2014年07月

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Calder Willingham(IMDb)

カルダー・ウィリンガム(MOVIE-FAN)

 『現金…』の後、キューブリックはMGMでステファン・ツヴァイクの小説『燃える秘密』の映画化を企画、その際に小説家であるカルダー・ウィリンガムを脚色にオファーした。しかしこの企画は実現せず、キューブリックは今度は『突撃』の映画化に着手する。脚本はキューブリックとジム・トンプソンが担当していたが脚本の手直しが必要と迫られ、再びウィリンガムに改訂を依頼する。その後『片目のジャック』や『スパルタカス』の脚本にも参加した。なおノー・クレジットながら『戦場に架ける橋』でも脚本に参加している。

 他の参加作品は『バイキング』(1958)、『卒業』(1967)、『小さな巨人』(1970)、『ボウイ&キーチ』(1974)、『ランブリング・ローズ』(1991)など。

 1922年12月23日アメリカ・ジョージア州アトランタ出身、1995年2月21日死去、享年72歳。
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マーロン・ブランドと肩を組むキューブリック(1958年頃)

 『突撃』の仕事が終わった1957年の後半からいくつかの企画が流れ、映画を撮っていなかったキューブリックは1958年5月12日にマーロン・ブランドが進めていた西部劇の企画に監督として雇われた。この企画の脚本家は後に『わらの犬』の監督として有名になるサム・ペキンパーだった。しかしキューブリックはこの脚本は手直しが必要だと主張し、小説家のカルダー・ウィリンガムを脚本化に迎えるように提案、それを了承したブランドはペキンパーを解雇した。

 1958年の夏の間、ハリウッドのマルホランドにあるブランドの自宅で脚本化の作業が行われたが、その作業は遅々として進まない。キューブリックはこの頃の事を「彼は自分ではいろんなことに決定を下せないくせに、他人に決めさせようともしないんだ」と回想している。やがて自分のアイデアが捨てられて行くのを知ったウィリンガムは脚本会議で発言しなくなり、ウィリンガムは解雇される。その代わりにガイ・トロスパーを雇う事にした。

 1958年11月、撮影直前になって自身で監督をしたがったブランドは、キューブリックが自分に対して批判を口にするようにわざと仕向け、キューブリックを解雇した。キューブリックはその間のギャランティとして10万ドル受け取ったが、後に「まるまる二年間を無駄にした(『突撃』終了時から1959年2月の『スパルタカス』参加時までの事なら正確には約2年弱)」と苦々しく語っている。

 その後『片目のジャック』として完成した作品は上記の動画やDVDで簡単に観る事ができるが、ここにはキューブリックの断片のひとかけらもない。それよりも如何にブランドに監督としての才能がないかが手に取るように理解できる。ただブランドのために弁護しておくと、当初ブランドは主人公のリオを単なる悪役ではなく、陰影のあるキャラクターにしたかったのだが、スタジオ側が勝手にエンディングを改変して単に「わかりやすいだけの作品」にしてしまったそうだ。ブランドはこの経験に懲りたのか、生涯で監督した作品は本作だけである。

▼この記事の執筆に当たり、以下のブログを参考にいたしました。
藝術大全ー片目のジャック

※当記事は『映画監督 スタンリー・キューブリック』『アイズ ワイド オープン』をソースにしております。そのため、上記参考記事とは時系列や証言に食い違いがみられます。ご了承ください。


片目のジャック [DVD](amazon)
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marlon
Marlon Brando(IMDb)

マーロン・ブランド(MOVIE-FAN)

 演技の世界に革命を起こし、後世に多大なる影響を与えた「20世紀最高の俳優」。『ゴッドファーザー』(1972)のコルレオーネ役でアカデミー主演男優賞を受賞した。

 1958年5月、『突撃』の仕事が終わったキューブリックはいくつかの企画が流れた後、西部劇『片目のジャック』の監督として、プロデューサーであり主演俳優でもあるマーロン・ブランドに雇い入れられた。しかしその関係は長続きせず、半年で解雇された(マスコミには「友好的契約の解消」と発表された)。その後キューブリックは平行して準備を進めていた『ロリータ』の映画化に着手するが、1959年2月に突如としてカーク・ダグラスに呼び出され、『スパルタカス』の監督を引き受ける事になる。

 主な出演作は『男たち』(1950)、『欲望という名の電車』(1951)、『革命児サパタ』(1952)、『乱暴者(あばれもの)』(1953)、『ジュリアス・シーザー』(1953)、『デジレ』(1954)、『波止場』(1954)、『野郎どもと女たち』(1955)、『八月十五夜の茶屋』(1956)、『八月十五夜の茶屋』(1956)、『サヨナラ』(1957)、『若き獅子たち』(1958)、『蛇皮の服を着た男』(1960)、『戦艦バウンティ』(1962)、『侵略』(1963)、『寝室ものがたり』(1964)、『モリツリ/南太平洋爆破作戦』(1965)、『逃亡地帯』(1966)、『シェラマドレの決闘』(1966)、『伯爵夫人』(1967)、『禁じられた情事の森』(1967)、『私は誘拐されたい』(1968)、『キャンディ』(1968)、『ケマダの戦い』(1969)、『妖精たちの森』(1971)、『ラストタンゴ・イン・パリ』(1972)、『ミズーリ・ブレイク』(1976)、『スーパーマン』(1978)、『地獄の黙示録』(1979)、『ジェネシスを追え』(1980)、『白く渇いた季節』(1989)、『ドン・サバティーニ』(1990)、『ハート・オブ・ダークネス/コッポラの黙示録』(1991)、『コロンブス』(1992)、『ドンファン』(1994)、『スクリーンのかなた/アメリカ映画100年史』(1995)、『D.N.A. 』(1996)、『ブレイブ』(1997)、『フリーマネー』(1998)、『スコア』(2001)、『ナコイカッツィ』(2002)、『誘惑のシネマ 究極のSEXシーン』(2003)、『ストーリー・オブ・スーパーマン 〜スーパーマンの全て〜』(2006)、『スーパーマン リターンズ』(2006)、『マーロン・ブランドのすべて』(2007)など。

 1924年4月3日アメリカ・ネブラスカ州オマハ出身、2004年7月1日死去、享年80歳。

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※ブランドと肩を組むキューブリック。『片目のジャック』の頃。
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 17世紀から18世紀の間、ヨーロッパの上流階級で流行したファッション。白い肌を引き立たせるために使用されたというのが一般的な説ですが、実際にはアバタやエクボなどを隠すためという側面もあったそう。天然痘が流行し、入浴の習慣のなかった当時は肌が荒れやすく、アバタやエクボが出来やすかったという事情もあるそうです。

 それにしても、シェバリエの付け黒子姿は・・・キモ過ぎます(笑。

▼この記事の執筆に当たり、以下のブログを参考にいたしました。
秘密の花園 - つけぼくろの流行、その後
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竿
※『時計…』の撮影で使用されているブームマイク。

 長い棒(業界用語では「竿」というらしい)の先にマイク(主に指向性の高いガンマイク)を吊り下げたマイク。竿マイクとも言う。

 キューブリックはアフレコを嫌い、撮影と台詞の同時録音にこだわっていたため、撮影現場ではブームマイクを多用していた。ブームマイクが使えないシチュエーション(動きの激しい乱闘シーンなど)は小型マイクを役者の衣装に付けていたようだ。
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