映画レビューSNSサイトフィルマークスで『2001年宇宙の旅』のレビューを読んでいると、SF映画だから宇宙シーンから始まるだろうという先入観からか、最初の「人類の夜明け」パートで戸惑ってしまってそのまま集中力を切らしたまま鑑賞を終え、結局「難解」という結論に至ってしまう、という事例を見つけることができます。それもこれもキューブリックが映像重視の方針からナレーションを外してしまったからなのですが、実はこのパートがどういう意味なのかは「全て映像で説明」しています。ファンにとっては単なる蛇足でしかないと重々承知しつつ、新たな鑑賞者に向けてそれを解説してみたいと思います。尚、当然ですがネタバレしていますので、この記事は鑑賞後にお読みください。

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 「人類の夜明け」と題されたパート。太古の地球、おそらくアフリカ大陸であろう風景から物語は始まります。

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 茫漠とした砂漠に残された人類の祖先である猿人の骨。このように猿人たちは滅亡の淵に立たされていました。

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 猿人たちは草を食し、かろうじて命を繋いでいる状態です。バクと草を奪い合う始末です。

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 ヒョウにも襲われます。このように猿人たちがこの地球上から絶滅するのも時間の問題でした。

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 他の群れとの水飲み場の奪い合いです。しかしせいぜい怒声や動作で威嚇する程度しか方法はありません。

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 夜、猿人たちは寝ぐらで聞きなれない音に神経を尖らせています。

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 朝起きてみると目の前に「新しい岩(モノリス)」が屹立しています。明らかに人工物であるそれが一体なんなのか、誰がそれを置いたのか、一切の説明はありません。

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 初めは威嚇するも、好奇心を抑えられなくなった猿人はやがてモノリスに恐る恐る手を伸ばします。これは年老いたボーマンがベッドからモノリスに手を伸ばすラストシーンの伏線になっています。

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 月と太陽を背にするモノリス。このカットでモノリスは太陽がトリガーとなって動く装置であること、第二のモノリスが月にあることを示唆しています。ちなみに月面のモノリスも太陽がトリガーになっていることを示す同様のカットがあります。

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 何気なく骨を拾ってみる猿人。彼はやがて何かを思い出します。

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 それはモノリスに触ったことでした。このカットは「難解だ」「退屈だ」と散々の評価だったプレミア公開の後に、キューブリックが猿人の「気づき」にモノリスが関係していることを明確に示すため、急遽付け加えたものです。

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 骨を道具として使うことに気がついた猿人。「武器」という解釈もありますが、あえて「道具」としています。理由は後ほど。

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 バクを殺し、その肉を食うことを思いつきます。

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 肉食を覚え、飢餓を脱した猿人。後方のバクはやがて猿人たちに食される運命にあります。

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 再び他の群れとの水飲み場を巡る争いです。今度は相手を排除できる道具(武器)を持っていますので、襲いかかってきた相手を撲殺します。

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 この地球上でもう恐れるものは何もない! と言わんばかりに骨を空に放り投げます。

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 その骨はやがて・・・

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 数百万年の時を経て、1999年の衛星軌道上に浮かぶ人工衛星(核爆弾衛星)へと「進化」しました。


 「骨=武器」と解釈しないのは、この「骨を使うことによってバクの肉を食うことを思いついた」という部分が「(殺人用)武器」という解釈だと説明できないからです。より広義に「モノリスによって道具を使うことを覚えた猿人は、バクを狩ることによって肉食を覚え絶滅の危機から脱出し、同時にそれは武器にもなり得て人類初の殺人を行い水飲み場を支配。そしてその支配は全地球上からやがて月まで到達しようとしていた」と解釈するのが自然でしょう。

 アーサー・C・クラーク著の『失われた宇宙の旅2001』によると、クラークはアイザック・アシモフに電話して草食動物を肉食に変えるにあたっての生科学的問題を話し合った、とありますので、猿人が肉食を覚えたことによって進化に影響を与えたのか否かを検討したのでしょう。結論は上記の通り映画で採用されていますので、「影響を与えた」と判断したことになります。

 今年NHKで放映された『人類誕生』というドキュメンタリーによると、ここに登場した猿人であろうアウストラロピテクスからネアンデルタール人、そして現人類の祖であるホモ・サピエンスと別れた際、ネアンデルタール人は絶滅しましたが、ホモ・サピエンスが生き残った理由として「道具をより高度に扱えた」という学説を紹介していました(例として採り上げられていたのは縫い針と石斧)。つまり、キューブリックやクラークが『2001年…』で提唱したように道具の進化と人類の進化は密接に関係している、というのは現在でも有力な説のようです。

 このパートは端的に言えば「何者かの力によって人類の祖先は滅亡の淵からから脱し、地球の支配者へと進化した」という説明部分なのですが、その「何者か」を映像化するのに、タコの姿をした宇宙人がピアノ線で吊るされてやってきて「アナタガタニ道具ヲ使ウ智恵ヲ授ケヨウ」でも、光輪を背負った神様が手を広げながら天から降臨し「あなた方に道具を使う智恵を授けてしんぜよう」でもよかったはずです。しかしあえてそれをやらず「謎の黒い板」で全編押し通し、畏怖さえ感じさせる映像に仕上げたのはキューブリックの功績であると言えるでしょう。

 『2001年…』はわかってしまえばとても単純なストーリーなのですが、それをそのまま映像化してしまうとCG全盛の現在でも陳腐になってしまうでしょう。キューブリックはそれを頑なに拒否したからからこそ、今に至るまで語り継がれる傑作・金字塔になりました。キューブリックは「ストーリーを映像(と音楽)で語る」監督です。意味・意図のない映像はワンカットもありません。一部で言われるような「アートな映像を繋げただけで特に意味はない」などということは決してないことが、上記の解説でわかっていただけるかと思います。

 以上を理解した上で『2001年宇宙の旅』に再挑戦してみてください。一度観ただけでは見逃していた多くの「意味」に気づくでしょう。そしてそれから何度でもその「気づきと感動」を味わって、楽しんでください。