ルック社カメラマン時代

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 キューブリックがルック社時代に、撮影現場を取材した『裸の町』の全編がYouTubeにアップされていたのでご紹介。

 キューブリックはこの時若干19歳。まだ入社二年目の新人カメラマンにもこういった現場の取材がまかされていたのですから、キューブリックのカメラマンとしての手腕が社内で高く評価されていたことが伺えます。そのキューブリックが撮影現場の休憩時間にスイカを食べている写真が残されていて、その写真がこちら。

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 クライマックスのウィリアムズバーグ橋でのアクションシーンの撮影風景をキューブリックが撮影した取材写真がこちらです。

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 おそらく1枚目の写真で胸に下げているローライで撮影したんでしょう。尚、この『裸の町』は犯罪写真の第一人者として評価されていたウィージーがビジュアルコンサルタントとして雇われていて、ウィージーはその後『博士の異常な愛情』のスチールカメラマンとしてキューブリックが招聘、ウィージーのドイツ語訛りの口癖をピーター・セラーズが真似てストレンジラブ博士のキャラクターができあがりました。ウィージーとキューブリックとはこの取材で顔を合わせていた可能性がありますが、資料がないので確かなことは言えません。しかし、キューブリックがウィージーを高く評価していたのは、妻であるクリスティアーヌが証言しています。

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『博士の異常な愛情』のセットでのキューブリックとウィージー。

 映画撮影の現場を目の当たりにした若干19歳のキューブリック。この時キューブリックは「いつか取材する側からされる側になりたい」そう決意したのかもしれませんね。


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 スタンリー・キューブリック監督が若かりし日に撮影した写真は、後に彼が世界を驚かせる映画作品のワンシーンを思わせるものでした。詳細は以下から。

 20世紀を代表する映画監督のスタンリー・キューブリックは、13歳の時に初めてのカメラGraflex Pacemakerをプレゼントされます。最初は同級生や先生を撮っていたキューブリックですが、飽き足らずに街に出て写真を撮り始めます。1946年にルーズベルトの死を伝える写真が「Look Magazine」に売れたことから写真家としての活動を開始しました。BUZZAP!では以前、この年に17歳だったキューブリックの撮影したニューヨークの地下鉄の写真についても記事化しています。

 そしてその3年後、20歳を迎えるキューブリックは「Look Magazine」の「Chicago - City of Extremes」という企画でシカゴを訪れ、当時でも360万人の人口を擁し、摩天楼の建ち並ぶ巨大工業都市の様々な日常風景を写真に収めてゆきます。通勤客の行き交う鉄道駅、賑わう株式取引所、学校の生徒たち、黒人の家族、そしてきらびやかなナイトライフ。キューブリックの手に掛かるとそれらはまるで俳優が演技し、物語が始まりそうにも思えます。

(以下リンク先へ:BUZZAP!/2017年8月29日




 キューブリックがルック社在籍時代の1949年1月にシカゴに派遣され、そのときに撮影した写真をスライドショーにした動画(上記)はここでご紹介済みです。この時撮影された写真はフォトエッセイとして記事になり、その冒頭が「アメリカで最も不可解な都市、何もかもが逆に行われる都会、それがシカゴだ」という書き出しで始まっていました。ただ、1949年といえば、キューブリックが初のドキュメンタリー映画『拳闘試合の日』を制作する前年で、かなりカメラマンの仕事に嫌気がさしていた頃だと思われます。「つまらない写真ばかり撮らされた」とは本人の弁ですが、「カメラマン上がり」という映画監督としては異例の経歴が、その後の映画作品の作風に反映されたことは疑いようもない事実です。脚本家上がりは脚本を、演出家上がりは演出を、俳優上がりは演技をもっとも重視する監督になる・・・と決めつけるのは安易すぎるかも知れませんが、キューブリックは撮影を創造の場と捉えて俳優にアドリブを促したり、編集作業を重視する姿勢(スチール写真でもトリミングや写真構成は重要な要素)は、やはりカメラマン上がりならではの発想だと言えるでしょう。

 キューブリックのルック社在籍時代の写真をまとめた写真集『スタンリー・キューブリック ドラマ&影:写真1945-1950』は廉価版のペーパーバックスが出版される予定になっていますが、相変わらず予約受付中のままです。その代わりと言ってはなんですが、amazonのハードカバー版のページでは「なか見!検索」ができるようになっていました。早く廉価版を出してほしいですね。あと、海外では幾度か開催されている、この時代のキューブリックの写真展も、ぜひ日本で実現してほしいものです。


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 写真集『スタンリー・キューブリック ドラマ&影:写真1945‐1950』に掲載されている写真がほとんどですが、この写真集が高騰している現在、ダイジェストですが、こういった動画で気軽に鑑賞できるのはいいですね。

 ところでその写真集、廉価(ペーパーバック)版が出る話はどうなったのでしょう? 価格も安く、気軽に入手できるので需要はあると思うのですが音沙汰がありません。早く出版して欲しいですね。
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 キューブリックがルック社に在籍していた時代に撮影した写真のほとんどはモノクロで、カラーはごくわずかしか撮影しなかったようですが、上記はその中でも貴重なカラー写真です。アメリカで最も有名なサーカス「リングリング・ブラザーズ・アンド・バーナム・アンド・ベイリー・サーカス団 (Ringling Bros. and Barnum & Bailey Circus)」の取材時に撮影されたもので、おそらく上がOKテイク、下がボツテイクだと思われます。

 あまりにも隙のない構図と絶妙の配色に後年の映画作品群を彷彿とさせますね。5人の女性の重心の縦ラインはいわゆる三点透視図法に沿っていますが、特に下のボツテイクとの比較で分かりやすいのは、真ん中の黄色と黒の傘をさした女性が指し示す手です。各人の視線の方向や足や手の向き、ビンの向きなど、あえてパースに沿わない方向に向けることによってリズムを生み出しています。構図の基本は「揃え」ですが、さらに上を目指すなら「崩し」のテクニックが必要になります。しかも構図を破綻させないように崩さなければなりません。キューブリックはこの時すでに「崩し」のテクニックやセンスも相当なものを持っていたのが分かります。

 撮影は1948年ですのでこの時キューブリックはまだ若干20歳。もちろんこの時代にテジカメもなければポラロイドもありません。撮影はほぼ一発勝負と言っていいでしょう。天才少年と呼ばれた写真の才能をすでに如何なく発揮していますね。
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※創刊号(左)と最終号(右)

 『ルック(マガジン)』はアメリカの写真誌(日本でいうグラフ誌)で1937年2月に創刊、隔週で発行され最終号は1971年10月19日号、1972年に正式に廃刊になった。

 カメラマンはキューブリックを始め、そのキューブリックと共に働いた経験があり、友人でもあったバート・スターン(後に『ヴォーグ』などのファッションカメラマンになり、『ロリータ』のポスターを始め一連の広報用スチールを撮影した)、1960年から1971年にかけて、公民権運動に関するフォトエッセイを掲載していたジェームス・カレールズなどが在籍していた。

 キューブリックは高校時代、成績が悪くて大学に進めなかった自分を見習いカメラマンとして採用してくれたルックに恩義を感じていたらしく、『2001年…』の際に『2001年という“未来”(2001: A Space Odyssey -- A Look Behind the Future)』というルックに広告掲載を促す広報用フィルムの制作に協力している。これは業界向けとはいえ、映画公開前(1966年)にメイキングを見せるというキューブリックにしては異例の対応だった。それはキューブリックの名声に頼りたくなるほど、この時点での同社の経営が悪化していた事を物語っている。

 尚、キューブリックがルック在籍時代に撮影した写真の多くはニューヨーク市立博物館のコレクションのページで閲覧する事ができる。
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