アカデミー撮影賞発表シーンは1:59から。

SK&METY
『スパルタカス』を撮影中のキューブリックとラッセル・メティ。

 「スタンリーと撮影監督ラッセル・メティの仲は散々なものだった。冗談なのか本気なのかわからなかったが、ラスはよく『さあ、あのブロンクスのユダヤ男をクレーン車から追い出してやろう』と言った。スタンリーはちっとも気に留めなかった。少しもだ」(ローレンス・オリビエ)

 「ラッセル・メティにとって、キューブリックはやっと髭が生えてきた青二才にしか思えなかったのだろう。『こいつが映画を監督するのか。こいつにカメラを置く位置を指示されるのか。冗談だろう』それが彼の態度だった」(トニー・カーティス)

(引用:評伝『映画監督 スタンリーキューブリック』より)




 ラッセル・メティは『G・I・ジョウ』(1945)、『凱旋門』(1948)、『心のともしび』(1954)、『荒馬と女』(1961)など数多くの作品に参加し、ハリウッドの黄金期を支えた伝説的な撮影監督で、特にオーソン・ウェルズの『黒い罠』(1958)では冒頭の長回しによる撮影が有名です。そんなメティにとってアンソニー・マン監督の代わりにやってきた、当時若干30歳のキューブリックなど青二才にすぎず、20歳以上も年上の自分がキューブリックの指示に従うなど屈辱以外の何者でもなかったのでしょう。一時期、クレジットから自分の名前を削除するように求めたこともあったそうです。

 一方のキューブリックはカメラマン出身でもあり、撮影に関しては並々ならぬこだわりを持っていました。ハリウッドデビュー作『現金に体を張れ』で、名カメラマンのルシアン・バラードと対立した時と同じように、『スパルタカス』おいても相手が誰であろうと、自流を貫き通しました。プロデューサーであるエドワード・ミュールにメティが辞めると脅した時も、キューブリックは「黙って椅子に座って仕事をすればいい。僕が撮影監督をやる」と言い放ったそうです。

 『スパルタカス』は1960年アカデミー賞で撮影賞(カラー)を受賞しましたが、撮影監督のクレジットはメティなので受賞したのはメティでした。しかし、前述の通り実際にその仕事をしたのはキューブリックでした。メティはアカデミー賞受賞における興行的な価値を考え、受賞を辞退したり、表立って映画やキューブリックを批判することは避けましたが、この動画で見られる「ちっとも嬉しそうではない受賞スピーチ」は、そんなメティの屈辱的な思いが透けて見える、非常に貴重なものだと言えるでしょう。