※この高級アパートメントの最上階に居住していた(Google Street View)
キューブリックは映画監督という職業柄、数多くの引越しをしていますが、『時計…』以降はロンドンに腰を落ち着け(旅行嫌いと出不精が表出したとも言う。笑)、ロンドン北部のアボッツ・ミードとセント・オールバンズに長く居住したことが知られています。
それ以前は世界の各国・各地を転々としているのですが、その中でもはっきりと住所が判明してるのはこの『2001年…』の制作準備中に居住したニューヨークのアパートメントです。ソースは例の「手塚治虫に送られた手紙」になります。ここにはっきりと「239 Central Park West New York City」と住所が書かれていますね。その場所は現在も当時と変わらず守衛さんがいる高級アパートメントです。この最上階のペントハウスにキューブリックは妻クリスティアーヌと三人の娘と住んでいました。
1964年3月に始まったここでの生活は『映画監督スタンリー・キューブリック』や『失われた宇宙の旅2001』に詳しいのですが、クラークを自宅に呼んでステーキを振舞ったり、そのクラークを娘たちは「クラーク・ケントだ!(スーパーマンの主人公の名前)」とからかったりなどの微笑ましいエピソードのほか、クラーク以外にも多くのスタッフが出入り賑やかだったそうです。
セットの制作など、作業が本格化するとキューブリックはこのアパートを引き払い、1965年7月21日にニューヨークからクイーン・メリー号でロンドンに渡っています。そのソースはスタンリー・キューブリックのオフィシャルアカウントが公表したこのチケットにはっきりと記載されています。クラークもこの時ニューヨークから一旦セイロンに戻り、8月になって再びキューブリックとロンドンで合流したそうです。
ちなみに以下はそのアパートメントを管理する不動産会社が、12E号室を紹介するために作成した動画です。ものすごい高級アパートだったことがこれでわかりますね。