キューブリック関連動画

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 キューブリックの劇映画処女作『恐怖と欲望』は、ニューヨークのギルド劇場で1ヶ月間の上映の後、全米のあちこちの映画館やドライブインシアターに回されることになったのですが、その上映館の中には二番館、三番館、果てはポルノを上映する劇場までありました(詳細はこちら)。キューブリックにしてみれば、それは屈辱以外の何ものでもないわけですが、配給権をジョゼフ・バースティンが握っている以上、そのバースティンは利益を確保するためには手段を選ばなかったであろうことは容易に想像できます。

 その上映の中で、ロキシー・シアターで上映された際のポスターが残っていて、そこには『The Male Brute(野生の男)』なる映画と同時上映されたことがわかっています。『恐怖と欲望』と同様、『野生の男』もまるでポルノであるかのような売り出し方ですが、実はこれはフランスの名匠、ジャン・ドラノアの佳作『海をみた少年』であることはここで記事にしました。この映画もジョゼフ・バースティンが配給権を持っていたので、売れない映画どうしを抱き合わせ、ポルノまがいに宣伝し、少しでも資金を回収しようとした意図が読み取れます。その、ポルノにされてしまった『海をみた少年(原題:Le Garcon sauvage)』の予告編の映像がYouTubeにありました。これを観ただけでもポルノでないのは明らかです。

 キューブリックが映画制作を始めた初期は、このように制作費の支払いや、次作の制作資金捻出のために権利を譲りわたすことを余儀なくされていました。そのことは後に「自作の権利を全て自分が保有する」「そのためなら自作に関係する事柄全てに干渉する」という考えに至り、それを実行します。このように、小説や絵画や音楽などの世界では当たり前だと思われている「作者が自作の権利を保有する」という「常識」が、映画では「異例」と思われている現実をキューブリックは変えたがっていました(少なくとも自身だけでもそうすべきと考えていた)。しかしそれは現在に至るまで「異例」であり続け、キューブリックが当たり前と考えて行った自作への執着ぶりを揶揄する風潮は今も変わりません。

 キューブリックが劇映画処女作『恐怖と欲望』で得た経験と屈辱は、その後の映画制作に関するスタンスを決定づけました。その傍証として、同時上映されたこの『海をみた少年』が受けた同様の屈辱的な扱いが、それを証明していると言えるでしょう。


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 2019年11月29日(金)より全国公開される『ドクター・スリープ』の予告編最終版がアップされました。かなりキューブリック版『シャイニング』に寄せていますが、メインの要素はそれではなく、かなり大雑把な言い方をすれば、この小説、そしてその映画化はあくまで「異能力バトルもの」です。

 この映画化について、特にキューブリック版の映像を引用することについてキングはどう考えているのか、ローリング・ストーン誌にそのコメントが載っていました。

〈前略〉

 スティーブン・キングは、1980年のスタンリー・キューブリックによる脚本の大幅な変更を常に嫌っていましたが、キングは『ドクター・スリープ』の映画製作者が、キューブリックのバージョンの要素を使用することを許可しました。「キューブリックの映画に関する私の問題は、とても “冷たい” ということでした」「この脚本で問題がなかったのは、キューブリックの要素をいくつか抜き出して “暖めた” からです」

〈以下略〉

Stephen King on His New Horror Novel, the ‘Nightmare’ of Trump, and ‘Stranger Things’より
(全文はリンク先へ:Rolling Stone/2019年9月1日


 これはキングがキューブリック版を批判する際のコメント「高級車(お金のかかった映画)だかエンジン(心)がない」と同じ意味ですが、自らが制作したTVドラマ版『シャイニング』の映像を使うよりも、キューブリック版を使う方が興行的に有利だと理解した上でのコメントなので、言い回しが若干穏やかになっています。ですが、どちらにしてもキングはキューブリック版の「冷たさ」を嫌っていたのは事実ですので、キューブリック版を傑作たらしめているその「冷たさ」を排除し、キングの言う「暖かさ」を導入した時点で、この『ドクター・スリープ』はキューブリック版『シャイニング』の続編でないことは明らかです。

 キューブリックの映画化による「冷たさ」を嫌ったのは何もキングだけでなく、アーサー・C・クラークもそうでした。その結果が小説『2010年宇宙の旅』、そしてその映画化の『2010年』ということになります。ですので、この『ドクター・スリープ』については、『2001年宇宙の旅』における『2010年』ぐらいだったらまあ御の字、という感覚で観に行った方が何かと宜しいんじゃないか(キューブリック版の続編と思って観に行くと肩透かしを食らう)、という気がしています。

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 キューブリックが『バリー・リンドン』を制作するとき、18世紀の再現に異常なまでの執念を燃やした話はよく語られますが、その資料となった画家たちの絵画と、『バリー…』でのシーンを比較した動画がありましたのでご紹介。

 ここに紹介されている画家たちとその絵は、「そのシーンに似た絵を集めた」というものであって、必ずしもキューブリックが「このシーンにはこの絵を参考にした」と断定できるものではありません(それが可能なのはキューブリック本人だけでしょう)。ただ、ウィリアム・ホガースやトマス・ゲインズバラ、ジョン・コンスタブル、ジョシュア・レノルズなどはよく名前の挙がる画家なので、これら18世紀の画家たちの多くの絵画を参考にしたのは間違いないでしょう。

 キューブリックが18世紀の再現に固執したのは、『2001年宇宙の旅』で21世紀の再現(・・・というより、可能な限りの未来予測)に固執したのと同様、作品の陳腐化を怖れたためではないかと考えています。キューブリックは自分の死後も作品は永遠に遺るのだから、自作になるべく長い期間、説得力と生命力を持たせたかったのではないでしょうか。それが成功を収めているのは、昨今のキューブリック作品の再上映や、『スタンリー・キューブリック展』の盛り上がりを見ても明らかです。

 同様の趣旨の動画ですが、こちらも参考にどうぞ。



上記動画で紹介されている絵画とその作者
"La mattina" William Hogarth
“Molly Longlegs” George Stubbs
“Il Campo di Grano” John Constable
“Assembly at Wanstead House” William Hogarth
"Blue Boy" Thomas Gainsborough
“Robert Orme” Joshua Reynolds
“La taverna” William Hogarth
“Mr and Mrs Andrews” Thomas Gainsborough
“Sarah Campbell portrait” Joshua Reynolds
“Penelope Unravelling Her Web” Joseph Wright of Derby.
“Il contratto" William Hogarth
“Morse's Gallery of the Louvre” Johann Joseph Zoffany,
“La passeggiata del mattino” Thomas Gainsborough
“L'incubo” di Johann Heinrich Fussli
“Malvern Hall Warwickshire” John Constable

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──あなたは『現金に体を張れ』に出演しておられましたね?

 スタンリー・キューブリックの! まったく素晴らしい映画だ。

──誰を演じられましたか?

 私はマリー・ウィンザーの夫を演じた。競馬の係のね。いい映画だった。スタンリーの最初の映画だ。ニューヨークで短編を3000ドルで作ってから(※『非情の罠』のこと)、こっちに来て監督した映画だ。いい映画、素晴らしい監督だ。後の作品を見てもわかるだろう? 良い監督だ。

──それで、その映画で何をされていましたか?

 どういう意味だ? ショットガンで撃たれる役さ。覚えてないのか? 私の顔がめちゃくちゃになる・・・。

──どうやってそのシーンを撮ったんですか?

 メイクアップの男が良い仕事をしてくれた、本当に。素晴らしい男だった。BB弾を私の顔に貼り付けたんだ。それから私は妻を撃って殺して死ぬ。スターリングは恋人と一緒に逃げる。彼は素晴らしい俳優だった。昔落下傘兵をしていたんだ、知ってたかい? オリジナルのエンディングでは彼はFBIに蜂の巣にされて倒れて死ぬ予定だったんだ。だが彼は落下傘兵の仕事で背中を痛めていたからできなかった。だからエンディングを変えたんだ。覚えてるかい? 犬が出て来て、札束が舞い散るエンディングになったんだ。良いファミリー、良い男だった。キューブリックは私に『ロリータ』のためにイギリスに来て欲しかったんだが、イギリス側はスターを欲していた。私のような個性派俳優は望まれていなかったんだ。




 このインタビュアーは『現金…』を観ずにこのインタビューをしたんでしょうか。終始話が噛み合わす、ちょっとじれったいですね。とはいえ、『現金…』のオリジナルエンディングの話は貴重です。当初は完全なバットエンドだったんですね。『ロリータ』のキャスティングの話も出てきますが、これはハンバート役でしょうか? キルティ役でしょうか? どちらもあり得る話ですが、エリシャならハンバートのような気がします。

翻訳協力:Shinさま

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手塚眞氏が語る、手塚治虫とキューブリックとのエピソードは5:07から。

 手塚眞氏は過去に幼い頃に父、手塚治虫に連れられて『2001年宇宙の旅』を観に言ったエピソードを語っていましたが、例の「キューブリック手紙事件」に言及したのを初めて見ました。興味深いのは手塚氏自ら「父は『2001年…』から逆影響を受けた」と語っていること。主に宇宙船のデザインなど未来イメージについてですが、それは手塚治虫だけでなく、日本中、いや世界中のクリエーターが影響を受けまくったのは周知の事実です。

 その「キューブリック手紙事件」は、長い間「手塚治虫のホラ話」と疑われていました。と、いうのも時系列が合わなかった(手塚治虫の証言通りならキューブリックはまだ『2001年…』の制作に着手していない)からです。それは「【考察・検証】キューブリックが『2001年宇宙の旅』の美術監督を手塚治虫にオファーしたのは本当か?を検証する」の記事で検証した通り、手塚治虫自身が単に1年勘違いしていただけ、ということを証明してみせました。手紙の中身は焼失してしまいましたが、封筒は現存しているので現在この件を疑う人はもういないでしょう。

 このラジオ番組「岡村洋一のシネマストリート」は、かわさきFM(79.1MHz)で毎週月曜日13:00〜15:00放送だそうです。興味のある方は聴いてみてはいかがでしょうか。

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