。
── あんな見事な変化は見たことがない。
スタンリーのおかげよ。時間を気にせずに済んだから。時間をかけて泣いたの。あとで鏡を見て驚いたわ、あまりにもひどい顔で。でもああいう自分の顔も好き。たいていの場合時間が押して、急かされるものだけど、今度は違った。
── ところで・・・失礼しました。なにしろ時間の制約がきついものだから。彼の死を聞いた瞬間どう思いました?
ショックで信じなかった。信じたくなかった。だって・・・あり得ない、早すぎると思った。やり残したことがたくさんあったはず。それなのに・・・(目に涙を溜める)ごめんなさい。
── 話を少し変えましょう。あなたは・・・思い出させて申し訳ありません。
いいの。
── 彼と多くの時間を過ごした。意識的に。ハンカチは?
いらない。
── あなたにとって仕事上でも個人的にも、彼は父親のような存在でしたね。彼から何を学びました?彼と過ごした時間は大きな財産だと思いますが、どんな意味が?
映画製作への考えを変えてくれた。その純粋さと芸術性というものに、信念を持つことができたの。どんなに長くかかろうと、何があろうと映画を作ることは途方もなくすばらしいこと。でも、今は多くの場合映画をビジネスととらえすぎている。公開に間に合うように作れと言われせかされる。でも、映画作りはあの世界に没頭するべきよ。そうできてこそ、よい作品に仕上がるものなの。
── 映画が芸術だということは私たちのほとんどが信じてきたことですが。
ええ、でもその点今の多くの作品では疑問でしょう?特に俳優は堕落しやすいし、監督も同じ。その点スタンリーは映画に生涯を捧げた人よ。純粋な形での芸術性を信じていたし、映画と共に生き映画を愛していたわ。もったいぶるなと言う人も多い。もっと大事なことがあると。そのとおりよ。でも過去の偉大な語り手たちも、現代の語り手たちも未来にとっては重要だと彼は信じさせてくれた。彼は偉大な語り手の1人で、映画を手段として見事に使ったの。
いかがでしょうか。以上の通り、キューブリックがどうやって映画製作に取り組んでいたかというその方法論と、キューブリックの映画そのものに対する情熱や想いが伝わる良質のインタビューとなっています。キッドマンがアリスの発言に整合性を持たせようとムキになるのを、キューブリックが「何もかも完璧である必要はない」と諭すエピソードなどは、キューブリックを完全主義者としか見れない人にとってはとても意外に映るのではないでしょうか。世間一般では未だにキューブリックの事を「間違いやアドリブを決して許さず、役者やスタッフに常に完璧を求め、それが出来るまで何度もテイクを重ねる偏執狂的な完全主義者」という風評がまかり通っていますが、これはその風評を完全に否定するものです。
キューブリックが多テイクだったのは、アドリブを促し、思いもよらない何かが起こる瞬間を待ち望んでいたからです。それはキューブリック自身がその作品の「キモ」だと思っていたシークエンスに特にその傾向が顕著です。これはキューブリックが若い頃一時期ジャズドラマーをしていた経験が影響しているというのが一般的な見方です。ジャズはメンバーアドリブの応酬の中から創造性溢れる瞬間をまとめ、一つの楽曲を創っていきます。それを身を以て経験していたキューブリックは、その方法論を撮影現場に持ち込みました。加えて編集時に後悔しないようにできるだけ多くのバリエーションが欲しい、という事情もありました。自分で映像編集をした事のある方なら経験があるかと思いますが、いざ編集する際に「撮影の時にもっとこういうカットを撮っておけば良かった」と後悔した事があるかと思います。しかし時既に遅し、手持ちの材料でなんとかするしかありません。(キューブリックは映像のみならず、セリフの一音一音もテイクの切り貼りをしていたというレオン・ヴィタリの証言はこちら)。キューブリックはその「手持ちの材料」をなるべく多く持っておきたかったのです。何故ならそれによって編集時でのアイデアの自由度が左右されてしまうし、作品の完成度に大きく影響を与えるからです。
つまりキューブリックは「ジャズセッションのように何回もテイクを重ね、その中からベストのものをチョイスしたい。編集時にもアイデアを加えるのでなるべく多くの選択肢を多く持っておきたい」ので、必然的にテイクが多くなるのです。そうなるとカメラや照明の位置、役者の動きなどを想定して書かれた脚本は意味がないどころか、かえって撮影現場の創造性を阻害する事にもなってしまう、という事が理解できるかと思います。『アイズ…』で脚本を担当したフレデリック・ラファエルの苦闘ぶりはまさにこれに尽きると思います。結果出来上がった脚本はラファエルの言う「陳腐なものに置き換わってしまって」いました。でもこれはキューブリックの映画製作に対するスタンスを理解していれば簡単にその意図が理解できます。何故ならアドリブを好むキューブリックにとって脚本とは、撮影やその準備をするための最低限の情報、叩き台でしかないからです。
数少ない理解と、数多くの誤解に晒され続けたキューブリック。もう死後15年以上が過ぎようとしているのに、まだその多くは誤解されたままです。特にこの日本では新たな関連書籍の邦訳もなく、世界中を巡回中のキューブリック展も未だに日本は予定に入っていません。いち個人がこういうサイトを開設しなければならないほど、この国でのキューブリックへの理解は進んでいません。しかも困った事に自称キューブリックファンが、Q&Aサイトやamazonのレビュー等でデタラメをまき散らしているという始末です。聞きかじった知識や、裏付けのない勝手な思い込みであってもあたかもそれが「真実」かのように伝わるこのネット時代、誤解が更なる誤解を生んでいるこの現状は非常に残念でなりません。
尚、インタビュー中の「眠りながらの奇妙な笑い」については原作小説と比較し、今後考察したいと思います。また「完全主義者」という定義を「細かい所まで拘り抜き、納得するまで妥協しない探求者」とするなら「キューブリックは完全主義者である」というのは間違いではありません。この考察もまた改めてまとめたいと思います。
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※上記はキッドマンのインタビューが収録されているDVD/BD。