キューブリックは自作の広告も管理・監督しているので、そこになにがしかの意図が込められていると考えるが妥当だろう。ここではキューブリックが自作の製作環境を全て掌握した『ロリータ』以降の広告(ポスター)のデザイン(アートワークやキャッチコピー)について検証をしてみたい。尚、『恐怖…』『非情…』『現金…』『突撃』『スパルタカス』についてはデザインが複数あったり、どのデザインがキューブリックが監督・監修したものなのか、もしくは全くのノータッチだったのか判別できないため割愛させて頂いた。
『ロリータ』
マリリン・モンローなど有名女優を数多く被写体にし、自身もプレイボーイで鳴らしたバート・スターンが撮影した写真をメインビジュアルに据えている。本編に登場しないこのビジュアルは広報用に撮られた一連のフォトセッションからキューブリックが選んだもので、実は車のルームミラーに写るスー・リオンの鏡像。「ロリポップ」を舐める「ロリータ」というそのポーズも、幼児性とエロティシズムを同時に感じさせる。キャッチコピーは「我々は如何にしてロリータの映画化をなし得たか?」で、当時センセーショナルな話題になっていた小説『ロリータ』を念頭にした煽りコピーだ。この事からキューブリックは本編では描けなかかったエロティシズムとセンセーショナリズムを最大限に利用して集客に結びつけようとする意図がまざまざと感じられる。ここでのキューブリックは完全に興行成績第一主義を採っていると見ていいだろう。
『博士の異常な愛情』
核兵器によって人類が滅亡してしまうというあまりにも悲劇的で救いのない本編を少しでも緩和しようとする意図が、トミー・ウンゲラーという絵本作家のイラストを採用するという判断になったのではないだろうか。絵本はその子供向けで優しくコミカルな絵柄とは対照的に重い寓話を含んだものが多い。この映画はあくまでも寓話であるというキューブリックの真意を分かりやすい形でビジュアル化しているように感じる。本作はある意味「大人向けの童話(寓話)」でもあるのだ。
『2001年宇宙の旅』
ロバート・マッコールによるイラストレーションの完成度が高く、キューブリックは本作においてのポスター製作にはあまり苦労がなかったのではないだろうか。マッコールのイラストはこれ以外でも何種類かポスターに採用されていて、かなりキューブリックが気に入っていたのが伺える。『冒険と探検の叙事詩ドラマ』というキャッチコピーも普通は一般的な冒険SFものを想起させるが、難解と言われる本編を観た後でも納得できるコピーなので、こういった細かい点も抜かり無いのがいかにもキューブリックらしい。
『時計じかけのオレンジ』
フィリップ・キャッスルのエアブラシ・アートによるデザインが素晴らしく、『A Clockwork Orange』の「A」からアレックスが睨みつけるアイデアは秀逸。もちろん「A」にはアレックスの「A」の意味もある。ここでも指摘した通りイラスト化された「A」と「Clockwork Orange」のロゴはセットになって初めて意味を成すので、「Clockwork Orange」のロゴの単体だけで使用するのは基本的には間違い。ただオフィシャルのツールでも何故かそういった使用法も散見されるのが謎なのだが。
『バリー・リンドン』
ジュイノー・ブールデュジュによりデザインされた貴族のシルエットが印象的。銃は決闘を、踏みつけられたバラは愛を、零れた花弁は血を意味し、黒は悲劇を、赤は血の色を表しているとインタビューで応えている。シンプルで完成度の高いデザインだが、この意味をぱっと見で理解できた観客がどれほどいたかは甚だ疑問。
『シャイニング』
ソール・バスによるデザインだが、ロゴから覗く幽霊が、懐中電灯を顔の下から照らして幽霊ごっこをする子供に見えてしまい、恐怖感や緊張感がまるで感じられない。60年代には先進的だったバスのセンスも80年代にはすでに時代遅れだ。映画の世界観とまるで異なる黄色の採用も不可解。確かに黄色は目立つ色で特に街中では効果的だが、興行成績を気にするあまり広告として目立つ事を最優先させた結果なのだろうか。
『フルメタル・ジャケット』
再びフィリップ・キャッスルによるエブラシ・アートを起用したシンプルで力強いデザイン。ヘルメットには銃弾(フルメタル・ジャケット)をあしらい、ピースバッチとBORN TO KILL(生まれながらの殺し屋)でユングの二面性を表しているのと同時に戦争の矛盾・欺瞞を表現している。ただ、個人的にはユング云々の話は単なるジョークの類いではないかと考えている。善悪や表裏などといった二元論で語れるほど戦争は単純ではないとキューブリックは知っていたはず、と思うからだ。ここで指摘したように「この映画は反戦でも好戦でもない」と機先を制しているのだと考えている。銃弾の数が「7」というのは本編で死ぬ海兵隊員の数と同じ(ゴマー・パイル、タッチダウン、ハンドジョブ、クレイジー・アール、エイトボール、ドク・ジェイ、カウボーイ)だが、これは単なる偶然だろうか?もちろん偶然などではなく、ここでも指摘した通り「銃弾=兵士」を端的にビジュアル化したものだ。「In Vietnam The Wind Doesn't Blow It Sucks」のキャッチコピーは直訳すれば「ベトナムでは風は吹かない、吸い込むのみ」だが、「Sucks」には「嫌、つまらない、最低」などの意味があるので「ベトナムでは最低の風しか吹かない」という意味にも取れる。おそらく後者の意味だろう。
『アイズ ワイド シャット』
本編にもある鏡の前で抱擁するクルーズとキッドマンをビジュアル化したもの、と単純に考えてしまいがちだが、鏡をビジュアルに起用しているのは意味がある。キッドマンの役名がアリスである事を考慮すると『鏡の国のアリス』への言及であると考えていいだろう。『鏡の国…』での鏡の役割は夢と現実との境界を表している。本作も夢をテーマにしている事を考えると本編は夢の世界(鏡の向こう側の世界)を描いたものだと理解できる。そしてそれはこちら側(観客側)の現実世界を映し出す鏡でもある。本編で描かれている妄想に取り憑かれて醜態を晒すクルーズは、すなわち我々の鏡像だ。それを冷ややかな目でこちらを凝視するキッドマンが最後になんと言ったか?そういった意味がこのポスターのビジュアルには込められている。
以上のようにキューブリックはポスターのデザインにもメッセージを込めている。逆に言えばデザインを紐解く事が映画本編の理解の一助になるという事だ。デザイン的には決してセンス良いものばかりとは言えないが、これらのアートワークやキャッチコピーからもっと注意深くキューブリックの「意図」を汲み取るべきではないだろうか。
『ロリータ』
マリリン・モンローなど有名女優を数多く被写体にし、自身もプレイボーイで鳴らしたバート・スターンが撮影した写真をメインビジュアルに据えている。本編に登場しないこのビジュアルは広報用に撮られた一連のフォトセッションからキューブリックが選んだもので、実は車のルームミラーに写るスー・リオンの鏡像。「ロリポップ」を舐める「ロリータ」というそのポーズも、幼児性とエロティシズムを同時に感じさせる。キャッチコピーは「我々は如何にしてロリータの映画化をなし得たか?」で、当時センセーショナルな話題になっていた小説『ロリータ』を念頭にした煽りコピーだ。この事からキューブリックは本編では描けなかかったエロティシズムとセンセーショナリズムを最大限に利用して集客に結びつけようとする意図がまざまざと感じられる。ここでのキューブリックは完全に興行成績第一主義を採っていると見ていいだろう。
『博士の異常な愛情』
核兵器によって人類が滅亡してしまうというあまりにも悲劇的で救いのない本編を少しでも緩和しようとする意図が、トミー・ウンゲラーという絵本作家のイラストを採用するという判断になったのではないだろうか。絵本はその子供向けで優しくコミカルな絵柄とは対照的に重い寓話を含んだものが多い。この映画はあくまでも寓話であるというキューブリックの真意を分かりやすい形でビジュアル化しているように感じる。本作はある意味「大人向けの童話(寓話)」でもあるのだ。
『2001年宇宙の旅』
ロバート・マッコールによるイラストレーションの完成度が高く、キューブリックは本作においてのポスター製作にはあまり苦労がなかったのではないだろうか。マッコールのイラストはこれ以外でも何種類かポスターに採用されていて、かなりキューブリックが気に入っていたのが伺える。『冒険と探検の叙事詩ドラマ』というキャッチコピーも普通は一般的な冒険SFものを想起させるが、難解と言われる本編を観た後でも納得できるコピーなので、こういった細かい点も抜かり無いのがいかにもキューブリックらしい。
『時計じかけのオレンジ』
フィリップ・キャッスルのエアブラシ・アートによるデザインが素晴らしく、『A Clockwork Orange』の「A」からアレックスが睨みつけるアイデアは秀逸。もちろん「A」にはアレックスの「A」の意味もある。ここでも指摘した通りイラスト化された「A」と「Clockwork Orange」のロゴはセットになって初めて意味を成すので、「Clockwork Orange」のロゴの単体だけで使用するのは基本的には間違い。ただオフィシャルのツールでも何故かそういった使用法も散見されるのが謎なのだが。
『バリー・リンドン』
ジュイノー・ブールデュジュによりデザインされた貴族のシルエットが印象的。銃は決闘を、踏みつけられたバラは愛を、零れた花弁は血を意味し、黒は悲劇を、赤は血の色を表しているとインタビューで応えている。シンプルで完成度の高いデザインだが、この意味をぱっと見で理解できた観客がどれほどいたかは甚だ疑問。
『シャイニング』
ソール・バスによるデザインだが、ロゴから覗く幽霊が、懐中電灯を顔の下から照らして幽霊ごっこをする子供に見えてしまい、恐怖感や緊張感がまるで感じられない。60年代には先進的だったバスのセンスも80年代にはすでに時代遅れだ。映画の世界観とまるで異なる黄色の採用も不可解。確かに黄色は目立つ色で特に街中では効果的だが、興行成績を気にするあまり広告として目立つ事を最優先させた結果なのだろうか。
『フルメタル・ジャケット』
再びフィリップ・キャッスルによるエブラシ・アートを起用したシンプルで力強いデザイン。ヘルメットには銃弾(フルメタル・ジャケット)をあしらい、ピースバッチとBORN TO KILL(生まれながらの殺し屋)でユングの二面性を表しているのと同時に戦争の矛盾・欺瞞を表現している。ただ、個人的にはユング云々の話は単なるジョークの類いではないかと考えている。善悪や表裏などといった二元論で語れるほど戦争は単純ではないとキューブリックは知っていたはず、と思うからだ。ここで指摘したように「この映画は反戦でも好戦でもない」と機先を制しているのだと考えている。銃弾の数が「7」というのは本編で死ぬ海兵隊員の数と同じ(ゴマー・パイル、タッチダウン、ハンドジョブ、クレイジー・アール、エイトボール、ドク・ジェイ、カウボーイ)だが、これは単なる偶然だろうか?もちろん偶然などではなく、ここでも指摘した通り「銃弾=兵士」を端的にビジュアル化したものだ。「In Vietnam The Wind Doesn't Blow It Sucks」のキャッチコピーは直訳すれば「ベトナムでは風は吹かない、吸い込むのみ」だが、「Sucks」には「嫌、つまらない、最低」などの意味があるので「ベトナムでは最低の風しか吹かない」という意味にも取れる。おそらく後者の意味だろう。
『アイズ ワイド シャット』
本編にもある鏡の前で抱擁するクルーズとキッドマンをビジュアル化したもの、と単純に考えてしまいがちだが、鏡をビジュアルに起用しているのは意味がある。キッドマンの役名がアリスである事を考慮すると『鏡の国のアリス』への言及であると考えていいだろう。『鏡の国…』での鏡の役割は夢と現実との境界を表している。本作も夢をテーマにしている事を考えると本編は夢の世界(鏡の向こう側の世界)を描いたものだと理解できる。そしてそれはこちら側(観客側)の現実世界を映し出す鏡でもある。本編で描かれている妄想に取り憑かれて醜態を晒すクルーズは、すなわち我々の鏡像だ。それを冷ややかな目でこちらを凝視するキッドマンが最後になんと言ったか?そういった意味がこのポスターのビジュアルには込められている。
以上のようにキューブリックはポスターのデザインにもメッセージを込めている。逆に言えばデザインを紐解く事が映画本編の理解の一助になるという事だ。デザイン的には決してセンス良いものばかりとは言えないが、これらのアートワークやキャッチコピーからもっと注意深くキューブリックの「意図」を汲み取るべきではないだろうか。