ニューヨークの「チェルシーホテル」――。世界に星の数ほどあるホテルのなかでも、ここほどたくさんの物語を抱えているホテルはないのではなかろうか。センセーショナルなところでは、パンク・ロックの代名詞とも言うべきバンド「セックス・ピストルズ」2代目べーシスト、シド・ヴィシャスが、恋人のナンシー・スパンゲンの死体とともに発見された場所として名を知られている(シドが刺殺したとも言われているが真相は不明)。ほかにも数多くのアーティストや文豪に利用され、数々の伝説を生んだチェルシーホテルだが、ついにその歴史に幕を閉じるときがきたようだ。
イギリスのテレグラフ紙(オンライン版、2011年8月17日付)やデイリー・メール紙(オンライン版、2011年8月20日付)によると、「チェルシーホテル」は8月上旬に、デベロッパー (開発業者)のジョセフ・チェトリト氏によって買い取られたという。高級ホテルかマンションとして改装予定だそうで、新たな宿泊客は宿泊できず、客室を長期利用している人たちも出ていくように促されており、スタッフもクビとなった。
「チェルシーホテル」が持つ歴史は長く、そして濃い。1883年に建てられた当初は、ニューヨークで最も高い建物として、その地区の呼び名になるほど目立つ存在だった。しかし、外観とは別にこのホテルの存在を特別なものにしたのは、何よりもその利用客である。『トム・ソーヤーの冒険』著者マーク・トウェイン、短編小説の名手オー・ヘンリーも滞在した。マリリン・モンローの元夫でピュリッツァー賞受賞者の劇作家アーサー・ミラーは、モンローとの離婚のあと6年間チェルシーホテルに住んだ。20世紀を代表するSF作家アーサー・C・クラークが『2001年宇宙の旅』を書いたのもこの場所である。
作家ばかりではない。先のシド・ヴィシャスのほか、ボブ・ディランは『ローランドの悲しい目の乙女』をこのホテルの一室で書いているし、ジャニス・ジョプリン、ジミ・ヘンドリックス、ジェームス・ブラウン、パティ・スミスなど、挙げれば際限ないほど多くのミュージシャンにも利用されてきた。
もちろん、一味違う客層のせいでトラブルも多かったようだが、ゴシック様式で憂うつな内装と、豪華とは言いがたい客室(テレビはなく、ルームサービスもない)、少ないアメニティにも関わらず、これだけの人々に愛されたのだから、「チェルシーホテル」には唯一無二の魅力があったのだろう。Twitterなどでもこの知らせに対して「一時代の終わり」「これは悲しい」といった声が集まっていた。しかし多くのファンに惜しまれながらその歴史を終えるのも、また「チェルシーホテル」らしいと言えるかもしれない。
(古川仁美)
(ガジェット通信/2011年8月20日)
ニューヨークを訪れた際に、是非とも訪れてみたい場所の一つだっただけに残念です。『2001年…』のクラークも有名ですが、個人的にはアンディ・ウォーホルやヴェルヴェット・アンダーグランウンドの連中、パティ・スミスなどポップ・アートやニューヨーク・パンクとの関係が深かったホテルという印象が強いです。無性にニコのチェルシー・ガールが聴きたくなりました。