画像引用:wikipedia - Mick Jagger
〈前略〉
『時計じかけのオレンジ』公開50周年を迎えたゲストのマルコム・マクダウェルは、ミック・ジャガーがこの映画に出演したかったことや、ポール・マッカートニーがマクダウェルの別の作品『レイジング・ムーン』の音楽を担当しそうになったことなどを語りました。
〈中略〉
マクダウェルは、ジャガーと映画とのつながりや、シンガーが 『時計じかけのオレンジ 』の主演を望んでいたことについて、次のように話しています。「俺たちは昔、友達だった。ニューヨークでつるんでいたんだ。当時はアンディ・ウォーホルとかの〈ダチ仲間〉だったんだ。ある晩、セントラルパークの東側にある誰かのアパートでたむろしていたんだ。ジャガーが『時計じかけのオレンジ』でアレックスを演じたいというので、窓際の席に座って話していたんだ。キューブリックがこの作品を手に入れる前に、ミック・ジャガーとストーンズが(『時計…』を)やりたがっていたんだ!」。すごい、それは見てみたい!
その晩、マクダウェルはイタリアの聴衆に他の2つのことを話した。「ミック・ジャガーは私にこう言ったんだ、マルコム、50歳でこれをやるなんて考えられない!」マクダウェルはストーンズのリードボーカルの動きを真似て言った。「50? それで、今、彼らはどうなっているんだ?80? ファンタスティック!」。その夜、セントラルパークの暗い空間を見て、ミック・ジャガーはジョン・レノンが住んでいたダコタ・ビルの方を指さした、とマクダウェルは回想している。「そして彼は私に『王様はあそこに住んでいる』と言ったんだ。その瞬間、もちろん彼らはジョンが何であるかを知り、彼が王であることを知った。『それでおしまいだ』とね」。
ビートルズと同じくリバプールで育ったこの俳優も、グループとの付き合いは長い。まだシルバー・ビートルズと呼ばれ、カバーばかり歌っていた頃の彼らのステージを、地元で何度も見たことがあるのだ。「ガールフレンドに連れられて見に行ったんだ。私は、人前で話す人があんなに下品な言葉を使うのを聞いたことがなかったので驚いた。でも、何度も何度も足を運んだ。もちろん、彼らはレノンとマッカートニーという、当時のモーツァルトだ。そして彼らの音楽は、今も発売当時と同じように人気がある」。マクダウェルの息子の一人であるシンガー、ベケット・マクダウェルが演奏したビートルズのカバーの抜粋音声も流れ、自慢のパパを喜ばせていました。
〈以下略〉
(全文はリンク先へ:Variety.com/2022年11月26日)
トリノ映画祭に出席したマルコム・マクダウェルの講演の記事がありましたのでご紹介。
マルコムとミックがニューヨークでつるんでいたというのは面白い話ですね。ジョンがダコタハウスに引越したのは1973年ですので、その頃の話になりますが、キューブリックが『時計』の映画化権を獲得する以前はローリング・ストーンズのメンバーが「ドルーグ」を演じる予定だったのは有名な話です(詳細はこちら)。その映画化の脚本を担当していたのがテリー・サザーンで、そのサザーンからキューブリックに原作本が渡され、それを読んだキューブリックが映画化権を買って実現したという流れです。
サザーンは当時既に人気バンドであったストーンズを主演に映画を作ることに苦労していて、「スタンリーなら映画化できるかも」と考えてキューブリックに原作本を渡したのですが、当時『2001年宇宙の旅』の製作中で小説を読む余裕はなく、やっと読んだのは『ナポレオン』の企画が頓挫(中断)した後でした。つまりキューブリックにとって『時計』は本命の企画である『ナポレオン』のつなぎの企画でしかなかったのです。低予算なのも、次作『ナポレオン』で大金が必要なのを考慮した可能性もあります(もちろん内容が内容だけにレイティングで上映館が制限され、大きな興収が得られないことも)。その「つなぎの企画」が歴史的名作として語り継がれるのですから、運命というのは面白いですね。
マクダウェルがデビュー前のビートルズを観ていた、というのもすごい話です。彼らにしてみれば、狭い地元のいちエピソードに過ぎないのでしょうけど、ファンからすれば垂涎モノですね。