2022年11月

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画像引用:wikipedia - Mick Jagger

〈前略〉

 『時計じかけのオレンジ』公開50周年を迎えたゲストのマルコム・マクダウェルは、ミック・ジャガーがこの映画に出演したかったことや、ポール・マッカートニーがマクダウェルの別の作品『レイジング・ムーン』の音楽を担当しそうになったことなどを語りました。

〈中略〉

 マクダウェルは、ジャガーと映画とのつながりや、シンガーが 『時計じかけのオレンジ 』の主演を望んでいたことについて、次のように話しています。「俺たちは昔、友達だった。ニューヨークでつるんでいたんだ。当時はアンディ・ウォーホルとかの〈ダチ仲間〉だったんだ。ある晩、セントラルパークの東側にある誰かのアパートでたむろしていたんだ。ジャガーが『時計じかけのオレンジ』でアレックスを演じたいというので、窓際の席に座って話していたんだ。キューブリックがこの作品を手に入れる前に、ミック・ジャガーとストーンズが(『時計…』を)やりたがっていたんだ!」。すごい、それは見てみたい!

 その晩、マクダウェルはイタリアの聴衆に他の2つのことを話した。「ミック・ジャガーは私にこう言ったんだ、マルコム、50歳でこれをやるなんて考えられない!」マクダウェルはストーンズのリードボーカルの動きを真似て言った。「50? それで、今、彼らはどうなっているんだ?80? ファンタスティック!」。その夜、セントラルパークの暗い空間を見て、ミック・ジャガーはジョン・レノンが住んでいたダコタ・ビルの方を指さした、とマクダウェルは回想している。「そして彼は私に『王様はあそこに住んでいる』と言ったんだ。その瞬間、もちろん彼らはジョンが何であるかを知り、彼が王であることを知った。『それでおしまいだ』とね」。

 ビートルズと同じくリバプールで育ったこの俳優も、グループとの付き合いは長い。まだシルバー・ビートルズと呼ばれ、カバーばかり歌っていた頃の彼らのステージを、地元で何度も見たことがあるのだ。「ガールフレンドに連れられて見に行ったんだ。私は、人前で話す人があんなに下品な言葉を使うのを聞いたことがなかったので驚いた。でも、何度も何度も足を運んだ。もちろん、彼らはレノンとマッカートニーという、当時のモーツァルトだ。そして彼らの音楽は、今も発売当時と同じように人気がある」。マクダウェルの息子の一人であるシンガー、ベケット・マクダウェルが演奏したビートルズのカバーの抜粋音声も流れ、自慢のパパを喜ばせていました。

〈以下略〉

(全文はリンク先へ:Variety.com/2022年11月26日



 トリノ映画祭に出席したマルコム・マクダウェルの講演の記事がありましたのでご紹介。

 マルコムとミックがニューヨークでつるんでいたというのは面白い話ですね。ジョンがダコタハウスに引越したのは1973年ですので、その頃の話になりますが、キューブリックが『時計』の映画化権を獲得する以前はローリング・ストーンズのメンバーが「ドルーグ」を演じる予定だったのは有名な話です(詳細はこちら)。その映画化の脚本を担当していたのがテリー・サザーンで、そのサザーンからキューブリックに原作本が渡され、それを読んだキューブリックが映画化権を買って実現したという流れです。

 サザーンは当時既に人気バンドであったストーンズを主演に映画を作ることに苦労していて、「スタンリーなら映画化できるかも」と考えてキューブリックに原作本を渡したのですが、当時『2001年宇宙の旅』の製作中で小説を読む余裕はなく、やっと読んだのは『ナポレオン』の企画が頓挫(中断)した後でした。つまりキューブリックにとって『時計』は本命の企画である『ナポレオン』のつなぎの企画でしかなかったのです。低予算なのも、次作『ナポレオン』で大金が必要なのを考慮した可能性もあります(もちろん内容が内容だけにレイティングで上映館が制限され、大きな興収が得られないことも)。その「つなぎの企画」が歴史的名作として語り継がれるのですから、運命というのは面白いですね。

 マクダウェルがデビュー前のビートルズを観ていた、というのもすごい話です。彼らにしてみれば、狭い地元のいちエピソードに過ぎないのでしょうけど、ファンからすれば垂涎モノですね。
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 国際宇宙ステーション司令官サマンサ・クリストフォレッティは、映画『2001年宇宙の旅』の象徴的なシーンを再現したコスプレで、ベルクロの靴を履いて登場しました。

(引用:動画説明文)




 『2001年宇宙の旅』の製作・公開時にはアポロ計画が進行中であり、そのアポロ宇宙船も、月着陸船も、内部は狭くてただ座っていることぐらいしかできなかったため、人間が無重力空間でどういう動きをするのか、また、どういう動作が効率的なのはわかっていませんでした。

 それがわかるのは1970年代に始まったアポロ残債消化計画(と言ったら言い過ぎ?)の「スカイラブ計画」からで、サターンロケットの胴体部分を宇宙ステーション(実際は巨大な人工衛星)に流用、その広い内部で活動する宇宙飛行士の姿が撮影されてからでした。

 以上のような経緯から、『2001年…』で予想されていた無重力空間においてベロクロ(グリップシューズ)を使った徒歩によるによる移動より、単に空間を泳ぐ(壁などを蹴って浮遊する)方が効率的とわかり、この動画でも最後の方でその方法で移動しています。つまり「キューブリックは未来予測を間違ってしまった」んですね。

 『2001年…』は未来予測の正確さもよく話題に登りますが実際は間違いも多くあり、あまり過剰に賛美するのは危険だと思います。ですが、このように現役の宇宙飛行士が時間とお金をかけ、わざわざ映画のワンシーンを再現してくれるほどのリスペクトを集めているという点において、たとえ間違いがあったとしても、やはり「偉大な作品」という評価は揺るぎないと思いますね。
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Stephen_King_-_2011
画像引用:wikipedia - Stephen King

〈前略〉

デッドライン:『シャイニング』は大好きな本の1つでした。初めてキューブリックの映画を見たとき、本を読みながら想像していたものと違うなと感じたのを覚えています。でも、何年も何度も見ているうちに、あの映画の壮大な映像の素晴らしさがわかってきて、だんだん好きになっていったんです。当初は、あまり感動していなかったんですね。キューブリック監督は非常に偏屈な監督で、作家と共同作業をするようなタイプには見えませんが、このことはあなたの記憶にどのように残っているのでしょうか?

スティーブン・キング:スタンリーと事前に電話で話したのですが、彼が本の中に自分の方法を見つけようと、手を伸ばしているのが感じられたのを覚えています。幽霊がいるならば、死後の世界がある、私たちはただ死ぬだけでなく、前に進むのだという前提があるということですから。そして私は、「キューブリックさん、地獄はどうなんですか?」と言ったんです。向こうで長い沈黙があり、彼はとても硬い声でこう言いました。「私は地獄を信じない」。でも、もし幽霊がいるとしたら、彼らは悪者にされるのと同じくらい、「光の中に入ってくる 」可能性が高いと私は思います。パトリック・スウェイジ主演の映画『ゴースト/ニューヨークの幻』を覚えていますか?

デッドライン:はい、もちろんです。

スティーブン・キング:そこでは幽霊は本当は私たちの味方なんだけど、死ぬという体験が彼らを狂わせたのと同じようなものなんだ、という感じがしました。とにかく、『シャイニング』は美しい映画だと思うし、見た目も素晴らしいし、前にも言ったように、エンジンの入っていない大きくて美しいキャデラックのようなものです。そういう意味で、公開当時、多くの批評はあまり好意的ではなく、私もその一人でした。当時は黙っていましたが、あまり気に入ってなかったんです。

デッドライン:今はどうですか?

スティーブン・キング:あの映画では、ジャック・トランスというキャラクターには何の文脈もありませんので、私も同じように感じています。全く文脈を描いていない。ジャック・ニコルソンを初めて見たとき、彼はホテルの支配人であるアルマン氏のオフィスにいたんですが、そのとき彼はネズミのように狂っていたんです。彼はますますおかしくなっていくんです。本の中では、彼は自分の正気と闘っている男で、ついに正気を失ってしまうんです。私にとっては、それが悲劇なんです。映画では、本当の意味での変化がないため、悲劇はありません。もうひとつの違いは、私の本の最後ではホテルが爆破され、キューブリックの映画の最後ではホテルが凍結されることです。それが違いです。しかし、私はキューブリックに会いましたが、彼が非常に頭のいい男であることは間違いない。私にとって思い入れのある映画もいくつかあります。『博士の異常な愛情』や『突撃』などです。彼は素晴らしい仕事をしたと思いますが、しかし、本当に偏狭な人でした。会って話をすると、ごく普通に接することができるのですが、その場にいるような感じがしないのです。自分の中に閉じこもっていたんです。

〈以下略〉

(全文はリンク先へ:DEADLINE/2016年2月2日




 スティーブン・キングのキューブリック版『シャイニング』に対する批判は首尾一貫していて、いわく「ジャックが初めから狂っているのが気に入らない」「(画的にも内容的にも)ラストシーンが冷たい」というのが主な主張です。このインタビューでもそれは繰り返されていて、それを総じて「エンジンの入っていない大きくて美しいキャデラック」と評しています。まあ「美しい」とは認めているみたいですが。

 小説やTVドラマ版の『シャイニング』を読んだりご覧になった方なら、このキングの主張は「ごもっとも」だと思われるだろうし、幽霊に関する考え方で『ゴースト/ニューヨークの幻』を引用することでも、キングの思いは十分すぎるほど理解できます。ですが、キューブリックの感性にシンパシーを感じている我々ファンからすれば、『ゴースト/ニューヨークの幻』なんて失笑もののただのデート映画に過ぎないし、ましてや同じ臭いのするTVドラマ版『シャイニング』もまた然りです。ですので、キューブリックの小説版からの大胆な改変(改造といってもいいくらい)は正しいと思うし、正しいからこそ現在に至るまで語り継がれ、リスペクトされ続ける作品であり続けているのです。キングはいい加減この「(映像化における)判断の正しさ」を認めるべきだと思うのですが、現在まで延々と繰り返し批判し続けるキングの「偏狭さ」には正直ウンザリさせられてしまいますね。

 ちなみにキューブリックは人見知りするタイプで、初対面の頃は誰に対してもよそよそしい態度だそうです。慣れてくると大胆に(ずうずうしいとも言う。笑)になるそうですが・・・。記事にある経緯を考えると、キングとは仕事が終わっても連絡を取り合う関係にはなりようがないし、実際なれなかったのですが、そのことが「自分の中に閉じこもっている」という印象になっているのだと思います。
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Matthew Modine
画像引用:IMDb - Matthew Modine

〈前略〉

—スタンリー・キューブリック監督と『フルメタル・ジャケット』を製作することは、どのようなことだったのでしょうか?

 私は彼を映画人として尊敬しています。そして、一人の男性として、父親として、夫として、彼を知ることになったのです。彼はおそらく、私がこれまで一緒に仕事をした中で最も自立した映画人だったと思います。彼は20ヵ月間働き続けても経済的に存続できる方法を考え出したのです。彼がしたことは探求し、実験することができる環境を作ることでした。彼はよく「何テイクやったのか?と聞かれるのが滑稽だ」と言っていました。彼はこう言いました。「モーツァルトに『ヴォルフガング、あなたのコンチェルトにはいくつの音があるのか?』と言われるのを想像してみてくれ。あるいはピカソに『あの絵は何画なんだ?』と。それはとても失礼なことで、誰が気にするんだ? 結果にこそ興味があるはずだろう?」

—『フルメタル・ジャケット』は、あなたが最も誇りに思っている映画ですか?

 誰も見たことのないような子供たちも、私は大好きなんだと思います。アラン・パーカー監督の『バーディ』は大好きです。あれは役者として並外れた経験でした。また、『アラバマ物語』を1962年に映画化したプロデューサー、アラン・パクラとは、アルバート・フィニー主演の『オーファンズ』という映画で一緒に仕事をしたことがあります。私は彼との仕事がとても好きで、マイク・フィギス監督の『明日にむかって…』に出演したのは、純粋に彼ともう一度仕事をしたかったからです。彼は本当に生きる喜びを持っていて、いざ仕事をしようとするととても集中し、準備をしていて、これまで一緒に仕事をしたどの俳優とも違うのです。おそらく次に比べるなら、もう一人の紳士である『運命の瞬間/そしてエイズは蔓延した』で一緒に仕事をしたイアン・マッケランでしょう。

〈以下略〉

(全文はリンク先へ:The Guardian/2022年11月13日




 マシュー・モディーンはキューブリックに対して、いつも肯定的な発言ばかりではありませんでした。ギリギリまで判断を先送りしテイクを際限なく繰り返すキューブリックのやり方、特に拘束時間の長さにはかなり苛立ちを感じていたようです。インタビューにある「一人の男性として、父親として、夫として」とは、『フルメタル・ジャケット』の撮影時モディーンは新婚で、妻は長男(ボーマンと命名)を妊娠中で撮影中に出産したことを示唆しています。にもかかわらずキューブリックは撮影を優先させたので、かなりストレスや不満を抱え込んでいたらしく、当時のインタビューではそれを感じさせる発言もいくつかしています。

 ですが、それから長い時間を経て考え方も変化したのか、最近では肯定的な発言が目立つようになりました。キューブリックは全身全霊で自作に取り組みますが(書籍『2001:キューブリック、クラーク』を読めば、その熱量の凄まじさが伺えます)、俳優やスタッフにも同レベルの熱量を求めるため、そのことが周囲との軋轢を生む場合があったのは否定できない事実です。でもそれは製作者の立場になってみないとなかなか理解できない部分です。モディーンのキューブリックに対する心境の変化は、自身の映画制作における立場の変化、つまり単なる俳優ではなくプロデュースなど映画製作にも関与し始めたことも影響しているのではないかと思います。

 キューブリックはテイクを多さを批判されるのにうんざりしていたのか、モーツアルトやピカソを引き合いに出し「それはとても失礼なことで、誰が気にするんだ? 結果にこそ興味があるはずだろう?」と言っていたそうです。これはキューブリックが映画を「個人の創作物」として捉えていた証左と言えます。ただし個人で創作する音楽や絵画とは違い、映画製作には多くの協力者の存在が不可欠です。当のキューブリックも優秀な俳優やスタッフの存在に頼っていたし、その人たちに対する評価や賛辞も惜しみませんでした。それでもキューブリックは「いち作家」であろうとし続けました。その理由は以下の言葉が示していると思います。

「ある問題に対して君が他人の感情を損なうことを恐れたり、意見の対立を避けるという過ちを犯し、その映画に欠点が生じたとしても、その映画はその後君の生きている限りずっと君とともにある君の作品なのだ」

つまり他のスタッフは去ってしまっても、映画監督だけがその作品と取り残されてしまうのです。駄作を作ってしまったら、その駄作とともに永遠に名前が残るのです。キューブリックにとってそれは絶対許されないことでした。いやどのレベルの、どんなクリエーターでも駄作とわかっていながら発表することなんて屈辱に決まっています。キューブリックにとって映画監督とは「職種」を意味するのではなく「作家」と同義でした。だからこそ、自身がハリウッドと戦って勝ち取った映画制作における絶対的自由(製作期間や予算、キャスティング権など)を最大限に発揮し、徹底的にこだわったのです。それをモディーンは「私がこれまで一緒に仕事をした中で最も自立した映画人」と評しているのです。

 ところでこのインタビューでモディーンは『ストレンジャー・シングス』のマーティン・ブレンナー博士が白髪なのは「日本のアニメで邪悪なキャラは白髪をしているから」と応えています。その日本のアニメがどのアニメを指してのことなのか、ちょっと気になりますね。
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1949年、ルック社カメラマン時代のキューブリック。(画像引用:wikipedia - Stanley Kubrick

 キューブリックが映画監督になる以前は報道カメラマン(正確には写真誌カメラマン)だったのは有名な話です。当然ですが使用するカメラはムービーカメラではなくスチールカメラで、主にローライフレックス(詳しくはこちら)を好んで使っていて、写真集『Through a Different Lens: Stanley Kubrick Photographs』(詳しくはこちら)に掲載されている正方形の写真は、ほぼローライで撮影されてものと考えて良いでしょう。

 スチールカメラマンが被写体を撮影する際、それがヤラセであれ、ドキュメントであれ、ワンカットしか撮影しないということはありません。必ず複数テイク撮影します。理由は「その瞬間」のベストを求めてということもありますが、絞りを変えてみたり、ライティングやアングル、レンズやフィルターを変えてみたりと技術的な問題もあるからです。キューブリックはルック社時代に「ブツ撮り」もしていますが、どんな簡単な撮影でも露出を変えて数カットは撮影しています。

 もちろんキューブリックの存命時はデジカメはありませんので、写真の仕上がりはフィルムの現像が終わり、ベタ焼き(フィルムを大きな印画紙に並べて現像すること。現在で言うところのサムネール)を見るまでは判断できません。この段階になって複数のテイクの中からベストのテイクを選び、ネガを印画紙に大きく焼き付けて、そのプリントを印刷に回すというのが写真誌制作のプロセスになります。

 以上のように、キューブリックにとって撮影とは「数多くテイクを撮ってベストのカットをチョイスする」というのは「当たり前の行為」だったのです。ところが映画を撮り始めた当初はテイク数は多くありませんでした。キューブリックは「最初の頃は映画界の古い慣習に従うしかなかった」という旨の発言をしていますがそれだけではなく、予算も時間も限られる中、スチール写真のように「複数テイクを撮ってベストのカットをチョイスする」という行為が現実的に、立場的に難しかったのだと思います。

 それが変化するのは『ロリータ』の頃からです。『スパルタカス』で業界内で一定の地位を確保し、それまでの借金生活(パートナーのハリスにお金を借りて生活していた)からも抜け出しました。ハリウッドから離れた(『ロリータ』はイギリスで撮影された)解放感も手伝ったのでしょう、この頃からテイク数が増え始めます。いや、正しく言うならば「本来やりたかったスタイルでの映画製作を始めた」と言うべきでしょう。キューブリックは「映画製作で一番安いのはフィルム代、だからいっぱい撮影しないと」と語っていたそうですが(それを聞いた俳優は震え上がったそう。笑)、その発想の原点は「スチールカメラでたくさんのテイクを撮っていたルック社カメラマン時代にある」と判断するのは当然至極のように思えます。

 キューブリックはまた「行き当たりばったり」(クラーク談)だったとも伝わっています。キューブリックは撮影前に完全にプランを練り上げ、その通りに撮影するという方法を好みませんでした。その原点もルック社カメラマン時代にあると考えます。アドリブを好み、俳優やスタッフのアイデアを反映させ、撮影の「現場で起こったこと」をフィルムに収める・・・。これはもはや「コントロールされたドキュメンタリー」というべきもので、それはすなわちルックの誌面と全く同じ(ルックは事実を伝える報道誌ではなく、ヤラセ込みで紙面を面白くする「写真誌」だった)ということだと思います。

結論:キューブリックが多テイクなのは、ルック社カメラマン時代にスチールカメラで撮影していた方法を採用したから。その理由は、より良い作品に仕上げるために現場のアイデアやアドリブを撮影に反映させ、その後ベストのカットをチョイスしたかったから。

 ちなみにキューブリックは撮影したすべてのフィルムを現像させていたそうです(通常は現像するまでもない、明らかなボツテイクは現像しない)。それはカットを切り貼りしてベストのフィルムを作るためだったのですが、音声のテイクだけ他のテイクから持ってくる、ということまでしていたそうです(だから時間がかかる)。そこまでこだわるからこその「多テイク」なのですが、画家や小説家や音楽家が同じように多テイクを繰り返し、ベストテイクをチョイスしても批判されないのに、なぜか映画業界だけが「一発撮りが至高」と言われ、多テイクは批判される傾向にあるように思います。もちろん「スケジュールが〜」「予算が〜」というのも理解できるのですが、そのプレッシャーがあまりにも強すぎるために作家性が摩滅させられているのだとしたら、キューブリックのような作家性あふれる映画監督が将来登場するのは絶望的、ということになってしまいます。であるならば、キューブリックが自身の作家性を発揮するために採用した「多テイク」という方法を、短絡的に「偏執的だ!」「狂気だ!」と揶揄するのではなく、もう少し作家側の心情を理解し、配慮してあげる環境が必要ではないか、と私は思います。
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