キューブリック作品を考察・検証する

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2001_pod1初版DVDのボーマン宇宙遊泳シーン。足元に2本のワイヤーの影が見える。

2001_pod2リマスターDVDの同じくボーマン宇宙遊泳シーン。ワイヤーの影は消されている。

2001_EVA宇宙遊泳シーンの撮影風景。

 『2001年宇宙の旅』で、ボーマンがスペースポッドからAE35ユニットを手に宇宙空間へと乗り出すシーンは、ボーマン(演じたのはキア・デュリアではなくおそらくスタントマン)とスペースポッドをスタジオの天井付近に吊るし、その真下にカメラ置いてレンズを垂直に真上に向けて撮影したものです。この撮影は、スタントマンがたった2本のワイヤーでセーフティーネットもなしに空中に吊るされるという非常に危険なものでした。

 その2本のワイヤーは左上から当たる強烈なライトによってスペースポッドに影として映ってしまっているのですが、『2001年…』の視聴メディアによって、その「影」があったりなかったりしているようです。

 以下はDVD化以降の「影のあり・なし」を調べたものです。

初版DVD……………………影あり
リマスターDVD……………影なし
BD……………………………影なし
DCP…………………………不明
HDリマスターBD…………影あり※
4KUHD……………………影あり※
iTunes 4K・HDR…影あり※
70ミリフィルム上映………影あり
IMAX上映…………………影なし
NHK8K放送………………影あり

 以上の結果から、オリジナルネガには影があるものの、そのままにするか修正するかは、その時修正する当事者の判断にまかされているように思います。もしくは気づいたら消去し、気づかなければそのままという可能性も。70mmは「アンレストア(修復しない)版」という明快な趣旨があったので理解できますが、傷などを修復をしているその他の媒体なら消すのが自然だと思います。もしキューブリックが存命なら消させた可能性が高いですが、どうもワーナー側できっちりコントロールしている訳ではなさそうです。どうしてこんな曖昧な判断になっているのかよくわかりませんが、影を消すなら消す、消さないなら消さないで統一して欲しいものです。

 この問題、海外でも話題になっているかと思い、検索してみましたがヒットしませんでした。こんな細かなことを気にしているのは少数派だとは思いますが、消した・消していないがはっきり分かるという意味では貴重なシーンです。それにしても影が目立ってしまう8Kオンエアで消していなかったのには驚きました。

 なお、「未確認」となっているのは現段階で未入手だったり、未視聴なため確認できなかったためです。私の手元にHDリマスター&4KUHDが届くのは来年になりそうです(入手できても4KUHDの視聴環境はないのですが。泣)ですので、もしここをご覧になっている方で確認できるようでしたら、Twiitter掲示板メールでお知らせくださると幸いです。

2018年12月23日追記:HDリマスターBD、4KUHD、iTunes 4K・HDRには影があるとの報告がありました(※)ご協力くださいました皆さま、ありがとうございました。ということは、これらは全てNHKの8Kスキャンデータのダウンコンバートということでしょうか? となるとIMAXで影がなかった理由がわからないのですが、IMAX版は独自に修正を施したのでしょうか? それともBD、もしくはDCPのデータの流用? 疑問が残ります。

2018年12月24日追記:このワイヤーの影の件は引き続き考察しています。詳細はこちら


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aco_book
邦訳された小説『時計じかけのオレンジ』。左から初版(1977年)、アントニイ・バージェス選集〈2〉(1980年)、完全版(2008年)



 小説『時計じかけのオレンジ』の最終章(第21章・3部7章)については、いったん第20章(3部6章)で物語を終わらせていたにもかかわらず、原作者アンソニー・バージェスが出版社の意向に沿って「その場しのぎ」で「付け加えた」というのが事の真相ですが、本人がこの事実を隠し、事あるたびにキューブリックの映画版を批判したために、「最終章がある版がバージェスの真意である」という間違った認識が定着しつつあります。この記事ではそれを訂正するために、当事者や関係者の証言をまとめてみたいと思います。

 「それ(第21章)は納得のいかないもので、文体や本の意図とも矛盾している。出版社がバージェスを説き伏せて、バージェスの正しい判断に反して付け足しの章を加えさせたと知っても驚かなかった」

(引用元:『ミシェル・シマン キューブリック』)

 「失われた最終章?あれは偽物だ。アンソニー・バージェスは文字通り書けと強要されたんだからね。発行者から「こいつを好ましい人物にしないとかなり厳しいことになる」と言われて2時間で言われた通りに書き上げたと話していたよ。だからあれはオリジナルでもなんでもないのさ」

(引用元:『CUT 2011年7月号』マルコム・マクダウェル インタビュー)


 このように、キューブリックもマルコムも明確に「最終章は出版時に出版社の意向で付け加えさせられたもの」と証言しています。次に、小説の訳者である乾 信一郎氏による最終章に関するあとがきを検証したいと思います。

 この小説が一部二部三部にわけられていることはごらんのとおりであるが、その第一部と第二部はそれぞれ七つの章から成り立っている。問題なのは第三部である。1962年の英国版初版にはこの第三部も七つの章になっているのだが、その後に出た版になるといずれも最終章の第七章が削除されている。最も新しい版と思われるペンギン・ブックスの1977年版にもこの最終第七章は無い。

〈中略〉

 ところがその後早川書房編集部で1974年のPlayBoy誌上にバージェスのインタビュー記事が出ているのを発見。訳者もそれを見せてもらったが、その中にはもちろんバージェスの著作中でのベストセラー『時計じかけのオレンジ』のことに触れた部分があった。それによるとバージェスはキューブリック監督によって映画化された『時計じかけのオレンジ』には数々の不満があるというのだ。特に結末の部分がいけないという。キューブリック監督は原作の最後の章を読んでいないんじゃないか、とあった。

〈中略〉

 それでは、なぜバージェスはその考えを盛った大切な最後の章を削除した本の発行を許しているのか、そこが疑問になってくる。以上のような考えであれば第三部の第七章は絶対になくてはならないものということになるのだが、実際はその反対となっていて、いっていることと現実が矛盾する。

(引用元:時計じかけのオレンジ (1980年) (アントニイ・バージェス選集〈2〉)


 つまり、訳者自身も「バージェスの矛盾した言動は不可解」と評しています。ところがの2008年に刊行された『新装版』の柳下毅一郎氏の解説は、前述したキューブリックの証言を「事実はそうではない」と否定し、

 1962年に英国ハイネマン社より出版された『時計じかけのオレンジ』初版には第7章(第21章・3部7章)も含まれた完全版だった。だが同年に米国で出版された版からは最終章が省かれていた。バージェスが86年の米国版に寄せた序文によれば、米国の出版社がカットを求めたのだという。その後の版もこれを踏襲し、86年に「『時計じかけのオレンジ』はこれまでアメリカで完全なかたちで出版されたことがなかった」とする序文(A Clockwork Orange Resucked)つきで再版されるとき、はじめて第7章が復活した。バージェスがそれまで第7章の復活を求めなかった理由はわからない。おそらく本人にもどうすべきか迷いがあったのではないだろうか。

と、バージェスの主張を言葉通りに信じ込んでしまっています。ですが「無理やり付け加えさせられた」という証言はキューブリックだけでなくマルコムも行なっているため、これは「事実」として考えざるを得ません。その上で解説で柳下氏が指摘している「迷いがあった」は、以下の結論で完全に説明できてしまうのです。

結論:バージェスは当初最終章のない『時計…』が完結した物語と考えていたが、英国の出版社の意向に添って不本意ながら最終章を付け足した。その後キューブリックが最終章のない(バージェス曰く「カットを求められた」としているが、バージェス自らカットを求めた可能性もある)米国版をベースに映画化したところ、各方面から暴力賛美だと批判が集中、原作者のバージェスも批判はおろか脅迫(殺人予告を含む)までされる事態に発展した。その批判や脅迫をかわすためにバージェスは、マスコミ向けには最終章の意味とその重要性を事あるたびに主張し、それを映像化しなかったキューブリックを批判、自分は暴力主義者でない事を世間にアピールした。しかし本心では最終章がない版が決定版だと考えていたため、米国版に最終章を加えるか否か1986年まで悩み続け、最終的には加えることにした。

 上記の結論(私論)や、最終章の有無に関する「好み」についてはそれぞれの判断に委ねるとして、ひとつ確実な事実は「最終章は出版社の意向に従い、アンソニー・バージェスが無理やり書かされたものである」という点です。この事実を認識した上で最終章を書いたバージェスの「真意」ついて論ずべきだ、と管理人は強く思います。

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 『シャイニング』は、1921年のアメリカ独立記念日のパーティーの写真に写り込むジャック・トランスの写真のズーム・アップで終わります。BGMはアル・ボウリー・アンド・ヒズ・バンドの『真夜中、星々と君と』。まずはこういった要素を書き出して、さらにそれをどう解釈するか私論を立ててみました。なお、これは以前この記事で考察した「オーバールックホテルに巣食っている悪霊の正体は、かつてここを聖地としたネイティブ・アメリカンの怨霊」という論に基づいていますので、その点はご了承ください。

(1)写真の日付についての考察[その1]

 1921年のアメリカというのは禁酒法の時代で、一般的には飲酒は禁じられていたという印象がありますが、実はこの禁酒法はとんでもないザル法で、禁酒といいながら一般市民も法律の目をかいくぐってお酒を飲んでいました。それは結局マフィアの資金源となってマフィアの懐を潤し、アルコールに課税できなくなった政府の財政を逼迫させ、マフィアの跋扈によって治安が悪化するという悪い事づくしの悪法でした。

 そんな時代に『オーバールック・ホテル』で開かれたこのパーティー。俗世間から隔絶されたその環境から推察するに、そこに集う人々は上流階級、各界の有名人、政治家、そしてマフィアが秘密に開いた「飲酒ができる」パーティーであったと想像できます。それは「お酒が飲めるぞ!」とジャック・トランスが満面の笑みで写っている事からも推察できます。

(2)写真の日付についての考察[その2]

 7月4日はアメリカ人にとって一番重要な日です。すなわち独立記念日です。しかしそれは大西洋を渡ってきた白人たちにとってであり、元からアメリカ大陸に住んでいたネイティブ・アメリカンにとっては「侵略確定記念日」、すなわち屈服・屈辱の日でしかありません。

(3)BGMについて

 アル・ボウリー・アンド・ヒズ・バンドの『真夜中、星々と君と』という曲ですが、この曲のリリースは1934年2月16日ですので写真の日付とは時系列が合致しません。この事実からこのBGMは物語の舞台である1980年のオーバールック・ホテルで演奏されていると考えなければなりません。すなわち、ウェンディたちが去ったホテルのゴールドルームで、幽霊たちが演奏しているのです。音楽にエコーをかけているのはそのためだと思われます。音楽の後に続くパーティーのノイズは、幽霊たちのパーティーが今も(1980年の)ホテルで続いていることを示唆しています。

 以上の描写から、ジャックが写り込んだ1921年の写真は、トランス一家が気付かなかっただけで、ジャックがオーバールックホテルの管理人になる前からこのホテルに存在していたことになります。それはつまり「ジャック・トランス」という人物が二人存在していることを意味するものです。

 さて、ここで思い出して欲しいのは「グレイディ」の存在です。アルマンが面接時にジャックに説明したのは「チャールズ・グレイディ」ですが、幽霊として登場したのは「デルバート・グレイディ」でした。ここで「二人のグレイディ」の存在が明らかになります。この二人は顔がそっくりな別人で、ホテルが1970年に採用したのは現世のグレイディ、ジャックの目の前に現れたのは前世のグレイディなのです。それは前世のグレイディが管理人ではなくウェイターで、娘の殺害を覚えていないと答えることからもわかります。

 この考えをジャックに当てはめると、現世の「ジャック・トランス」は迷路で凍りついた死体です。前世の「〇〇〇(名前不明)・トランス」は1921年のパーティーでタキシードをめかしこんで写真に収まっているホテルの管理人です。つまりトランスも二人存在していることになるのです。だからこそジャックが「初めて面接で来たとき、昔来たことがあるような気がした」「どこに何があるのかも覚えてる気がした」という台詞が存在しているのです(コンチネンタル版ではカット)。更に言えばロイドもグレイディもジャックを「ジャック」とは呼ばず「トランス様」と呼びます。つまり彼らにとってジャックは「ジャック・トランス」ではなく「〇〇〇・トランス」(ジャック・トランスの前世)であることを意味しています。

結論:1921年のパーティーに写っている〇〇〇・トランスと、迷路で凍死したジャック・トランスは別人で、前者はジャックの前世の姿、後者はジャックの後世(前世の生まれ変わり)の姿である。ホテルに巣食うネイティブ・アメリカンの悪霊の目的は、ホテルの立つ聖地を汚した白人を、その当人だけでなく後世の人間まで呼び寄せて殺害すること。アルマンはそれを知りつつも霊が暴れ出さないよう「いけにえ」を与えることによって悪霊に協力している。それを示すシーンはカットされた病院のシーン(霊がダニーに黄色いボールを渡した事実をアルマンは知っている)である。

 『シャイング』のラストシーンの解釈にはさまざまな論があります(一般的には「ジャック・トランスは邪悪な霊によって自身の精神的弱さを攻撃され、最終的にホテルに取り込まれた」とされています)が、当ブログではとりあえずこれをもって結論としたいと思います。

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mask0
所有者であるコヤスさんから送られれてきた画像の中の1枚。



 『アイズ ワイド シャット』でビル・ハーフォード(トム・クルーズ)が例のパーティーのシーンでつけていたマスクですが、これはベネチアのマスク店「Il Canovaccio」のマスク職人フランコ・チェカモアが1985年に制作したものを、1997年にロンドン・カムデンタウンのマスク店「Joka Masks」で当時『アイズ…』の衣装デザインを担当していたマリット・アレンが入手したものです。その後、プロデューサーのヤン・ハーランが何度かベネチアの「Il Canovaccio」に直接赴き、映画に使用した他のマスク(マンディや赤マントのマスクなど)を含めたいくつかを購入していった、という経緯だそうです。



 上記の動画の記事によると、マスクの型のモデルはガビ(ガブリエル・ジャリッツ)という当時28歳の女性だったため、クルーズが鼻のサイズが合わないと不満を漏らしていたそうです。1998年1月にキューブリックは入手した「Joka Masks」に電話をし、それを修正できるか尋ねましたが不可能だということなので、クルーズの顔を石膏の型にとって仮面を作り直すことを検討しました。しかしそれは実行されなかったので、クルーズはサイズの合わないマスクをつけたまま撮影を続行したのでしょう。

 動画の説明文には「マスクは当時2つ制作された」という記述がありますが、それをマリット・アレン(ロンドンで2つとも入手した?)、もしくはヤン・ハーラン(ヤンが残りのひとつをベネチアで入手した?)が購入したとすれば、撮影用に準備されたものは最低でも2つある(キューブリックがさらに予備を「Il Canovaccio」に作らせた可能性もなきにしもあらず)ということです。その内のひとつは現在世界を巡回中の『スタンリー・キューブリック展』で展示中なので、もうひとつはどこかに存在することになります。

(ヤンは以前「ベネチアまでマスクを買いに行かされた」と愚痴っていたので、キューブリックはアレンがロンドンで見つけてきたマスクを気に入り、その予備が欲しかったか、もしくは誰かに買われるのを嫌がってヤンをベネチアに行かせたのではないか、というのが管理人の推測です)

 さて、今回コヤスさんが入手した仮面ですが、「私が入手したのはハリウッドの方からでして、実使用とは言われていないのですが、確かに撮影用に用意されたマスクのいくつかの一つとききました」とのこと。また添えられているメモなどを見ると、その証言を裏付けるようにT.C.(トム・クルーズの略?)、さらに裏面にははっきりと「BILL-CRUISE」「CRUISE」と書かれています。また(B)との記述が撮影用マスクの二つ目(予備)である可能性を示唆しています。更に言えば、仮面の裏にスポンジが貼られていますが、これは「鼻のサイズが合わず不快」と述べていたクルーズの不満に対応するため、仮面を少し浮かせて装着できるようにスタッフが貼った可能性があります。以上の点から素人判断ですが、かなりの確度でこの仮面は本物と考えて良さそうです。また、コヤスさんはクルーズがまとっていたマント(こちらも予備?)も入手されたそうです。

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cloak2

 ちなみにこのマスクは「Bill Face」として現在も制作されていて、マスク専門サイト「kartaruga」にて165,00ユーロ(約2万2千円)で入手可能です。もしコヤスさん所有の仮面が本物の撮影用の小道具と正式に認定されたなら、クルーズが触れた(つけた)可能性が高いですし、マントと合わせるとこの価格の数十倍出してでも「欲しい!」という人はいるでしょう。そうなれば某TV局の「鑑定団」に出演できるレベルの、キューブリックファン、トム・クルーズファン垂涎のレア度ということになります。どちらにしても素晴らしいアイテムです。大切に保管なさってください。

情報・画像提供:コヤス様

▼この記事の執筆に当たり、以下の記事を参考にいたしました。
EYES WIDE SHUT MASKS

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MMS
『時計じかけのオレンジ』のレコードショップのシーンで、中央上部に飾られた『マジカル・ミステリー・ツアー』のアルバム(黄色いジャケット)が目を引きます。このレコードショップは実在(現在はマクドナルドになっている)し、ロケで撮影されたのですが、たまたまそこにあったのか、それともわざとキューブリックが目立つ位置に飾ったのか・・・それは謎です



 ビートルズといえばキューブリック以上に世界中にマニアがいるアーティストですので、管理人程度の知識で云々するのはおこがましいにもほどがあるんですが、それでも「ビートルズで一番好きなメンバーは?」と聞かれると「スチュアート・サトクリフ」と応える程度にはひねくれていますので(笑、今回はキューブリックとビートルズの意外な結びつきについてまとめたいと思います。


(1)ビートルズのTV映画『マジカル・ミステリー・ツアー』の『フライング』で使用された映像は『博士の異常な愛情』の空撮のアウトテイク

ほんの一部ですが、オフィシャルにアップロードされたものです。全編は『マジカル・ミステリー・ツアー』のBD/DVDでご確認を

 これを初めて知った時には驚きました。どうやらアップルのプロデューサー、デニス・オデルがキューブリックにオファーして、アウトテイクを譲ってもらったそうです(その記事はこちら)。なんだかリドリー・スコットが『ブレードランナー』で使用するため、『シャイニング』の空撮のアウトテイクを譲ってもらった話を彷彿とさせますね。『マジカル・ミステリー・ツアー』のオンエアは1967年12月26日ですので、キューブリックは『2001年…』の制作真っ最中。当時スタッフとして参加していたアンドリュー・バーキン(ジェーン・バーキンの兄、後に映画監督になる)は、この『マジカル…』のスタッフでもあったので、両者の間にはスタッフの交流があったのでしょう。


(2)ビートルズは『ロード・オブ・ザ・リング』映画化を企画し、その監督としてキューブリックにオファーした



 この記事によると「『ロード・オブ・ザ・リング』映画化の権利が1969年にユナイトに売却された際、ビートルズはキューブリックに監督を引き受けてくれるかどうか尋ねた」とあります。1969年といえば『2001年…』の直後、ちょうど『ナポレオン』の企画に取り掛かっている頃です。当時『ナポレオン』に夢中になっていたキューブリックが、残念ながら『ロード…』の企画に興味を惹かれることはなかったでしょうね。


(3)ローリング・ストーンズ版『時計じかけのオレンジ』に、ミック・ジャガーの出演を求めるビートルズのサイン入り嘆願書が発見、競売にかけられた

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 キューブリックが映画化する前、小説『時計じかけのオレンジ』の映画化権はミック・ジャガーが持っていたというのは割と有名な話ですが、ドルーグたちにはミックをはじめ、ストーンズのメンバーがキャスティングされる予定でした。しかもそのストーンズ版『時計じかけのオレンジ』のサントラはビートルズが担当するという話があったそうです。しかしこの企画は思うような進展を見せず、当時『時計…』の脚本担当していたテリー・サザーンはアレックス役にデイヴィッド・ヘミングスを考えるようになりました。それを知ったストーンズやビートルズのメンバーがテリー宛に「以下に署名のあるわたしたち一同は、『時計じかけのオレンジ』のアレックス役にあなたがミック・ジャガーではなく、デイヴィッド・ヘミングスを推していることについて、(あなたへの)期待が砕け散った幻想となってしまった思いですし、そのことを極めて激烈に抗議します」という内容の嘆願書を送ることにしたそうです(その記事はこちら)。

 テリーはストーンズやビートルズとビジネスする難しさ(スケジュールの確保や権利関係、意味不明な取り巻き連中も含めて)に他のキャスティングを考え出していたのかも知れません。しかし結局この企画は頓挫、テリーは『博士…』で一緒に仕事をしたキューブリックに映画化権を譲渡し、そしてあの傑作が生まれるということになりました。まあ、結果オーライだとは思いますね。


(4)『2001年宇宙の旅』で猿人「月を見るもの」を演じたダン・リクターは、ジョン・レノンの取り巻きの一人だった

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ジョンの写真を撮るダン・リクター。後ろにはヨーコの姿も。

 『2001年宇宙の旅』で猿人「月を見るもの」を演じたダン・リクターは、猿人のシーンの撮影終了後も異星人を演じるために撮影所に留まっていたそうですが、キューブリックがそれを断念した後は俳優仲間や音楽関係者と共に、ジョン・レノンが購入した南イングランドのアスコットにある「ティッテンハースト・パーク」に移住しました。要するにダンはジョンとヨーコの「取り巻き」の一人だったのです。そして1971年にダンは撮影監督としてドキュメンタリー『イマジン』の制作に参加。ジョンとヨーコは1971年8月までここに住み、その後ニューヨークに引っ越しました。ダンは1973年に二人と別れたそうです。


(5)小説『シャイニング』の着想源はジョン・レノンの『インスタント・カーマ』が着想源だった



 スティーブン・キングが公言しているように、この「シャイニング」という言葉はジョン・レノンの『インスタント・カーマ』の歌詞「Well we all shine on Like the moon and the stars and the sun(そうさ私たちは輝けるさ、月のように、星のように、そして太陽のように)」が着想源です (すべての歌詞とその和訳はこちら)。「カーマ」はサンスクリット語で「業」を意味しますが、業の概念が分からないキリスト教圏の人間であるキングは、このカルマという言葉を「悪の因果」と解釈しています。つまり小説『シャイニング』で語られているオーバールック・ホテルが積み重ねて行った「悪い行いの繰り返し」の事です。そのカルマ、つまり悪の因果の果てにホテルに棲み着いた悪霊・悪魔に対抗できる唯一の(キリスト教的な)聖なる光が「シャイニング(輝き・ひらめき)」だとキングは理解し、小説のアイデアの中心に据えたのです。

 しかし映画化に当たってキューブリックはこのアイデアを採用しませんでした。映画版では「シャイニング」の役割は単に「ハロランに助けを求めるテレパシー」でしかありません。またカルマの「業」は、文字通りアメリカ人の「業」(白人至上主義による侵略・搾取の上に成り立っている国・国民)に置き換わっています。全体的にもどこかしらヨーロッパ的静謐感の漂う映像(これはキューブリックの「ヨーロッパ趣味」の影響が大きい)になってしまいました。上記の動画はキューブリック版を使用していますので、オールド・ロックンロールの曲調とは合っていません。キングが制作したTVドラマ版の映像(いかにもアメリカン!なもの)を使用すれば、かなりしっくりくるのではないでしょうか。


 以上ですが、キューブリックはポピュラー・ミュージックには疎かったようですので、ここに挙げた小ネタには「単なる偶然、巡り合わせ」でしかないものもあります。しかし、キューブリック側は意識していなくてもビートルズ側は意識していたようで、ジョン・レノンの「『2001年』?毎週見てるよ!」というコメントも伝わっています。『マジカル…』に『博士…』の映像を流用しようと考えたのも、『ロード…』映画化の監督にとキューブリックに白羽の矢を立てたのも、キューブリックがこの時期「映画界のトレンド・リーダー」であったことを示しています。

 まあ、当のキューブリックはそんな巷の騒ぎには一顧だにせず、我が道を貫き通していたのは周知の事実ですし(映画を当てたいキューブリックは映画界のトレンドの動向には注視していましたが)、それはキューブリックのどうしょうもないファッションセンスが示すとおりです(笑。とはいえ、「映画でもロックでも一番熱い1960年〜70年代」に両者の間に邂逅があったというのは興味深い事実ですね。

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