リッパー将軍

 私がキューブリックの『博士の異常な愛情』で働いていた時のことを話す時によくする話を紹介しょう。我々は皆この映画が素晴らしいものになるというのは知っていた。全力を尽くした。しかし撮影初日は私の人生最悪の日だった。なぜならセリフが全部飛んでしまったからなんだ。シェパートン・スタジオで48回もテイクを撮った時だ。軍服も着て、葉巻もくわえて、セリフ、軍事用語も完璧に覚えたと思っていたのに!  セリフを忘れ始めたんだ!

 頭の中でもちろん「こんなこと今まで何度もあっただろ! 8、10、12回目のテイクの時とかに」と聞こえたよ。しかしこれは20テイク目だ!業界用語でいう「Pickup」(訳者注:アメリカで使われる撮影用語。重要シーンを撮り終えた後の本筋〈アップの会話シーン〉とあまり関係ないシーン〈手、コップ、銃のアップなど〉を撮ることを指す)を撮ってる時だった。一行もセリフを思い出すことができなかったんだ!滝のように汗が流れて、スタッフが拭いてくれたよ。そんな時、素晴らしいことが起こった。

 もうダメだと思って、スタンリーのところに行って、「スタンリー、本当にすまない」と言った。そうしたら、スタンリーが私の人生で聞いた中で一番素晴らしい言葉をくれた。「スターリング、君が状況を打開できないのはわかっている。私がそれを助けてあげることができないのも知ってるだろう。しかし!君の目、顔に浮かぶその恐怖!それが今、我々が求めているものなんだ!まさにジャック・リッパー将軍そのものだ!もしその表情が君に今、宿っていなかったら、我々は数ヶ月後にまた撮り直さないといけないところだった」とね。どう思う? 素晴らしい言葉とは思わんかね? 一生忘れることはない。それから、通りの向こうのブラウンズホテルに行き、ジョニーウォーカーの黒ラベルを2、3杯引っ掛けてスタジオに戻ったら、全てがうまくいったんだ。




 キューブリックは演劇畑出身の監督ではないので、基本的に演技は役者任せであることが多いのですが、キューブリックは『博士…』のリッパー将軍役を、以前『現金に体を張れ』で一緒に仕事をしたスターリング・ヘイドンをキャスティングした時点で「うまくいく」と自信があったのでしょう。同じようにマフリー大統領、マンドレイク大佐、ストレンジラブ博士を演じたピーター・セラーズにもほとんど演技指導はしませんでした(キューブリック曰く「勝手にやらせたら必要な画は撮れていた」)。

 キューブリックは演技について役者から尋ねられると、「何をして欲しいかはわからないけど、何をして欲しくないかはわかる」と説明しています。つまり「アドリブなどを駆使して自分ができる最大限の演技とアイデアを自由に試して欲しい。だが、演技の方向性はこっちでコントロールする」ということだと思います。つまりこのスターリングの場合、スターリングが演じるリッパー将軍の方向性は自分が望んでいるもので素晴らしい。だからスタリーングが今受けているプレッシャーから彼を解放してあげて、より良い演技をしてもらうための環境を整えてあげるのが、この「言葉」の目的だったのだと思います。

 キューブリックは『ロリータ』『博士』での成功体験から、どんどん役者に「自由裁量権」を与えて、より良い演技を(時には100テイク以上を費やしてでも)役者自身に追求させるようになります。ただ、その「自由裁量権」がキューブリックが考えている「方向性」と異なる場合は、その修正指示は自ずと厳しいものになります。『シャイニング』のシェリー・デュバルはこの「方向性のズレ」に苦労した代表格で、シェリーは「演劇的演技」が身に染み込み過ぎていたため(キューブリック曰く「わざとらしく見える」)、キューブリックはそれを排除したかったのです。また『バリー・リンドン』のマリサ・ベレンソンもその「被害者」のひとりで、キューブリックはマリサの気品ある立ち居振る舞いは気に入っていたものの、クイーンズ・イングリッシュを話すことができなかったため、物理的に大鉈を振るい、大幅にセリフを削って黙らせたのです。

 その、キューブリックが与えた「自由裁量権」に、キューブリックの期待以上に応えて見せたのがピーター・セラーズ、マルコム・マクダウェル、ジャック・ニコルソン、リー・アーメイ、そしてこのスターリング・ヘイドンだったのだと思います。

1983年に行われたスターリング・ヘイドンのインタビュー動画。訳したのは10:28から12:06まで。

翻訳協力:Shinさま