ロリータ

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Sue Lyon, 1965

 1965年に交通事故に遭い、松葉杖をつくスー・リオンの画像です。この1965年というのはジョン・フォードの『荒野の女たち』の制作の頃。撮影などに影響がなかったところを見ると、事故は撮影終了(4月12日)後だと予想されます。

 1970年代に入るとスーは黒人のローランド・ハリソンと結婚してスペインに渡り、それもすぐ離婚して帰国。今度は強盗殺人犯と獄中結婚し、また離婚。やっと落ち着いたのはラジオエンジニアのリチャード・ラドマンと結婚した1985年頃からで、1994年には幸せそうな手紙をキューブリックに送っています。スーは以前「私の人格崩壊はこの映画(『ロリータ』)から始まった」と語っていましたが、その手紙には「私の成功はあなたがいたから」などと手のひら返しの感謝の言葉が綴られています。しかしその幸せも長続きせず、2002年にはラドマンと5度目の離婚をしています。

 17年も連れ添ったラドマンとの離婚の原因は定かじゃありませんが、『ロリータ』はビデオ、LD、DVD、BDとソフト化を繰り返し、その度に莫大な報酬がスーに支払われていたはず。「キューブリックブランド」の恩恵に預かったスーが、薄給(ローカルラジオ局勤務なのでたいした給料でないはず)のラドマンに対し何らかの不満を募らせたとしても、彼女のこれまでの言動から察するに余りあるものがあります。その結果が離婚なら、さもありなん、といったところでしょうか。

 ところでスーにはハリソンのとの間にノーナ・ハリソンという娘がいるのですが、スーの死を公表したのは「長年の友人」であるフィル・シラコポロスという人物でした。この事実から事情ありげな母娘関係が想像できますが(白人と黒人の娘であるノーナは施設に預けられるなど、かなり劣悪な境遇を強いられたそうです)、自滅的・破滅的人生を送ったスーらしいとも言える、なんとも残念で寂しい幕切れとなってしまいました。

 なお、ノーナの現況ついてですがNona Truth Seekerの名前で活動していますので、興味のある方は検索してみてください。ただ、彼女のTwitterでは母親の死についての記事をコメントなしでリツイートしたのみです。あまり母親の件には触れない方が賢明な気がしますので、そっと覗く程度にしておくことをおすすめいたします。

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スーとノーナ。1970年代前半頃。


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1963年10月28日 ミスマロヤ

親愛なるスタンリー

 あなたのことを気にしているということを伝えたくて、この手紙を書きました。あまりに長い時が経って、まるでもうお互い会わないことにしたみたい。でも言わせて。あなたは一年に一本の映画を作るのだから、ぜひぜひ次の映画に出させてください。

 今、私演技の勉強をしてるの。知っていた?どうか反対なさらないで。ハリウッドでエリック・モリスという演技指導の中でも特に有名な人の元で、とても楽しく学んでいます。私がジョン・ヒューストンと映画を作っているのはすでにご存じでしょう。もちろん『ロリータ』の時みたいな撮影とは違うけれど、みんな親切で撮影は順調です。『博士の異常な愛情』を見るのを躊躇してます。どうかあなたの住所を送ってください。私、あなたの住所知らないの。この手紙を読んだら、ぜひ送ってね。

 クリスティアーヌさんとお子さんたちの健康を祈って。アメリカに帰る予定はあるかしら?お返事お待ちしています。

愛をこめて、スー




 実に少女らしい手紙ですが、それもそのはず、この時スーは17歳でした。文章中にある「ジョン・ヒューストンの映画」とは1964年の映画『イグアナの夜』(メキシコのミスマロヤでロケが行われた)のことですが、撮影に母親とボーイフレンド(後に結婚するハンプトン・ファンチャー)と同伴していたため、手紙の内容とは裏腹に共演者とはトラブルが絶えなかったそうです。それに比べれば『ロリータ』の撮影は(彼女にとっては)順調だったのでしょう。そんな理由から「ぜひ次の映画に出させてください」などという殊勝な手紙を書いたのかも知れませんね。

 スーの詳しい経歴はこちらの記事に譲るとして、後のインタビューでスーは「私の人格崩壊はこの映画(『ロリータ』)から始まった」と語っています。しかしその後『ロリータ』のビデオ化で大金が舞い込んだのか、1994年に再び感謝の手紙をキューブリックに送っています。おそらくこの頃のラドマン氏との結婚生活が一番充実していたのではないでしょうか。ですがそれも2002年になって破局、結局独り身のまま健康悪化により2019年12月26日に死去してしまいました。

 スーの不幸な生い立ちを考えれば、彼女の「破滅型人生」は避けられなかったのかも知れません。しかもショー・ビジネスの世界がそれを更に加速させてしまった面はあるでしょう。ですが女優引退後は過去作の出演料などで悠々自適で穏やかな生活が送れたはず。しかし生まれながらの不幸体質の彼女はそれをよしとせず、伴侶もなく一人で旅立ってしまいました。彼女の死を発表した長年の友人であるフィル・シラコポロスという人物が、せめてスーと懇意であったことを願うばかりです。

翻訳協力:Shinさま

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『ロリータ』の話題は5:30から。

 1962年のベネチア国際映画祭に『ロリータ』がノミネートされ、主演女優であるスー・リオンも出席しましたが、そのニュース映像がありましたのでご紹介。

 パーティーなど派手な場が苦手で、大の飛行機嫌いのキューブリックがベニスに向かうはずがなく、代理として出席した(おそらく)当時のキューブリック作品のプロデューサー、ジェームズ・B・ハリスの姿も見えます。会期は1962年8月25日〜9月8日ですので、この直後日本に『ロリータ』のプロモーションで来日(9月10日)したのでしょう。

 動画のニュース映像にもありますが、この年のサン・マルコ金獅子賞はアンドレイ・タルコフスキーの『僕の村は戦場だった』と、バレリオ・ズルリーニの『家族日誌』が受賞しました。ひげがないタルコフスキー、若いですね。主演女優賞を受賞したエマニュエル・リヴァの姿も動画にあります。ちなみに日本からもエントリーがあり、それは内田吐夢の『恋や恋なすな恋』だったそうです。

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 ナタリー・ポートマン(36)のハリウッドにおけるセクハラ経験は100回にも上るという。

 ナタリーは昨今のセクハラ騒動を受け、自らの経験を振り返ったところ、何らかの形で数えきれないほどの被害に遭っていたと気づいたそうだ。

〈中略〉

 そして過去には、ウラジーミル・ナボコフの小説をスタンリー・キューブリックが映画化した『ロリータ』に登場する小悪魔的な魅力をもつ少女のように見られたくなかったことから、意図的にセクシーなシーンのある役柄を避けていたと続けた。「キスシーンとか全ての性的なシーンをやりたくなかった時期は間違いなくあったわ。最初の頃の役柄では、私がロリータのようだという評価ばかりで、怖くなったの」「それも今の話題につながると思うの。1人の女性としてそういう風な見られ方をされた時『嫌だ』と思ったなら、自分を守るためにも何を遮断し、何を隠したらいいか?ってことよ」。

(全文はリンク先へ:VOGUE Japan/2017年11月22日

〈以下略〉




 最近アメリカ社会を騒がせているセクハラ問題ですが、キューブリック関連ではカーク・ダグラスの性豪ぶりが有名ですね。自身の控え室に駆け出しの女優を呼んで「退屈しのぎ」をさせた、というエピソードが関連書籍に登場しています。1950〜60年代の悪しき慣習はウーマンリブの1970年代を経ても変わらず、現在まで面々と受け継がれてきたということでしょう。

 人種差別にしろ、格差にしろ、セクハラにしろ、結局のところ「公平(今風でいうならダイバーシティ)」の名の下に「臭いものに蓋」をして見て見ぬ振りをしてきたのが臨界点に達し、表面化しただけですね。インターネットやSNSの発達で個人が意見や主張をしやすい環境が整った影響も大きいでしょう。「分断の時代」とよく言われますが、今も昔も所詮世の中は分断でできているんです。「分断」や「格差」や「差別」があるから人はそれを覆し、より良い生活環境を求めて力を発揮する・・・まるでキューブリックの『時計…』に関するコメント

「みんな偽善的な態度をとるけれど、みんな暴力に惹かれているというのが実情だ。何と言っても、この地球上で最も無慈悲な殺し屋は人類なのだ。」

に通じる話です。

 こういった「美名という仮面を剥ぎ取った下に現れる人間の本質」というのは全てのキューブリック作品に通底するテーマです。キューブリックが生涯をかけて「目を背けるな!」突きつけてきた「人間の本質」が露わになった現代、人類が真に「公平なる美徳心」を獲得するまで「進化」しない限り、キューブリック作品が毀損されることはないですし、このナタリー・ポートマンのコメントにキューブリック作品が引用されているのも単なる偶然ではない、と言えるでしょうね。

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George Romney - Mrs. Bryan Cooke (Frances Puleston, 1765–1818)



 『ロリータ』のラストシーンで撃ち抜かれた女性の肖像画はジョージ・ロムニー作『ブライアン・コーク夫人(フランシス・プルストン)』でした。そしてこの画家、ジョージ・ロムニーもまた、一人の少女「エマ」に魅せられ、狂わされた中年男性だったのです。

 wikiによると

 ロムニーは生活の糧である肖像画とは別に文学的な主題を持った作品を手掛ける事も渇望していた。1782年4月、友人のチャールズ・グレヴィル卿が肖像画を依頼するために新しい愛人をロムニーのもとに連れてきた。彼女こそ彼に多大な芸術的霊感を与えてくれる女神とも言える存在となる、エマ・ハート(後のエマ・ハミルトン)であった。当時エマ・ハートは17歳、ロムニーは47歳であった。グレヴィルは商業的思惑で依頼したのであるが、芸術家としてのロムニーにとっても得難い邂逅だった。エマは肉体的存在感とプロのモデルにも匹敵する表現力と天性の魔性を兼ね備えていた。ロムニーは肖像画家としての日常の仕事と両立させる事が困難になるほど、エマに取り憑かれた。

 彼はエマの肖像画を様々なポーズで60作以上描いた。それらは現実的な肖像、寓話・神話・宗教的イメージの具現化と多岐にわたった。エマは1782年4月から1786年3月まで約180回ロムニーの前でポーズをとった。多くは文学的な主題における劇的なヒロイン、魔女キルケーに始まり、メデイア、バッカスの巫女、テティスなどに扮した。1886年にエマ・ハートはナポリに向かいウィリアム・ダグラス・ハミルトン卿の愛人となった。1891年にハミルトン卿と正式に結婚するためイングランドに帰国し、6月から9月にかけて34回ロムニーのモデルを務めた。結婚式の日にただ一度「ハミルトン夫人」としてロムニーの前に座った。その後エマはナポリに戻り、二度とロムニーと再会する事は無かった。

(引用先:wikipedia「ジョージ・ロムニー」


 と、ハンバートと瓜二つな入れ込みっぷりと失恋っぷりに驚きますが、ハミルトン夫人となったエマはその後、ハミルトンと親交のあったイギリス海軍の英雄、ネルソン提督と愛人関係に。すでに高齢だったハミルトンはこの事実を受け入れ、ネルソン提督との友情を保っていたそうです。

 数々の男を狂わす魔性の女、エマですが、ジョージ・ロムニーが描いたエマの肖像画の一つがこれです。

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George Romney - Lady Hamilton (as Nature)

 ロムニーはモデルをそのままリアルに写しとることはせず、かなり「美化」して描いていたそうですが、それでもなかなかの「ロリ」っぷり。次々と中年男性を虜にするのも理解できます。

 しかし、キューブリックが『ロリータ』で使用した肖像画は、こんなおいしい実話があるエマではなく、『ブライアン・コーク夫人』でした。モデルのフランシスは1765年もしくは1753年シチリア生まれ。亡くなったのは1818年です。ヨークシャーの議員だったブライアン・コークと1787年に結婚。映画の絵は1787〜89年に描かれたそうなので、結婚を機に描かせたのではないかと想像できます。ですので描いた当時は「ミス(未婚)」ではなく「ミセス(既婚)」になります。

 キューブリック版『ロリータ』のこのラストシーンは、完全にキューブリックの創作ですので、なにがしかの意図があるのは明白ですが、撃ち抜く肖像画ならこの『ブライアン・コーク夫人』ではなく独身(愛人)だった『レディ・ハミルトン』の方がふさわしい気がします。しかしイギリスでは偉大なる英雄、ネルソン提督の愛人でもあったということもあり、「撃ち抜く」シーンには各方面からの批判も予想できます。『ロリータ』映画化に伴い、さまざなトラブルに見舞われていたキューブリックは、これ以上の「悩みのタネ」が増えるのを好まず、同じロムニー作でもあまり有名ではない『ブライアン・コーク夫人』の肖像画を選んだのではないでしょうか。

 ただ、この頃のキューブリックは後の「こだわり主義者の権化」と化す前なので、単に「小道具係が用意した肖像画で気に入ったのがこれだった」という単純な理由も考えられます。あまり「深読み」すぎるのもキューブリック自身が「詮索好きの見当違い」と批判していますし、自重はしつつも「一つの可能性」としてここに論じておきます。

 余談ですが、このエマとネルソン提督との不倫物語は『美女ありき』として、ヴィヴィアン・リーとローレンス・オリヴィエ主演で映画化されているそうです。


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