2015年11月

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スーツを着込み、いかにも若きカメラマンといったポーズを取るキューブリック。おそらくルック入社時、17〜18歳頃だと思われる。

 天才と言われたキューブリックにも苦手なものはいくつかあって、その内の一つがこの「ファッションセンス」だと言われています。遺された写真を見ていると、似たような格好しかしていない事からもそれは伺えますが、それでも大まかな変遷はあるようなので、今回はそれを検証してみたいと思います。

ルック誌カメラマン時代

 ファッションに無関心だったキューブリックをみかねて、母親のガートルードは息子のために服を買っては送っていたようですが、大体はカジュアルジャケットにパンツ、ネクタイというのが定番だったようです。たくさんの人と接するカメラマンという職業柄、さすがに服装には一応気は使っていたようで、この時代のキューブリックの写真はほとんどジャケットにネクタイ姿で写っています。

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ルック時代、女優の取材ではさすがにネクタイ姿です。

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でもちゃっかりノーネクタイの時も。


映画監督初期

 この頃になると、ジャケット・パンツ姿は変わらないもののノーネクタイによれよれのコートといっただらしない格好が見受けられるようになります。もちろんお金がなかったのも影響しているでしょうが「締め付けられるのを好まない(クリスティアーヌ談)」キューブリックは、これ以降スキあらばノーネクタイで過ごすようになります。

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『恐怖…』の撮影中。仲間しかいないので当然ノーネクタイ。

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『非情…』ではさらにひどくなってヨレヨレコートにダボダボパンツ(略してダボパン)も追加。


ハリウッド期

 だらしないキューブリックはここでも健在。さすがにスチール撮影が入る現場ではネクタイをしていますが、基本はノーネクタイです。寒い時はその上にコートを羽織っていたりしますが、あまりコーディネートを考えていないような組み合わせが多いです。因みにクリスティアーヌが結婚した当初(29歳頃)も母親から服が送られて来ていたそうです。

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『現金…』の撮影中。パートナーのハリスはネクタイ姿ですが、キューブリックはノーネクタイにダボパン。

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『突撃』では似合っていないツイードのロングコート姿も。

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『スパルタカス』のロケ現場で。暑いスペインでは当然ノーネクタイ。


渡英〜絶頂期

 この頃になるとノーネクタイが増え、完全にそちらが定番になっています。メイキングの撮影があったにもかかわらずノーネクタイ写っていて、相当のネクタイ嫌いである事が伺えます。髭を生やし始めたのもこの頃ですが、太り始めたのもこの頃。ジャケットがだんだんキツくなりつつあるのがわかります。

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『ロリータ』では女性の出演者が多かったためかネクタイ姿が他の作品に比べて多め。でもボトムはやっぱりダボパン。

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『博士…』の時の最悪のダッフルコート姿。誰か止める奴はいなかったのか。

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『2001年…』でライフ誌の取材が入ったので一応ネクタイ姿に。でもネクタイとボタンを緩め、せめてもの抵抗。こちらのルック誌の取材ではノーネクタイで通しています。髭はこの頃から。


円熟期

 真冬に行われた『時計…』のロケではフード付きミリタリージャケットを着ていますが、これが相当気に入ったらしくその後のキューブリック定番ファッションとなります。「締め付けない、太っていても似合う、ポケットがたくさんあって小物を入れるのに便利、汚れても気にならない」という理由が考えられますが、服装に実用的要素しか求めないキューブリックが見つけた最高のファッションアイテムと言えるでしょう。クリスティアーヌはそんなキューブリックの格好を「風船売りのおじさん」と称しています。

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『時計…』でフード付きミリタリージャケットを着始める。ひょっとしてマルコムの影響?

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『バリー…』の頃。すっかりお気に入りの様子。太ったせいかこの頃から下はジャケットではなくシャツの重ね着になっています。ボトムはあいかわらずのダボパン。

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『シャイニング』のセットで。もう手放せません。

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『フルメタル…』のベクトン工場跡にて。汚れても気にならないので最強です。ボトムはやっぱりダボパン。


晩年期

 気に入ってるフード付きジャケットを手放す気はさらさらないようで、アウターはこればっかりに。下は堅苦しいジャケットはとっくに脱ぎ捨てていて、厚手のシャツとかかなりラフな格好ばかりに。『アイズ…』に出演したニコール・キッドマンは「確かに同じ格好ばかりしていたけど、別に臭わなかったので同じ服を何着も持っていたのでは」と証言しています。また服には時々猫の毛がついていたそうです。

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『アイズ…』の頃。胸ポケットがひっくり返っていても気にしない。シャツはコーデュロイでしょうか?

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『アイズ…』でクルーズ、キッドマンと休憩中。もう誰が何を言っても「フード付きジャケット」以外ありえません。


結論:以上のようにキューブリックは生涯で大きく3パターンの服装しかしていないのに気がつきます。すなわち、「ジャケットにネクタイ」「ジャケットにノーネクタイ」「フード付き(ミリタリー)ジャケット」そして「全てに共通のダボパン」です。映画制作では常に最新技術の導入や斬新な表現方法を追求したキューブリックでしたが、ことファッションに関しては「一旦気に入れば同じ服装しかしない」という無関心を生涯にわたって貫き通しました。

 関心事には専門家も呆れるほどの好奇心と探究心を発揮したキューブリックですが、無関心事には徹底的に無関心であった姿が、このファッションの推移からも推察できます。まあ、こんな事を検証して何の意味があるのかよくわかりませんが、キューブリックのコスプレをする場合「ジャケットにノーネクタイ、もしくはフード付き(ミリタリー)ジャケット、ボトムはダボダボパンツ」というコーディネートが一番キューブリックらしくなる、というくらいには役に立つかも知れませんね。
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※前回メキシコで開催された『スタンリー・キューブリック展』の様子。

映画の巨匠スタンリー・キューブリックの作品世界、展示で見る

(ソウル=連合ニュース)ギムジョンソン記者

 『2001年宇宙の旅』をはじめとする映画の傑作を残したスタンリー・キューブリック(1928〜1999)監督の作品世界を見せてくれる展示がソウル市立美術館西小本館で開かれる。

 ソウル市立美術館と現代カードがドイツ映画博物館と一緒に29日から開く「現代カード・カルチャープロジェクト19スタンリー・キューブリック展」である。

(以下リンク先へ:連合ニュース/2015年11月27日




 お隣韓国での『スタンリー・キューブリック展』が、ソウル市立美術館において2015年11月27日〜2016年3月13日までの日程で開催がスタートしたようです。驚いたのは韓国で正式に公開されたキューブリック作品は『フルメタル…』と『アイズ…』だけだそうです。恒例のオープニングにはヤン・ハーランとカタリーナ・キューブリックが登壇したようですが、クリスティアーヌはどうしたんでしょうか? 年齢が年齢だけにちょっと気になります。

 その内展示内容が画像か動画で報じられれるかと思いますが、今まで通りなら衣装や小道具といった大型の展示物より、大量の手紙や書類、メモ、スケッチなどの紙モノの展示やカメラ・レンズなどの展示に時間を割く方が有効だと思います。これらはキューブリック作品における映画制作の舞台裏を知る貴重な資料ですので、行かれる方はキューブリックの異常なまでの「こだわり主義者」っぷり(「完全主義者」の表現は誤解を生むので、管理人はあえてこの表現を使っています)を存分にご堪能ください。

 さて・・・日本での開(以下略
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2001年宇宙の旅 [Blu-ray](amazon)


 今から17年以上さかのぼる1992年1月12日、東京・六本木の「アーク都市塾」で、「2001年宇宙の旅」フォーラムが開催されました。

 スタンリー・キューブリック監督のこの映画の中で「コンピューターHAL9000が誕生した日」と設定されているこの日に、映画「2001年宇宙の旅」をさまざまな角度から徹底的に検討・解析しようという、歴史的なシンポジウムでした。

 フォーラムのサブタイトルは「1992年1月12日、HALの誕生を祝ったシンポジウム」で、約4時間にもおよぶ長大なシンポジウムは、熱気にあふれた密度の濃い内容でした。

(全文はリンク先でご覧ください:「2001年宇宙の旅」フォーラム・全記録




 1992年1月12日、六本木で開催された『「2001年宇宙の旅」フォーラム』の議事録をまとめたホームページをご紹介します。出席者は以下の通りです。

【第一部 映像は未来を予想しえたか】

・司会
放送教育開発センター助教授・浜野保樹氏

・パネリスト
東京放送報道局次長・秋山豊寛氏
映像作家・龍村仁氏
明治大学教授・西垣通氏
ASAHIパソコン副編集長・服部桂氏

【第二部 『2001年』を生み出したもの、『2001年』が生み出すもの】

・司会
編集工学研究所所長・松岡正剛氏

・パネリスト
日本大学講師・武邑光裕氏
岩波書店「思想」編集長・合庭惇氏
慶応大学助教授・巽孝之氏
武蔵野美術大学教授・吉田直哉氏

 各氏の発言内容は1980年代から90年代の世相を多分に反映していますが、『2001年…』についてこういった議論があまりなされなくなった現在、特に若い世代には新鮮に映るのではないでしょうか。『2001年…』を観て「CGがない時代にどうやって撮影したの?すごい!」とか「アポロの月面着陸の映像はキューブリックが作ったんでしょ」といったレベルの感想しか語れない様をリアルやネット上で見かけるたび、とても情けない思いをしたものですが、各界の先人たちはこういった深くて熱い議論を繰り返してきたのだという証拠としてご紹介させていただきます。

 既にこのイベントから四半世紀が経とうとしている現在、出席者の幾人かはすでに故人となってしまいました。このHPが現在も管理されているか否かわかりませんが、リンクには許可が必要と記載があります。実はこのページの下段の関連リンクの項目にある『CATACOMB』こそ、私が管理人をしていた当ブログの旧サイトになります。当時相互リンクの許可をいただいていた筈ですので、そんな大昔の許諾が現在も有効かという問題はありますが、再度リンクをさせていただきました。また、サーバーやドメインの消滅など、不測の事態に備えログの保存もさせていただきましたことをここに記しておきます。
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※2015年11月25日鑑賞

 まず最初にこの企画を日本で実現させたKAJIMOTO様にお礼を言いたいと思います。思えば2年前、この記事で「日本でもこういう企画、やって欲しいのですが無理でしょうね」と書いたのですが、まさか本当に実現するとは思いませんでした。存分に堪能させていただきました。ありがとうございました。さて、肝心のレビューですが、私はクラシックファンである以前にキューブリックファンであるので、その視点でのレビューであることをお断りしておきます。

 まずは良かった点から。ハチャトュリアンの『アダージョ』はサントラと聴きまごうばかりに素晴らしかったです。『ドナウ』もがんばっていたと思います。サントラに使用されたのはカラヤン&ベルリンフィルの1966年録音盤ですが、かなり忠実に再現していたのではないでしょうか。ただ、映画ではアリエス1B宇宙船が月面に接地する瞬間のタイミングで休符が入るのですが、そこが若干ずれていたのが気になりました。でもこれは仕方ないかもしれません。『ドナウ』は指揮者によって演奏時間が1分くらい平気で前後する曲ですので。エンドクレジットの『ドナウ』のフルコーラスは映像の縛りがないせいか、のびのびとした演奏がとても印象的でした。

 嬉しかったのはINTERMISSONでの『アトモスフェール』が再現されていた点です。『2001年…』を映画館でご覧になった方はご存知ですが、休憩中は真っ暗な映画館の中この『アトモスフェール』が流れるのです。今回のコンサートでは休憩明けのオケの音出しも兼ねてこの曲が演奏されていました。オーバーチュアーでもこの『アトモスフェール』が演奏されていましたが、私は『ツァラトウストラ』よりこちらの方が感動しました。

 リゲティ関連ではモノリスの『レクイエム(キリエ)』はさすがの迫力でしたね。スターゲート・シークエンスで使用されたのは『ルクス・エテルナ』『アトモスフェール』ですが、キューブリックの無慈悲なエディットに再現には苦労があったように思われます。白い部屋の『アヴァンチュール』はキューブリックがエコーその他で加工しまくったので映画のサントラでした。まあこれを演奏するのはほぼ不可能ですのでしょうがないですね。

 残念な点ですが、オケが通常より前の位置だったせいか、音響があまり良くありませんでした。ステージ奥からスピーカー、スクリーン、合唱隊、オケの順だと思いますが、こういったイレギュラーな使用方法はこの箱では想定されていない筈で、鳴りが全体的に弱かったですね。クラッシックファンがどう思うかはわかりませんが、今後こういう映画とオケとのコラボ企画を定番化させるためにはPAを使うのも選択肢のひとつかもしれません。あと肝心の映画が譜面ライトのせいで観づらかったのが残念です。ここはもう少し工夫が欲しかったところです。

 そして鑑賞後の冷たい雨の降る渋谷からの帰り道、キューブリックファンなら誰もがこう思った筈です。『2001年…』でできるなら『時計…』でもできる筈と・・・アレックスのように生の第九に酔いしれたい!そして『雨に唄えば』に打ちのめされたいと!

 この企画の是非の実現をお待ちいたしております。
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※キューブリックがこの『ハロー・ベトナム』をオープニングに使ったのは主戦派のプロパガンダの象徴として皮肉に感じたからだろう。歌詞の内容はまさしくドミノ理論そのままだ。

 ドミノ理論(ドミノりろん)とは、「ある一国が共産主義化すれば動きはドミノのように隣接国に及ぶ」という、冷戦時代のアメリカ合衆国における外交政策上の理論である。実際に起こった現象についてはドミノ現象と呼ぶ。

 「ドミノ理論」は、1954年に、ドワイト・D・アイゼンハワー大統領とジョン・フォスター・ダレス国務長官によって主張された考え方に端を発する(その語自体を当時の彼らが用いたのではない)。ドミノ理論は、冷戦時代のアメリカ合衆国の外交政策決定に関わる人々の間で、支配的な考え方であった。アメリカ軍によるベトナム戦争への介入にも、この理論が用いられた。

(引用先:wikipedia/ドミノ理論




 『フルメタル…』の舞台になったベトナム戦争時のアメリカでは、この「ドミノ理論」の考え方が支配的でした。それは作品内でも言及されていて、オープニングに使用された曲『ハロー・ベトナム』やハートマン軍曹の罵倒の台詞「アカの手先のおフェラ豚」などに反映されています。

 ただ、それについては作品の時代背景を感じさせる一要素に過ぎないという点は気をつけておくべきでしょう。キューブリックは『フルメタル…』で「戦争そのものを描く」事を目標にしていて、「ベトナム戦争のみを総括・定義する」という意図はなかったのですから。この点がアカデミー賞を受賞した『プラトーン』との一番大きな差異でしょう。

 「アラブの春」に代表される最近のイスラム革命や、1990年代のソ連の崩壊と東ヨーロッパの民主化もこの「ドミノ理論」による現象だと説明できるので現在でも有効な理論ですが、第二次世界大戦後の東アジアの共産化については、幾分ヒステリックにアメリカが煽ったという面はあるかと思います。でも今思えば、ベトナムの共産化よりも何百倍も酷い共産化がお隣の国カンボジアであったのですから、ヒステリーの一言で済ます訳にもいかないですね。なんでもかんでも首を突っ込みたがるアメリカにも困ったものですが、一旦首を突っ込んだらそれを完遂してもらわないと、干渉された国の内情は干渉前より酷くなるんだ、という現実をよく理解してから行動を起こして欲しいものです。
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