初期ドキュメンタリーフィルム

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※赤丸で囲った人物がキューブリック。

 キューブリック初の映像作品『拳闘試合の日』はキューブリックが中心になって友人を巻き込んで制作されたドキュメンタリーですが、それに協力したキューブリックの高校時代の友人、アレキサンダー・シンガーによると、試合のシーンはキューブリックとシンガーが交代で撮影をしていて、ちょうどKOの場面はシンガーが撮影し、キューブリックはその時フィルムを交換中だったそう。それが上記のシーンになります。

 『拳闘試合の日』の動画はYouTubeで観る事ができる場合がありますが、アップされては削除されるという事を繰り返しています。なんらかの形でオフィシャルに観れる環境を整えて欲しいものです。
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オムニバス:ミスター・リンカーン
Omnibus / Mr. Lincoln
The Birth and Death of Abraham Lincoln


制作年:1952年
制作:リチャード・ド・ロシュモン
台本:ジェームズ・エイジー
出演:ロイヤル・ダノ(リンカーン)

 リンカーンの生涯を描く全5話からなるテレビ作品。NBCのテレビシリーズ「オムニバス」のために制作された。1951年夏、『恐怖と欲望』を製作中、資金難に陥ったキューブリックはド・ロシュモンに助けを求め、この作品の第2班監督の仕事をもらった。

『フィルムメーカーズ スタンリー・キューブリック』より)


 よくフィルムが残っていましたね・・・。1951年の夏といえば、『恐怖…』の撮影をカリフォルニアで終えた直後。どうやらすでにこの時点で資金が底を尽き、ポストプロダクションの資金捻出のために、当時キューブリックの後見人的立場だったド・ロシュモンにこの仕事を紹介してもらったそうです。キューブリックは「僕らは実はド・ロシェモンの子供だよ」とロシュモンの妻に語り、『突撃』の頃になってやっとこの頃借りた500ドルを全額返済しています。キューブリックはその際「自分が将来しかるべき立場に立ったときに、援助を受けるべき若い監督に出会ったら、ド・ロシュモンを手本にしたい」とメモを添え、ド・ロシュモンは返信の手紙で「いまやアメリカで一番ホットになった若い監督への賭けが終わったことを惜しくさえ感じる」と書き、結びに『ロリータ』の映画化を薦めていたそうです。

 キューブリックのキャリアの初期の頃、重要な存在だったリチャード・ド・ロシュモンとのちょっといい話、ですね。
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 キューブリックが1953年6月に船員国際労働組合の広報用に撮影技術だけを提供したドキュメンタリー。クレジットには「監督・撮影」とあるが、実際には雇われ仕事として撮影を担当したに過ぎなかったようだ。もちろん編集も担当していない。

 当時25歳のこの時点でドキュメンタリー映画3本(内1本は未確認)、劇映画を1本製作していたキューブリックは、初めてカラー作品あるにも関わらず、海千山千の海の男たちを向こうに回して堂々とカメラを回していた事にまず驚く。これは年配のベテランカメラマンの仕事と言っても誰一人疑う者はいないだろう。キューブリックは以前勤めていたルック社の得意先であるアメリカ労働総同盟から、メキシコ湾岸地域事務所の広報映画を作りたいとのオファーがあり、これを引き受けたようだ。

 内容は特に特筆すべきものはなく、組合の活動内容の紹介に終始し、関係者以外にとっては退屈以外の何物でもない。並々ならぬ映画への情熱とこだわりがあったキューブリックが、単なる広報映画のオファーを引き受けた理由は分からないが、カラー撮影の経験ができる、この春に公開になった初めての劇場用作品『恐怖と欲望』の制作費の穴埋めになる等の考えがあったであろう事は容易に想像できる。それだけキューブリックは自らの映画監督としての才能に賭けていたのだ。そのためならこの程度の撮影技術の提供なら致し方ない、と割り切っていたのではないだろうか。

 ただ、最大の誤算はその後あまりにも偉大な監督になりすぎてしまい、本来なら時の彼方に埋もれて、忘れ去られてしまう筈のフィルムがこうして陽の目を浴びてしまったことだろう。クライアントである船員国際労働組合のサイトに堂々と、しかも誇らしげにアップロードされているさまをキューブリックが知ったら、さぞかしバツの悪い思いをするに違いない。
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 キューブリックが生まれて始めて製作・撮影・監督した映像作品は、映画館で上映されるニュース・フィルムという形で実現した。その後の映画監督してのキャリアは、全てこの16分のモノクロ短編映画から出発したという意味で、非常に価値のある、記念碑的作品だ・・・とはいえ、観ていただければ分かる通り、当時のニュース・フィルムの範疇を超えるものではなく、ごく当たり前でありきたりな物。キューブリックが製作したものでなければ時の彼方に忘れ去られ、棄てられていたであろう。

 ただし、この時キューブリックはまだ21歳。そんな若造が制作費3900ドル(約140万円。ただし実際は4500ドルかかったという話も)を自力で調達し製作、それを配給会社に4000ドル(約144万円)で売りつけるという事をやってのけたのであり、この事実だけでも特筆に値する。21世紀の現在でも、ここまでの強い自信と野心を持って行動できる若者がどれほどいるだろうか。

 映像的には洗練され、当時のプロの水準に達していることは疑いない。登場するボクサーとマネージャーは個人的にも交流のあった双子の兄弟。キューブリックは映像デビューするにあたり一番身近でコントロールしやすい取材対象を、スタッフも身近な友人・知人ばかりを集め、なおかつ金銭面も自己資金で賄い、不足分は父に借りるなどリスクを最小限に抑えて作品を創っている。一見保守的で後ろ向きな方法と思われがちだが、要するに全て自分のコントロール下に置きたかったのだろう。失敗できないというプレッシャーもかなりあったに違いない。

 「成功しても失敗してもリスクは全て自分が負う。そのかわり自分の作品に関する事柄には全て関与する」この方針はこのデビュー作以降、『スパルタカス』を除き生涯変わることはなかった。
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Alexander Singer(IMDb)
アレキサンダー・シンガー(MOVIE-FAN)

 キューブリックのタフト高校時代の友人。後に監督になる。『拳闘試合の日』ではセカンド・カメラマンを、『非常の罠』ではスチール・カメラマンを、『現金に…』ではアソシエート・プロデューサーを担当した。

 他の作品では『もえつきた夏』(1961)、『アカプルコの出来事』(1965)、『地獄のアパッチ』(1971)、『グラマー強盗団』(1976)、『SFタイム・トラベル/シカゴ大火に遭った男たち』(1976)、『サンゴ礁の美女救出作戦!!シャーク・ハンター 』(1978)など。主にTVシリーズの監督として活躍していて『逃亡者』(1963)や『ザ・モンキーズ』(1966)、『スパイ大作戦』(1966)、『西部二人組』(1971)、『女刑事ペパー』(1974)、『女刑事ペパー』(1974)、『女刑事ギャグニー&レイシー』(1981)、『冒険野郎マクガイバー』(1985)、『スタートレック:ネクスト・ジェネレーション』(1987)、『スタートレック:ディープ・スペース・ナイン』(1993)、『スタートレック:ヴォイジャー』(1995)など。

 1928年4月18日ニューヨーク出身。
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