2013年10月

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stanley-kubrick

※元記事が更新されましたので新たに翻訳し直しました。こちらをごらんください。この記事は旧記事になりますが念のため削除せずに掲載したままにいたします。

 以前自身の発言としてベスト10ムービーを公表していましたが、それは1963年の話なので近作が含まれるこのリストは貴重です。既知の情報も多いですがけっこう知らない作品もチラホラ。それにファンタジーやコメディなどキューブリックの作風とは異なる作品もチョイスされているのは興味深いです。

 ただ元記事を当たってみると、リストアップされている作品は気に入ったというレベルから絶賛レベル、そして衝撃を受けたレベルまで、また、製作者の立場だったり視聴者の立場だったりと、評価の基準やスタンスがバラバラです。それなのに単純に元記事から作品名を抜き出し、リストアップしただけの記事にしてしまうと、キューブリック本人や取材に協力したヤン・ハーランカタリーナの真意が伝わらないどころか誤解を広める結果になりかねない、と判断し、元記事で関係ない部分を省いた全文を稚拙ながらできる限り訳してみました。その結果記事に起こすのにかなり時間がかかってしまった事をお詫びいたします。

 訳は管理人ですので怪しい部分も多々あります。もしお気付きの点がありましたらご指摘ください。また、念のため元記事もご参照ください。あまり知られていない作品などもありましたので、個人的に調べたり、原文で不明瞭な部分は※印で補足しておきました。またの文章は管理人の記事に対するコメントですので元記事にはありません。

 キューブリックを理解する上で、このリストはかなり重要だと思っています。和訳の精度を上げるために今後加筆・修正をする可能性が高いです。それを踏まえた上、記事をご覧下さい。





映画ファンとしてのスタンリー・キューブリック。

 スタンリー・キューブリックの85回目の誕生日のこの日(※2013年7月26日)、ニック・リグレー(※元記事の筆者)はキューブリックの右腕であるヤン・ハーランの助けを借りて、監督のお気に入りの映画や鑑賞の習慣を探ります。

〜 略歴と序文は省略 〜



【初期の頃】

 若きキューブリック。毎日プレイしていたチェスの他に、彼が大いに愛した時間はミシェル・シマンの言葉によると「ニューヨーク近代美術館での上映に真面目に出席」でした。ここで彼はとりわけサイレント時代の偉大な映画を観ていて、特に『アレクサンドル・ネフスキー』(エイゼンシュテイン、1938年)を観に行くのを、彼の高校の友人で初期の協力者でもあったアレックス・シンガーが覚えています。それからすぐにキューブリックがプロコフィエフのLPを買って何度も何度もかけ続けたので、妹(※バーバラ)はとてもイライラし、キューブリックの頭でそのLPを割ってしまいました。

 このエピソードについての記事はこちら


 1987年の新聞のインタビューでキューブリックは人生のこの時期に触れて:

 「私の映画に対するおぼろげなイメージは、シュトロハイムD・W・グリフィスエイゼンシティンを見たニューヨーク近代美術館で形成された。私はこれら素晴らしい映画によってスターの世界に魅せられていた。私は「おい!俺はハリウッドへ行って大きな家に住み、週当たり5,000ドルで映画を作るつもりだ。それにスポーツカーを持ってるぜ」というスターの世界には魅せられていなかった。私は本当に映画を愛していた。ローズ(※シアター)系でRKOをすべてを見たものだ。しかし、非常に出来の悪い多くの映画を見た時、私は思った。「私は映画について何も知らないが、少なくともこれ以上良くできないとはとても信じられない」 それが私がどうして(※映画製作を)始めたか、どうして試みたのかの理由だ。

ー1987年6月28日ワシントンポストのロイドグローブによるインタビュー


 エイゼンシュテインについては、「雑多な意見を持っているよ、エイゼンシュテインの偉大な業績は、そのショット、そして編集の美しくて視覚的な構成だ。しかし内容に関する限り、彼の作品は馬鹿げている」「エイゼンシュテインは形が全てで内容はない、チャプリンは内容が全てで形がない」(『イメージフォーラム増刊 キューブリック』より)とやや批判的だ。


 最初で唯一の(我々の知る限り)キューブリックのトップ10リストは、「シネマ」(前年に設立され、1976年に廃刊されていた)という駆け出しのアメリカの雑誌に1963年に掲載された。ここにそのリストがあります。

1 『青春群像 』(フェリーニ、1953年)
2 『野いちご』(バーグマン、1957年)
3 『市民ケーン』(ウェルズ、1941年)
4 『黄金』(ヒューストン、1948年年)
5 『街の灯 』(チャップリン、1931年)
6 『ヘンリー五世』(オリヴィエ、1944年)
7 『夜』(アントニオーニ、1961年)
8 『バンク・ディック』(フィールズ、1940年)
9 『ロキシー・ハート』(ウェルマン、1942年)
10『地獄の天使』(ヒューズ、1930年)


 このトップ10についての記事はこちら


 ハーランは私に言った:

 「『野いちご』『市民ケーン』『街の灯』は残るでしょうが、スタンリーは数年の後にこの1963年のリストを大きく改訂していたでしょう。しかし、彼はケネス・ブラナーの『ヘンリー五世』の方が、古臭く旧式なオリヴィエ・バージョンより遥かに好きでした」

(偉大な映画監督の多くがそのリストに『街の灯』を含くんでいるのは興味深いです。ベルナルド・ベルトルッチ、 ロベール・ブレッソン、 ミロス・フォアマン、キューブリック、 デヴィッド・リーン、 キャロル・リード、 アンドレイ・タルコフスキー、 キングヴィダー、オーソン・ウェルズ、全員そうです )

 ミシェル・シマンはキューブリックの1963年のトップ10には存在していないマックス・オフェルスエリア・カザンが抜けていると指摘しています。1957年始めのカイエ・デュ・シネマのインタビューで、キューブリックはこう言っています:

 「マックス・オフェルスは最高だ。私には彼はあらゆる資質を備えていると思える。彼は俳優から良い演技を引き出すための卓越した才能を持っており、その上その題材を最大限に生かす。それにまた、演技指導も申し分ない」

 また1957年にキューブリックは、カザンについて:

 「疑問の余地なくアメリカでは最高の監督。彼は起用した俳優と奇跡を起こすことができる」

 1960年代にキューブリックは言っています:

 「私はベルイマンデ・シーカフェリーニは世界でたった三人の芸術的日和見主義者ではない映画監督であると信じている。だからと言って、彼らはただ座ってって待っていればよいストーリーが来るから、それを作っていればいいんだという意味ではない。彼らは映画の中で何度も何度も見解を述べる。そして彼らは彼ら自身で書くか、彼らのために書かれたオリジナルの要素を持っている」

 1966年には別の珍しいコメント:

 「なす事全てを無意識に見なければならないと言われている、極めて貴重な監督がいる。私はリストの始めにフェリーニベルイマンデビッド・リーンを、次のレベルの上の方にトリュフォーを置くだろう」

 キューブリックは人前で他の映画監督に関する考えを滅多に論じなかったので、彼がそうした数回は繰り返す価値があります。チャップリンについて:

 「何かが本当にスクリーンで起こっているなら、それがどのように撮影されたかは重要ではない。チャップリンは非常に単純な、『アイ・ラブ・ルーシー』(※アメリカのホームドラマ)のような映画のスタイルを持っていた。本質的非映画スタイルである事に気づかない内に、いつも催眠術にかけられた。頻繁に使用された安いセット、決まりきった照明など。だが彼は素晴らしい映画を作った。彼の映画は恐らく他の映画より長く生き続けるだろう」

 アベル・ガンスの『ナポレオン』(1927年)について:

 「映画は映像革命の傑作でスクリーンに革新をもたらしたが、誰かが再びそれに大胆に挑戦してみる際、いつでも革新と呼ばれる事を私は知っている。しかしその一方で、ナポレオンについての映画は、私は常に失望してきたと言わざるを得ない」

 二人の俳優については彼は賞賛:

 「あなたが映画で最も素晴らしい瞬間について考えるとき、大抵の場合シーンよりもむしろイメージに関係していて、そして確実に台詞ではないと私は思う。映画がベストなのは画に音楽を用いる事で、それらはあなたにとって忘れられない瞬間だろう。他には俳優が何かをする様子で、『ブルー・エンジェル』でエミール・ヤニングスがハンカチを取り出し鼻をかんだ様子とか、ニコライ・チェルカーソフが『イワン雷帝』の中でした素晴らしくゆったりとしたターンとかだ」

ー1972年サイト&サウンド春号のフィリップ・ストリックとペネロペ・ヒューストンのインタビュー


 元記事にはないが、ここにアルフレッド・ヒッチコックを追加すべき。なぜ触れられていないのか理解に苦しむ。


 意外な着想元:

 「映像芸術の最も素晴らしい例のいくつかは、最高のテレビコマーシャルにある」

ー1987年のローリングストーン誌でのキューブリックの弁


 ミケロブのCMの事。詳しくはこちら


 1999年9月、キューブリックが賞賛した映画で、唯一の信頼すべきリストが彼の娘であるカタリーナ・キューブリック・ホッブスの好意によってalt.movies.kubrick Usenetニュースグループに記載されました。

 導入部の彼女の予告の言葉:

 「あらゆるものをリストにしたい、という人々の欲望は不思議に思えます。最高だ、最悪だ、偉大だ、退屈だ、などなど・・・このうろ覚えのリストの事で、死ぬほど自分で分析しないでください。彼は、自己表現のある映画が好きでした・・・記録については彼が好きだった、ということをたまたま私が知っていたに過ぎません。

『厳重に監視された列車』(メンツェル、1966年)
『狼男アメリカン』(ランディス、1981年)
『火事だよ!カワイコちゃん』(フォアマン、1967年)
『メトロポリス』(ラング、1927年)
『ミツバチのささやき』(エリチェ、1973年)
『ハード・プレイ』(シェルトン、1992年)
『美女と野獣』(コクトー、1946年)
『ゴッドファーザー』(コッポラ、1972年)
『悪魔のいけにえ 』(フーパー、1974年)
『狼たちの午後 』 (ルメット、1975年)
『カッコーの巣の上で』(フォアマン、1975年)
『市民ケーン』(ウェルズ、1941年)
『Abigail's Party』(リー、1977年)
『羊たちの沈黙』(デミ、1991年)


と私は彼が『オズの魔法使い』を嫌っていたことを知っています。ハハ!

 日常接していた娘の証言というのは仕事とは関係なく、単に「好んだ」作品だと考えられる。故にこのリストは重要だ。「嫌い」というなら『風と共に去りぬ』も付け加えたい。キューブリックは「ヴィヴィアン・リーほどひどい演技には、お目にかかったことがない。あれは史上最悪の演技だよ。いいかい?あれは最低の映画だ」(『アイズ ワイド オープン』より)とこき下ろしている。


〜 過去に作成された不完全なリスト貧相記事の話等なので省略 〜


(未確認の噂は根強いが、他に3つのタイトルがこのリストに追加される可能性がある:『karie XB-1』(ジンドリック・ポラック、1963年)、『薔薇の葬列』(松本俊夫、1970年)、『ガリラヤでの結婚式 』(Michel Khleifi、1987年)誰か確認することはできますか?)

 『薔薇の葬列』に関して本人や関係者の直接の言及はまだ見つかっていないようだ。これに関する記事はこちら



【マスターリスト 1921-1993】

 「スタンリーは一般的な商業映画に非常に失望していた。それは愚かなストーリーでどれほどの大金が無駄にされたか、と思ったからだ。」

ー2012年にキューブリックのアシスタント(1965年〜1969年と1979年〜1999年)アンソニー・フリューイン


 このコメントは重要。キューブリックが『アイズ…』に込めたメッセージに繋がるからだ。詳細はここで。


『霊魂の不滅』(ヴィクトル・シェストレム、1921年)
『メトロポリス』(フリッツ・ラング、1927年)
『地獄の天使』(ハワード・ヒューズ、1930年)


 ハーラン:私はこれが1963年のリストにあるという事を理解しています。しかし不思議な事に私たちが「無人島に持ってくなら」ゲームをした時、彼は『地獄の天使』に言及することはありませんでした。

『嘆きの天使』(ジョセフ・フォン・スタンバーグ、1930年)

 ハーラン:欠かせません

『街の灯』(チャールズ・チャップリン、1931年)
『バンク・ディック』(エドワード・F・クライン、1940年)
※銀行強盗もののコメディ映画
『市民ケーン』(オーソン・ウェルズ、1941年)
『ロキシー・ハート』(ウィリアム・A・ウェルマン、1942年)
※ミュージカル・コメディ映画
『ヘンリー五世』(ローレンス・オリヴィエ、1944年)
『天井桟敷の人々』(マルセル・カルネ、1945年)
『美女と野獣』(ジャン・コクトー、1946年)
『黄金』(ジョン・ヒューストン、1947年)
『輪舞』(マックス・オフュルス、1950年)
『快楽』(マックス・オフュルス、1951年)
『たそがれの女心』(マックス・オフュルス、1953年)


 ハーラン:『輪舞』・・・そう彼はシュニツラーのファンでした。『たそがれの女心』のダニエル・ダリューを彼は愛していました。

『青春群像』(フェデリコ・フェリーニ、1953年)
『賭博師ボブ』(ジャン=ピエール・メルヴィル、1956年)


 キューブリック「完璧な犯罪映画だ」

『野いちご』(イングマール・ベルイマン、1957年)
『夜』(ミケランジェロ・アントニオーニ、1961年)
『ベリーナイス、ベリーナイス』(アーサー・リプセット、1961年)
※カナダ映画製作庁の短編映画

 キューブリックはアーサー・リプセットに『博士…』の予告編の製作を依頼しましたが、彼は断りました。キューブリックは自分自身で予告編を編集しました。そして、それはまさしくリプセットに影響されたものでした。

 これに関する記事はこちら


『厳重に監視された列車』(イジー・メンツェル、1966年)
『火事だよ!カワイ子ちゃん』(ミロス・フォアマン、1967年)
『If もしも....』(リンゼイ・アンダーソン、1968年) 
『ローズマリーの赤ちゃん』(ロマン・ポランスキー、1968年)


 『ローズマリーの赤ちゃん』を評して曰く「それはそのジャンルの最良のものの一つだ」(『ミシェル・シマン キューブリック』より)


『Adalen 31』(ボー・ヴィーデルベリ、1969年)※スエーデンで起こった暴動を映画いた映画
『トラ・トラ・トラ!』(リチャード・フライシャー、1970年)

 ハーラン:スタンリーがこう言ったのを憶えています。「日本人が日本語を話す方法は賢い。それによって生じる差は大きい」

『移民者たち』(ヤン・トロエル、1970年)

 ハーラン: 彼は『移民者たち』を崇拝していました。 彼はその映像に熱中していて、その後(※『移民者…』で働いていた)ミレーナ・カノネロと一緒に働き、『バリー…』の女性たちの衣装ためにウルラ=ブリット・ショダールンドを雇いました。私はスタンリーが祝辞と2、3の質問をするために、トロエルと話したがっていたのを憶えています。そして、これはしばしば彼に起こったことですが、やっと話したい人をつかまえて電話をかけたのに「あなたはトロエルですか?」「そうですがあなたは誰ですか?」「私はスタンリー・キューブリックです」「さあどうかね」そしてガチャっと電話が切れる音。仕方ないのでまた電話して「切らないでください!」などと言っていました。

『狙撃者』(マイク・ホッジス、1971年)

 マイク・カプランによると、キューブリックはこう言ったそうだ。「『狙撃者』を見ればどんな俳優でもホッジスと働きたくなる」

『ハロルドとモード 少年は虹を渡る』(ハル・アシュビー、1971年)
『キャバレー』(ボブ・フォッシー、1972年)


 ハーラン:『キャバレー』によってマリサ・ベレンソンは『バリー…』に起用されました。

『叫びとささやき』(イングマール・ベルイマン、1972年)

 ハーラン:彼は『叫びとささやき』に非常に感銘を受け、そして落胆していました 。彼は私と一緒にかろうじてそれを見終えました。

『脱出』(ジョン・ブアマン、1972年)
『ゴッドファーザー』(フランシス・フォード・コッポラ、1972年)


 マイケル・ハー:彼は再び『ゴッドファーザー』を見ました。そして、これが恐らくこれまでに製作された中で最も素晴らしい映画で、最高のキャストであることを10回目にしてしぶしぶ示唆しました。

 キューブリックとコッポラついての考察はこちら


『惑星ソラリス』(アンドレイ・タルコフスキー、1972年)
『男と女の詩』(クロード・ルルーシュ、1973年)
『エクソシスト』(ウィリアム・フリードキン、1973年)
『ミツバチのささやき』(ビクトル・エリセ、1973年)
『フリービーとビーン/大乱戦』(リチャード・ラッシュ、1974年)


 リチャード・ラッシュの『スタントマン』に関するローリングストーン記事には、スタンリーは『フリービーとビーン/大乱戦』こそ1974年で一番優秀な映画であると考えていたと主張しています。

『悪魔のいけにえ』(トビー・フーパー、1974年)
『電子頭脳人間』(マイク・ホッジス、1974年)


 キューブリック:「それは素晴らしい」(ガーディアン誌のマイク・カプランによって引合いに出される)テレンス・マリックにも非常に好まれています。

『カラスの飼育』(カルロス・サウラ、1975年)

 私はチューリッヒで『カラスの飼育』を見て、すぐに気に入りました。私はそれがとてもいい映画だとスタンリーに言った時の彼の答えを覚えています。「私はいい映画に飢えている」そう言ったのでプリントを借りる事にしました。私はマドリードのカルロス・サウラのオフィスでプリミティーボ・アルバロを呼んで、スタンリー・キューブリックが私に訊いて来たなどなど、どんなにこの映画が好きか話しました。そして35ミリのプリントを借りることができなかと彼に訊ねました 。答えは「もちろん、我々はとても嬉しい」だった。私は映画が英語の字幕付きの必要がある事を彼に伝えた。彼の答えは「もちろん」だった。

 二日後、エミリオ(※キューブリックの運転手)にヒースロー空港にいる事務官に車で向かわせ、その時点ではまだ一時的な輸入手続のようでした。私たちは次の土曜日に上映の準備をし、多くの人々を招待しました。スタンリーと私は映画を上映してみました「字幕がない!」最初の10分の間は、観ていて心を奪われるほどあまり重要でありませんー 階段の上の少女、男のベッドルームから出てくる女性、パパを呼ぶ女の子、彼は死んでいます。彼女は空のコップを見て、それを慎重にキッチンで洗ってコップを並べます。我々は興味をそそられます。母親がやって来ます。愛すべき小さな出会いの後、幸せの仮面が母親の顔から消えますーそして、女の子はペットに餌をやります。そんな始まりです。


 この一連のシークエンスはこちらで観る事ができる。

 「字幕が全くないのがわかった」 スタンリーは最初、不完全であるので止めるよう指示しました。誰かが「最後まで観ましょう」と言いました。 私は映画を知っていたので、リール交換の間に内容をみんなに説明しました。そして我々は映画を全部見て、それが気に入りました」

『狼たちの午後』(シドニー・ルメット、1975年) 
『カッコーの巣の上で』(ミロス・フォアマン、1975年)
『アニー・ホール』(ウディ・アレン、1977年)
『未知との遭遇』(スティーヴン・スピルバーグ、1977年)
『Abigail's Party』(マイク・リー、1977年)
※英BBCのTVシリーズ
『イレイザーヘッド』(デヴィッド・リンチ、1976年)

 デヴィッド・リンチが語る自身の物語を聴いてください。

 リンチはキューブリック作品では『ロリータ』が好きなのだそうだ。


『ガールフレンド』(クローディア・ウェイル、1978年)

 「私は最もおもしろいハリウッド映画、いやアメリカ映画を思う時、今まで観た中ではクローディア・ウェイルの『ガールフレンド』を思い出す。私は、その映画は非常に希有なアメリカ映画で、深刻で、知的で、敏感な脚本と映画製作の方法は、ヨーロッパの最高の監督との比較を見いだせる思った。だが(※興行的に)成功しなかった。私は理由を知らないが成功すべきだった。確かにそれは素晴らしい映画だった。物語の内部、テーマおよび他のもの全ての真実への妥協がなかったように思えた。重大な問題は、映画製作は現在とても多く費用がかかるということだ。 アメリカで良い映画を製作すること ー良い技術者と良い俳優と、ある時間そこで過ごさなければならないことを意味する(それはそんなに高くない)ー は、ほとんど不可能だ。この映画でクローディア・ウェイルがした事、それはアマチュアのやり方だったと思う。ウェイルは約1年の間に一週間に2〜3日間撮影した。もちろんそれにはとても有利な点があった。(※主演の)彼女がしたことを見て、それについて考えるための必要な時間がウェイルにはあった。私はウェイルはとても上手く映画を作ると思った。

ー1980年、Vicente Molina Foixによるキューブリックのインタビュー


『天国から落ちた男』(カール・ライナー、1979)

 ハーラン:彼は『天国から落ちた男』がそんなに良い映画だとは思っていませんでしたが、ほんの短い間スティーブ・マーティンを俳優(※この時期は俳優でなくコメディアン)だと思っていたというのは本当です。ごく初期です!

 『天国から落ちた男』の高評価はスティーブ・マーチンを気に入っての事だろう。キューブリックは『アイズ…』のキャスティングに当初スティーブ・マーチン夫妻を考えていた。


『マンハッタン』(ウディ・アレン、1979)

 ハーラン:「彼の黒ぶちメガネの向こうには、山猫の性的な力が渦巻いている」 我々は声を上げて笑いました。

 映画の台詞ですが未見のため意味がわかりません・・・。


『オール・ザット・ジャズ』(ボブ・フォッシー、1979年)
『狼男アメリカン』(ジョン・ランディス、1981年)
『血の婚礼』(カルロス・サウラ、1981年) 
『Modern Romance』(アルバート・ブルックス、1981年)
※ロマンティック・コメディ映画

 1999年のエスクァイア誌の記事で、いかにキューブリックがブルックスの人生を救ったかについて話しています。

 上記のリンク先の記事によると、キューブリックは「嫉妬についての映画を構想している」と電話したそうなのでどうやらシュニツラーの『夢小説』の映画化(『アイズ…』)の構想に役立つと考えていたようだ。また、映画ビジネスの裏側をブルックスにレクチャーするのはキューブリックらしい。


『E.T.』(スティーヴン・スピルバーグ、1982年)

 『未知との遭遇』や『E.T.』は載っているのに『シンドラーのリスト』や『プライベート・ライアン』が載っていない所を見ると、キューブリックはスピルバーグ作品のファンタジー性を高く評価していたようだ。『シンドラー…』については「あれはホロコーストを描いた物ではなく、殺されなかった600人のユダヤ人の話だ」と語ったとラファエルの『アイズ ワイド オープン』に記述がある。また、『A.I.』では結構本気で自身はプロデュースに留まり、監督はスピルバーグに任せようとしていた。


『Heimat』(エドガー・ライツ、1984年)※ドイツの全編52時間という三部作

 ハーラン:スタンリーは『Heimat』に夢中でした。素朴な村人たちの目を通して「物語を語るのは不可能だ」というアイデアは、とても新鮮で優れていると考えていました。田舎の宿の最上階で特殊効果なしでも納得がいくように『天国』を示し、死んだ人々に『我々』を観察させる。彼は深く突き動かされました。いくつかの他の場面もそうでした。彼は『50年間の嘘(アーリアン・ペーパーズ)』の準備のためにアートディレクターと衣装デザイナーを雇い、連れて行きました。私たちが何度も一緒に見た(BBC2放送番組をビデオ録画した)若干の特定の場面があります。私はとてもそれをよく覚えています。

 第一部は1981〜1984年、第二部は1988〜1992年、第三部は2002〜2004年なので、ここで言及されているのはおそらく第一部の事だと思われる。ここに三部作全部のダイジェストがあるが、それぞれかなり印象が違う。


『サクリファイス』(アンドレイ・タルコフスキー、1986年)

 ハーラン:非常に重要です

『バベットの晩餐会』(ガブリエル・アクセル、1987年)
『スリル・オブ・ゲーム』(デヴィッド・マメット、1987年)
『ペレ』(ビレ・アウグスト、1987年) 
『ラジオ・デイズ』(ウディ・アレン、1987年)


 ハーラン:素晴らしい映画だったのでスタンリーは気に入っていましたが、それはあまりにもスタンリーの幼少期そのままだったからです。

『ザ・バニシング-消失-』(ジョルジュ・シュルイツァー、1988年)

 キューブリックはこれを3回観て「私がこれまでに見た中で最もぞっとする映画だ」とシュルイツァーに話しました。シュルイツァーは『シャイニング』よりももっと?と尋ねました。キューブリックは「彼にはそれがあったと思った」と答えた。

 ハーラン:『ザ・バニシング』はリアルで『シャイニング』は幽霊映画 。大きな違いです。


 キューブリックはこの頃、猟奇殺人をテーマにした『パフューム ある人殺しの物語』の映画化を考えていたので、それもあってコンタクトをとったのかもしれない。もしそうだとすると、キューブリックが連絡をとりたがるのは自作にとって何がしかメリットがある、と考えた時ばかりのようだ。


『ヘンリー五世』(ケネス・ブラナー、1989年)

 ハーラン:1963年のリストに載せた古くて時代遅れのオリビエ版より、スタンリーはブラナーのバージョンの方を気に入ってました。彼はこっちの方が遥かに優れていると思っていました。

『ロジャー&ミー』(マイケル・ムーア、1989年)

 ハーラン:彼は本質的な問題や米国の主要人物に対するマイケル・ムーアの血気盛んさを大いに賞賛していました。

『デカローグ』(クシシュトフ・キェシロフスキ、1990年)※ポーランドのTVドラマ

 ハーラン:彼が書いた唯一の本の前文がキェシロフスキの『デカローグ』の台本だったと私は思っています 。そして彼はすばらしい傑作だと喜んでいました。

 『デカローグ』はラファエルの『…オープン』にも言及があり、参考になるからとキューブリックはラファエルにビデオを送りつけている。(ラファエルは良さが分からない、と洩らしているが)また、上記の前文はここで読める。ラファエルによるとキューブリックは「『デカローグはここ10年で観たものでは最高のもので、私自身がこれを作れたらよかったのに」と語ったそうだ。こうした事実から、キューヴリックはこの『デカローグ』を高く評価していた事が伺える。


『羊たちの沈黙』(ジョナサン・デミ、1990年)
『夫たち、妻たち』(ウディ・アレン、1992年)


 ラファエルの『…オープン』によるとキューブリックは、「かなり良い出来だと思う」としつつも、「映画に出てくるアパートは出版社勤めにしては広すぎる。(『アイズ…』では)ああいうミスを犯してはならない」と言及している。


『ハード・プレイ』(ロン・シェルトン、1992年)
『The Red Squirrel』(フリオ・メデム、1993年)
※スペイン映画『La ardilla roja』

 ハーラン:1993年から1999年は『アーリアン・ペーパーズ』で1年以上のプリプロダクション、そして『A. I.』のため再び同じことをしていた忙しい期間でしたが、両方とも延期されてしまいました。それはとても辛い時期でした。映画を見ることは主に研究目的だったので、 その合間にも閉じ籠らず『羊たちの沈黙』やウディ・アレンの全部の作品など少しは映画を見ていました 。しかし前期の間はそうすることができていましたが、その後についてはあなたに特定のタイトルを教えることは不可能です。

 『アイズ…』の製作に入っていた時期だからそれに忙殺されていたのかもしれない。


▼この記事の執筆に当たり、以下のサイトを参考にいたしました。
YAMDAS現更新履歴/2013年8月5日
元記事:BFI Film Forever/2013年7月26日 Stanley Kubrick, cinephile
※この記事は今後加筆・修正の可能性があります。
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 このブログで記事を書く際、参考文献を読み進める中で気になったキューブリックの言葉をEvernoteに書き留めていましたが、その中から個人的にキューブリック作品を理解するのに有効だと思った言葉を選別、名言集として動画にしてまとめてみました。(第二弾の【監督編】はこちら)よろしければご覧ください。ニコニコ版はこちら
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 人類以外の知的生命体の存在について、「もし恒星間航行を可能とする宇宙人がいるなら、なぜこの地球にやって来ないのか?」という疑問(フェルミのパラドックス)が提示されており、これに対してはいくつもの解釈が提示されているが、「宇宙人は地球人の存在を既に知っているが、地球人に干渉しないために自分たちの存在を隠しているのだ」「地球を含む宙域は保護区指定されており、宇宙人が自由に立ち入ることはできなくなっている」等という仮説が存在する。

 概念自体は古くから存在した説だが、1973年にハーバード大のBALLが発表した論文「The Zoo Hypothesis」によって「動物園仮説」という名称が定着した。地球は宇宙人から見れば動物園のような観察対象に過ぎないという意味である。

『wikipedia 動物園仮説』より)


 『2001年…』を理解する上で重要な概念のひとつで、スター・ゲートを抜けた先に突如現れる「白い部屋」がまさにそれを視覚的に表現したもの。キューブリックはこの部屋を「人間動物園のようなもの」と説明している。

 『2001年…』の解説を乞われるのがめんどくさい、と思ったら。「アレは動物園仮説を元に、進化の概念を取り入れたファースト・コンタクトものの映画だから」と言って、あとは放置しましょう。本人にその気があれば、あとは勝手に調べてくれるでしょう(笑。
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 ある文明が異なる他の文明や種族に初めて接した瞬間を指す文化人類学用語。例えばジャングルの未開の種族が初めて先進文明に触れた場合も「ファースト・コンタクト」と定義される。ただSFの場合、主に人類が初めて地球外文明に触れた瞬間を指す。

 『2001年…』の場合、モノリスを発見した瞬間がそれに当たり、それによって引き起こされるであろう数々の文化的混乱を「カルチャー・ショック」と呼ぶ。『2001年…』ではそれを回避するためにクラビウス基地に箝口令が敷かれるという描写がなされていた。

 このファースト・コンタクトという概念、フィクションの題材にはうってつけなので、数々の小説、映画、アニメのテーマになっている。詳細はwikiにゆずるが、有名なのはオーソン・ウェルズがラジオドラマで『宇宙戦争』を放送した際の大混乱。本当に火星人が攻めてきたと勘違いした聴衆がパニックを起こしたそうだ・・・と信じていましたが、近年の研究によるとこれはデマで、当時の振興メディア「ラジオ」に対して旧来のメディアの新聞社が起こしたネガティブキャンペーンだったそう。これは知りませんでした。
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roddy
ジャコメッティのような宇宙人のスケッチ。

2001: The aliens that almost were

(2001italia/2013年10月17日)




 例の「ジャコメッティの彫刻のような」エイリアンを始め、ここまで色々アイデアを試していたんですね。月を見るものを演じたダン・リクターに残ってもらって、水玉衣装でエイリアンを表現しようとしていたのには驚きました。トロンのようなイメージを想定していたんでしょうか?

 このブログ、他にもエアリーズ号の機長や、宇宙ステーションのアテンダントを演じた女性のインタビューとか、クラークの失言「中華レストランに似ている」事件、キューブリックに送ったというスカイラブ(宇宙実験室)のビデオなど、『2001年…』に関するレアな情報が満載。イタリア語なので詳しい内容は分かりませんが、機械翻訳でざっと読んだだけでも面白いのでオススメです。また、今後機会があれば当ブログでも取り上げたいと思います。
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