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Dr_strangelove_Ride_Bomb
画像引用:IMDb - Dr Strangelove

爆弾話はでっち上げ?

 1994年後半、映画『博士の異常な愛情』が 30周年を記念して再公開されたとき、メディアは監督のスタンリー キューブリック(元ルック誌のカメラマン)がニコンのカメラを使用して、白黒フィルムをフレームごとに個人的に修復したと伝えました。

 ニューヨーク・タイムズ紙と他の2つのニューヨークの日刊紙は、ニコンのこの修復物語を疑問視することなく報道しました。ただ 1 つ問題があります。90分の映画をスチルカメラで新品同様の状態に修復することは理論的には可能ですが、大量のフィルムとさらに多くの時間が必要になります。映画の10秒をコピーするだけで 250枚の写真撮影が必要になります。134,000フレームには536回の大量取り込みが必要です。

 しかし、それは本当でしょうか。『博士の異常な愛情』の物語はニコンにとって未知の情報であり、同社には相談されていませんでした。

 また、修復された『博士の異常な愛情』をリリースしたコロンビア・ピクチャー・レパートリーは、修復についての詳細を明かしませんでした。修復プロジェクトに近い、イギリスのハートフォードシャー州セント・オールバンズ(キューブリックの拠点)の情報筋によると、ニコンの話は完全に作り話だというのです。

 「マーティン・スコセッシがニコンの話の拡散に何らかの関与があったのではないかと考えています。ある時点で、私たちは『博士の異常な愛情』の修復にスチールカメラを使うことを考えましたが、どの程度真剣に検討したかはわかりません」と匿名を条件に情報筋は語った。「スコセッシはこのことを聞いて、インタビューで言及したのだと思います」

 オリジナルの『博士の異常な愛情』のネガは火事で失われてしまいました。しかし状態の良いインターポジは見つかりました。標準的な映画用複製機材を使用して再撮影され、新しいネガが作られ、そこから新しい劇場公開用プリントが作られました。

 キューブリックは確かにじっくりと細心の注意を要する修復プロジェクトに個人的に関わっていましたが、「長編映画をスチルカメラで修復するのは悪夢です」と情報筋は語っています。

ーエリック・ルドルフ




 『博士の異常な愛情』のオリジナルネガが紛失(焼失)したために、状態の良いプリントをカメラで一コマづつ撮影しネガを撮影。それが現在もネガとして4K化などあらゆる映像のソースになっていると信じていたのですが、どうやらそれは間違いであるようです。

 私もこの話を疑っていなかったのですが、フィルムの複製にスチルカメラが用いられる話は聞いたことがあったし、あのキューブリックだったら膨大な作業量も品質保持のためなら厭わないだろうと思っていました。ところが実際は状態の良いインターポジ(オリジナルネガから直接プリントしたポジフィルム)が見つかり、それを元にネガが作られたとのことです。

 可能性として考えられるのは、状態の悪いフィルムしか残っていないと知ったキューブリックがスチルカメラでの修復を決意し、その準備していたがインターポジが見つかったのでその作業はしなくて済んだ。だが最初の決定の話だけが一人歩きしてしまった、というものです。これは現実にもよくある話ですし、もし記事の内容が事実ならこの可能性が一番高いのではないでしょうか。

 ちなみに記事中に登場する「セント・オールバンズの情報筋」とは、キューブリックのアシスタントだったアンソニー・フリューインだと思います。彼がそう言うならそうなんだろうな、としか言えませんが、やたらと伝説化しやすいキューブリックのエピソードをこのように「現実化」してくれる彼の存在は大きいですね。

GQukyOKbkAAqG6C
Xで流れてきた記事の画像。出どころは不明ですが、内容から確度は高いのでは?という気がします。
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SELLY
キューブリックのドキュメンタリー『ライフ・イン・ピクチャーズ』(2001年)で元気にインタビューに応えるシェリー・デュバル。

『シャイニング』や『ナッシュビル』など時代を象徴する映画での役柄で知られる女優が、20年を経て女優業に復帰した。しかし、彼女に何が起こったのだろうか?

〈中略〉

 20年以上もの間、デュバルさんのキャリアは停滞していた。 2002年の『マンナ・フロム・ヘヴン』が 最後の 映画出演で、その後、女優としてもプロデューサーとしても多彩で、大方の見方では成功したキャリアだったが、その理由は謎のまま引退した。最近彼女の名前を検索すると、最もよく出てくる質問は、「 シェリー・デュバルに何が起こったのか?」と「シェリー・デュバルはなぜ姿を消したのか?」だ。

 この根強い好奇心は 驚くようなものではない。自発的であろうと強制的であろうと、人目につかなくなるという行為そのものが、「ハリウッドの隠遁者」という比喩の核心であり、『サンセット大通り』や『何がジェーンに起こったか』などの古典映画で悲劇的な効果を出すために使われ、興味をそそり続けるからだ。

シェリー・デュヴァルも興味をそそられている。

「私はスターで、主役もやっていました」と彼女は厳粛に首を振りながら言った。 彼女は町の広場に車を停めて、チキンサラダ、キッシュ、甘いアイスコーヒーのランチをテイクアウトし、最後にパーラメントを一口吸った。彼女は声をひそめた。「みんなはただの老化だと思っているけれど、そうじゃない。これは暴力なの」

「暴力」について説明するよう促されると、デュバル氏は質問で答えた。

「本当に親切な人たちが、突然、」彼女は指を鳴らしながら言った。「あなたに背を向けたら、どう感じるでしょう? 自分に起こらない限り、あなたはそんなことは信じないでしょう。それが本当だと信じられないから、あなたは傷つくのです。」

「みんな、いつも没落の話に興味があるんだ」と、デュバルさんの30年以上のパートナーで、車の乗り降りを手伝ったり、時には家に戻ってくるよう懇願したりしているギルロイさん(76歳)は言う。デュバルさんを取り巻く憶測や噂、そして彼女の精神状態だけでなく体型についても語る彼の声には、疲れた調子がにじみ出ていた。

「インターネットでは『今の彼女を見て』『今の彼女の姿は信じられないよ』という声があふれています。有名人はみんなそういう扱いを受けます。」

 もちろん、彼が疲れを感じるのには理由がある。2016年、デュバルさんは昼間のトーク番組「ドクター・フィル」にゲスト出演したが、この珍しいテレビ出演は個人的に悲惨な結果となった。8年経った今でも物議を醸しているこのエピソードは、ギルロイ氏に知らせずに地元のベスト・ウェスタンで撮影されたもので、「数日後に町の人からそれが起こったことを知った」とギルロイ氏は語った。そのエピソードでは、デュバルさんが苦悩している様子が映し出されていた。

「私はとても具合が悪いんです。助けが必要です」と、ある動画の中でデュバルさんはフィル博士に話した 。フィル博士は「まあ、だからここにいるんです」と答えた。

 このエピソードのタイトルは「ハリウッドスターの精神病への転落:『シャイニング』のシェリー・デュバルを救う」だった。 デュバルさんは目を見開いて、2年前に亡くなった「変身する」ロビン・ウィリアムズからメッセージを受け取ったと主張したり、彼女に危害を加えようとする悪意のある力について話したりするなど、一連の奇妙な発言を続けた。この番組が公にされた目的は、精神病の人々をエンパワーし、偏見をなくすことだったが、スタンリー・キューブリックの娘ヴィヴィアンを含む多くの人が、この番組は搾取的で扇情的であると公に批判した。

 このエピソードは最後まで放送されなかったが、被害はあった。彼女の精神状態に関する疑問が浮上し、彼女はさらに内向的になった。

「彼女にとっては何の影響もなかった」とギルロイ氏は番組について語った。「ただ、彼女は変人として有名になっただけだ」

〈中略〉

 彼女の失踪は、噂されていたように、何年も前に『シャイニング』の撮影現場で受けた扱いが原因で長引いた精神崩壊が原因ではなかった。実際、彼女はロンドンでの1年間に及ぶ緊張した撮影やキューブリック氏への尊敬について、今でも良いことしか語らない。むしろ、彼女の失踪は、2つの出来事の感情的な影響によるものだと、より正確には言えるかもしれない。1つは、ロサンゼルスの自宅が被害を受けた1994年のノースリッジ地震、もう1つは、30年前に故郷のテキサスに戻るきっかけとなった、兄弟の1人が病気になったことによるストレスだ。

 これは名声の呪いによるものとも言えるだろう。有名になるだけでは十分ではなく、絶えず火を燃やし続けなければなりません。あまり長く放置すると、特に業界で女性として「年齢制限」に達し始めた場合、キャリアは衰退する。

 1982年、『シャイニング』で有名になってから2年後、 デュバルさんは自身の制作会社プラティパス(後にシンク・エンターテインメントという別の会社も設立)を設立し、子供向けテレビ番組、特に『フェアリー・テイル・シアター』を制作しました。各エピソードには、ロビン・ウィリアムズ、クリストファー・リーブ、キャロル・ケイン、バド・コート、バーナデット・ピーターズ、ミック・ジャガーなど、豪華キャストが出演しました。全体的な印象はバロック調の楽しさで、タイム誌 が「古典物語におしゃれでウィットに富んだひねりを加えた」と評した通りでした。

 「それは船長のようなものです。正しい方向に舵を取らなければなりません」と彼女はプロデュースについて語った。その豊かな創造の時間や、各プロジェクトのために行った綿密なリサーチについて語るとき、彼女の目は輝いていた。

 「素晴らしい人たちと一緒に仕事をしました。もちろん、ロバート・アルトマンにエピソードを監督してもらいました」と彼女は言う。「彼はいつも私のためにいてくれました」

〈中略〉

 しかし、『シャイニング』は、このジャンルで最も象徴的な作品の一つとなった。キューブリック氏は、アルトマン氏の『三人の女』で彼女を見て、彼女を自分の映画に起用することを思いついた。

「彼はこう言ったんです。『君の泣き方が好きだよ』」

 撮影は過酷なものだったが(キューブリック氏は俳優たちに各シーンで何百回もテイクをこなすことを要求したことで知られている)、彼女はその経験を懐かしく思い出している。 キューブリック氏とデュバルさんは休憩時間にチェスをし、撮影クルーはタバコを吸いながらビッグマックを食べながら座っていた。

 彼女は最終版を見たときにどれほどショックを受けたかを思い出した。「撮影を見ていなかったシーンもありました。廊下の端に二人の女の子がいて、二人が離れていくシーンを覚えていますか? 二人の後ろに何がいるかわかりますか? あれは怖かった、とても怖かった」

 当時の批評家たちは彼女の演技を酷評し、彼女は最低女優賞のラジー賞にノミネートされた。しかし、彼女の反応の真実味、彼女のこの世のものとは思えない雰囲気が観客の共感を呼んだ。

〈中略〉

 この弱さとオープンさ、そしておそらく純真さが、彼女に不当な扱いを受けやすくした。80年代に入るとデュバルさんの役柄は変化していった。もはや若くてほっそりとした純真な女性ではなく、より成熟した役柄に配役された。ある意味で、彼女はテレビ番組をプロデュースし、その中に演技の機会を組み込むことで、前進したのだ。

 彼女はショー『フェアリーテイル・シアター』と『シェリー・デュヴァルのベッドタイム・ストーリー』の成功に続き、1990年にディズニーのテレビミュージカル『マザーグース・ロックンライム』をプロデュースしました。そこで彼女はミュージシャンであり、サウンドトラックの一部を作曲し演奏したグループ「ブレックファスト・クラブ」のメンバーであるギルロイ氏と出会い、恋に落ちた。

 夫婦は畑に囲まれた素朴な平屋に10年以上住んでいる。 「私たちにとっては小さなオアシスです」とギルロイさんは言う。

 確かに隔離された静かな環境だ。ギルロイ氏の制作途中の絵画がリビングルームのイーゼルに立てられ、ギルロイ氏とデュバルさんが愛情深く微笑み合う古い写真が石造りの 暖炉の上のマントルピースに飾られている。周囲にはファンからの手紙が山積みになっている。

「ロサンゼルスで過ごした数年間は本当に素晴らしかった」とギルロイ氏は言う。「地震の後、テキサスに引っ越したときは最高だった。でも、娘がいろいろなことを怖がり始め、働きたくなくなったときから状況は悪化した。原因をひとつに絞るのは本当に難しい」

 かつては想像力の豊かさを称賛されていたデュバルさんは、今やその想像力に悩まされている。「彼女は被害妄想に陥り、自分が襲われていると思い込んでいました」とギルロイ氏は言う。「彼女はFBIに電話をかけようとしたり、隣人に私たちを守るよう頼んだりしていました」

「突然、いつもの調子から、このように悪化したのは、ただショックでした」と彼は付け加えた。

〈中略〉

 彼女はキャリアのハイライトについて語るのを喜んでいるが、過去のより困難な側面について話すように促されると、詳しくは語らない。

「すごいわね、見て」と彼女はベビーカーに乗せられて歩道を歩いている小さな犬を指差しながら言った。「笑っててよかったわね。私がロサンゼルスから連れてきた9匹の犬が、あそこの通りで全部死んだって知ってる?」

 ペットはデュバルさんの生活の中で常に大きな部分を占めており、現在はオウム3羽、猫数匹、そしてパピーという名の老犬を飼っている。帰宅途中に痩せたロバの群れのいる畑を通りかかると、デュバルさんはよく立ち止まって金網越しにサンドイッチ用のパンを数切れロバに与える。デュバルさんの自然界との生来のつながりが、不思議さを感じさせてくれる。

 デュバルさんは車で家に帰る途中、 時折、くすぶっているタバコを握った手を窓から出して、ロードキルに向かって身振りをしたり、くちばしのように滑稽にパチパチと鳴らしたりしていた。

時々彼女は完全に視界から消えてしまうこともあった。

(全文は引用元で:The New York Times/Shelley Duvall Vanished From Hollywood. She’s Been Here the Whole Time.




 「シェリー・デュバルに何が起こったか?」答えはこの記事にある通りです。

 記事にあるフィル博士のTVショーがネットで話題になった時、私は直感的に「これはキューブリックのせいにされるな」と思い、実際その通りになりました。『シャイニング』の公開は1980年、シェリーの精神疾患の発病は2000年代に入ってから。その間の約20年間、シェリーは女優やプロデューサーとして活躍し、2001年にはキューブリックのドキュメンタリー『ライフ・イン・ピクチャーズ』に出演して元気な姿を見せていたのはファンならよく知るところです。そんな経緯を知りもしなければ、知ろうとも(調べようともしない)しないTwitter(現X)で流れてくる情報がこの世の全てだと考える幼稚で哀れな大衆が、小学生並みの安直な思考力で「キューブリックが悪い!」「キューブリックのせいだ!」と騒ぎ散らかし、現在もなおその程度の知能を披露して恥をかき続けているのに全く気づいていないという状況が続いています。中には「時間が経過してから発症する場合もあるのでは?」などと専門家顔負けの知識をご丁寧に披露していただいた方もいるのですが、「それはどういう症例ですが?」と尋ねれば「そんなの知りません!」と逆ギレするでしょう。まあその程度、なのです。

 それに加えキューブリックを話題に出し、その内容がより刺激的であればあるほどアクセス(インプレッション)が稼げる可能性が高いというのもあり、知っていながらわざとデマを撒き散らすゾンビ達も暗躍し、いったん流布された「それっぽい嘘」は訂正するのにかなりの時間と労力を必要としてしまいます(「それっぽい嘘」の有用性に気づいたのがチョビ髭政権ですね)。ですので、こういった根も葉もない嘘(噂話ですらない)で被害者が出てしまう前に、やはり打つべき手は打っておかなければなりません。もちろん被害者とはシェリーであり、キューブリック(の名誉)です。

 繰り返しますが、記事にある通りキューブリックによるシェリーの態度は決して友好的ばかりであったわけではありませんし、時には激しくぶつかり合ったのは事実です。でもそれは「より良い作品を作る」というクリエイティブの現場ではよくある話だし、キューブリック特有の厳しさはあるにせよ、この作品が制作されたのが「昭和」であることを考えれば、特筆すべき出来事でもなかったことはこの時代を知っている人ならすぐに理解できるでしょう。

 ですが、この記事を一読し不安に感じたのも事実です。それはシェリーの「挙動不審」。もしシェリーの身に何かが起これば・・・そうなれば「キューブリックがシェリーを●した」という言説がSNS上を覆うであろうことは日の目を見るより明らかです(ここで予言しておきます)。もちろんそれは前述したように小学生並みの安直な思考力しか持たない哀れな大衆と、それを扇動しインプを稼ごうとするゾンビ達によってもたらされます。そうなった時、この記事がソースとして有用に機能することを願ってやみません。
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Full-Metal-Jacket-2
現在はこの画像に差し変わっている(画像引用:IMDb - Full Metal Jacket

「BORN TO KILL」を削除することを決めたのは誰でしょうか? フィリップ・キャッスルの象徴的な芸術作品を変更しただけでなく、そこにそれが存在する意味を完全に誤解しています。ジョーカー二等兵は、「BORN TO KILL」とピースボタンが付いたヘルメットをかぶっていますが、これは「人間の二面性」についての声明です。

(引用:X@MatthewModine


これを引用し、管理人がコメント

『フルメタル・ジャケット』でジョーカーを演じたマシュー・モディーンがアマゾンプライムビデオの「BORN TO KILL」を削除したことに抗議。今のところトップ画像だけの模様。ポリコレもここまで来るともはやファシズム。

(引用:X@KubrickBlogjp

マシューの元のポストに投稿された他の方の指摘によると

(1)画像に文字が入っていると上に文字が乗った際に見辛くなるので消しただけ
(2)画像に文字を入れるのを許可すると、権利元が宣伝コピーを入れた画像を載せようとするから禁止というルールがAmazonにある。

との理由が示されていますが、このコメントはAmazonからの公式な説明ではない(関係者か事情通かも不明)ことに注意が必要です。その上で、この説明に説得力がないことを以下に示します。

(1)ならば「Born To Kill」の文字をぼかせば済む話だし、その方が手間もかからず簡単。もっと言えばシーンの画像(宣材写真)と入れ替えれば良い(現状はそうなっている)だけであって、であればなぜPhotoshopなどで文字を「消去」し、消した跡が不自然にならないようにきれいに「加工」してあるのかの説明にはなっていない。

(2)これも(1)同様に、わざわざ「Born To Kill」を手間をかけて消去した理由にはなっていない。画像差し替えで十分に対応可能。

この問題の悪質な点は、このヘルメットのキービジュアル(キューブリックがアイデアを出し、フィリップ・キャッスルがイラストを描いた)の、「Born To Kill」の文字がないバージョンを初めてみた際、それをそのまま受け入れてしまう危険性がある、という点です。それぐらい自然な形で「消されて」います。かつての北の大国で、粛清者が写った写真の該当部分を自然な形で消し去った有名な話がありますが、それに似た「恐ろしさ」を感じます。繰り返しますが、もし「指摘者」の言う通りなら「Born To Kill」部分をボカす(これも良くないが、少なくとも「見せてはいけない何かがあるな」というのは伝わる」)か、他画像に差し替えれば問題は解決です。ですがAmazonはわざわざ画像加工の手間をかけてまで作品を「改竄」したのです。これはプラットフォーマー(権力者)が、パフォーマー(表現者)の意図を捻じ曲げて、自分の思想に都合の良い情報だけを大衆に伝えようとする「作為」の可能性を疑わざるを得ません。もしそれが誤解だと言うのなら、上記の(1)(2)の説明が説得力を持っているはずです。ですが、私には全くそれは感じられませんでした。

 また、これはAmazonだけの問題ではなく、行き過ぎたプラットフォーマーの「検閲」「干渉」によってオリジナル作品が台無しにされている現状があります。ハリウッドでも度々話題になっており、日本では自殺者まで出す騒ぎになったのは記憶にも新しいところです。これが単に「読みやすさの優先や過剰な宣伝をさせないための方策」なのか、「ハリウッドに巣食うある勢力の圧力に屈した結果」なのか、私たち映画ファンは絶対に無関心であってはいけません。また、プラットフォーマー(権力者)側の言い分を鵜呑みにしてはいけません。それは映画の未来(過去や歴史も)を左右する大きな問題だからです。故に常に注視する必要があるのです。故の過激な私のコメントです。

 なお、現在該当部分は宣材写真に差し替えられています(最初からこうすべき)が、現在に至ってもAmazonはこの件に関して正式なコメントは出していません。不誠実極まりないですね。

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رابرت_کاپا
ジョーカーが撃たれた瞬間のイメージ写真(ロバート・キャパ『崩れ落ちる兵士』)

ジョーカー、8歳。プラスチックのライフルを携えて野原を走っている。

「動け、動け、動くんだ!!!」

みんながあなたに何をすべきか指示する。動け、動け、動き続けろ。動きを止めれば、ためらえば、心臓は止まる。足はおもちゃのように巻き上げる機械だ。

ジョーカー、海兵隊員。走りながらライフルを撃つ。

ジョーカー、8歳。おもちゃのライフルを撃つ。

世界中を走り回れるような気分だ。今、アスファルトはトランポリン、素早く優雅に、緑のジャングルの猫のように。

ジョーカー、海兵隊員、走る。

ジョーカー、8歳、走る。

足が瓦礫の上を上へ上へと連れて行く...上へ...上へ...あなたはそれを楽しんでいる...あなたは人間ではなく、動物であり、神のように感じている...あなたは叫ぶ「死ね!死ね!死ね、このクソ野郎ども!死ね!死ね!死ね!」

海兵隊員のジョーカーは、自動小銃の連射で撃たれる。

8歳のジョーカーは、苦痛を伴い胸を押さえ地面に倒れ始める。彼の映像はキャパの有名なスペイン内戦の写真のようなポーズで、静止したフレームが捉えるまでスローダウンする。その写真には、致命傷を負った男がカメラによって落下中に永遠にぶら下がっている。

しかし、この写真は8歳の少年のものだ。

墓地。ジョーカーの葬儀。明るい晴れた日。ジョーカーの母親と父親は青白くやつれた顔で、天蓋の下に集まり、国旗で覆われた棺と対面し、親戚や友人たちに囲まれている。ジョーカーの父親は気難しそうに話す。

「息子は…熱烈に…作家になりたいと望み…ベトナムにいる間、このノートを持っていました…遺体で発見されました。これから…そのノートから数行読みます…息子が持っていた…計り知れない…才能…を示すものです…その才能は…今では…永遠に失われてしまいました」

目に涙を浮かべながら、ジョーカーの父親は汚れて使い古されたノートの特定のページを探し回った。彼はそれを見つけると、たどたどしく声に出して読み始めた。

「私はよく…10歳の頃のことを思い出します…。私は…太陽が昇る前…そして本当に目が覚める前に…ベッドに横になって…これからの長くてエキサイティングな一日を考えるのが好きでした。 空はピンク色に染まり始め、外の静寂は木々のざわめきと鳥の鳴き声に変わりました。私は誰も起こさないように階下に降り、裏庭に出ました。空気は芳香を放ち、冷たく、私は太陽が山の後ろからゆっくりと昇るのを眺め、スズメが露に濡れた草をついばんでいるのを目にしたのです」

「私は幸せを...抑えることができませんでした」ジョーカーの父親はかろうじて話を続ける。「あの庭と町の外の世界について、私は何と知らなかったことか」

ジョーカーの父親は涙でいっぱいになる。妻が彼を抱きしめる。彼は落ち着きを取り戻し、話を続けた。

「そして今、私はA. E. ハウスマンの詩を読みたい。妻と私が彼の墓碑銘として選んだものです」

「我々がここに死んで横たわっているのは...生きることを選ばず...我々の生まれた土地に恥をかかせることを選ばなかったからだ...確かに...命は...失うが大したことではない...だが若者はそう考える...そして我々は若かった...」

涙を流しながら、父親はゆっくりとノートを閉じる。ノートの表紙にジョーカーのピースバッジがピンで留められているのが見える。


引用:Full Metal Jacket / A Screenplay by Stanley Kubrick & Michael Herr



 キューブリックは『フルメタル・ジャケット』のラストシーンについて、脚本段階では上記のようにジョーカーは戦死し、故郷での葬儀のシーンで終わることにしていました。ですが脚本を撮影の叩き台と考え、撮影時にシナリオを発展させることを好むキューブリックはこの結末を決定稿とはせず、判断に迷いもあったのか、エイトボールを演じたドリアン・ヘアウッドによると出演俳優を集めて「この映画の結末はどうしたらいいと思う?」と訊いたそうです。中でも激しい議論となったのがマシュー・モディーンで、モディーンはジョーカーは生き延びるべきだと強く主張し、最終的には原作小説に近い形で(原作でもジョーカーは生き残る。ただし市街戦の後にジャングルでの戦闘に参加している)のラストシーンに落ち着きました。

 上記の脚本を読んで思うのは、世の中の事象を冷徹な視点で描くキューブリックにしては珍しく「ウェット」だな、ということです。『突撃』のラストシーンもウェットでしたが、それよりもウェット感は強く、まるでスピルバーグの『プライベート・ライアン』のようで、正直言ってキューブリックらしくありません。ではどうしてこの脚本でいったんOKを出したのか?それは想像するしかありませんが、キューブリックはベトナム戦争に駆り出されていたのが10代〜20代前半の若者たちだった事実に興味を示していて(だからラストシーンで子供の歌である『ミッキーマウス・クラブ・マーチ』を歌わせた)、この脚本でも少年時代のジョーカーの姿を戦闘シーンにダブらせていることから、「ベトナム戦争=若者(子供)の戦争」というテーマがあったことは容易に想像できます。ラストに流れるストーンズの『黒くぬれ!』の採用もその発想からでしょう。

 原作小説『ショート・タイマーズ』を読めば、ベトナムに派遣された兵士の一番の関心事は「戦争に勝つこと」ではなく「生き延びて祖国に帰ること」であったことがわかります。映画の撮影の順番は戦場シーン→訓練シーンだったので、ラストシーンが脚本から大幅に変更され、ジョーカーが生き残ると決まったことはその後の撮影に影響を及ぼしたであろうことは想像に難くありません。パイルの自殺とジョーカーの死をそれぞれ前半、後半のラストで描くことによって、ある種の「効果」を狙った可能性もありますが、原作小説のテーマを考えると葬儀シーンは違和感があります。やはり現状のラストは正解だったと強く思いますね。
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Nicholson's co-star in The Shining, Shelley Duvall, was actually discovered by Robert Altman, who cast her in pictures like Nashville and 3 Women. Since she finished The Shining, she's play Olive Oyl in Altman's Film of Popeye and made a guest appearance in London in The Time Bandits, directed by Terry Jones of Monty Python team. Well I talked to her while she was in this country, and I asked her about a rumour, then strongly going the rounds that the meticulous Stanley Kubrick had made her do 127 takes of one of her scenes.

Oop! (Laughs)
I don't know, I think I'm supposed to say 18. but, I don't know, I'll leave that to your imagination.

Well, let us assume that 18 is a slight underestimate and 127 is possibly closer to the truth. What is it like doing a take that many times? I mean, is it possible ti just to keep going and produce a kind of freshness at the end?

Yes, it is. It's funny, it's something that I discovered during the making of The Shining was that I had never done more than, say, 15 takes before in my life. So it was a great change for me to do so many. But then after you do a certain number, it sort of goes dead and then five more takes or so, and it revives itself and by then, you know the scene like the back of your hand, and you can make no mistakes with it and you forget all reality other than what you're doing. And it's, it's like a miracle. It comes out better than it did before and it's fresh too.

What was the most difficult piece of acting you had to do in The Shining?

Oh, I think it was just stamina. My stamina has increased so much since The Shining. I mean, you really have to be strong for an entire day because the role required me to cry all day long, every day. And it was so difficult being hysterical for that length of time.

So how do you look back on that film? I mean, are you pleased to have done it?

I'm very pleased to have done it because I've learnt more on that picture and strengthened myself and broadened the scale that my emotions can reach, I think, more than any other picture I've ever done. And Stanley took the time to teach me.

—『シャイニング』でニコルソンと共演したシェリー・デュヴァルはロバート・アルトマンによって見出され、『ナッシュビル』や『3人の女』などに出演しました。彼女は『シャイニング』を終えて以降、アルトマン監督の『ポパイ』でオリーブ役を演じ、ロンドンではモンティ・パイソン・チームのテリー・ジョーンズ監督(注:テリー・ギリアム監督の間違い)『バンデッドQ』にゲスト出演しています。さて、彼女がこの国にいる間、私は彼女と話をし、神経質なスタンリー・キューブリック監督が彼女のシーンの1つを127テイクも撮らせたという当時強く流布していた噂について尋ねてみました。

おっと! (笑)分かりませんが、18回と言うべきだと思います。でも、わかりません、それはご想像にお任せします。

—さて、18はわずかに過小評価されており、127がおそらく真実に近いと仮定しましょう。テイクを何回もやるのはどんな感じですか?つまり、このまま続けて、最後にある種の新鮮さを生み出すことは可能でしょうか?

はい、可能です。面白いことに『シャイニング』の制作中に私が発見したのは、これまでの人生で、たとえば 15 テイク以上をやったことがなかったということです。だから、たくさんのことをすることができたのは私にとって大きな変化でした。でも、ある程度の回数をこなすと、それはちょっと消えて、さらに5テイクくらいすると自然に復活して、その頃にはもう手のひらを返すようにシーンがわかっていて、そこでミスをすることはなくなるし、自分がやっていること以外の現実をすべて忘れてしまいます。そしてそれは、まるで奇跡のようです。以前よりも良く出きていて、新鮮でもあります。

—『シャイニング』で演じる上で最も難しかったことは何ですか?

えっと、ただの体力だったと思います。『シャイニング』以来、私のスタミナは非常に増加しました。つまり、この役で私は毎日一日中泣く必要があったので、本当に一日中強くなければなりませんでした。そして、その期間にわたってヒステリックになるのはとても困難でした。

—それで、あの映画をどう振り返っていますか?つまり、やってよかったと思いますか?

この映画を撮ることができてとてもうれしく思っています。なぜなら、この映画からもっと多くのことを学び、自分自身を強化し、自分の感情が届く範囲を広げられたからです。私がこれまでに参加したどの映画よりも、自分の感情が届く範囲が広がったと思います。そしてスタンリーは時間を割いて私にそれを教えてくれました。

[BBC Oneで1980年9月29日に放送されたFilm 80から抜粋]

(詳細はリンク先へ:1980: SHELLEY DUVALL on working with KUBRICK and ALTMAN | Film 80 | BBC Archive/2024年5月24日




 時期的には『シャイニング』公開後、4ヶ月ほど経ってからのインタビューになります。日本での『シャイニング』の公開は1980年12月でした。

 さて、世の中には「○○警察」と言って頼まれもしてなければ、そんな権限もないのに身勝手な正義を振りかざし、他人を糾弾しないと気が済まない人たちが一定数存在します。まあ、そういう人たちは如何に自分が単に不満をため込んだだけのフトレスフルな惨めな存在であるかを、自分からわざわざアピールしてくれているわけですが、そんなことさえ気づかない哀れな人種はスルーするに限ります。SNSを見ると、それは日本人に限ったことではなく、外国人でもよく見かけます。そしてその俎上に上がりやすいのが「キューブリックが『シャイニング』においてシェリー・デュバルを苛め抜き、精神疾患へと追い込んだ」というものです。

 シェリーは『シャイニング』での経験を前向きに話すことはあっても(「女優として成長できたけど一度でたくさんだわ」と皮肉ったことはある)、それが現在の精神疾患の原因であるとか、キューブリックからパワハラを受けたとか、それについて訴訟を起こすとか一言も言ったことがありません。なのに世界中の「パワハラ警察」が誰も何も頼みもしないのに自主的に活動を開始、自身のストレスを身勝手な正義へと変換して日頃のウサを晴らす、という滑稽な状況が未だに続いています。

 このインタビューにある通り、シェリーにとって『シャイニング』での体験は大変なものではあったけれども、決して否定的に語るようなものではなかったというのが真実です。それはシェリーが求められている役柄にコミットするのに苦労したからであり(シェリーは幽霊など全く怖がらない、陽気で明るい性格だった)、それを演じさせようとするキューブリックにしても、ある程度シェリーに対して高圧的な態度にならざるを得なかった、という事情によるものです。『シャイニング』を注意深く観ていればわかりますが、シェリーが本気で怖がっているように見えないシーンがいくつかあります(キューブリックはそれを何度も指摘している)。個人的には「あのキューブリックがこの演技でよくOKを出したな」と思うほどなのですが、キューブリックは多少演技が演技臭くても、シェリーの持つ神経質そうでひ弱な(キューブリック曰く「苛められやすそうな人」)見た目の印象を重視したのでしょう。それは『シャイニング』の怖さのある一定部分が「苛められているシェリーの表情や悲鳴」であることを考えれば、成功したと言えるでしょう。

 さて、気になるシェリーの精神疾患の原因ですが、彼女は最近のインタビューでも多くは語っていません。上記のインタビュー後、ロンドンからハリウッドに戻ってからも順調にキャリアを積み重ねていたにもかかわらず、2002年以降ピタッと表舞台から姿を消してしまいました。その時期に何があったのかを知る術はありませんが、「身近な人に裏切られた」旨の発言もあります。とにかくはっきりしていることは、現在のシェリーの精神疾患と、『シャイニング』におけるキューブリックの態度(指導)を関連づける証拠は何もないという事実です。これは何度でも強調させていただきたいと思います。
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