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Full-Metal-Jacket-2
現在はこの画像に差し変わっている(画像引用:IMDb - Full Metal Jacket

「BORN TO KILL」を削除することを決めたのは誰でしょうか? フィリップ・キャッスルの象徴的な芸術作品を変更しただけでなく、そこにそれが存在する意味を完全に誤解しています。ジョーカー二等兵は、「BORN TO KILL」とピースボタンが付いたヘルメットをかぶっていますが、これは「人間の二面性」についての声明です。

(引用:X@MatthewModine


これを引用し、管理人がコメント

『フルメタル・ジャケット』でジョーカーを演じたマシュー・モディーンがアマゾンプライムビデオの「BORN TO KILL」を削除したことに抗議。今のところトップ画像だけの模様。ポリコレもここまで来るともはやファシズム。

(引用:X@KubrickBlogjp

マシューの元のポストに投稿された他の方の指摘によると

(1)画像に文字が入っていると上に文字が乗った際に見辛くなるので消しただけ
(2)画像に文字を入れるのを許可すると、権利元が宣伝コピーを入れた画像を載せようとするから禁止というルールがAmazonにある。

との理由が示されていますが、このコメントはAmazonからの公式な説明ではない(関係者か事情通かも不明)ことに注意が必要です。その上で、この説明に説得力がないことを以下に示します。

(1)ならば「Born To Kill」の文字をぼかせば済む話だし、その方が手間もかからず簡単。もっと言えばシーンの画像(宣材写真)と入れ替えれば良い(現状はそうなっている)だけであって、であればなぜPhotoshopなどで文字を「消去」し、消した跡が不自然にならないようにきれいに「加工」してあるのかの説明にはなっていない。

(2)これも(1)同様に、わざわざ「Born To Kill」を手間をかけて消去した理由にはなっていない。画像差し替えで十分に対応可能。

この問題の悪質な点は、このヘルメットのキービジュアル(キューブリックがアイデアを出し、フィリップ・キャッスルがイラストを描いた)の、「Born To Kill」の文字がないバージョンを初めてみた際、それをそのまま受け入れてしまう危険性がある、という点です。それぐらい自然な形で「消されて」います。かつての北の大国で、粛清者が写った写真の該当部分を自然な形で消し去った有名な話がありますが、それに似た「恐ろしさ」を感じます。繰り返しますが、もし「指摘者」の言う通りなら「Born To Kill」部分をボカす(これも良くないが、少なくとも「見せてはいけない何かがあるな」というのは伝わる」)か、他画像に差し替えれば問題は解決です。ですがAmazonはわざわざ画像加工の手間をかけてまで作品を「改竄」したのです。これはプラットフォーマー(権力者)が、パフォーマー(表現者)の意図を捻じ曲げて、自分の思想に都合の良い情報だけを大衆に伝えようとする「作為」の可能性を疑わざるを得ません。もしそれが誤解だと言うのなら、上記の(1)(2)の説明が説得力を持っているはずです。ですが、私には全くそれは感じられませんでした。

 また、これはAmazonだけの問題ではなく、行き過ぎたプラットフォーマーの「検閲」「干渉」によってオリジナル作品が台無しにされている現状があります。ハリウッドでも度々話題になっており、日本では自殺者まで出す騒ぎになったのは記憶にも新しいところです。これが単に「読みやすさの優先や過剰な宣伝をさせないための方策」なのか、「ハリウッドに巣食うある勢力の圧力に屈した結果」なのか、私たち映画ファンは絶対に無関心であってはいけません。また、プラットフォーマー(権力者)側の言い分を鵜呑みにしてはいけません。それは映画の未来(過去や歴史も)を左右する大きな問題だからです。故に常に注視する必要があるのです。故の過激な私のコメントです。

 なお、現在該当部分は宣材写真に差し替えられています(最初からこうすべき)が、現在に至ってもAmazonはこの件に関して正式なコメントは出していません。不誠実極まりないですね。

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رابرت_کاپا
ジョーカーが撃たれた瞬間のイメージ写真(ロバート・キャパ『崩れ落ちる兵士』)

ジョーカー、8歳。プラスチックのライフルを携えて野原を走っている。

「動け、動け、動くんだ!!!」

みんながあなたに何をすべきか指示する。動け、動け、動き続けろ。動きを止めれば、ためらえば、心臓は止まる。足はおもちゃのように巻き上げる機械だ。

ジョーカー、海兵隊員。走りながらライフルを撃つ。

ジョーカー、8歳。おもちゃのライフルを撃つ。

世界中を走り回れるような気分だ。今、アスファルトはトランポリン、素早く優雅に、緑のジャングルの猫のように。

ジョーカー、海兵隊員、走る。

ジョーカー、8歳、走る。

足が瓦礫の上を上へ上へと連れて行く...上へ...上へ...あなたはそれを楽しんでいる...あなたは人間ではなく、動物であり、神のように感じている...あなたは叫ぶ「死ね!死ね!死ね、このクソ野郎ども!死ね!死ね!死ね!」

海兵隊員のジョーカーは、自動小銃の連射で撃たれる。

8歳のジョーカーは、苦痛を伴い胸を押さえ地面に倒れ始める。彼の映像はキャパの有名なスペイン内戦の写真のようなポーズで、静止したフレームが捉えるまでスローダウンする。その写真には、致命傷を負った男がカメラによって落下中に永遠にぶら下がっている。

しかし、この写真は8歳の少年のものだ。

墓地。ジョーカーの葬儀。明るい晴れた日。ジョーカーの母親と父親は青白くやつれた顔で、天蓋の下に集まり、国旗で覆われた棺と対面し、親戚や友人たちに囲まれている。ジョーカーの父親は気難しそうに話す。

「息子は…熱烈に…作家になりたいと望み…ベトナムにいる間、このノートを持っていました…遺体で発見されました。これから…そのノートから数行読みます…息子が持っていた…計り知れない…才能…を示すものです…その才能は…今では…永遠に失われてしまいました」

目に涙を浮かべながら、ジョーカーの父親は汚れて使い古されたノートの特定のページを探し回った。彼はそれを見つけると、たどたどしく声に出して読み始めた。

「私はよく…10歳の頃のことを思い出します…。私は…太陽が昇る前…そして本当に目が覚める前に…ベッドに横になって…これからの長くてエキサイティングな一日を考えるのが好きでした。 空はピンク色に染まり始め、外の静寂は木々のざわめきと鳥の鳴き声に変わりました。私は誰も起こさないように階下に降り、裏庭に出ました。空気は芳香を放ち、冷たく、私は太陽が山の後ろからゆっくりと昇るのを眺め、スズメが露に濡れた草をついばんでいるのを目にしたのです」

「私は幸せを...抑えることができませんでした」ジョーカーの父親はかろうじて話を続ける。「あの庭と町の外の世界について、私は何と知らなかったことか」

ジョーカーの父親は涙でいっぱいになる。妻が彼を抱きしめる。彼は落ち着きを取り戻し、話を続けた。

「そして今、私はA. E. ハウスマンの詩を読みたい。妻と私が彼の墓碑銘として選んだものです」

「我々がここに死んで横たわっているのは...生きることを選ばず...我々の生まれた土地に恥をかかせることを選ばなかったからだ...確かに...命は...失うが大したことではない...だが若者はそう考える...そして我々は若かった...」

涙を流しながら、父親はゆっくりとノートを閉じる。ノートの表紙にジョーカーのピースバッジがピンで留められているのが見える。


引用:Full Metal Jacket / A Screenplay by Stanley Kubrick & Michael Herr



 キューブリックは『フルメタル・ジャケット』のラストシーンについて、脚本段階では上記のようにジョーカーは戦死し、故郷での葬儀のシーンで終わることにしていました。ですが脚本を撮影の叩き台と考え、撮影時にシナリオを発展させることを好むキューブリックはこの結末を決定稿とはせず、判断に迷いもあったのか、エイトボールを演じたドリアン・ヘアウッドによると出演俳優を集めて「この映画の結末はどうしたらいいと思う?」と訊いたそうです。中でも激しい議論となったのがマシュー・モディーンで、モディーンはジョーカーは生き延びるべきだと強く主張し、最終的には原作小説に近い形で(原作でもジョーカーは生き残る。ただし市街戦の後にジャングルでの戦闘に参加している)のラストシーンに落ち着きました。

 上記の脚本を読んで思うのは、世の中の事象を冷徹な視点で描くキューブリックにしては珍しく「ウェット」だな、ということです。『突撃』のラストシーンもウェットでしたが、それよりもウェット感は強く、まるでスピルバーグの『プライベート・ライアン』のようで、正直言ってキューブリックらしくありません。ではどうしてこの脚本でいったんOKを出したのか?それは想像するしかありませんが、キューブリックはベトナム戦争に駆り出されていたのが10代〜20代前半の若者たちだった事実に興味を示していて(だからラストシーンで子供の歌である『ミッキーマウス・クラブ・マーチ』を歌わせた)、この脚本でも少年時代のジョーカーの姿を戦闘シーンにダブらせていることから、「ベトナム戦争=若者(子供)の戦争」というテーマがあったことは容易に想像できます。ラストに流れるストーンズの『黒くぬれ!』の採用もその発想からでしょう。

 原作小説『ショート・タイマーズ』を読めば、ベトナムに派遣された兵士の一番の関心事は「戦争に勝つこと」ではなく「生き延びて祖国に帰ること」であったことがわかります。映画の撮影の順番は戦場シーン→訓練シーンだったので、ラストシーンが脚本から大幅に変更され、ジョーカーが生き残ると決まったことはその後の撮影に影響を及ぼしたであろうことは想像に難くありません。パイルの自殺とジョーカーの死をそれぞれ前半、後半のラストで描くことによって、ある種の「効果」を狙った可能性もありますが、原作小説のテーマを考えると葬儀シーンは違和感があります。やはり現状のラストは正解だったと強く思いますね。
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Nicholson's co-star in The Shining, Shelley Duvall, was actually discovered by Robert Altman, who cast her in pictures like Nashville and 3 Women. Since she finished The Shining, she's play Olive Oyl in Altman's Film of Popeye and made a guest appearance in London in The Time Bandits, directed by Terry Jones of Monty Python team. Well I talked to her while she was in this country, and I asked her about a rumour, then strongly going the rounds that the meticulous Stanley Kubrick had made her do 127 takes of one of her scenes.

Oop! (Laughs)
I don't know, I think I'm supposed to say 18. but, I don't know, I'll leave that to your imagination.

Well, let us assume that 18 is a slight underestimate and 127 is possibly closer to the truth. What is it like doing a take that many times? I mean, is it possible ti just to keep going and produce a kind of freshness at the end?

Yes, it is. It's funny, it's something that I discovered during the making of The Shining was that I had never done more than, say, 15 takes before in my life. So it was a great change for me to do so many. But then after you do a certain number, it sort of goes dead and then five more takes or so, and it revives itself and by then, you know the scene like the back of your hand, and you can make no mistakes with it and you forget all reality other than what you're doing. And it's, it's like a miracle. It comes out better than it did before and it's fresh too.

What was the most difficult piece of acting you had to do in The Shining?

Oh, I think it was just stamina. My stamina has increased so much since The Shining. I mean, you really have to be strong for an entire day because the role required me to cry all day long, every day. And it was so difficult being hysterical for that length of time.

So how do you look back on that film? I mean, are you pleased to have done it?

I'm very pleased to have done it because I've learnt more on that picture and strengthened myself and broadened the scale that my emotions can reach, I think, more than any other picture I've ever done. And Stanley took the time to teach me.

—『シャイニング』でニコルソンと共演したシェリー・デュヴァルはロバート・アルトマンによって見出され、『ナッシュビル』や『3人の女』などに出演しました。彼女は『シャイニング』を終えて以降、アルトマン監督の『ポパイ』でオリーブ役を演じ、ロンドンではモンティ・パイソン・チームのテリー・ジョーンズ監督(注:テリー・ギリアム監督の間違い)『バンデッドQ』にゲスト出演しています。さて、彼女がこの国にいる間、私は彼女と話をし、神経質なスタンリー・キューブリック監督が彼女のシーンの1つを127テイクも撮らせたという当時強く流布していた噂について尋ねてみました。

おっと! (笑)分かりませんが、18回と言うべきだと思います。でも、わかりません、それはご想像にお任せします。

—さて、18はわずかに過小評価されており、127がおそらく真実に近いと仮定しましょう。テイクを何回もやるのはどんな感じですか?つまり、このまま続けて、最後にある種の新鮮さを生み出すことは可能でしょうか?

はい、可能です。面白いことに『シャイニング』の制作中に私が発見したのは、これまでの人生で、たとえば 15 テイク以上をやったことがなかったということです。だから、たくさんのことをすることができたのは私にとって大きな変化でした。でも、ある程度の回数をこなすと、それはちょっと消えて、さらに5テイクくらいすると自然に復活して、その頃にはもう手のひらを返すようにシーンがわかっていて、そこでミスをすることはなくなるし、自分がやっていること以外の現実をすべて忘れてしまいます。そしてそれは、まるで奇跡のようです。以前よりも良く出きていて、新鮮でもあります。

—『シャイニング』で演じる上で最も難しかったことは何ですか?

えっと、ただの体力だったと思います。『シャイニング』以来、私のスタミナは非常に増加しました。つまり、この役で私は毎日一日中泣く必要があったので、本当に一日中強くなければなりませんでした。そして、その期間にわたってヒステリックになるのはとても困難でした。

—それで、あの映画をどう振り返っていますか?つまり、やってよかったと思いますか?

この映画を撮ることができてとてもうれしく思っています。なぜなら、この映画からもっと多くのことを学び、自分自身を強化し、自分の感情が届く範囲を広げられたからです。私がこれまでに参加したどの映画よりも、自分の感情が届く範囲が広がったと思います。そしてスタンリーは時間を割いて私にそれを教えてくれました。

[BBC Oneで1980年9月29日に放送されたFilm 80から抜粋]

(詳細はリンク先へ:1980: SHELLEY DUVALL on working with KUBRICK and ALTMAN | Film 80 | BBC Archive/2024年5月24日




 時期的には『シャイニング』公開後、4ヶ月ほど経ってからのインタビューになります。日本での『シャイニング』の公開は1980年12月でした。

 さて、世の中には「○○警察」と言って頼まれもしてなければ、そんな権限もないのに身勝手な正義を振りかざし、他人を糾弾しないと気が済まない人たちが一定数存在します。まあ、そういう人たちは如何に自分が単に不満をため込んだだけのフトレスフルな惨めな存在であるかを、自分からわざわざアピールしてくれているわけですが、そんなことさえ気づかない哀れな人種はスルーするに限ります。SNSを見ると、それは日本人に限ったことではなく、外国人でもよく見かけます。そしてその俎上に上がりやすいのが「キューブリックが『シャイニング』においてシェリー・デュバルを苛め抜き、精神疾患へと追い込んだ」というものです。

 シェリーは『シャイニング』での経験を前向きに話すことはあっても(「女優として成長できたけど一度でたくさんだわ」と皮肉ったことはある)、それが現在の精神疾患の原因であるとか、キューブリックからパワハラを受けたとか、それについて訴訟を起こすとか一言も言ったことがありません。なのに世界中の「パワハラ警察」が誰も何も頼みもしないのに自主的に活動を開始、自身のストレスを身勝手な正義へと変換して日頃のウサを晴らす、という滑稽な状況が未だに続いています。

 このインタビューにある通り、シェリーにとって『シャイニング』での体験は大変なものではあったけれども、決して否定的に語るようなものではなかったというのが真実です。それはシェリーが求められている役柄にコミットするのに苦労したからであり(シェリーは幽霊など全く怖がらない、陽気で明るい性格だった)、それを演じさせようとするキューブリックにしても、ある程度シェリーに対して高圧的な態度にならざるを得なかった、という事情によるものです。『シャイニング』を注意深く観ていればわかりますが、シェリーが本気で怖がっているように見えないシーンがいくつかあります(キューブリックはそれを何度も指摘している)。個人的には「あのキューブリックがこの演技でよくOKを出したな」と思うほどなのですが、キューブリックは多少演技が演技臭くても、シェリーの持つ神経質そうでひ弱な(キューブリック曰く「苛められやすそうな人」)見た目の印象を重視したのでしょう。それは『シャイニング』の怖さのある一定部分が「苛められているシェリーの表情や悲鳴」であることを考えれば、成功したと言えるでしょう。

 さて、気になるシェリーの精神疾患の原因ですが、彼女は最近のインタビューでも多くは語っていません。上記のインタビュー後、ロンドンからハリウッドに戻ってからも順調にキャリアを積み重ねていたにもかかわらず、2002年以降ピタッと表舞台から姿を消してしまいました。その時期に何があったのかを知る術はありませんが、「身近な人に裏切られた」旨の発言もあります。とにかくはっきりしていることは、現在のシェリーの精神疾患と、『シャイニング』におけるキューブリックの態度(指導)を関連づける証拠は何もないという事実です。これは何度でも強調させていただきたいと思います。
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DSCN2026
著者の津田ゆうじ様よりご提供いただきました。ありがとうございました。

黒木探偵に持ち込まれた「私を探しますか?」と微笑むスマホ映像の美少女。同じ顔の少女が大正時代の古い写真の中にもいた。二つの時代に同じ少女。この謎から、全てが始まる。意図を持って刷り込まれる映像の「魔」。仕組まれた洗脳装置は映画だった。映像が、人々を最悪の世界へコントロールする。映画オタクの天才美少女、蟻亜三久がその謎に挑む。相棒は、前作『ピノキオは死を夢みる』のゾンビ男、火野時生。あのスタンリー・キューブリックが映画に隠した謎。様々な映画に隠された洗脳装置。そして巨悪は…第三帝国の男。映像に潜むマインドコントロールを暴け。二人は時空を超え、究極のゲームに挑んで行く。

(引用元:amazom『ピノキオは鏡の国へ 』津田ゆうじ 著




 おおまかにプロットを説明すれば「JKがゾンビ男とコンビを組み、タイムマシンを駆使して世界を救う話」となるでしょうか。時代も場所もあちこちに「飛び」、その「飛んだ先」での大活躍で二人は世界を(日本を)救おうとするのですが・・・そう簡単にはコトは運ばず、ありとあらゆる試練が行く先々で待ち受けています。いわゆるタイムトラベルものとして、タイムパラドックスは当然絡んできますし、歴史上の人物も続々登場します(ナチスドイツの面々は特に)。その登場人物の中にキューブリックがおり、「スタンリー・キューブリック監督に現代のJKが会いに行く」というくだりがあります。

 実はこの小説、全編に映画の引用や解説(裏話)が散りばめられていて、その種類も古今東西かなりの分量があります(映画ファンなら楽しめます)。で、その解説に一番文章を割いていたのがキューブリックなんですね(著者は大ファンなのだそう)。もちろんキューブリックとJKが会った、などという事実はなく完全な創作なのですが、虚実取り混ぜた「会談シーン」はファンならニヤニヤできること請け合いでしょう。

 最近話題になったクリストファー・ノーランの『オッペンハイマー』でも問題提起されていたように、この小説の中心には「核問題」があります。それはプロローグからも示唆されているし、核を巡るまるでスパイ小説のようなスリリングな展開(もしナチスドイツが核兵器を手に入れていたら)もあって、読むものを飽きさせません。

 読み終わって感じたのは「アニメ化すれば面白くなりそう」というものでした。ただ例のチョビ髭やお寺マークの扱いをどうするかというセンシティブな問題はありますが・・・。個人的にはスーパーJKミクちゃんの八面六臂の大活躍と、イケメンゾンビ男の凸凹っぷりをアニメ絵で見てみたいと思いました。その際はぜひ魅力的なキャラデザ(『リコリコ』な感じがいいかな)でお願いしたいですね。
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oshii_2001

〈前略〉

『2001年宇宙の旅』を見て、脳天に一発食らった、痺れて立てないくらい。

 『2001年宇宙の旅』(1968年)は、SF作家になりたくてしょうがなかった頃に観た映画。SF映画を作りたいっていうんじゃなくて、「SFで一生いきたい」と思ったわけ。高校生だったからね。当時は“シネラマ”って言ってたんだよね、70ミリ映画。スクリーンが横に倍あるんですよ、異様に横長の世界。はっきり言って当時の70ミリ映画っていうのは、ドラマがどうこうじゃなくて単純に“見世物”だったんですよ、当時の認識は。

 確か東京ではテアトル東京でしか上映してなかったと思うんだけど、そこに観に行った。当時はもちろんSFの知識があったから、アーサー・C・クラークももちろん読んでた。(スタンリー・)キューブリックは知らなかった(笑)。で、封切になってすぐ行ったんですよ。映画館の前にモノリスが立ってましたからね。

 かなり前のほうの席で観たので、首がね……スクリーンが大湾曲してて。宇宙船がね、しなってるんですよ(笑)。だからまともな映画観賞っていう感じじゃないんですけど、感動したの。めちゃくちゃ感動した。脳天に一発食らったっていう、痺れて立てないくらいだった。

 いま思うと何をそんなに感動したのか良くわかんないですけど、ただ間違いないのは“音楽”にやられた。観た翌日にレコードを買いに行ったの。それははっきり覚えてる。電車に乗って、隣街かなんかだと思うんだけどレコード屋さんに行って、探して買った。で、その時に店にいたお姉さんがとっても素敵な人で、高校生だった私に懇切丁寧に応対してくれて、なおかつ「素敵なジャケットね」っていうさ。「ツァラトゥストラ聴くのね、キミ」っていう。すっかり舞い上がっちゃって、しばらく通った(笑)。

 昔はさ、レコード屋のお姉さんっていうのが一ジャンルだったんですよ。高校生だから、クラスの女の子とかじゃなくて、ちょっと年上の素敵なお姉さんに一発で痺れたんですね。しかも優しくしてもらったもんだから舞い上がって(笑)。

CGでは“空気”は映らない、模型作って撮った意味がある

 この映画の正体が分かったのは、初めて観てから30年くらい経ってから。人間の進化の歴史とかに興味を持って、自分でそういう本を書いたりして。要するに狩猟仮説ってやつだけどさ、「人間はなぜ人間になったか」っていう。そういう思想的背景っていうか、そのまんま映画にしたような、そういう映画ですよ。ストーリーがすごいとか、ドラマがすごいとか、役者さんがすごいとか、そういう映画じゃないんですよ、思想そのものっていう。それは解るまでにずいぶん時間がかかった。

 それなりに本を読んだり、勉強したりしないと、この映画のバックグラウンドって分からないですよ。単純にビジュアルがすごいっていうさ。こういう映画って、いまCGでもできないですから。でっかい模型作って撮った意味があるんです、確かに。CGでこれやったらもっとすごいものができるだろと思ったら大間違いでさ。CGって空気は映らないから。だから僕はね、これはCGがない時代にこれを作ったっていうことのすごさっていうものが、いまだにあると思う。CGっていうのはあっという間に古くなるんだけど、どんな表現でも。アニメーションと一緒で、人間の手が作ったものってね、最後まで妙な迫力があるんですよ。作画でやったアニメーションって30年経ってもね、ある種の迫力がある。説得力がある。

 だからこの映画は、僕の中のSFってものを舞台にした、いちばん多感だった時代の青春みたいな、ものすごく恥ずかしい……記録(笑)。いま観たら全然違う映画ですよ? 当時は何を観てたんだっていう。だから映画って、再会しないとダメなんですよ。何十回観たってね、それから30年経って観たらびっくりするくらい違う。本当にいい映画の場合はね。

宇宙空間を感覚的に表現した、初めての映画

 この映画を観て「良い」っていう人間の半分以上は、たぶん音楽で覚えてるんだと思う。それぐらい強烈だった。宇宙空間っていうものを表現するのにね、ツァラトゥストラ(※「ツァラトゥストラはかく語りき」)と、あとはワルツの「美しく青きドナウ」っていうさ。宇宙空間を感覚的に表現した、初めての映画ですよ。広がりとか、虚無感とか、静寂とか。

 宇宙って、いちばん表現しにくいもののひとつなんですよ。宇宙の表現って、映画が後々になればなるほど上手くなるかっていうと、そうなってない。いまだにこれを超えるような宇宙空間の迫力っていうか存在感っていうかね、そんな映画ってたぶんないと思う。

 SFでもあるんですよ、宇宙を言葉でどう表現するか? っていうさ。初めて宇宙を日本語にした、光瀬龍っていう作家が大好きなんですけど、彼の最大の功績だと言われてますよね。映画で言えば、この映画です。宇宙の存在感みたいなものをこれ以上に表現できたものは、たぶんいまだにないと思う。本当にエポックメイキングな映画っていうのは、そういうことを指すんですよね。全く違う次元の体験を作り出しているという、これはとても大事なことなので。映画の本質みたいなものだから。生涯に一本でも作れたら……大体無理なんだけど、僕は40年近く映画作っているわけだけど、そこまでは全然いってないですよね。そういうものをいつか作りたいっていう野望はあったとしても。

〈以下略〉

(全文はリンク先へ:BANGer!!!/押井守が語る映画体験「映画は一期一会じゃない、再会するもの」インタビュー/2019年2月1日




 押井守氏が『2001年宇宙の旅』に言及していたのは過去に何度か目にしていたのですが、ここまで当時の思い出と、『2001年…』に対する想いを素直に、赤裸々に語ったインタビューは初めて目にしました。また、昨今のCG中心の映画づくりに関しても非常に的確な指摘をされていて、非常に興味深かったです。

 管理人の個人的な「押井体験」は『うる星やつら』のTVシリーズですね。その後の『パトレイバー』『攻殻機動隊』はアニメに興味を失くしていた時期なのでリアルタイムでは観ていません。その頃の印象的な押井氏の発言に「ジャパニメーションって海外で本当に言われているの?誰か確かめてみたひとはいるの?」(出典不明・記憶曖昧)というものがあります。確かに当時の「ジャパニメーション」というワードは宣伝効果を狙った「一人歩き」の疑念(「全米が泣いた!」的な)がつきまとっていて、管理人も言われていたような海外のムーブメントには懐疑的でした。しかしそれも「アニメ」というよりなじみのあるワードが全世界規模で定着するに至って、杞憂に終わったようです。

 その「アニメ」を世界規模に広げた功績に押井氏の果たした役割は非常に大きいと言えます。まあ、それは門外漢の私が語ることでもないでしょう。ただ、個人的な望みとしてギャグとパロディ満載のドタバタアニメをもう一回くらいは作って欲しいな、と思っています。
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