Douglas_Trumbull_FMX_2012

〈前略〉

 トランブルが“フィルムメーカーになろう”と思ったのは、「2001年宇宙の旅」撮影中のこと。「まずは、背景のアニメーション・イラストレーターとして作品に関わることになった。それまで映画作品での経験のない僕が、突如キューブリックとの仕事に携わる――ある意味、映画学校に通うようなものだった」と述懐。トランブルは、劇中に登場する全てのスター(星)を担当することになった。

 「キューブリックは、カメラを異なった(1秒24コマ以上の)スピードで上下左右に動かしながら、スターのテスト撮影をしていた。そして、全てのショットを2重投影(ダブル・プロジェクティング)させ、宇宙船の動きに対して、スターの動きがどのように影響を与えるのかを調べていた。それが、あの“スターゲート・シークエンス”の始まりだ。その時から、僕はHFR(ハイ・フレーム・レート)にとりつかれてしまったんだ」

 「監督の手法を今作で変えることができるかもしれない」とトランブルに告げていたキューブリック監督。「(観客を映画に没頭させるために)肩なめショットでとらえたり、馬鹿げたメロドラマの設定にしたり、セリフで全てを説明しなくても、映像だけで観客が夢中になれる映画が作れる」と語っていたそうだ。さらに“観客が宇宙にいる感覚”を目指し、さまざまなショットをとり除く作業を進めていった。「『監督の手法を変えること』という言葉は、今でも耳に残っている。『2001年宇宙の旅』は、約50年前の作品だ。しかし、その手法に触れた僕には、今作が“未来の映画”になるとわかっていた」

〈以下略〉

(全文はリンク先へ:映画.com/2019年9月12日




 キューブリックが『2001年宇宙の旅』で目指したものは記事の通りですが、ダグラス・トランブルがそれに多大な貢献をしたのは厳然たる事実で、当時それに見合う「賞」を得ていなかったのもまた事実です。「賞」はなくても『2001年…』での仕事ぶりがハリウッドで高く評価されたトランブルは、映画界でのキャリアを切り開いていったのですが、特撮マンとしての彼の評価は高くても、映画制作者としての評価はさほど高くはありません。そういう意味ではトランブルは「チャンスを活かしきる才能」が足らなかったのかな、と思いますし、また、この記事で語られている「ナタリー・ウッド事件」が与えた影響は、表向きで言われている以上に大きかったのではないか、というのを感じさせるインタビューになっています。

 トランブルはその後ハリウッドを離れ、博覧会やテーマパーク向けの映像制作を手がけるようになるのですが、再度「映画制作者」としてのチャンスは結局訪れませんでした。事件の影響や特撮のCG化による時代の変化はあったにせよ、ハリウッドはもう少しトランブルにチャンスを与えても良かったのでは? と思わずにいられません。

 キューブリックはそんなハリウッドの「映画制作以外の雑事」に関わることを避けるために、イギリスに住み続けましたが、そんな身勝手(ハリウッド側から言えば)な行動が許させるほど、キューブリックの才能や力量、影響力はハリウッド中から認められていました。しかし、それを手に入れるために大変な苦労と努力を払ったことはファンなら周知の事実です。一方のトランブルのキャリアは、キューブリックが忌避したまさしく「ハリウッドの闇」によって葬り去られてしまいました。1970〜80年代にかけてのトランブルの名声の高さを覚えているSFファンにとっては、もうちょっと彼の作る映像を映画館で観てみたかった、というのが本音ですね。


ダグラス・トランブルが監督した『ブレインストーム』の予告編。