2018年07月

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『シャイニング』はアカデミーとは関係ない気がするんですが・・・公式サイトはこちら



 キューブリック作品のテクニカル部門(美術、特撮、撮影、衣装、音楽)には賞を贈りつつ、キューブリック本人にはとことん冷淡(キューブリックは作品賞も監督賞も受賞していない)だった米アカデミー協会ですが、西ロサンゼルスに建設中の「アカデミー映画博物館」公式サイトのトップページ「シャイニングカーペット」を使うという、よくわからないことをしでかしている(『シャイニング』はアカデミー賞にノミネートすらされていない)のでご紹介。

 この「アカデミー映画博物館」ですが、2015年に発見され、オークションでアカデミー協会が約4,000万円で落札した『2001年宇宙の旅』アリエス1B宇宙船の撮影モデルの「現物」を展示する予定になっています(詳細はこちら)。その『2001年…』の共同原案者であるアーサー・C・クラークは、アカデミー賞で脚本賞を受賞したメル・ブルックスに対して「君は僕のオスカーを盗んだ」とか、『猿の惑星』の特殊メイクが名誉賞を受賞すると「アカデミーの審査員は猿人を役者だと気づかなかったからだ」など、露骨に嫌味を言っていたのは有名な話です。当時クラークはアカデミーの授賞式に出席していて、賞を受賞する気満々だったようで、「用意していた素晴らしいスピーチは破り捨てた」と、かなりのご立腹だったようです。ですので、そのガッカリぶりは察するに余りあるものがありますね。

 当のキューブリックはこの授賞式には出席せず、結果「特殊視覚効果賞」受賞発表も以下の微妙さ加減。この「特殊視覚効果賞」は本来、特撮に貢献した4人(ウォーリー・ヴィーヴァース、トム・ハワード、ダグラス・トランブル、コン・ペダーソン)が受賞するはずだったものを、アカデミーに「一つの賞で受賞者は三人まで」と言われて仕方なく自分が代表で受賞したものでした。



 アカデミーからしてみればハリウッドに資金を頼りつつも、ハリウッドで映画を撮ろうとせず、ハリウッドの「つきあい」にも背を向けたキューブリックに賞を贈る理由など微塵もないわけで、そのキューブリックの「つきあいの悪さ」に冷遇した、と考えられなくもないですが、そのアカデミーが建設する博物館における今更ながらのキューブリックへの秋波の送りっぷりに、ファンは当惑を隠せません。まあ、所詮アカデミー賞やアカデミー協会なんてそんなもんよ、という声が聞こえて来そうですが、どこかのタイミングで「名誉賞」とか贈る魂胆なんでしょうね。もしそうなったら、キューブリックもクラークも故人となった現在、一斉に「おせーよ!!」と突っ込んであげるのが私たちファンの正しい姿であるような気がしてなりません(笑。

academy_museum_corner「アカデミー映画博物館」の完成予想図。(公式サイトより)

 その「アカデミー映画博物館」の完成予想図です。来年になればもっと情報が出てくるでしょう。どれだけ「キューブリックみ」があるのか、否か、気にしつつ待ちましょう。
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 上記はホームビデオに遺された在りし日のキューブリックのプライベートをまとめた動画です。上記の動画のソースは以下になります。

(1)ア・ライフ・イン・ピクチャーズ
(2)ピーター・セラーズ・ストーリー
(3)Stanley Kubrick 1983
(4)Stanley Kubrick 1984

 キューブリックの動く映像というのはあまり残っていなくて、上記以外では『スパルタカス』のロンドンプレミアを報じたニュース映像の1:17から。0:10にもタバコをくわえたキューブリックが映っています。



『ロリータ』のプレミアを報じたニュース映像の0:33から。



 『2001年という“未来”(2001: A Space Odyssey -- A Look Behind the Future)』(『2001年宇宙の旅』BDなどに特典映像として収録)の18:08からと、



その時に撮影されたアウトテイクと、ニューヨークプレミア時のインタビュー。



 キューブリックの三女、ヴィヴィアンが撮影したドキュメンタリー『メイキング・ザ・シャイニング』(『シャイニング』BDなどに特典映像として収録)。以下はそのTV放映バージョン。



 そのヴィヴィアンが作りかけで放り出したという、『スタンリー・キューブリックの秘密の箱(Stanley Kubrick's Boxes)』に使用された『フルメタル・ジャケット』のメイキングシーン。



 あとは『グリフィス賞受賞時のスピーチ』くらいです。



 キューブリックは仕事で映像を撮りまくっていましたが、自身はあまり映像に撮られるのを好まなかったようで(身バレが嫌だったのかも)、『アイズ ワイド シャット』でのカメオ出演シーンが生前の姿を捉えた最後になりました。中央奥のソファに座ったおじいさんがキューブリック。左にいるのが妻のクリスティアーヌです。

cameo

 ヴィヴィアンは『シャイニング』と同様にメイキング・ドキュメンタリーを作るべく、『フルメタル…』撮影中に大量にフィルムを回していたはずですし、80時間分あると言われている『メイキング・ザ・シャイニング』の撮影フィルムに貴重な映像が残されているかもしれません。そのアウトテイクの一部が最近流出して話題になっていました。



 権利関係など、クリアしなければならない問題は多いとは思いますが、ぜひなんらかの形で陽の目を見ることを期待したいですね。
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 管理人もこのブログ開設当初から利用しているインターネット・ムービー・データベース(IMDb)ですが、そのIMDbが制作したキューブリックの映像スタイルを編集した動画『Stanley Kubrick Trademarks』が話題になっていてのでご紹介。説明には「IMDbはカンヌ映画祭『2001年宇宙の旅』公開50周年記念70mmプリント版上映を賞賛し、スタンリー・キューブリック監督の映像スタイルをつぶさに観察しました」とあります。

 まあ、この手の動画は『Kubrick // One-Point Perspective』があまりにも有名になりすぎてしまっているので、ちょっと二番・三番煎じな感じが否めません。Twitterなどでもこの動画に影響を受けたと思われる写真が「キューブリック的」と称されてよくアップされているのを見かけますが、キューブリックのスタイルは「一点透視で、なおかつシンメトリー的」です。単なる一点透視は一点透視でしかないので、それは間違わないで欲しいですね。
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2015年春の撮影。撮影者が『シャイニング』を意識していないとは言わせません(笑。



 『シャイニング』のオーバールック・ホテルの内装デザインはアメリカ・ヨセミテ国立公園にある「アワニー・ホテル」がモデルになっていることはこちらで紹介済みですが、おそらくスティディカムをつかったであろうウォークスルーの動画がありましたのでご紹介。

 この「アワニー・ホテル(Ahwahnee Hotel)」ですが、2016年3月1日に名称が「マジェスティック・ヨセミテ・ホテル (The Majestic Yosemite Hote)」に変更になりました。歴史あるホテルなのでこの変更は残念ですが、おそらくヨセミテにあることをアピールしたいがための変更なんでしょうね。

 ホテルの公式サイトはこちら
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邦訳された小説『時計じかけのオレンジ』。左から再販(1977年)、アントニイ・バージェス選集〈2〉(1980年)、完全版(2008年)。このほかに1971年発刊の初版がある。

 小説『時計じかけのオレンジ』の最終章(第21章・3部7章)については、いったん第20章(3部6章)で物語を終わらせていたにもかかわらず、原作者アンソニー・バージェスが出版社の意向に沿って「その場しのぎ」で「付け加えた」というのが事の真相ですが、本人がこの事実を隠し、事あるたびにキューブリックの映画版を批判したために、「最終章がある版がバージェスの真意である」という間違った認識が定着しつつあります。この記事ではそれを訂正するために、当事者や関係者の証言をまとめてみたいと思います。

 「それ(第21章)は納得のいかないもので、文体や本の意図とも矛盾している。出版社がバージェスを説き伏せて、バージェスの正しい判断に反して付け足しの章を加えさせたと知っても驚かなかった」

(引用元:『ミシェル・シマン キューブリック』)

 「失われた最終章?あれは偽物だ。アンソニー・バージェスは文字通り書けと強要されたんだからね。発行者から「こいつを好ましい人物にしないとかなり厳しいことになる」と言われて2時間で言われた通りに書き上げたと話していたよ。だからあれはオリジナルでもなんでもないのさ」

(引用元:『CUT 2011年7月号』マルコム・マクダウェル インタビュー)


 このように、キューブリックもマルコムも明確に「最終章は出版時に出版社の意向で付け加えさせられたもの」と証言しています。次に、小説の訳者である乾 信一郎氏による最終章に関するあとがきを検証したいと思います。

 この小説が一部二部三部にわけられていることはごらんのとおりであるが、その第一部と第二部はそれぞれ七つの章から成り立っている。問題なのは第三部である。1962年の英国版初版にはこの第三部も七つの章になっているのだが、その後に出た版になるといずれも最終章の第七章が削除されている。最も新しい版と思われるペンギン・ブックスの1977年版にもこの最終第七章は無い。

〈中略〉

 ところがその後早川書房編集部で1974年のPlayBoy誌上にバージェスのインタビュー記事が出ているのを発見。訳者もそれを見せてもらったが、その中にはもちろんバージェスの著作中でのベストセラー『時計じかけのオレンジ』のことに触れた部分があった。それによるとバージェスはキューブリック監督によって映画化された『時計じかけのオレンジ』には数々の不満があるというのだ。特に結末の部分がいけないという。キューブリック監督は原作の最後の章を読んでいないんじゃないか、とあった。

〈中略〉

 それでは、なぜバージェスはその考えを盛った大切な最後の章を削除した本の発行を許しているのか、そこが疑問になってくる。以上のような考えであれば第三部の第七章は絶対になくてはならないものということになるのだが、実際はその反対となっていて、いっていることと現実が矛盾する。

(引用元:時計じかけのオレンジ (1980年) (アントニイ・バージェス選集〈2〉)


 つまり、訳者自身も「バージェスの矛盾した言動は不可解」と評しています。ところがの2008年に刊行された『新装版』の柳下毅一郎氏の解説は、前述したキューブリックの証言を「事実はそうではない」と否定し、

 1962年に英国ハイネマン社より出版された『時計じかけのオレンジ』初版には第7章(第21章・3部7章)も含まれた完全版だった。だが同年に米国で出版された版からは最終章が省かれていた。バージェスが86年の米国版に寄せた序文によれば、米国の出版社がカットを求めたのだという。その後の版もこれを踏襲し、86年に「『時計じかけのオレンジ』はこれまでアメリカで完全なかたちで出版されたことがなかった」とする序文(A Clockwork Orange Resucked)つきで再版されるとき、はじめて第7章が復活した。バージェスがそれまで第7章の復活を求めなかった理由はわからない。おそらく本人にもどうすべきか迷いがあったのではないだろうか。

と、バージェスの主張を言葉通りに信じ込んでしまっています。ですが「無理やり付け加えさせられた」という証言はキューブリックだけでなくマルコムも行なっているため、これは「事実」として考えざるを得ません。その上で解説で柳下氏が指摘している「迷いがあった」は、以下の結論で完全に説明できてしまうのです。

結論:バージェスは当初最終章のない『時計…』が完結した物語と考えていたが、英国の出版社の意向に添って不本意ながら最終章を付け足した。その後キューブリックが最終章のない(バージェス曰く「カットを求められた」としているが、バージェス自らカットを求めた可能性もある)米国版をベースに映画化したところ、各方面から暴力賛美だと批判が集中、原作者のバージェスも批判はおろか脅迫(殺人予告を含む)までされる事態に発展した。その批判や脅迫をかわすためにバージェスは、マスコミ向けには最終章の意味とその重要性を事あるたびに主張し、それを映像化しなかったキューブリックを批判、自分は暴力主義者でない事を世間にアピールした。しかし本心では最終章がない版が決定版だと考えていたため、米国版に最終章を加えるか否か1986年まで悩み続け、最終的には加えることにした。

 上記の結論(私論)や、最終章の有無に関する「好み」についてはそれぞれの判断に委ねるとして、ひとつ確実な事実は「最終章はアンソニー・バージェスが出版社の意向に従って付け加えたものである」という点です。この事実を認識した上で最終章を書いたバージェスの「真意」ついて論ずべきだ、と管理人は強く思います。
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