ロリータ

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lolita_shooting
『ロリータ』を撮影中の1961年頃のキューブリック。左側で天を仰ぐのはキューブリックとことあるたびに対立した撮影監督のオズワルド・モリス

Stanley Kubrick Almost Moved to Australia Before Dr. Strangelove Because He Was Worried About Nukes

Perth, Australia is the most remote major city on the planet. Which is apparently why it appealed to legendary director Stanley Kubrick. New research reveals that Kubrick was so concerned with the possibility of nuclear war that he actually planned to move to Perth in 1962.

 オーストラリアのパースは地球上で最も遠い主要都市です。その事実がなぜ伝説的監督であるスタンリー・キューブリックにアピールしたのでしょう。新しい研究はキューブリックが核戦争の可能性に関心を持ち、1962年に実際にパースに移ろうと計画していたことを明らかにします。

〈以下略〉

(全文はリンク先へ:GIZMODO/2017年5月17日




 キューブリックが核戦争の危機から自身と家族を守るため、オーストラリアに移住することを考えていたのはよく知られた話ですが、具体的には『ロリータ』のポストプロダクション時、1962年だったそうです。モロに「キューバ危機」の年ですね。

 記事によると、船内で『ロリータ』の編集作業をしながらパースに移動しようと考えたらしいですが、当時の客船だと航海中の6週間もの間、他の客とバスルームを共用しなければならないことを知って断念したそう(笑。核戦争の恐怖よりバスルームの共用の方が嫌だというのは、プライベートを重んじるいかにもキューブリックらしい判断ですが、この「船内で編集作業をしながら移動」というアイデアは後の『2001年…』で実現させるので、執念深いといえば執念深いですね。結局移住は諦めて引き続きロンドンで映画製作を継続し、そこに骨を埋めることになるのですが、たとえ一時期はパースへ移住したとしても、核危機はその後収斂していくので、事態が落ち着く頃には、キューブリックはロンドンに戻ったように思います。オーストラリアという国が持つイメージと、キューブリック作品のイメージがあまりにもかけ離れているので、そのままオーストラリアに住み続けたとはちょっと思えないですね。

 核戦争の脅威から移住まで考えたキューブリックの恐怖心は、逆説的な「黒い笑い」となって傑作『博士の異常な愛情』として結実しますが、『私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』なんて長ったらしい副題に、この「パース移住計画」の影響が現れているのだとしたら、やっぱりこの「私」ってキューブリック自身のことなんでしょうね(笑。
 
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loop
※『ロリータ』のオープニングで配給会社のMGMの次にクレジットされている『セブン・アーツ・プロダクションズ』

 『ロリータ』の製作資金100万ドルを提供した映画制作会社。1957年にレイ・スタークとエリオット・ハイマンが創業した。

 創業者エリオット・ハイマンとキューブリックのパートナー、ジェームズ・B・ハリスは子供の頃の同級生の父親という間柄で、旧知の仲だった。『ロリータ』の製作資金捻出に苦労していたキューブリックとハリスはエリオットを頼り、エリオットは「それだけでいいのか。100万で。決まりだ」と言ってあっという間に出資が決定した。その後、予算を175万ドルに増額している。

 その後セブン・アーツは1967年にワーナー・ブラザースを買収。「ワーナー・ブラザース=セヴン・アーツ」となるが、1969年にはキニー・ナショナル・カンパニーに買収され「ワーナー・ブラザース」に名称を戻して復活した。エリオット・ハイマンはこの年に退社、個人投資家へと転身した。『ロリータ』に『フランケンシュタインの逆襲』が登場したのは、ハマー・フィルム・プロダクションに『フランケン…』の製作資金を提供したのがセブン・アーツだったためだと思われる。

 因みにここによると『ロリータ』の総製作費は200万ドル(別ソースでは190万から225万)なので、残りの約25万ドルはキューブリックとハリスでかき集めたことになる。その中には『現金…』の権利(7万5千ドル)も含まれていた。尚、同社は次作『博士…』にも資金提供している。
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 ロリータを演じたスー・リオンが役者としての最後の仕事(今のところ)はこちらで紹介した『アリゲーター』でしたが、その2年前に出演したB級ホラー映画『アストラル・ファクター サイキック・マーダーの復讐(The Astral Factor)』の動画がフルでアップされていたのでご紹介。

 ここでのスーの役どころは・・・最初の犠牲者です(笑。それ以上でもそれ以下でもないとってもどうでもいい役なんですが、お色気シーンもありますし、それなりに需要は満たしているかと。それにしても残念ですね。いや、実に残念な◯ッパイ。せめて標準的なモノをお持ちでしたら、『ロリータ』以降の人生にも違った展開があったかも知れないですね。


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humb

 なかなか理解しがたいハンバートの行動原理を、主にウラジミール・ナボコフの小説版をベースに検証してみました。

 ニンフェットしか愛せないし興味もないハンバートは歪んだ愛欲を持ってロリータを手中に収める。一方のロリータは初めは興味本位で義父と関係を持ったが、実母が死んだ事を知らされると義父との関係に心理的圧迫が加わる事になる。つまり「義父に棄てられると生きてゆく場所がない」というプレッシャーだ。そんな状況で真に義父を愛せる筈もなく、その後続く肉体関係はロリータにとって「生きてゆくために仕方なく身体を提供する行為」に変質してしまう。ハンバートはそんなロリータの真意に気付きもせず、相変わらずロリータを偏愛し、彼女の行動を制限してまで独占しようとする。

 こういった状況にロリータは深く傷ついたに違いない。そこからの「逃げ場所」を憧れていたキルティに求めたとしても何の不思議でもないだろう。そしてそれは口論したあの雨の夜、ロリータが家を飛び出して行ってしまうという事態まで発展する。

 その後二人は表面上は仲直りし車で旅に出るが、ハンバートは謎の追跡車に怯え、ロリータはキルティの許へ逃げ出すタイミングを伺うという奇妙な状態に陥る。そしてまんまとハンバートを騙し、ロリータは思惑通りキルティの屋敷に転がり込む事に成功する。しかし屋敷での生活はロリータが想像していた豊かで充実した日々にはほど遠く、キルティに失望しやがてそこからも逃げ出してしまう。

 一方のハンバートは狂ったようにロリータを探しまわるが見つける事はできず、結局諦めてしまう。しかしこの段になってもハンバートはロリータを肉体と心を持った一個の人間であることとは理解せず、相変わらず妄想著しいニンフェットとしてか認識できないままだった。

 ロリータがハンバートに宛てた手紙によって二人は再会し、そこに現れたロリータは単なる見窄らしい妊婦へと変わり果てていた。ここに至り、やっとハンバートは生涯を共にする伴侶がロリータであった事に気付くのだ。しかしロリータは「あなたと一緒になるくらいならキルティを選ぶ」とハンバートにとって決定的な三行半を突きつける。ロリータにとってハンバートとの生活(性生活)はそれほどトラウマになっていたのだ。

 そしてハンバートは伴侶としてのロリータを諦め、せめて最後だけでも父親らしくロリータの幸せを望み全財産をロリータに渡し、ロリータの将来を脅かす可能性があるキルティを排除する事にした。ハンバートは自分と同様の性的嗜好を持つキルティを危険視したのがその大きな理由と思われるが、ロリータを奪われてしまった嫉妬心や、ロリータを知らず知らずの内に苦しめてしまった贖罪の気持ちがあった(殺人犯として投獄されるのを覚悟している)のも否定できない。

 こうして検証してみると『ロリータ』という物語は一見ユーモアと性的好奇心のみで語られがちだが、単なる愛欲だけの物語ではなく、非常に重たいテーマの心理劇だという事が分かる。特にハンバートの愛欲に晒され続けるロリータの「性的被害者」としての心理は、キューブリック版でもライン版でも描ききれていない。ここを描かない事にはロリータのハンバートに対する決定的な一言(「キルティを選ぶ」発言)の重みが理解できないし、またそれを聞かされたハンバートがキルティを殺すという行動に出た理由が単なる嫉妬心で片付けられてしまう危険性がある。だがそれにはロリータとハンバートの性生活を描かなければならず、それは映画では規制の問題等で事実上不可能だ。つまり小説『ロリータ』は映画化に全く向いていない物語だと言えるだろう。

 キューブリックもその事には気付いていて、『2001年…』公開時のプレイボーイ誌のインタビューで「もし、この映画を撮り直すことができたら、私はナボコフと同じウェイトをかけて、彼らのエロティックな要素を強調するだろう」と応えている。

結論:ロリータの「あなたと一緒になるくらいならキルティを選ぶ」という決定的な一言で、キルティに対する嫉妬心とその罪深さ、そして図らずともロリータの弱みに付け込んで愛人に仕立て上げていた自身の罪の大きさに気付き、キルティを殺して自身も投獄されるという自滅の道を選ぶに至ったのだと結論づけられる。

 小説はその後ハンバートは獄中で手記という形でニンフェットとしてのロリータを記録に残していて、その内容は恍惚とした自画自賛に溢れている(真の愛情に目覚めてはいるので多少は自虐的だが)。つまり、この男ここに至っても懲りていないのである。この清々しいまでの変態っぷりは、読後にある種の、諦めにも似た笑いを誘うものになっている。そこにはキルティを殺した自責の念など微塵もなく、もし自分が裁判官で自分を裁くなら殺人罪ではなく強姦罪によって35年の刑を言い渡すと綴っている。つまりロリータとの性的関係は合意ではなかったと(やっと)自覚しているのだ。このハンバートの「罪の自覚」はキューブリック、ラインの両映画版からはほとんど伝わってこない。その理由は上記に示した通りだ。
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 映画『海街diary』、『ちはやふる』、そして9月に『怒り』の公開が控える、女優の広瀬すず。人気・実力は若手女優の中でもずば抜けており、他の追随を許さない破竹の勢いがある。そんな広瀬にも世間一般に広く認知されていなかった駆出し時代が存在する。その初々しさとレア感を目撃できるのが、オムニバス映画『放課後たち』。“幻の主演作”との枕詞付きで、8月3日(水)にアルバトロスからDVDリリース(セル&レンタル)される。

〈中略〉

 スタンリー・キューブリック監督の映画『ロリータ』を想起させる妄想カットもあり、棒付きキャンディーを舐めながら自らの美脚を見せつけるかのような広瀬の姿はお宝レベル。極めつけは、涼太との仲を心配した女友達から浴びせられる一言。「バージン捧げろよ〜」。それに「バカだ…」と呟きつつも、はにかむ広瀬の横顔。当時の年齢も相まって、大人の世界に足を踏み入れたいと願う思春期の精一杯の背伸びを自然に表現している。

〈以下略〉

(全文はリンク先へ:T-SITE NEWS/2016年7月14日




 上記の予告編で『ロリータ』のポスターをバックにハートサングラスにロリポップを舐めながらペディキュアを塗られているシーンが紹介されていますね。でも残念。このビジュアルは1994年にリバイバル公開された時のものです。オマージュするなら初公開時のオリジナルにしてもらわないと(笑。

 とってもわかりやすすぎるオマージュでやや拍子抜けですが(笑、でも広瀬すずってロリ成分があんまりないので似合ってないですね。スー・リオンのような小悪魔的要素もないですし。まあオムニバスのタイトルが『ロリータなんて』だったので制作サイドが是非やってみたかったんでしょう。

 紹介するまでもないオリジナルはこちら。


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