2022年04月

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Full-Metal-Jacket-2
画像引用:IMDb - Full Metal Jacket

フルメタル・ジャケット・ダイアリー マシュー・モディーンとのQ&A

〈前略〉

スコット・テネント:『フルメタル・ジャケット』の役をどのようにして得たのですか?

マシュー・モディーン:面白い話なんだ。サンセット大通りのソースという店でパンケーキを食べていたんだけど、デビッドの肩越しに私を疑うような目で見ている男がいたんだ。デヴィッドは「ああ、あれはヴァル・キルマーだ、彼は本当にいい奴だ」と言い、僕を紹介してくれた。ヴァルは「ああ、君のことは知っているよ。あんたにはうんざりだよ」と言った。私は『バーディ』、『ミセス・ソフェル』、『ビジョン・クエスト』と立て続けに出演していたんだ。ヴァルは「あんたはキューブリックの映画をやるんだよ」と言ったんだ。朝食を終えて、私はマネージャーに電話したけど、彼は何も知らなかった。キューブリック監督がワーナー・ブラザースで映画を撮っていることは知っていた。ハロルド・ベッカー監督に『ビジョン・クエスト』のプリントを依頼し、アラン・パーカーには『バーディー』のデイリー(粗編集)版を依頼していた(注:キューブリックはモディーンのオフショットにも注目していた)。 つまり、もしかしたらスタンリーは私のことを何も知らなかったのかもしれないし、ヴァル・キルマーは、私が『フルメタル・ジャケット』の役を得たことに何か関係しているかもしれないね。(注:ヴァルは『フルメタル…』に出演したくてオーディションのビデオをキューブリックに送っていた。詳細はこちら

ST:キューブリックとの最初の出会いはどのようなものだったのでしょうか?

MM:(妻と私がロンドンに落ち着くと)スタンリーは運転手を派遣してきて、私たちを田舎の彼の家に連れて行ってくれたんだ。私たちは素晴らしい楼門に車を走らせ、美しい古い田舎の土地に到着するまで長い私道がどこまでも続いていた。犬たちが飛び出してきて、家から出てきたのは髭を生やし、よれよれの服を着て、髪をなでつけた人なつっこい男だった。彼は想像していた通りの親切で優しい人だった。それは、私が聞かされていた彼の性格のすべてとはまったく違っていた。良き友人であり、良き父親であり、良き指導者であったというのが、私とスタンリーとの関係だ。

ST:撮影現場では、警告されていたスタンリー・キューブリックの姿にはならなかったのですか?

MM:彼はかなり非情な部分を持っていることがわかった。でも、それは根拠のない非情さではなかったと思うんだ。彼は、愚か者やバカを相手にすることができなかったんだ。それは、彼が共感的でなかったということではなく、とてつもない共感力を持っていたということだ。

ST:彼の映画は、極端な感受性を持っていると読み取れますね。

MM:まったくその通りだよ。彼はよく冷たいとか、非人間的だとか、彼の映画には硬質な面があるとか非難される。私は全くそうではないと思う。スタンリー・キューブリックが、おそらくどの映画監督よりもうまくやったことは、人間を正直に見つめるということだ。一般にハリウッド映画では人間の善良さ、つまりヒーローによって問題を解決するという理想的な姿が描かれる。しかし実際のところ、私たちがお互いを正直に見つめ、こうありたいと願う姿ではなく、私たちが何者で、何ができるのか、成功を収めるためにお互いに何をしてきたのか、そうしたことを意識しない限り、過ちを繰り返す運命にあるんだ。

ST:撮影現場でのキューブリックは、個人対個人ではなく、監督対俳優として、どのようにあなたと関わっていたのでしょうか?

MM: それは、意識的な選択やポーズから解放されるための反復のアイデアだったと思う。私たちは皆、映画を見て育ってきているので、映画で見た人物をベースにキャラクターを作ることがある。スタンリーが興味を持ったのは、私という人間だ。 私はユタ州で育ち、父はドライブインシアターの支配人だった。ブロンクスで育ったスタンリーにとって、それはまったく異質な世界だったんだ。それが彼には魅力的だった。その繰り返しで、彼はタマネギの皮をはがし、マシュー・モディーンという人間の核心に迫っていくんだ。マシュー・モディーンが想像するプライベート・ジョーカーではないし、ジョン・ウェインやジェームズ・スチュワート、ヘンリー・フォンダを再現したものでもないんだ。

ST:その時、あなたはその繰り返しにどのように対処したのですか?

MM:スタンリー・キューブリックの作品だから違和感なくできた。彼の映画の実績は十分に知っていたので、彼がもう一度と言うのなら、何か理由があるに違いないと思っていたよ。その理由を理解しようとし、どうすれば違うことができるのか、時には気が狂いそうになることもあった。でも、私にとって理解することは重要ではなかった。やってみて、うまくいくことが大事なんだ。

ST:『フルメタル・ジャケット』の撮影は2年間ロンドンに滞在していたそうですね。その間に息子さんが生まれたということですが、この映画の撮影は、あなたにとって一生の思い出になったのではないでしょうか。

MM:妻が緊急帝王切開をすることがわかったんだ。赤ちゃんが子宮の中でうまく育たなかった。7ヶ月目という非常に早い時期だった。仕事をしている場合じゃないと思った。ドリアン・ヘアウッド(エイトボール役)の撮影があった。私はそのシーンには関与していない。だから急いで出勤したんだけど、スタンリーは時間通りに来なかったんだ。7時、8時、9時。私はパニックになった。ようやく彼が出勤してきたので、事情を話した。すると彼は「どうするんだ?手術室で立っているつもりか?血だらけで気絶しちゃうよ。医者の邪魔になるだけだよ」と。

 私は「いや、行かなくちゃ」と言いました。「私は妻と一緒にいなければならないんだ」と。すると彼は、あなたがそこにいる必要がない、実に現実的な理由を語り始めたんだ。私はポケットナイフを持っていたので、それを手のひらに乗せて、「見てくれ、自分で手を切ってでも病院に行かなければならないんだ。妻の元へ行くために私を病院へ行かせてくれ」と言ったんだ。すると彼は私から離れて「わかった、でも終わったらすぐに戻ってきてくれ」と言ったんだ。

 スタンリーが怒ったのは、私が「仕事にならない」と言ったからだと思う。私はディレクションの役割も担っていたんだ。「何をするか、何が必要か、俺に教えるな」とね。そして、戻ってきて葉巻を配ったんだ(注:子供が生まれた際に行うアメリカの風習)。さらに3日間撮影しなかったよ。

 それから息子の名前のことで激しく文句を言われたよ。息子の名前はボーマンというんだ。ボーマンが『2001年…』の主人公の名前であることは思いもよらなかった。息子が生まれる5年前から、私たちは彼にボーマン・モディーンという名前をつけることに決めていたんだ。家に帰って『2001年…』を観て初めて、私が息子にキア・デュリアの名前をつけたと彼が思っていることに気づいたんだ。

ST:『フルメタル・ジャケット・ダイアリー』のアプリは、この映画の制作過程を知る上で、本当に素晴らしいものです。すべての映画で同じような日記を付けていたのですか?

MM:いや、ジャーナリストを演じていたからだ。小道具として、この小さなアジア製のメモ帳を見つけたんだ。ジャーナリストを演じているのだから、これに書くのがいいだろうと思ったんだ。二眼レフカメラで、それは本当に美しい芸術品だ。スタンリー・キューブリックが撮影現場で写真を撮ることを許可してくれるという状況に、私は身を置いたんだ。 ジャーナリストとして日記を書きながら、何の前触れもなく、突然こんな素晴らしいドキュメントを手にすることになったんだ。スタンリーは私に日記をつけることを勧め、撮影現場で時々日記を読むように言ってきたよ。これは偶然だけど、とても良いことだった。私はより観察力を高め、何が起こっているのかをきちんと記録することを余儀なくされたのだから。

 2013年の今、私がこの日記を気に入っているのは、スタンリー・キューブリックと映画を作った時のタイムカプセルでありながら、理解できない状況に置かれた若者の視点から語られている点なんだ。後知恵で書かれたものではなく、その瞬間に書かれたもので、弱さと純真さに満ちているんだ。

ST:何が理解できなかったのですか?

MM:スタンリー・キューブリックの映画への出演を依頼される。撮影を開始することになる。1ヵ月が過ぎ、2ヵ月が過ぎ、遅れが出てきた。その遅れが何なのか、あなたは知らない。そして、撮影が始まり、シーンを撮っても上手くいかない。そうすると自分のエゴで、このシーンが上手くいかないのは自分のせいだと思い始めるんだ。スタンリーが自分の映画を見つけようとしていること、自分がフィルムに収めようとしている瞬間の真実を発見しようとしていることを考慮しないんだ。ベトナムにいるはずなのに、光はまるでロンドンのようで、灰色で曇っている。セットはまだ準備できておらず、このシーンが何なのかよくわからない。彼は自分の映画を探すために、3つも4つも違う場所を奔走しているんだ。日記の中で発見するのは、「存在」という概念だ。人生における大きな葛藤、特にアーティストとしての葛藤は「存在すること」なんだ。それを早く発見する人もいれば、そうでない人もいる。私はマーロン・ブランドがそれを早く発見したと思う。ピカソもそう。モーツァルトもそうだ。彼らは誰かを喜ばせようとするのではなく、自分の天才的な才能を発見しているんだ。スタンリーは非常に早い段階で自分自身を発見した人だったよ。

 他の作品での経験から、撮影スケジュールがどのようなもので、コールシート(呼出票)を受け取り、次の日の仕事をこなすために、毎日どれだけの仕事をこなさなければならないかを知っている。しかし撮影が始まって数カ月、コールシートは何の役にも立たなかった。私たちは何も前進しておらず、私の自我は、これは私のせいだと言ってきた。私は間違いを犯している、彼に必要なものを与えていないのだ、と。私は野原に立っていたんだけど、スタンリーがジープに乗ってやってくるのが見え、また戻って私のほうに近づいてきたんだ。私は背の高い草の中に隠れようとしたんだけど、彼がやってきて、私が困惑しているのを見つけたんだ。どうしたのかと聞かれたので「この役をどう演じたらいいのかわからないんだ」と答えた。「あなたが何を望んでいるのかわからないんです 」と。

 彼はジープを止め、髭を触り、咳払いをして、「いいか、私は君に何も〈演じる〉ことを求めてはいないんだ、ただ、〈自分らしく〉して欲しいんだ」と。彼は車を走らせ、私は日記にこう書いたんだ「あの言葉の重要な部分は〈自分らしく〉であることを知った」とね。それを書いたのは若い人間だ。先ほども言ったように、「剥がす」「繰り返す」ことで、その人のDNAが見えてくるんだ。虚飾や誇示・・・それは旅であり、簡単に辿り着けるものではないんだよ。

ST:日記を共有できるものにしようと思われたのはいつ頃ですか?

MM:もともと写真が好きで、写真集を出したいと思っていたんだ。ただそれがやりたかっただけなんだ。最終的にラギッドランドという小さな出版社を見つけて、何か特別なものを作ろうと思ったんだ。スタンリーが手にして、「これはすごい」と言ってくれるようなものでなければならなかった。 だからヒンジのついた金属製の本で、2万部限定だったんだよ。出版社からは「写真だけではダメだ、ストーリーが必要だ」と言われた。日記を書き起こしてみると、これはスタンリー・キューブリックの世界に入り込む素晴らしい旅であることに気づいたんだ。そして、それは無心の視点であり、無防備な旅でもあったんだ。

〈以下略〉

(全文はリンク先へ:LACMA UN FRAMED/2013年3月4日




 テイクを繰り返すことによって、キューブリックが俳優との共同作業でシーンを作っていったという証言です。前回は『2001年…』のキア・デュリアでしたが(詳細はこちら)、今回は『フルメタル…』のマシュー・モディーンです。記事中の『フルメタル・ジャケット・ダイアリー』のアプリはこちらからダウンロードできます。有償ですが、ファンなら持っておいて損はないです。

 面白い話として、キューブリックと関わった俳優やスタッフは、誰もが同じような経験をするそうで、一部ではそれを「キューブリック神話に参加する」と言われていたそうです。すなわちキューブリック邸に食事に招かれ、身なりに構わないキューブリックに驚き、いままでの作品を褒めちぎられ、いざ制作に参加するとアイデア出しやアドリブを促され、それを提示すると答えや結論を安易に示さずダメ出しを繰り返えされ、悩むと優しく励まされるが、結局何が良いのかわからず献身的に尽くすしかない・・・といった具合です。

 キューブリックが「何が欲しいのかわからないが、何が欲しくないのかはわかる」と語り、大体の方向性だけしか示さず、細かくああしろ、こうしろと指示しなかった理由は、指示をしてしまうと俳優はその演技で満足してしまい、さらなるアイデアの追求をしなくなってしまうからということは、以前こちらで記事にしました。さらに言うと、撮影に関わるのは何も監督と俳優だけではありません。カメラマンや照明や音声など、撮影スタッフも当然関係してきます。『シャイニング』でステディカムオペレーターを担当したギャレット・ブラウンは、そのシーンの撮影の最適解を得るためにはそれなりのテイク数が必要だったと語っています。もちろんそれは新しいアイデアが浮かび、それを試すとなるとまた一からの作業になります。そうやってテイクが際限なく繰り返されれば、撮影期間も長期間に及びます。キューブリックのテイクの多さは、技術的な習熟度を上げたいからという理由もあったことを知っておかなければならないでしょう。

 マシュー・モディーンにとって、キューブリックの答えもわからずテイクを重ねるやり方は、ストレスも溜まりますし、俳優やスタッフの負担も大きいので、とても辛い体験だったのはよく理解できます。文句や愚痴の一つでも言いたくなるでしょう。でも結局時間が経てばこのように理解できるようになってくるのは、自身の成長と、単なる出演俳優から製作へと立場を移すからでしょう。キューブリックのようにスケジュールを気にせず、リハーサルに時間をかけ、テイクを何度も重ね、自由に演じながら最適解を求める撮影がいかに贅沢で、いかに特権的であったかは、製作の立場になってやっと理解できるという面もあるのではないでしょうか。

 ハリウッド・メジャーであるワーナーから製作費の全面支援と、製作の自由(作りたい作品のチョイスから製作期間、宣伝方法まで)を勝ち取ったキューブリック。それがいかに特別なことであったかは、同じ立場にいる方なら「そんなことはありえない、信じられない」と言うでしょう。もちろんそれはキューブリックにそれだけの才能、実力、実績が伴っていたからです。キューブリックは24歳の頃、劇映画処女作『恐怖と欲望』の出資者である叔父に「お前はいつかは成功するだろうから、それに一枚噛みたいんだ」と言わせるほどの才能の持ち主でした。そして自身はそれを当然視することはなく、「さらに、さらに良い作品を・・・」と常に上を目指し続けたのです。そんなキューブリックに対し、凡庸な才能さえ持ち合わせていない私たちが何を言えるのでしょう? キューブリックの遺した作品についての好悪はそれぞれあって構いませんが、スタンリー・キューブリックという映画監督・映画製作者がいかに特別な存在であったかを、もっと多くの人が知るべきだと私は思っています。
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 キューブリックのルック社時代の写真は全てニューヨーク市立博物館が収蔵していますが、このように世界各地で要請があれば展覧会も開催しています。上記動画にはその様子が収められていますが、やはり実物をこの目で見てみたいものです。日本でもどなたか手を挙げていただけないでしょうか?客の入りはこの私が保証します(笑。いや、でも「見たい」って方、多いと思うんですけどね。展覧会と同名の写真集が発売になっていますので(詳細はこちら)、とりあえずはそれで我慢するしかないようです。

 ところで、キューブリックの「ルック社でフォトジャーナリスト(ヤラセ込み)をしていた」という出自は、映画監督になっても同じスタンスで制作していたように思えるんですよね。

 フォトジャーナリストは

・撮影に値する出来事を狙う(起きなければヤラセ手法を使う)
・たくさんのショットを撮って、その中からベストのショットをチョイスする

というのが仕事の定石です。キューブリックがセンセーショナリズムを得意としていたウィージーのファンだったのもそうですし、『博士の異常な愛情』のピーター・セラーズの演技を高く評価していたのも「撮影に値する出来事を起こせる役者」ということだと思います。同じことはマルコム・マクダウェルやジャック・ニコルソン、リー・アーメイにも言えますね。それに(スチール)カメラマンと仕事をしたことがある方なら、採用ショットの裏には大量のボツショットが存在しているのをご存知だと思います。これらのことは、まさにキューブリックが映画撮影の現場で行なっていたことと全く同じです。

 世界中のファンの間で、こういう考察がなされているのかはわかりませんが、少なくともこの点を(はっきりと)指摘している日本語の論を私は見たことがありません。キューブリックのカメラマン時代については、主に構図の鋭さや被写体に対する視点ばかりで、こういった方法論的な話はなかったように思います。今後、この論点で記事をまとめてみたいと思っています。

 上記展覧会はポルトガルのカシュカイシュ・カルチャーセンターにて現在開催中。期間は5月22日までです。ポルトガル在住のキューブリックファンの方、いらっしゃいましたら、ぜひのご訪問を。
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キングはジャック・トランスの役に、非常に興味深い俳優を考えていた。

 1980年に公開され(ほぼ)満場一致の賞賛を受け、現在でも史上最高のホラー映画の1つ(「THE」ではないにしても)であると考えられているスタンリー・キューブリックによる『シャイニング』の映画化は、本当に特別なものであった。1977年に発表されたスティーブン・キングの同名小説を基に、キューブリックは素晴らしいキャストを集め、オーバールック・ホテルの呪いを描いたこの映画のイメージは、40年以上経った今でもすぐにそれとわかるものだ。

 そして、スティーブン・キングはこの映画を非常に嫌った。

 そのため、キングは自分の物語の再映画化に乗り出し、自ら脚本を提供し、1997年4月27日のテレビ公開まで、その制作に深く関わり続けた。

 3話からなるTVミニシリーズは1週間にわたって放送され、全編で4時間33分(映画より2時間長い)。当初は批評家から好評を博したが、その後数年間はあまり記憶に残らず、キューブリックの映画化と比較して不利な点が多くなってきている。

 キューブリック作品の公開当時、キングはジャック・トランス役にジャック・ニコルソンを起用したことを批判し、『カッコーの巣の上で』に続き、彼が狂気に陥るのを観客が先取りしてしまうだろうと述べた。キングは、この役はジョン・ヴォイト、マーティン・シーン、クリストファー・リーヴが演じるべきだったと考えていた。

 また、キングは、キューブリック版がジャックのアルコール依存症を軽視していると感じたこと、ウェンディをシェリー・デュバルが演じたこと、そして全体的に超自然現象を軽視していることも嫌った。キング監修版ではジャックは普通の男で、ホテルの幽霊に苦しめられるが、キューブリック監督版ではジャックはすでに狂っていて、ホテルでそれを引き出されただけのように見えるのだ。

 数年後、キングは『ローリング・ストーン』誌のインタビューに応じ、この映画について全面的に非難した。

「小説は熱く、映画は冷たい。小説は火で終わり、映画は氷で終わる。小説ではジャック・トランスという男が善良であろうとし、少しずつ狂気の世界へと移行していく様子が描かれています。そして、私が映画を観たとき、ジャックは最初のシーンから狂っていました」

「当時は黙っているしかなかった。試写会だったし、ニコルソンも来ていた。でも、彼がスクリーンに映った瞬間に、ああ、この人知ってる、と思ったんです。ジャック・ニコルソンが同じ役を演じた、5本のバイク映画で彼を見たことがある、とね。それにすごく女性差別的なんです。つまり、ウェンディ・トランスは、ただ泣き叫ぶ皿拭きのような存在として描かれていると。そう、それが私なんです。私という人間なんです」

 このような経緯があり、結局、丸18年後にキングはこの物語の脚色に取り掛かったのだが、サロンのローラ・ミラーが指摘するように、この2つのバージョンは基本的に互いに正反対なのである。

 「キングは本質的に、道徳の小説家です。吸血鬼の群れに立ち向かうにせよ、10年間の禁酒を断ち切るにせよ、登場人物が下す決断こそが、彼にとって重要なことなのです。しかし、キューブリック監督の『シャイニング』では、登場人物は自分ではコントロールできない力に大きく支配されています。一方キングの小説は、ある種の男性が妄想や自己防衛権を捨てようとしないときに行う選択として、家庭内暴力が描かれています」

 「キングが見たように、キューブリックは登場人物を「虫」のように扱っています。なぜなら、監督は登場人物が自分たちの運命を形作ることができると思っていないからです。彼らの行動はすべて、キューブリックの高度に発達した美学である、威圧的で抗いがたい力に従属するものであり、彼らはその奴隷なのです。キングの『シャイニング』では、怪物はジャックです。キューブリック版では、怪物はキューブリックなのです」

 監督はミック・ギャリス(1994年に大ヒットしたミニシリーズ『スタンド』もキング作品の翻案だった)、ジャック役はスティーブン・ウェーバー(『13の理由』)、ウェンディ役はレベッカ・デモーネ(『ゆりかごを揺らす手』)が務め、当初は評論家や視聴者の評判は良かったが、その後は人気が著しく落ち込み、2014年にはキング作品のテレビ翻案ワーストランキングに入るほどになった。

 2019年になって、マイク・フラナガンが『シャイニング』の続編『ドクター・スリープ』の映画化の脚本をキングに見せたことで、両版の間に何らかの和解が成立することになった。当初、キングはオーバールック・ホテルを復活させることに全面的に反対していたが(本編でも、キングの脚色でも、舞台はコロラド州に実在するザ・スタンリー・ホテル)、フラナガンの脚本を読んだキングは提示し、エンターテイメント・ウィークリー誌にこう語った。

「キューブリック版『シャイニング』の嫌なところが、これで全て帳消しになった」

〈以下略〉

(全文はリンク先へ:JOE/2022年4月27日




 スティーブン・キングが監修したTV版『シャイニング』がOAされてもう25年になるんですね。管理人は1990年代の終わり頃にレンタルビデオで視聴したのが最初ですが、現在も資料としてDVDは所有しています。気軽にAmazonプライムで視聴できますが、現在は有料なので無料のタイミングを狙った方が良いかもしれません。ただ上記の動画を観れば、その内容を知るには十分な気がします。何を言いたいのかと言うと「お金をかけて観るまでもない」ということです。

 実のところ、原作小説は若干まどろっこしいところがあるのですが面白いのです。面白いのですが、それは文字を読んで映像を想像するから面白いのであって、小説の内容をそのまま映像化してもつまらないということなのです。特にこういった超常現象を扱う小説はそうです。超常現象自体がマンガっぽい事象なので、マンガやアニメなら違和感はありませんが、CGが発達していない当時、実写で超常現象を描くのは非常に無理がありました。現在もそれは同じで、CGをフル活用し「それっぽく」はなっていますが、やはりマンガっぽさは同じです。キューブリックがその「マンガっぽさ」を避け、ジャックの狂気と暴力を物語の中心に据えたのは当然と言えます。リアルさが感じられず、せっかくの恐怖描写が台無しになってしまいますから。

 その台無しさ加減は上記動画の通りです。せっかくですので、キューブリック版の名シーン「Here's Johnny!」のキング版の動画も下に貼っておきます(ネタバレを回避したい方は視聴をお控えください)。なお、親子愛ドラマとして本作を評価する向きもありますが、個人的にはこの程度ではピクリともしませんでした。それも原作小説の方がまだ良かったですね。

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 微妙なナレ声と作品チョイスで観る者を困惑させる「WatchMojo Japan」。そのランキング動画『史上最も物議を醸したキャラクター ランキング Top20』でキューブリック作品が2作もランキングされていたのでご紹介。

 ・・・まあ、ご覧になった通りなんですが、『時計…』のアレックスが3位なのはともかく、『ロリータ』が1位っていうのはちょっと・・・。そんなにもロリータ(スー・リオン)は「史上最も物議を醸したキャラクター」って言えるんでしょうか? 公開当時を知らない管理人はなんとも言えませんが、スー・リオンが日本にプロモーション来日する(詳細はこちら)程度には話題になったのでしょう。でも、もっと1位にふさわしいキャラクターっていますよね?キューブリックのファンである私でさえそう思います。

 20位から11位までは以下の動画をどうぞ。ところでこのWatchMojo Japan、WatchMojoを勝手に翻訳して再アップしている非公式チャンネルだと思っている方もいるみたいですが、一応公式ですので間違わないでください。まあ、公式なのに訳や映画スキルのレベルが低く、それが誤解を生んでいる原因でもあるんですけどね。

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ACO_homeless
画像引用:IMDb - A Clockwork Orange

 映画ファンがオススメする「ディストピア映画」をまとめて10本紹介。本格的な設定のSFからクスッと笑えるブラックユーモアまで、様々なifの世界が堪能できるはず。

〈中略〉

『時計じかけのオレンジ』(1971)

 『シャイニング』のスタンリー・キューブリック脚本・監督作。原作はアンソニー・バージェスによる小説。マルコム・マクダウェル、パトリック・マギー、マイケル・ベイツ、ウォーレン・クラーク、ジョン・クライヴ出演。

 喧騒、強盗、歌、タップダンス、暴力。山高帽の反逆児アレックスは、今日も変わらず最高の時間を楽しんでいた。他人の犠牲の上にのみ成り立つ最高の時間を。そんなモラルを持たない残忍なアレックスが、洗脳によって模範市民に作りかえられ、再び元の姿に戻っていく……。

〈以下略〉

(全文はリンク先へ:FILMAGA/2022年4月22日




 映画レビューSNSサイト「フィルマークス」の記事です。私もアカウント登録していますが(こちら)、主に他の登録者の方のレビューを参考にさせていただく、という使い方をしております。個人的には感想やレビューというものは、多少の勘違いや理解が足らない部分があったとしても、自由に感じたまま書いていただいて良いと思いますし、他人がとやかくいうものではないと思っています。何度も言いますが、人様に「解説」するとなると話は別、ということです。解説するには正しい知識と情報の裏付けが必要ですし、それもなしに印象や憶測で語られては、誤解や勘違いが広まってファンが迷惑するということになるからです。

 さて、記事のテーマである「ディストピア映画」ですが、私が選ぶならもうこれしかありません。そう、泣く子も黙る『1984』です。私は1985年公開のマイケル・ラドフォード監督版しか観ていませんが、絶望に絶望で上塗りする世界観に圧倒されました。確かに小説を読まないと理解が追いつかない部分はありますが、惨めなヤラレ役として確かな存在感のジョン・ハートがもうぴったりで、私の貴重な十代を絶望で塗りつぶしていただきました(笑。

 ちなみにこの『1984』、ロケ地は『フルメタル…』と同じくベクトン・ガス工場跡地です。撮影時期は『1984』の方が先。その前に『007 ユア・アイズ・オンリー』でもロケに使われているので、キューブリックが言う「あんな大規模な廃墟が見つかったのは奇跡に近い」というのはちょっと大げさです。『フルメタル…』の後はオアシスの『D'You Know What I Mean?』のMVのロケで使われました(詳細はこちら)。現在跡地の多くはショッピングモールになっているそうです。ロンドン・シティ空港に東側からアプローチする際に右側に見えますので、ご存知の方も多いかも知れませんね。


この頃ロックバンドがSF映画のサントラを担当すると言うトレンドがあり、このユーリズミックスもそれに乗っかったのですが、やっぱり全然合ってないですね。
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