キューブリック交友録

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Joseph Burstyn(IMDb)
Joseph Burstyn(wikipedia)

 アメリカの小規模映画配給会社、ジョゼフ・バースティン社社長。キューブリックの劇映画処女作『恐怖と欲望』の配給を手がけた。

 このジョゼフ・バースティン社はヨーロッパの良質な映画を輸入・配給していて、イタリアン・ネオリアリズムをアメリカに紹介したことで知られている。『恐怖…』と同時上映された『海を見た少年(The Male Brute)』もフランスの名匠、ジャン・ドラノワ監督の作品だった。

 バースティンは1950年、1948年に制作されたイタリアの映画監督、ロベルト・ロッセリーニによる『人間の声』『奇跡』からなるオムニバス映画『アモーレ』を『ウェイ・オブ・ラヴ』と改題し、米国で配給した。12月には『ウェイ・オブ・ラヴ』がニューヨーク映画批評家協会によって本年のベスト・外国語映画に選ばれた。

 アメリカでの公開後、ニューヨーク州理事会は「放浪者(フェデリコ・フェリーニ)を聖人だと信じた女が妊娠し、村人のそしりを受けつつも女は一人で教会で子供を産む」という内容の『奇跡』について「神への冒涜」だとした抗議を受け、理事会は聴聞会に調査する様よう命じた。聴聞会はこの作品が「神への冒涜」と判断、1951年2月16日に教育委員は映画の配給のライセンスを取り消すように命じた。

 それに対し、この判断を不服としたバースティンは訴訟を起こし、「ジョゼフ・バースティン社対ウィルソン裁判」として有名になる。アメリカ最高裁判所は、ニューヨーク州教育法の特定の条項が映画の上映を禁止したり、「神への冒涜」としてライセンスを停止することを認めていることは、言論の自由に対する拘束となると判断した。

 1921年にアメリカに渡ったポーランド移民。1953年11月、大西洋横断飛行中に機内で冠動脈血栓症を発症し、死去。生年月日不詳。
 
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Thomas_Schelling
Thomas Schelling(IMDb)
トーマス・シェリング(wikipedia)

 アメリカの経済・政治学者。専門はゲームの理論。『博士の異常な愛情』のコンサルティングを担当した。

 キューブリックはシェリングの書いたピーター・ジョージの小説『赤い警報(破滅への二時間)』の紹介記事を読んで興味を持ち、映画化権を獲得したが、小説には大きな問題があった。原作小説が書かれた1958年頃は爆撃機が核攻撃の主な手段だったが、1960年代までには大陸間弾道ミサイルがそれに取って代わっていたからだ。 そのため、爆撃機を使ったもっともらしいシナリオを考え出すためにシェリング、キューブリック、ピーター・ジョージ、核の理論家ウィリアム・カウフマンらと協議することになった。「私達は核戦争の始め方をどうするか苦労した」「私達は(戦略)空軍で狂った誰かがいない限り、最終的には核戦争が起こるはずがないと考えた」。そうやってキューブリックとピーター・ジョージは小説を「ナイトメア・コメディ」に改変することを決めたそうだ。

 また、映画に登場した「皆殺し装置」はシェリングのアイデアで、それは自身が最も興味を持っていたテーマ(戦略的コミットメント、誤ったコミュニケーション、意図せぬ結果)でもあった。

 1921年4月14日カリフォルニア州オークランド出身、2016年12月13日死去、享年93歳。
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七人の侍 [Blu-ray](amazon)


 現在新たに邦訳中の「スタンリー・キューブリックのマスターリスト」の記事に、こんなエピソードが登場します。(旧翻訳記事はこちら)。

Seven Samurai(Akira Kurosawa, 1954)

Frewin: “What struck me immediately while looking through this ‘Master List’ was the conspicuous absence of Akira Kurosawa. Stanley thought Kurosawa was one of the great film directors and followed him closely. In fact I cannot think of any other director he spoke so consistently and admiringly about. So, if Kubrick was cast away on a desert island and could only take a few films, what would they be? My money would be on The Battle of Algiers, Danton, Rashomon, Seven Samurai and Throne of Blood…

“Talking of Kurosawa, a poignant tale: Stanley received a fan letter from Kurosawa in the late 1990s and was so touched by it. It meant more to him than any Oscar would. He agonised over how to reply, wrote innumerable drafts, but somehow couldn’t quite get the tenor and tone right. Weeks went by, and then months, still agonising. Then he decided enough was enough, the reply had to go, and before the letter was sent Kurosawa died. Stanley was deeply upset.”

『七人の侍』(黒澤明、1954年)

 フリューイン:この「マスターリスト」を通して見ている間、すぐに私が感じたことは黒澤明の明らかなる不在でした。スタンリーは、黒澤が偉大な映画監督のうちの1人であり、彼の忠実なフォロワーだと思っていました。実のところ、キューブリックが憧れを持って語る監督は、彼以外には考えられません。もしキューブリックが無人島に見捨てられるとして、そこに持っていく映画をいくつか選べるとしたら何を持っていくでしょう? お金ではありません。『アルジェの戦い』『ダントン』『羅生門』『七人の侍』『蜘蛛巣城』…

 黒澤に関する心打つ話:スタンリーは1990年代後半にクロサワからファンレターが届き、とても感激しました。それは、彼にとってどんなアカデミー賞よりも大きな意味がありました。彼は返信ついて悩み、数えきれない草案を書きました。しかし、どうしても気持ちを上手く表現することができませんでした。それから何週間も何ヵ月も悩み続けました。そして彼はもう十分だと、返事を書かなければと心に決めました。ところがその手紙が送られる前に黒澤は亡くなりました。スタンリーはひどく動揺していました。


 この証言者はアンソニー・フリューイン。長年にわたってキューブリックのアシスタントを務めた人物です。このエピソードに限らず、このリストにはキューブリックが賞賛した映画が大量に紹介されています。

 さて、昨日あたりから竹熊健太郎なる人物が「スタンリー・キューブリックは落ち込んだ時、町の映画館に行ってわざとB級・C級映画を観たのだという。「自分がもしこれと同じ脚本、同じ予算で撮ったとしても、これより酷い出来にはならない」と思って安心するためだ。」というデマツイートをしてリツイートされていますが、彼はこのリストをご覧になっていないんでしょうね(笑。ソースも確認せず、「自分だけが知っている事実!」と得意になって芸能人のプライバシーをツイートする「バカッター」並みの知能しか持ち合わせていないのでしょう(笑。

 確かにキューブリックは「どうしようもない映画を見続けながら、私はこう思ったものだ。私は映画製作に関して何も知らないが、これよりひどいものはどうやったってつくれない」という言葉を遺していますが(キューブリックの名言集はこちらこちら)、「自分がもしこれと同じ脚本、同じ予算で撮ったとしても、これより酷い出来にはならない」と思って安心するためだ。」というのはどこから来たんでしょうね?それにキューブリックのこの言葉は映画監督になる前の話で、映画監督になりたくてとりあえず片っ端から映画という映画を観まくっていた若い頃のエピソードです。「醜い映画は勇気を与えてくれる」とも語っていますがこれも同じ頃の話で、ここでいう「勇気」とは「映画監督を志す勇気」という意味です。それはファンなら誰もが知っている話です。

 先にも書きましたが、現在このマスターリストは全文を和訳中です。このリストにはキューブリックがインタビューなどで公式に賞賛した映画、そしてキューブリックが賞賛したのを見聞きした周辺の人物の一次情報のみを扱っています。それだけでもこんなにも大量にあるのです。キューブリックは自宅に映写室を持つ映画ファンでもありました。「私はいい映画に飢えている」という言葉もこのリストには紹介されています。この程度のソースも確認できない竹熊なる人物がキューブリックを語る資格などあろうはずがありません。まさしく「バカッターここに極まれり」ですね。

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 言わずと知れた日本を代表する漫画界の巨匠。すでに伝説の域にまで達している偉人。詳細はここで語ってもしょうがないんでwikiをどうぞ。

 その才能と唯我独尊ぶりから周りから疎んぜられ、まさにキューブリックの如く「才能あるクソッタレ」でもあった手塚治虫ですが、そのキューブリックが『2001年…』の美術監督をオファーしたという逸話は有名で、それ以降手塚はキューブリックに影響された(というか志向・嗜好が似通っている)作品を数多く残しています。以下はそれをまとめたり考察した記事です。

【交友録】手塚治虫とキューブリックからの手紙

【インスパイア】手塚治虫の『時計仕掛けのりんご』

【考察・検証】手塚治虫、スタンリー・キューブリックをかく語りき

【考察・検証】キューブリックが『2001年宇宙の旅』の美術監督を手塚治虫にオファーしたのは本当か?を検証する

 因みに管理人が読んだ中でいちばん好きな手塚作品は『アドルフに告ぐ』です。もしこれをキューブリックが読んでいたら、『アーリアン…』になんらかの影響を及ぼしたかもしれませんね。
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Dore Schary(IMDb)
ドア・シャリー(MOVIE-FAN)

 アメリカ・ニュージャージー州出身の映画・TVプロデューサー、作家、エッセイスト。

 ハリス=キューブリック・プロが製作した『現金…』に興味を持ち、まだ公開のメドが立っていなかった『現金…』をMGMで買い取って公開しようとしたが、ユナイテッド・アーティスツに拒否されてしまった。その代わりにハリスとキューブリックをMGMに引き抜き、その庇護下で『燃える秘密』の製作が決定、脚本まで作業が進んでいたが、肝心のシャーリーが社内抗争に巻き込まれてMGMを退社。この企画は実現しなかった。

 他の参加作品は『大鴉』(1935)、『少年の町』(1938)、『若い科学者』(1940)、『人間エヂソン』(1940)、『踊るニュウ・ヨーク』(1940)、『マーガレットの旅』(1942)、『バターン特命隊』(1943)、『家路』(1943)、『恋の十日間』(1944)、『らせん階段』(1945)、『時の終りまで』(1946)、『ミネソタの娘』(1947)、『独身者と女学生』(1947)、『ウチの亭主と夢の宿』(1948)、『恋はかくの如く』(1948)、『拳銃往来』(1948)、『緑色の髪の少年』(1948)、『令嬢画伯』(1949)、『窓』(1949)、『戦場』(1949)、『夜の人々』(1949)、『罠』(1949)、『追いつめられた男』(1950)、『勇者の赤いバッヂ』(1951)、『二世部隊』(1951)、『女群西部へ!』(1951)、『ロデオの英雄』(1953)、『あの高地を取れ』(1953)、『年日本人の勲章』(1955)、『白鳥』(1956)、『最後の銃撃』(1956)、『バラの肌着』(1957)、『孤独の旅路』(1958)、『ルーズベルト物語』(1960)など。

 1905年8月31日アメリカ・ニュージャージー州出身、1980年7月7日死去、享年74歳。
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