キューブリック作品を知るための知識・雑学

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※『ロリータ』のオープニングで配給会社のMGMの次にクレジットされている『セブン・アーツ・プロダクションズ』

 『ロリータ』の製作資金100万ドルを提供した映画制作会社。1957年にレイ・スタークとエリオット・ハイマンが創業した。

 創業者エリオット・ハイマンとキューブリックのパートナー、ジェームズ・B・ハリスは子供の頃の同級生の父親という間柄で、旧知の仲だった。『ロリータ』の製作資金捻出に苦労していたキューブリックとハリスはエリオットを頼り、エリオットは「それだけでいいのか。100万で。決まりだ」と言ってあっという間に出資が決定した。その後、予算を175万ドルに増額している。

 その後セブン・アーツは1967年にワーナー・ブラザースを買収。「ワーナー・ブラザース=セヴン・アーツ」となるが、1969年にはキニー・ナショナル・カンパニーに買収され「ワーナー・ブラザース」に名称を戻して復活した。エリオット・ハイマンはこの年に退社、個人投資家へと転身した。『ロリータ』に『フランケンシュタインの逆襲』が登場したのは、ハマー・フィルム・プロダクションに『フランケン…』の製作資金を提供したのがセブン・アーツだったためだと思われる。

 因みにここによると『ロリータ』の総製作費は200万ドル(別ソースでは190万から225万)なので、残りの約25万ドルはキューブリックとハリスでかき集めたことになる。その中には『現金…』の権利(7万5千ドル)も含まれていた。尚、同社は次作『博士…』にも資金提供している。
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 軍隊における新兵教育係。『フルメタル・ジャケット』に於けるハートマン先任軍曹の役職。

 上記の動画はパリス・アイランドで、新兵を前にした上級訓練教官のスピーチ。映画と寸分違わないのにびっくりします。(遠方)ロケ嫌いのキューブリックは現地をそっくりそのまま再現するようなセットを好みますが、これもまさにその典型例ですね。

 因みにこういった厳しい訓練の目的はあくまで「戦場で生き残るためのもの」で、よく言われる「人間を殺人マシーンに変える」ものではありません。原作『ショートタイマーズ』では訓練教官のガーハイム軍曹が「戦場で生き残りたかったら人間の殺戮本能を最大限に生かせ」と説いています。戦争における人的資源の浪費は敗北を招きますので、この指導方針は当たり前といえば当たり前なのですが、それを軽視した70年前の某国は決定的な敗北を喫します。まあ当のアメリカでさえ、このベトナム戦争では負け戦が込んでしまうと人的資源軽視にならざるを得なかったわけですから、皮肉といえば皮肉と言えるでしょう。

 前半で人的資源の重要性を描きつつも、後半でその浪費っぷりを描いた『フルメタル…』という作品は、負け戦に陥る典型的なパターンを皮肉たっぷりに描いたものだと言えるかもしれませんね。

 
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スパルタカス [Blu-ray]


 「赤狩り」とは1950年代にアメリカを席巻した、隠れ共産主義者をあぶり出して公職から追放する運動の事です。キューブリックは共産主義者ではなかったため直接関係ありませんでしたが、かといって無関係でもいられまかったのが『スパルタカス』の1950年代という時代です。なにせ脚本がその赤狩りでハリウッドを追放された10人、俗にいう「ハリウッド・テン」の内の一人、ドルトン・トランボだったのですから。

 トランボは反戦主義者と知られていて、有名な『ジョニーは戦場へ行った』では戦場の悲惨な現実と負傷兵の悲劇的な末路を描いて高い評価を受けていました。ただ、この反戦主義的な思想は、戦争を有力な外交手段と位置づけ、国益の為には武力の行使を躊躇しないというアメリカの伝統的な保守思想とは相容れず、反戦=反米的=共産主義者という短絡的な図式の元に危険視されていました。困った事に、この「短絡的図式」があながち的外れでもなかった事が事態を混乱させてしまいます。実際トランボはアメリカ共産党の党員でした。

 1950年代は米ソの冷戦構造のまっただ中という事もあって、共産主義者=ソ連のスパイという認識が広がって行きます。そうした中、ソ連の影響力がアメリカ国内どころか政治の中枢にまで及んでいる事を危惧した共和党のマッカーシー議員が「赤狩り」を始め、その運動をヒステリックに全米中に拡散して行きました。こういった思想的な問題は共産主義陣営に比べて自由主義陣営は極めて不利になります。何故なら「思想的自由を守る」という建前の自由主義国家では、完全には共産主義思想を排除できないからです。その点問答無用で粛正できる共産主義国家は、この思想統制という点ではかなり有利です。

 その「思想的自由」という価値観を信頼しているアメリカ国民は「共産主義者にだって自由はある」と、赤狩りによって追放された人たちを擁護するようになりました。それを主導したのは共和党と敵対する民主党や、思想や報道の自由(共産主義を標榜する自由も)を堅守したいマスコミでした。そしてハリウッドも表向きは赤狩りに協力しつつも、表現の自由を堅守したい内実もあり、彼らに対して同情的でした。実際ハリウッドを追放中だったトランボも、変名を使ってハリウッドから仕事を受け続けていました。またアメリカ国民も彼らを「ハリウッド・テン」と呼び、英雄視したのです。

 そんな赤狩りの影響も下火になりつつあった1950年代後半、『スパルタカス』の製作はスタートしました。そもそも、それまでは単なる反逆者としてしか扱われていなかったスパルタカスを再評価したのは他でもないマルクスです。もしかしたらトランボはこの「赤狩り」という強大な力に抵抗し続ける自分自身をスパルタカスに重ね合わせていたのかも知れません。

 現在『スパルタカス』を観ても共産主義的な思想はほとんど感じられません。今の観客には単に反乱と挫折の物語として映るでしょう。しかしこの時代『スパルタカス』を映画化する事はすなわち「マルクスが評価した反乱軍の英雄譚」を映画化する事でした。ところが当のキューブリックは反戦や共産主義などという矮小な思想には微塵も染まっていませんでした。キューブリックにとってこの「共産主義」というあまりにも理想主義過ぎる思想を標榜する題材や、それを頑に信じる脚本家との仕事が満足いく物になるはずがなかったのです。

 キューブリックがハリウッドを去った理由の一つに、このハリウッドの思想的な閉鎖性があるのではないか、と考えています。キューブリックは右や左といった思想には興味がないどころか、どこか小馬鹿にしたようなところがありました。それは『博士…』や『時計…』、『フルメタル…』に見て取れます。そんなキューブリックの態度に「左寄り」なハリウッドがアカデミー賞を贈るはずがありません。『2001年…』の特殊視覚効果賞受賞は、そんなハリウッドが「お前さんにはこれくらいで十分だ」と当てつけをしたようにさえ思えてしまいます。

 共産主義の理想が瓦解した現在、こういった認識は完全に時代遅れです。ただ、キューブリックが映画制作に邁進していた時代は、完全にこの時代と重なっています。キューブリック自身はそんな思想に無関係であっても、キューブリック作品を論じた当時の論評には、そういった思想性が多少なりとも反映されているものがある、と意識して見なければならないと考えています。
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※キューブリックがこの『ハロー・ベトナム』をオープニングに使ったのは主戦派のプロパガンダの象徴として皮肉に感じたからだろう。歌詞の内容はまさしくドミノ理論そのままだ。

 ドミノ理論(ドミノりろん)とは、「ある一国が共産主義化すれば動きはドミノのように隣接国に及ぶ」という、冷戦時代のアメリカ合衆国における外交政策上の理論である。実際に起こった現象についてはドミノ現象と呼ぶ。

 「ドミノ理論」は、1954年に、ドワイト・D・アイゼンハワー大統領とジョン・フォスター・ダレス国務長官によって主張された考え方に端を発する(その語自体を当時の彼らが用いたのではない)。ドミノ理論は、冷戦時代のアメリカ合衆国の外交政策決定に関わる人々の間で、支配的な考え方であった。アメリカ軍によるベトナム戦争への介入にも、この理論が用いられた。

(引用先:wikipedia/ドミノ理論




 『フルメタル…』の舞台になったベトナム戦争時のアメリカでは、この「ドミノ理論」の考え方が支配的でした。それは作品内でも言及されていて、オープニングに使用された曲『ハロー・ベトナム』やハートマン軍曹の罵倒の台詞「アカの手先のおフェラ豚」などに反映されています。

 ただ、それについては作品の時代背景を感じさせる一要素に過ぎないという点は気をつけておくべきでしょう。キューブリックは『フルメタル…』で「戦争そのものを描く」事を目標にしていて、「ベトナム戦争のみを総括・定義する」という意図はなかったのですから。この点がアカデミー賞を受賞した『プラトーン』との一番大きな差異でしょう。

 「アラブの春」に代表される最近のイスラム革命や、1990年代のソ連の崩壊と東ヨーロッパの民主化もこの「ドミノ理論」による現象だと説明できるので現在でも有効な理論ですが、第二次世界大戦後の東アジアの共産化については、幾分ヒステリックにアメリカが煽ったという面はあるかと思います。でも今思えば、ベトナムの共産化よりも何百倍も酷い共産化がお隣の国カンボジアであったのですから、ヒステリーの一言で済ます訳にもいかないですね。なんでもかんでも首を突っ込みたがるアメリカにも困ったものですが、一旦首を突っ込んだらそれを完遂してもらわないと、干渉された国の内情は干渉前より酷くなるんだ、という現実をよく理解してから行動を起こして欲しいものです。
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※創刊号(左)と最終号(右)

 『ルック(マガジン)』はアメリカの写真誌(日本でいうグラフ誌)で1937年2月に創刊、隔週で発行され最終号は1971年10月19日号、1972年に正式に廃刊になった。

 カメラマンはキューブリックを始め、そのキューブリックと共に働いた経験があり、友人でもあったバート・スターン(後に『ヴォーグ』などのファッションカメラマンになり、『ロリータ』のポスターを始め一連の広報用スチールを撮影した)、1960年から1971年にかけて、公民権運動に関するフォトエッセイを掲載していたジェームス・カレールズなどが在籍していた。

 キューブリックは高校時代、成績が悪くて大学に進めなかった自分を見習いカメラマンとして採用してくれたルックに恩義を感じていたらしく、『2001年…』の際に『2001年という“未来”(2001: A Space Odyssey -- A Look Behind the Future)』というルックに広告掲載を促す広報用フィルムの制作に協力している。これは業界向けとはいえ、映画公開前(1966年)にメイキングを見せるというキューブリックにしては異例の対応だった。それはキューブリックの名声に頼りたくなるほど、この時点での同社の経営が悪化していた事を物語っている。

 尚、キューブリックがルック在籍時代に撮影した写真の多くはニューヨーク市立博物館のコレクションのページで閲覧する事ができる。
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