アンソニー・バージェス財団の『時計じかけのオレンジ』のページはこちら。
キューブリックが映画化した『時計じかけのオレンジ』について、原作者のアンソニー・バージェスが小説版の最終章を採用しなかったことについて批判していたことは知られていますが、逆に全く知られていない事実があります。それはバージェスはキューブリックの映画版を「当初は」支持していたという事実です。このことは以前こちらでも記事にしていますが、バージェス財団のサイトにも同様の記述があります。
バージェスは『リスナー』誌上で公開時に本作を熱烈に評価し、公開後もキューブリックと友好的な創作関係を築いた。キューブリックはバージェスにナポレオン・ボナパルトの生涯を描いた映画の計画について話し、バージェスはこのアイデアを小説『ナポレオン交響曲』(1974年)で使用していたが、完成することはなかった。近年では、キューブリックのナポレオンの脚本をHBOのミニシリーズ化するという話が出ている。
なのに突然バージェスはキューブリックに反旗を翻し、批判を始めます。同サイトはこう続きます。
キューブリックとは友好的な関係を保っていたが、バージェスは『スタンリー・キューブリックの時計じかけのオレンジ』という脚本のイラスト版が出版されたことに憤慨していた。バージェスはこれを自分の作品の流用とみなし、『Library Journal』誌でこの本を酷評した。この間、彼は他の小説を無視したジャーナリストたちに不満を抱いていたが、引きこもりのキューブリックは自分の代わりにバージェスとマクダウェルに映画の弁護を依頼した。
キューブリックの脚本出版を自著の剽窃と考えたバージェスがキューブリックを批判する。これならキューブリックとバージェスの仲違いの原因として納得がいくものです。しかしこの記述だとキューブリック本人への批判であって、映画版への批判ではありません。
同様に、もう一つ重要な事実が知られていません。アレックスが暴力行為を辞めることを示唆する最終章は「削除された」のではなく、いったん最終章なしで完成していた小説に「付け加えられたもの」という事実です。同サイトには以下の記述があります。
バージェスのタイプ原稿を調べてみると、彼は常に小説の終わり方について迷っていたことがわかる。第三部第六章の最後に彼はこう書いている「オプションのエピローグが続く」。最終章はアレックスが成長し、自らの意思で暴力を放棄するという贖罪的な内容になっている。アメリカ版の本とキューブリックの映画の締めくくりに使われている最後章では、アレックスが明らかな喜びを持って犯罪の人生に戻っていく。
オプションのエピローグ・・・。この件についてはこの記事でも採り上げた通り、キューブリックとマルコム・マクダウェルの証言があります。両者の証言は「編集者に要求されて最終章を付け足した」で一致しています。
キューブリックを語るなら絶対外せない評伝『映画監督スタンリー・キューブリック』には映画公開時、当初バージェスやマルコムは映画版を支持、擁護していた事実がはっきりと記載されています。それはこのバージェス財団のサイトでも確認できます。ですので、問題は「なぜバージェスは突如として映画版を批判するに至ったのか?」なのですが、生半可な知識で『時計…』を解説する自称映画評論家、識者、ライター、YouTuberはこの事実を無視(知らない?)し、バージェスが最初からキューブリックの映画版を批判していた、最終章はキューブリックが勝手に削除したかのように解説、拡散させ、個人のブロガーの力ではそれを覆せない状況に陥っています。
では改めて、なぜバージェスは編集者に要求され、付け足しのオプション程度の扱いだった最終章を映画で採用しなかったことについて、或る日突然それを持ち出してキューブリックを激しく批判し始めたのか、管理人個人の見解はこうです。
キューブリックが最終章のない米国版をベースに映画化、公開したところ、各方面から暴力賛美だと批判が集中した。当初映画版を擁護していた原作者のバージェスも、批判はおろか脅迫までされる事態に発展したため急遽方針転換。脅迫の矛先を自分からそらすために、実際はオプション程度だった最終章を持ち出し、その意味と重要性を事あるたびに主張し、自分は暴力主義者でない事を世間にアピールしつつ、それを映像化しなかったキューブリックを激しく批判した。
むしろ、これ以外の説明を考えることが難しいでしょう。同様の脅迫は主演のマルコム・マクダウェルにもおよび、マルコムもバージェスと同様に、擁護派から一転『時計…』を厳しく批判し始めました(現在は「誰が見ても傑作」と再び擁護派に戻っている)。キューブリックは脅迫に屈して映画を1974年に封印(一般公開は1972年1月から)、英国で上映が許可されたのはキューブリック逝去後でした。つまり3人とも「映画を否定」してしまったのです。それだけ3人の元に届く脅迫はすさまじかったのだと想像できます。
公開差し止めは家族思いのキューブリックにとって、自宅まで脅迫が届く事態を憂慮したのは間違いないですが、擁護派から一転批判派に鞍替えし、キューブリックを裏切ったバージェスとマルコムについてキューブリックは生涯没交渉を貫きました。マルコムはその後のインタビューによるとキューブリックとの関係修復を望んでいたようですが、キューブリックは相手にしませんでした。『ナポレオン』の脚本を依頼していたバージェスとも縁を切り、結局関係修復はなされませんでした。キューブリックは執念深いのです。
さて、もう一つの事案「A Clockwork Orange」という言葉の出典についてです。これはバージェス自身が「東ロンドンのコックニー訛りで、時計じかけのオレンジのように奇妙な」と解説しています。しかし財団のサイトでは以下の記述があります。
「時計じかけのオレンジ」の由来は裏付けが難しい。ロンドンのスラングの辞書には記録されておらず、一部の言語学者は、このフレーズの起源はリバプールにあると考えている。この小説が出版された1962年以前にこのフレーズの引用が記録されていないことは明らかであり、その使用法についての唯一の権威はバージェス自身である。バージェスが本物のコックニー訛りのフレーズ「All Lombard Street to a china orange(十中八九という意味)」を記憶違いで覚えているか、あるいは単に作り話をしている可能性もある。
つまり「All Lombard Street to a china orange」を「A Clockwork Orange」と間違えて記憶し、その語感からバージェス自身が
明らかに私はそれに新たな意味を与えなければならない。新しい次元を暗示した有機的なもの、生き生きとしたもの、甘いもの、つまり生命であるオレンジと、機械的なもの、冷たいもの、規則正しいものの融合を示唆している。私はそれらを一種の撞着語法のようなものとしてまとめた。
可能性があるのです。つまりインスパイアはされつつも、完全にバージェスの造語ということです。個人的にはこの説が一番説得力を持っていると思っています。また自身は後年に突然
私自身、6年近くマレー語に親しんでいたので、マレー語は私の英語に影響を与え、今でも私の思考に影響を与えている。私が『時計じかけのオレンジ』という小説を書いたとき、マレー語で「人」を表す言葉である「オラン」がタイトルに含まれていることを、ヨーロッパ人の読者は誰も気づいていなかった(マレー語の英語学習者は必ず「オラン・スカッシュ」と書く)
(引用:Why not Catch-21? : the stories behind the titles)
と言い出しました。どうも後付けくさいこのコメントに長い間違和感を感じていたのですが、記憶間違いに気がついたバージェスの後付け説明だと考えれば納得できます。言語学者のバージェスが「All Lombard Street to a china orange」を「A Clockwork Orange」と間違えていたなんてかっこ悪いですからね。そもそもこの記述はアンソニー・バージェス財団のサイトに記述がありません。財団も「違和感」を感じて採用しなかったのかもしれません。
財団のサイトはバージェスと『時計じかけのオレンジ』の関係についてこう総括しています。
バージェスは彼の最も有名な小説と複雑な関係を持っていた。彼はこう書いている。「私はこの本が他の本よりも好きではない。最近まで未開封の瓶に入れて保管していた」。しかし、バージェスがこの本を積極的に嫌っていたと言うのは大げさではないか。バージェスの態度は人生の様々な時期に変化したが、彼は何度も『時計じかけのオレンジ』に戻ってきて、舞台化したり、記事を書いたり、さらには映画『時計じかけの遺言』や『エンダービーの果て』の制作を基にした小説を書いたりしている。後者では、バージェスの名を冠した詩人に「『時計じかけのオレンジ』を『黄色い老犬』のように見せている」と、脚本の翻案によって与えられた不名誉に対応するように求めている。
このようにバージェスの『時計じかけのオレンジ』に対する思いは一方的に肯定でも否定でもなく、その時々で複雑でした。1960年代半ばまでにたった3872部しか売れなかったとこのサイトには書かれています。イギリスより暴力が身近にあるアメリカなら、最終章がない方が受けがいいかも知れない・・・本売りたいバージェスがそう考えたとしても不思議ではありません。もしバージェスが最終章がない方が自分の真意だと考えていたなら、映画公開当初の擁護も理解できます。そしてその後の脅迫行為に屈して批判に転じる際、実はオプションでしかない最終章をキューブリックが採用しなかったことを好都合とばかりに利用する・・・それもありうる話です。バージェスの場合、財団のサイトでさえ「バージェスの態度は人生の様々な時期に変化した」と書かれる始末です。表出したその時々のコメントは重要ですが、それを短絡的に鵜呑みにはできないということです。バージェスの発言は、その時々のバージェスの置かれた状況をよく勘案しなければならないと考えています。