トム・クルーズの窮地を救った謎の美女。演じたのはアビゲイル・グッドというモデルの女性で、声はケイト・ブランシェットが担当した。
謎の美女の声を担当したケイト・ブランシェット。キャステングはキューブリックの逝去後だったため、レオン・ヴィタリが行った。
アメリカではR指定を得るためにデジタル修正された乱交シーン。日本ではオリジナルのままで公開された。
撮影しながら性行為の振り付けをする
レオン・ヴィタリ (キューブリックのアシスタント): 乱交シーンでスタンリーはあることをしたかった。『時計じかけのオレンジ』へのオマージュのようなことをだ。男が手と膝をついて、女が男の背中にいて、後ろからさらに別の男にファックされているというものだ。撮影中に振り付けした。スタンリーが突然思いついたからだ。簡単なものではなかった。誰もポルノ俳優じゃない。彼らはモデルとダンサーだ。そして根性があった。
ジュリエンヌ・デイビス(マンディ役): スタッフが来てこう言ったんです。「計画の変更があった」って。これからはTバックを身に付けないこと、そして男たちは股間の上のカップを除いて完全に裸になること。私ともう一人の女性は参加しないことにしました。他の女の人たちに「もしこれをやるなら、完全に話は違ってくるわよ。私があなたならギャラの増額を要求するわ」と言いました。
アビゲイル・グッド(謎の美女役):スタッフはこう言うだけです。「そう。腰をかがめて。あれみたいに。そこに寝て。そうあれみたいに。」って。仮面を付けてるから誰にも自分のことはわからないし、匿名性は保たれ、友達家族に言わなければ、誰にも自分がしたことはバレないけど、簡単なことではなかったわね。
ヨランデ・スナイス (振付師):乱交シーンの振り付けを始めた時には、会社の仕事もあったの。最初はそこまで振り付けが必要とは思わなかったけど、それは間違いだった。シーンを見てみたら、スタジオでのリハーサルがシーンの撮影に影響されていることがわかりました。カウチ、ベッド、アームチェアー、私たちが家具の周りでした2、3、4人組の振り付けの全てがそこにありました。エロチックだけれど、本物の性交は行われていません。
レオン・ヴィタリ:冒涜的であり優美なことだと思う。テーブルの上で優美なポーズをする、そして同時に不快なことも起こっているという。スタンリーは限界まで行きたかったんだ。もちろん上品さと猥褻についてとなると多くの限界があったけど。
アビゲイル・グッド :全ての女性たちが去った後も、2人の素晴らしいアーティストと働くことができました。トムとスタンリーです。素晴らしい仕事ぶりでした。スタンリーは私に何度も意見を聞いてくれました。私とトムは彼が撮った中で最後の人々の一員でした。吹き替えが行われる前に亡くなってしまいました。映画が公開される前、いつも誰が私の吹き替えをしたのか不思議に思っていました。だって私はアメリカのアクセントがありませんから。
レオン・ヴィタリ:ケイト・ブランシェットだよ! あれは彼女の声だ。温かみがあって、官能的で、同時に儀式の一部にもなれる声を探していたんだ。スタンリーはそういう声と質を探すように言っていた。彼が亡くなってから、私がその人物を探すために動いたんだ。実はケイトを起用するアイデアを思いついたのはトムとニコールなんだ。その時ちょうど彼女はイギリスにいたので、パインウッド・スタジオまで来てもらい、セリフを録音したんだ。
R指定騒動
パディー・イーソン (デジタル合成監督):キューブリックの死からすぐ、私のプロデューサー レイチェル・ペンフォールドと私はキューブリック邸に呼ばれ、映画を完成させるための陣容が変わったと伝えられました。多くの問題を抱えていたのです。彼が亡くなった時、カットは封印されていました。彼は実地の編集者でした。でも彼とワーナーとの契約でR指定の映画を出すことが決められていました。スタンリーにどうやってR指定ではない乱交シーンをR指定にするのかという話をした人は誰もいませんでした。
レオン・ヴィタリ:カットはトムとニコールにニューヨークで見せた一週間前に封印されていた。そして彼はそれが彼のファイナルカットだと言ったんだ。しかし彼はそれが危険な領域に踏み込むことだと知っていた。彼が亡くなっていてよかったよ。アメリカ映画協会のことに振り回されずに済んだんだから。本当に馬鹿げていた。だって同じアメリカ映画協会があのサウスパークの映画にOKを出したんだから!あの映画覚えてるかい? 卑猥で、ほのめかしていて、もしくは本物の性的用語にまみれた映画だよ。
パディー・イーソン:彼のカットは神聖なものだった。彼らは誰も1フレーム足りとも変えようとしなかった。「あのショットをカットしただろ!」とかなんとか言われるのが嫌だったのだと思う。ショットを見て、問題になりそうな攻撃的、侮辱的と思われるような性的シーンを取り上げてみて、それからどうやって観客を刺激しないようにするか考えて、カバーしただけだ。あとは黒いマントの男たちと女性たちのCGをあるフレームのエリアを隠すために付け加えた。何人かの人がネガティヴにそのことを指して、シーンのある人物に「あれはCGだ。すぐわかる。なぜこんなことをした?」というのは本当におかしかった。ある時など、間違った人物を指して言っていたから。つまりシーンの本物の人間に対してだった。ドラマティックに照明されていたから助けになりました。多くのキャラが棒立ちだったことも。それがシーンのスタイルだった。しかし全てのCGキャラは少し動いている。我々のアニメーターの一人、 サリー・ゴールドバーグは人間の棒立ちをアニメーション化する方法は、バランスを少し変えるのだと言っていたよ。
アビゲイル・グッド :プレミアはとても興味深かったです。撮影期間の長さが話題になりましたね。トムとニコールが出演していることも。「ハリウッドの2大スターが裸で歩き回っている!」と。そしてスタンリーの監督作だと言うことと、彼が死去してしまったことも。
レオン・ヴィタリ:私は何年もイルミナティのファンたちから電話をかけてこられたよ。いつもこう切り出してくる。「どこにそんな力があるんだ?どこに?イルミナティについての映画なんだろ?カトリック教会の隠蔽なんだろ、違うかい?」とね。そしたら私はこう返すんだ「ほう、なんでそう思うんだ?」って。それからはもう切るだけになったよ。どうやらロスには「アイズ・ワイド・シャット・クラブ」なるものがあるらしい。女性たちはマスクを付けて、男はイブニング・スーツでその女性を囲む。行ったことはないけどね。ハリウッド・ヒルズの上かその近くにあると聞いたな。そういえば撮影中に誰かが、たぶんトムだ、こう言った「本当にこんな場所があるのかな?」と。そしたらスタンリーがこう返したんだ「なければ、すぐにできるだろう」
(引用元:VULTURE:An Oral History of an Orgy Staging that scene from Eyes Wide Shut, Stanley Kubrick’s divisive final film./2019年6月27日)
前々回の記事「【考察・検証】『アイズ ワイド シャット』の儀式・乱交シーンについてのスタッフの証言集[その1]儀式シーンのリサーチについて」と前回の記事「[その2]さらに本物に近くなる乱交シーン」の続きで、今回が最終回です。乱交シーンの過激さはついに行き着くところまで行ってしまい、結局は行為そのものを見せるという結果に。もちろんマネだけですが、結合しているかのように見える腰の部分まで見せるという判断は、公開当時観ていた観客も驚いたはずです。
脚本を共同で執筆したフレデリック・ラファエルによると、キューブリックは世界中のあらゆるポルノ産業のカタログにアクセスできるソフトを入手し、ごきげんだったとか。脚本は1994年末にスタートしたので、この頃はまだインターネットが一般化する前。撮影はそれから2年後の1996年11月から始まったので、この頃になるとインターネットが急速に普及し始めていました。ポルノ産業もそれに合わせて拡大・過激化の一途をたどっていたのをキューブリックは知っていたはず。であれば、生半可なシーンでは観客にショックを与えられない。だからこそのこの「過激化」ではないかと思います。
ストーリー上では「マンディ=謎の女」ということに(一応)なっていますが、実際はマンディをジュリエンヌ・デイビス、謎の女をアビゲイル・グッドと別人が演じています。証言によるとそれはジュリエンヌ・デイビスが乱交シーンへの参加を拒否したためだということがわかりますが、スタントシーンなど、俳優が代役を使って撮影するということはよくあるので、この事実をして「マンディ≠謎の女」と(ストーリー上の)判断をするのは早計かと思います。原作でもそれは曖昧になっているし、キューブリックもやはり曖昧にしておきたかった(謎として残しておきたかった)のではないかと思います。
その謎の女の声を吹き替えたのはあのオスカー女優、ケイト・ブランシェットだということを初めて知りました。アンクレジットでの参加だったので、今まで知られていませんでしたが、IMDbにはすでに掲載されていますね。
レオンによると極秘試写でトムとニコールに見せたものが「ファイナルカットだ」と言ったそうですが、キューブリックは試写で観客の反応を見てカットすることが常なので、この「ファイナルカット」という言葉は「その時点で」という注釈が必要でしょう。もしキューブリックが存命だったら、『アイズ…』が今ある形と異なっていた可能性はかなり高いと思います。
この証言集で多くの証言をしているのは振付師のヨランデ・スナイス、謎の女役のアビゲイル・グッド、サントラを担当したジョセリン・プークですが、やはり他作品のスタッフや俳優と同じ話をしています。すなわち「キューブリックにアイデアや意見をその場で求められた」ということです。キューブリックあらかじめ台本や絵コンテなどで台詞やシチュエーションを決めておいて、それをそのまま撮影するという手法は採りませんでした。「どうやって撮るかは難しくないけど、何を撮るかは難しい」「いかに撮影に値することを起こし得るかの挑戦だ」と常々語っていた通り、周りにいる俳優やスタッフの意見やアイデアによく耳を傾け、より良いシーンを貪欲に求め続けました。そうしてリハーサルを繰り返すことによりそのシーンを磨き上げ、「これがベストだ」と判断してやっとカメラを回すのです。
キューブリックはたびたび「マエストロ(指揮者)」に例えられます。優秀な演奏者から素晴らしい演奏を引き出し、一つにまとめ上げるマエストロにです。最終的な決定権はマエストロにありますが、それをいかに充実させた演奏(映画)にするかは演奏者(俳優やスタッフ)次第です。キューブリックが優秀なスタッフばかり身の回りに置いたのも、また、初参加であってもその後優秀さが認められて活躍する人が多いのも、キューブリックの審美眼がいかにシビアで正確であったかを証明していると言えるでしょう(キューブリックに厳しい要求を突きつけられ、「できない」「無理だ」と応える俳優やスタッフに対して「できるかできないかなんて、やってみるまで君自身にもわからないじゃないか」と諭していた)。
乱交シーンのデジタル修正については日本ではオリジナルで公開されたこともあり、あまり話題になりませんでしたが、公開当時、アメリカのファンの間でのブーイングはかなりのものがありました。どう修正されたかはこちらの記事でご確認ください(閲覧注意)。
3回に渡ってお届けしました「【考察・検証】『アイズ ワイド シャット』の儀式・乱交シーンについてのスタッフの証言集」いかがでしたでしょうか。こうしてみると、結局は「映画」という「フィクション」の制作現場でしかなく、何か特別な思惑や陰謀が渦巻いていた訳ではないとこがよく理解できるかと思います。キューブリックの制作現場は独特だとよく言われますが、それでもやはり「映画制作」という現実の範疇でしかありません。「フリーメイソンやユダヤの陰謀」や「鬼畜キューブリックの超絶ブラック現場」という「おはなし」は人の耳目を集めるには手っ取り早い方法ですが、実際はこの証言の通りで、何か特別なことがあるとすれば「より良い映画を作ろう」という気概、モチベーションが他の現場よりかなり高かったというだけです。もちろんそれには多大なる苦労や犠牲が(本人、周囲の人間問わず)伴いますが、それはキューブリック作品がより長く語り継がれている要因であるし、私たちファンはそれを感謝しなければなない立場でしょう。それに俳優やスタッフたちにとっても、キューブリックの現場から得られるものは大きかったのではないでしょうか。
キューブリック存命中は俳優やスタッフには守秘義務があったため、制作現場は謎に包まれていましたが、近年になってこのように知る機会が増えてきました。存命中の数少ない情報で「想像(予想)」されていた情報は、新しく知り得た「正しい」情報で上書きされなければなりません。それを怠っている「自称評論家・解説者」(誰とは言いませんが)が語るキューブリック像など価値はないし、聞く耳を持つべきではないでしょう。当ブログの読者の皆様には、賢明で聡明なご判断をお願いしたいと思っております。
翻訳協力:Shinさま