スタンリー・キューブリック監督が若かりし日に撮影した写真は、後に彼が世界を驚かせる映画作品のワンシーンを思わせるものでした。詳細は以下から。
20世紀を代表する映画監督のスタンリー・キューブリックは、13歳の時に初めてのカメラGraflex Pacemakerをプレゼントされます。最初は同級生や先生を撮っていたキューブリックですが、飽き足らずに街に出て写真を撮り始めます。1946年にルーズベルトの死を伝える写真が「Look Magazine」に売れたことから写真家としての活動を開始しました。BUZZAP!では以前、この年に17歳だったキューブリックの撮影したニューヨークの地下鉄の写真についても記事化しています。
そしてその3年後、20歳を迎えるキューブリックは「Look Magazine」の「Chicago - City of Extremes」という企画でシカゴを訪れ、当時でも360万人の人口を擁し、摩天楼の建ち並ぶ巨大工業都市の様々な日常風景を写真に収めてゆきます。通勤客の行き交う鉄道駅、賑わう株式取引所、学校の生徒たち、黒人の家族、そしてきらびやかなナイトライフ。キューブリックの手に掛かるとそれらはまるで俳優が演技し、物語が始まりそうにも思えます。
(以下リンク先へ:BUZZAP!/2017年8月29日)
キューブリックがルック社在籍時代の1949年1月にシカゴに派遣され、そのときに撮影した写真をスライドショーにした動画(上記)はここでご紹介済みです。この時撮影された写真はフォトエッセイとして記事になり、その冒頭が「アメリカで最も不可解な都市、何もかもが逆に行われる都会、それがシカゴだ」という書き出しで始まっていました。ただ、1949年といえば、キューブリックが初のドキュメンタリー映画『拳闘試合の日』を制作する前年で、かなりカメラマンの仕事に嫌気がさしていた頃だと思われます。「つまらない写真ばかり撮らされた」とは本人の弁ですが、「カメラマン上がり」という映画監督としては異例の経歴が、その後の映画作品の作風に反映されたことは疑いようもない事実です。脚本家上がりは脚本を、演出家上がりは演出を、俳優上がりは演技をもっとも重視する監督になる・・・と決めつけるのは安易すぎるかも知れませんが、キューブリックは撮影を創造の場と捉えて俳優にアドリブを促したり、編集作業を重視する姿勢(スチール写真でもトリミングや写真構成は重要な要素)は、やはりカメラマン上がりならではの発想だと言えるでしょう。
キューブリックのルック社在籍時代の写真をまとめた写真集『スタンリー・キューブリック ドラマ&影:写真1945-1950』は廉価版のペーパーバックスが出版される予定になっていますが、相変わらず予約受付中のままです。その代わりと言ってはなんですが、amazonのハードカバー版のページでは「なか見!検索」ができるようになっていました。早く廉価版を出してほしいですね。あと、海外では幾度か開催されている、この時代のキューブリックの写真展も、ぜひ日本で実現してほしいものです。
スタンリー・キューブリック ドラマ&影:写真1945‐1950(amazon)
Stanley Kubrick: Drama & Shadows: Photographs 1945-1950 (英語) ペーパーバック(amazon)