キューブリックが1953年6月に船員国際労働組合の広報用に撮影技術だけを提供したドキュメンタリー。クレジットには「監督・撮影」とあるが、実際には雇われ仕事として撮影を担当したに過ぎなかったようだ。もちろん編集も担当していない。

 当時25歳のこの時点でドキュメンタリー映画3本(内1本は未確認)、劇映画を1本製作していたキューブリックは、初めてカラー作品あるにも関わらず、海千山千の海の男たちを向こうに回して堂々とカメラを回していた事にまず驚く。これは年配のベテランカメラマンの仕事と言っても誰一人疑う者はいないだろう。キューブリックは以前勤めていたルック社の得意先であるアメリカ労働総同盟から、メキシコ湾岸地域事務所の広報映画を作りたいとのオファーがあり、これを引き受けたようだ。

 内容は特に特筆すべきものはなく、組合の活動内容の紹介に終始し、関係者以外にとっては退屈以外の何物でもない。並々ならぬ映画への情熱とこだわりがあったキューブリックが、単なる広報映画のオファーを引き受けた理由は分からないが、カラー撮影の経験ができる、この春に公開になった初めての劇場用作品『恐怖と欲望』の制作費の穴埋めになる等の考えがあったであろう事は容易に想像できる。それだけキューブリックは自らの映画監督としての才能に賭けていたのだ。そのためならこの程度の撮影技術の提供なら致し方ない、と割り切っていたのではないだろうか。

 ただ、最大の誤算はその後あまりにも偉大な監督になりすぎてしまい、本来なら時の彼方に埋もれて、忘れ去られてしまう筈のフィルムがこうして陽の目を浴びてしまったことだろう。クライアントである船員国際労働組合のサイトに堂々と、しかも誇らしげにアップロードされているさまをキューブリックが知ったら、さぞかしバツの悪い思いをするに違いない。